二章13:告白は、あの誰そ彼の薄暮

 その後ユーティラと別れた僕は、鈍痛の残る頭を抱え自室に戻った。

 シンシアももう寝ただろう。明朝すぐにでも治療をお願いしなければ不味いかも知れない。

 

 仮面をテーブルに置き、兜を脱ぐ。

 相変わらず鎧を外す事は出来なかったから、僕はそのままぐったりとベッドに横になった。




 おかしい。

 ここ数日は至って快調だった筈の身体が、今日はやけに重い。


 或いは昼の戦いで魔力を消耗し過ぎただろうか。

 レオハルトとの一戦。それから魔族の群れに対し放った最大級の禁呪。

 

 緊張の糸が解れた所為かとも思ったが、ユーティラの最後の言葉を思い出せない程にキリキリとこめかみが痛む。


 やはりこの甲冑の正体の究明は急務だ。勇者エイセスの放逐すら果たせずにゲームオーバーなんてのは、流石に洒落にならない。


「……ふぅ」

 僕は溜息をつくと、ユーティラの言葉にエメリアを重ね天井を見上げた。




「――ララトを守るのは、私だから」

 その事にエメリアが拘り出したのは何時からだったろう。――いや、僕が彼女と出会った時からかも知れない。

 

 エメリア・アウレリウス・ユリシーズ。


 単純に付き合った年数だけならば、四人の中で最も長い僕の幼なじみ。――あの日ナヴィクに越してきた僕が、誰よりも先に出会った少女。

 



「にーに……?」

 エメリアが僕に向けて放った、最初の一言はそれだった。


 ノーデンナヴィクの街の中腹。守備隊の家族に充てがわれる一画の、新築の一軒家。

 そもそもが故郷で軍の要職に就いていた父の蓄えは、一家が暮らす程度の家を設えるには充分過ぎる程にあった。


 一階建ての平屋にキッチンと四部屋。初めての個室に歓喜の声を上げた事は覚えている。――今思えば、それは父が僕と母に向けた、一つの詫びと気遣いだったのだろうが。


 ともかく初日の引っ越し作業を終えた僕は、両親に頼まれて近所の雑貨屋まで買い物に向かったのだった。




 ――雑貨屋キングスブリッジ。

 市の中枢であるアカデミアの、手前に別れた交差点。要は僕の家の隣。

 

 王様橋の名の割にはこじんまりとした雑貨屋は、他のナヴィクの町並みと同じく白煉瓦の壁作りで、ただ屋根だけが目印の様にオレンジ色を纏っていた。


 街は既に薄暮に包まれていて、所狭しとものの置かれる店内には、代わりに人影が無かった。

 

 日用品は僕の郷里と共通のものも幾らかあったが、魔法じかけの人形や――、つまりは玩具や小物の類は初めて見るものが多く、子供だった僕はつい目を奪われてキョロキョロと辺りを見回していたのだった。


 ところが誰も居ないと思っていた店内の、奥のレジの陰でギィと椅子の揺れる音がして、咄嗟に僕はぶるりと身を震わせた。


「にーに……?」

 音のする方から、青い瞳を湛えたブロンドの少女が、驚いた様にこちらを見ている。


 恐らく僕がこれまで見てきた中で、至上に美しい少女だろう。同じく驚いた僕も、どう返すべきから分からずに立ちすくんでしまっていた。


 


「あ――、ご、ごめんなさい! ……い、いらっしゃいませ」

 数秒ほどしただろうか。先に口を開いた彼女は慌てて謝ると、まだ背が届かないであろうカウンターの、その為に据え置かれたキッズ・チェアに座った。目はもう背けていて、敢えてこちらを見ない様にしているようでもあった。


 僕は母に頼まれたマカロニとイモ、それからパンを幾つか見繕ってレジに持っていくと、先ほど僕を「にーに」と呼んだ少女の前にそれらを置いた。


「お、お会計は……」

 俯いたまま代金を告げる彼女にお金を手渡し、続けざまに僕は挨拶を済ませる。

 

「あの、はじめまして。僕はララト。今日からナヴィクに越してきたんだ。宜しく」


「ララ……ト?」

 やっと目を上げてくれた少女は、僕の顔を見た瞬間に頬を上気させると「エ、エメリアよ……そ、そうなんだ。もし遊び相手が居ないなら、代わりに私が遊んであげてもいいけど」と、次には今と変わらないエメリアの口調で返してきた。


 それからすぐの事だった。このエメリアが僕を遊びに誘い、まるで誰かの姿を重ねるかの様に手を引き始めたのは。




 僕とは三歳違う、接点も何も無いただの隣家の幼子。

 才能も外貌の差も歴然とある美少女が、なぜ僕に拘泥を続けるのか。


 全く理由も意味も分からないまま、僕が真相を知ったのは、エメリアが飛び級でアカデミアへ発つ、出会ってから五年が過ぎたある日だった。




「――私ね、ララト」

 彼女はそう切り出した。


「昔はにーにが居たんだ。ララトと同じ、三歳上の」

 夕日に染まるナヴィクの高台、遠い空を見つめる様にエメリアは呟く。


 にーに。

 僕はその言葉を記憶から掘り出して頷いた。


「ああ、最初エメリアと会った時の」

「――覚えてたんだ。恥ずかしいな」

 黄昏の所為か幾分か赤く頬を染め、エメリアは笑った。


「にーに」とは、お兄ちゃんという意味だろう。

 この頃僕には義妹のフィオナが居たが、エメリアとの長い付き合いの中で、彼女から兄の存在を聞かされた事は無かった。


「でもね……にーに。死んじゃったんだ。私の所為で」




 暫くの間が空いて、少し肌寒い夕暮れの風が、幾許かの夜を纏ってエメリアのブロンドを揺らす。彼女は理由を語らず、そして僕は問わなかった。




「だからね、私。私の大切な人を……もう二度と……絶対に失いたくないんだ」

 彼女の悲哀に満ちた眼差しが、無理をした様な笑顔に変わる。


「お願いララト。私にララトを守らせて……ララトを守る為なら、私はもっともっと……ずっと強くなれるから」


 僕にそう告げたエメリアに、僕は黙って頷いた。そして同時に僕の役割が何であったのかをはっきりと悟った。いや、むしろほっとしたと言った方が正しいかも知れない。


 才能も何もかも、明らかに不釣り合いなエメリアが僕に好意を抱く奇跡より、僕が彼女の兄の代わりとして愛されるほうが、まだ納得が出来る様に思えたからだ。




 その半年後には魔法剣士ゾーレフェヒターに昇格した彼女は、飛ぶ鳥を落とす勢いでナヴィク有数の戦士に育っていった。


 そこに訪れた勇者エイセスという凶事。奪われた日常。

 僕も……僕ももう、何も、失いたくない……

 

 その時僕は、微かに空に手を伸ばしていたのかも知れない。

 心の痛みが反映されるかの様に頭痛もまた激しさを増し、やがて僕の意識も闇に消えた。

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