二章06:狂飆は、魔窟に雷雨を齎し

 灼熱洞を出て三日目。


 酷い寝汗をかいた気がするが、甲冑が全てを吸い取ってくれたのか、起床と共に不快感は消え失せていた。


 出来れば今日はエメリアたちにまともな食事を食べさせてあげたい。

 記憶では集落の跡地を通り過ぎる筈だが、そこは勇者一行との旅路で暫く滞在した場所でもある。さてどうしたものか。




「おはようございます、ララト」

 僕が逡巡としていると、1番早く寝たシンシアが、今日は最初に起きてきた。


「あらあら、フィオちゃん夜更かしでしたねえ」

 昨晩僕の膝の上で寝てしまったフィオナは、今は入り口側の、ござの上で寝息を立てている。


「ふぅ。それじゃ今日も治療を始めよっか、お姉さんと」

 そう言うやシンシアは僕にキスを迫ると、昨日と同じ口移しで治癒薬を流し込んできた。


「んっ……シンシアっ……」

 幸か不幸か周囲に人影は無く、面倒になった僕はシンシアに身を預けた。頭を押さえられ口唇を何度も重ねる彼女の治癒は、まるで僕自身が何かを吸い取られている様な、そんな錯覚さえ覚えさせる。


 シンシア自身の身体が薬壺だと言うのは分かってはいるが、かつての治療は果たしてここまで情熱的であったろうか。或いは遠い記憶に過ぎる余り、僕が忘れてしまっているだけなのか……


「ふぅ……おしまい。幸いを弱き者に、希いを持たざる者に、秘蹟をそれを求める者に。――ヒールメント」


 シンシアは回復の呪文を唱え、キスを合図に治療は終わった。効能は確かだ。だがこの情事紛いが毎日続くとなると、いつか過ちを犯してはしまわないかと、僕は少しばかりの不安を覚える。


「ありがとうシンシア。今日も気持ちよかった」

「ふふ。ララトはやっぱり紳士ですねえ。もっと色々、お姉さんにしてくれてもいいのに」


 一瞬で頬が赤く染まるのを僕は感じた。やはり、というべきかは分からないが、この半年でシンシアも、いやエメリアを始めとした全員が女として変わっていた。妖艶に、甘美に、性的に。――それはどうやら、もう覆しようの無い事実のように。


「そ、それはできないよ……だってほら、シンシアは、僕の……」

「僕の? なあに? ララト」

 胸を強調する様にシンシアが迫る。これ以上は――。




「おっはよーセンパイ。んー、シンシアも起きてるの?」

 丁度その時だった。シンシアの背後、洞穴からケイの声がしたのは。


「おっ、ケイか。おはよう!」

 ごまかす様に声を上げた僕に、シンシアがすっと身を引き「おはようございます、ケイちゃん」と、いつもの知的な眼差しで返した。


「おっはようシンシア。今日もセンパイは体調が悪いの?」

 どこかしら訝しがる風のケイは、僕とシンシアの間に割って入ってくんくんと匂いを嗅ぐ。


「大丈夫だよケイ。心配してくれてありがとう」

 別に後ろめたい事をしている訳では無いのだが、及び腰になりながら僕は答える。


「そっか。ふーん。じゃ、ボクお風呂行ってくるね」

 そっけなく返事をし、スタスタとケイは川辺のほうに向かっていった。


「気づかれちゃいましたかねえ。ララト?」

「大丈夫、だと思うけど。流石に人目に付き過ぎないか?」


 またくすくすと笑ってシンシアは言った「隠れてしたら、もっとイケない事、してるみたいですよ」と。


「……そうかもな。シンシアの治療法は皆知らない訳じゃないし、隠れてこそこそするほうが変か」


「そうそう、そうですようララト。お姉さんはケイちゃんでも誰でも差別はしませんからねぇ」


 僕はシンシアとケイが絡む光景を脳裏に描き、それはそれで眼福だなと一瞬だけ思いはしたが、直ぐにかき消して頭を振った。――そういう問題では無い。




「ふああー、おはようララトー。あ、シンシアさんも」

 続きエメリアも目を覚ますが、昨夜は髪を束ねて寝た為か、寝癖はさほど見られない。


「おはようエメリア」

「おはようございます、リアちゃん」

 僕とシンシアが、声を合わせる形で挨拶を返す。


「んん、二人とも早いね。あれ、ケイちゃんは?」

 辺りをキョロキョロと見回すエメリアに「ああ、ケイならもう朝風呂に行ったよ」と僕は答える。


「そっか、早いなぁケイちゃんも。よっし、私も行ってくるね。――シンシアさん、ララトが覗かない様に見張っておいてくださいね」

 一度背伸びをしたエメリアが、ケイを追って川辺へと向かう。




「ふふ……リアちゃんが要らないって言うんなら、お姉さんがララトを食べちゃいましょうかねぇ」


 半ば冗談とはかけ離れて艶美な目を向けられた僕は、困惑して視線を逸した「――そうだ、フィオのヤツを起こさなくちゃ」と。




 その日も軽く朝食を摂りながら、僕は一日の行程を確認した。食材はまだ余っていたから、今日は行軍に専念する事。ただ宿泊所については伏せておいた。一応勇者たちエイセスと使った場所は避けているつもりだったが、万が一という事もある。


「じゃあ今日は私も一緒に戦うよ。このままじゃ身体がなまっちゃうし」

 するとエメリアの発案に乗って、ケイがナイフを取り出し、シンシアも「うん」と頷く。


「分かった。それじゃあフィオは昨日と同じく僕の肩で、エメリアとケイには前衛を、シンシアには後衛を任せる。まあぼちぼち行こう」

 

 僕はフィオナを肩車すると、勇者たちの棺桶を浮かせ帰途を進んだ。




*          *




 実際コキュートスの瘴気も大分薄まってきたと見え、現れる敵のレベルは30クラス。もうエメリアたちでも太刀打ちが出来ない相手では無い。


 雑多なオークやゴブリンの群れ。かつて僕の故郷を襲撃してきた連中と同程度の魔族。当時のエメリアなら互角だったが、今ならば余裕だろう。


「よっし! それじゃあ今日はボクたちが戦うからね! センパイは下がってて!」

「ってケイちゃん! あなたもナイフしか無いじゃない。私が前にでるから!」


 エメリアとケイの場合は、アカデミアで上司と部下の関係だった。つまり先に魔法剣士ゾーレフェヒターになったエメリアが、実戦的な部分でケイを指導していたのだ。


 だからケイが僕に言う「センパイ」とは別の意味合いでエメリアは「先輩」で、彼女が戦闘中にエメリアに対し敬語を使うのには、実はそういう理由があった。




「は、はい……!」

 ケイが跳ねて中衛に下がると、エメリアは自身の剣に魔法を付与し始めた。俗にいう魔法剣エンチャントだ。


「火を纏え、絶華を散らし、美しき彼岸の如く。其は焔持てる赤の刃。――エンチャント・オーラ。<エグゾースト>」


 刀剣が火を纏う事で殺傷力が増すこの呪法は、ノーデンナヴィクの魔法剣士たるエメリアの、得意とする戦術の一つだった。


「――炎渦黒妖斬えんかこくようざん!」

 突っかけたエメリアが、眼前のオークに斬りかかる。炎撃で致命傷を受けるオークだが、豚と人を掛けあわせた醜悪なこの獣は、今わの際まで闘争の本能で反撃を仕掛けてくる。


「ケイちゃん!」

 そう叫んだエメリアの背後から、短刀を携えたケイがオークの手の筋を斬り、次いで喉元に止めの一撃を与える。構えていた斧を落としたオークは、そのままに絶命した。


 僕を抜いた今の戦力なら、エメリアの単体必殺に、ケイが止めの一撃を被せていく方法がベストと言えた。しかし残すオークは四体。これ以上は消耗と判断した僕は、手で払うと一瞬で残敵を消し炭にする。


「もうララト!」

 食って掛かるエメリアに、僕は空を指差す。


「ランペイジだ。少し急ごう」

「――あ、ほんとだ」


 戦いに熱中していたのだろう、恥ずかしげに俯いたエメリアは、自らの剣を鞘にしまった。まだ後方ではあるが、暗雲の立ち込めるのが見える。




*          *



 ――ランペイジ。

 コキュートス領内で偶発的に発生する季節を問わない天候の乱れ。事前の予測が困難である事からこう名付けられた。暗雲が齎すものが雨なのか雷なのか、それとも雹なのかは遭遇するまで分からない。


 俄に湧いた暗雲は、道を急ぐ僕たちに徐々に迫ってきた。もう少しで例の集落跡――、という所で遂に雲に僕らは抜かれ、豪雨に撃たれながら空き家の中に逃げ込む。雨であるのはまだ運が良かった。これが雷や雹ともなると始末が悪い。


「はぁはぁ……ああんびしょびしょ……ごめんララト。私が気づかなくて」

 リビングの中央で、エメリアは法衣の端を絞りながら言った。


「気にするな。どのみちランペイジは避けきれないさ。それよりエメリア。――悪いが暖炉に火をつけてくれ」


 まだ生活感の残る集落跡。かつての町の名は誰も知らないが、ここはほんの1月前まで、勇者の一行がねぐらとして使っていた場所だった。


「あ、うん。分かった」

 当然エメリアも場所を把握していて、残された薪の束を掴んで放ると、そのまま指を振って火をつけた。


「あんまり来たくはなかったんだが……この天候じゃあしょうがない。今日はここで休もう」


 勇者たちは外の馬小屋に放置して結界を張ったから、そっちのほうは問題が無い。




「ですねえ。お姉さんはちょっと疲れました……」

 水で肌に密着した修道服が中々脱げない様で、シンシアは暖炉の前の椅子に座ると諦めて火に手をかざした。


「アタシも……服乾かさないと」

 一方のフィオナはと言うと、身体に凹凸が無いためか、するりと脱皮の様にローブを脱いだ。シンシアが羨ましそうにそれを見つめる。


「じゃあ皆、暫く服を乾かしててくれ。僕はちょっと風呂を見てくる」

 エメリアだけは服を脱ごうともしないまま「くしゅん」と身体を震わせていて、何となく察した僕は部屋を出る事にした。




 ドアを開けるとやはり酷い雨で、さっきまでカラカラだった地面は一面が水を張って飛沫を上げている。


 先月ここへ来た時は屋内の風呂は使い物にならず、外に即席の風呂場を作った。

 岩の土台に浴槽を置いた、いわゆる五右衛門風呂の要領だが、流石に1ヶ月もすると掃除が必要だろう。風呂場は家の裏手、女子トイレの側にあった。




「あ、センパイ」

 渡り廊下を歩き、丁度女子トイレの脇を通った時だった。僕とケイが鉢合わせたのは。


「どこ行くの?」

「ああ、風呂の掃除」


「えへへ、じゃあボクも一緒に行く」

「いいのか? 濡れてるだろ、服」


「へーきへーき。だってボクいっつも濡れてるじゃん」

 まぁ確かにと僕は頷くと、ケイを連れ立って風呂まで向かった。


「これ、確か作ったのセンパイだったよね。凄いね」

「まあアイツらに頼まれた雑用だからな。――ふっふっふ。この半年で主夫力だけは上がったぞ」


 女子トイレ、五右衛門風呂、それらを繋ぐ渡り廊下は、全て勇者たちの指示で設えた僕の作。――パーティーが昼間探索に出ている間、残った僕はシコシコと日曜大工に励んでいたという訳だ。


「センパイと結婚したらお嫁さんが楽だね! えへへ、ボクが立候補しちゃおっかな」

「ケイならもっと良い旦那さんが見つかるだろ。ほら、冗談言ってないで洗うぞ」


「ちぇっ……ハーイ」

 不貞ふて腐れるケイを他所に、僕は水の球体を指の上に集めると、それを浴槽に何度か当て中を洗いだ。


 ケイが転がっていたデッキブラシで中をこすり、その後に僕が球体を当てる作業を繰り返す――の最中。


「うおおっ」

 足を滑らせたケイが尻もちを突き、まだ水の残る浴槽に勢い良く滑りこんだ。


「いててて……」

「大丈夫か?」


 僕は思わず手を差し伸べるが、雨の上に水でまで濡れたケイのタンクトップは完全にぐじゅぐじゅで、下半身の黒いスパッツは柔肉の盛り上がりを如実に描き、筋の形状をくっきりと示していた。


「えへへ……ねえセンパイ」

 そこで僕の手を取ったケイが、悪戯げな笑みを浮かべる。


「今日さ、朝シンシアとえっちぃ事してたでしょ」

 ケイの目が、雌の臭いを帯びた淫靡なそれに変わった。


「い、いや……あれは治療の……」

「治療……へぇ。じゃあさ、センパイ……ボクにもその治療、させてよ」


 僕の手を引きながら、上半身を近づけるケイは、仮面の寸前で囁いた「それ取って……ねえ」と。




 ――この半年は僕たちの在り方を大きく変えた。

 勇者たちと出会う事が無ければ、僕は僕として過度の自責も無く生きられたろうし、彼女たちも彼女たちとして、ごくごく一般的な恋をして、きっと然るべく幸せを築いていた筈だ。


 毎夜毎夜、苛む悪夢が僕を苦しめる様に、ケイたちの身体に刻まれた六ヶ月の残滓は、こうして今後も、事ある毎に繰り返されていくのだろう。

 

 僕は仮面を外すとケイの口付けを受け入れ、彼女の身体を抱きしめた。




「センパイ……センパイ……」

 何かを我慢していた様に、貪る彼女の唇が、舌を絡め僕の咽喉に唾液を流す。


「ごめんね……ずっと我慢してたんだ……でもシンシアが見せつけてくるから……」

 ケイの嗚咽から感じる、悲願めいた切迫。


「ボクが一番じゃなくてもいいから……だから……」

 ケイの想いに気がついていない訳では無い。だが命を対価に捧げてしまった今、僕には彼女たちを守る以外に何が出来るのかが分からなかった。


「――そういう訳じゃないんだ、ケイ。いずれ話す日が来ると思うけど今は……今は僕の事を信じて欲しい」


 ただ抱きしめる手に力を込め、僕は卑怯だと自分に言い聞かせながら彼女の唇を奪い返す。




 勇者エイセスと行動を共にした長い日々、恐らく最も肉体的に磨耗したのはケイだった。

 ノーデンナヴィクの夜もそうだったが、サルバシオンの嗜虐性は群を抜いていて、シンシアの治癒魔法が無ければ、彼女の肉体は保たなかったろう。


 対魔王の駒として勇者たちエイセスを利用する一考はあったが、同時に見せしめの為の贄も要される。その贄に僕がサルバシオンを選んだのは、消去法で言って最早当然とも言えた。


 


「……うん、ごめんね突然……本当はもっとシてたいけど……えへへ」

 やっと落ち着いた様にケイが唇を離し、涙目を浮かべた笑顔で僕を見つめる「ありがとうセンパイ。もう大丈夫」と付け加えて。


「こっちこそありがとうな。ケイが居てくれて、僕も本当に助かってる。本当に」

「……うん」


 頷いたケイを今度こそ立たせ「じゃ、戻ろうか」と僕は浴槽から抱きかかえた。


「えっ……いいよボク、自分で歩くから!」

「誰も見てない所でぐらい、抱っこさせろよ」


 そこから先はいつもの、と言うより、在りし日の僕が知るケイだった。ちょっとした事で頬を赤らめる、初心うぶで無垢な可愛い後輩。

 

 きっと僕も彼女も皆も、あの日と同じ日常にはもう戻れないのだろう。勇者たちエイセスから解放された初日に抱いた淡い思いが、幻想だった事を僕は肌で感じつつあった。


 僕はケイを抱えたまま、皆の待つ家のリビングに向かった。――気がつけばランペイジは収まっている。




「おっそいよーララト! あとケイちゃんも! 二人で何してたのさ!」

 見ればフィオナを除くが、空き家から拝借した寝巻き姿になっていて、エメリアは頭から湯気を立てながら怒っていた。


 元々が宿屋だったであろうこの建物は、広いリビングといくつかの個室を有していて、前回も出立前に一通り掃除を済ませていたのだった。


 ちなみにフィオナだけはやはり眠ってしまった様で、下着の上にタオルケットが掛けられ、ソファーからは可愛らしい寝息がくーくーと聞こえる。




「こっちは皆が着替えし易い様にって、気を利かせて外に出てたんだ。本当はエメリアの裸をじっと見つめていたいの我慢してだな……」


「ばっ馬鹿……そんな言い方するから厭らしくなるんじゃない。は、裸ぐらい全然もう……」

 僕がケイを降ろすと、今度は顔からもエメリアが湯気を出す。




 実際のところ勇者エイセスの支配下で時間を過ごすうち、行為後の後片付けや女体の管理を、僕は雑用として命じられ、そしてこなしてきた。


 だから裸だから云々と言う次元はとっくに過ぎていて、ある意味ではこういうやり取りも、日常を演じる為の、目を瞑った茶番ではあるのだ。




「ははは。冗談だよエメリア。ちゃんとお風呂の準備はしてきたから、今日は皆であったかい湯船に浸かろうな」


「お風呂」の単語に女性陣が沸き立つ。シンシアは待ってましたと紙包みを揺らし「ふふふ、入浴剤なら準備しておきましたよう」と笑った。


「よっし、それじゃあこれからお湯を沸かすから、順番か、まとめて何人かで入って来てくれ。僕はその間に夕餉の準備をしておくから」


 僕がそう告げて踵を返すと「じゃあお湯炊きは私がやる!」とエメリアが後からついてくる。




「ん。助かる。それじゃあ僕はキッチンに行くから、エメリアはお風呂の番を頼むな」

「オッケー任せて。なんだか最近いいとこ無いから、ちょっと私頑張るね」


 確かに戦闘のメインを僕が張り、それ以外は料理に採集と、どうにも持ち味を活かせていないのがエメリアのここ数日だ。


「あんまり道中気張るなよ。帝都に戻ったら、エメリアには頼みたい事が沢山あるんだから」


「気張ってないよ! ただ要望はどんどん送ってね。私、ララトだけに全部を背負わせたくないからさ」


 女子トイレを岐路に、左手がキッチン、右手が浴場に通路が割れる。僕とエメリアはそこで別れると、お互いの持ち場へと向かった。




 宿屋の裏手は、どうやらかつて併設された食堂だったらしく、広いキッチンはまだ使う事が出来た。……正確には、やはり一ヶ月前の滞在で僕が修理しただけなのだが。


 竈に火をつけ、残った肉を適当に切って放る。あとは良い焼色が付いた辺りで木の実も入れれば充分だろう。


 鍋のほうにはキノコや薬草の類を入れ、シンシアのコショウをまぶし野菜スープにする。今手元にある調味料がそれしか無い以上、文句の言いようもない。


 やがて遠くでは水の跳ねる音とエメリアたちの笑い声が聞こえてきて、僕はそれをBGM代わりに鍋の中をお玉で混ぜていた。


 以前は勇者たちの視線に怯えながらの作業だったが、こうして穏やかな気持で作る料理は格別に心地よい。


 香ばしい匂いが食堂に充満し始め、そろそろ誰かこっちに来るかなと思っていると、一番手は妹のフィオナだった。


 あの後起きたのだろう。しかしサイズの合う寝間着が無かった為か、バスタオルで身体を巻いているだけの格好だ。




「おっ早いな。もっとゆっくり入ればよかったのに」

「……ううんお兄ちゃん。みんなおっぱい大きかった」


 しょげた表情のフィオナは、そうとだけ呟くと俯いた。


「どうしたんだ……お風呂そんなに気持ちよくなかったか?」

「違う……気持ちよかったけどさ。なんでだろうお兄ちゃん。私の胸だけ全然おっきくならないの」


 フィオナはバスタオルを少し指で引っ張り、まっ平らな自分の胸を見下ろして溜息をつく。


「結構アタシも揉まれたりした筈なのにさ……先っぽだけしかおっきくなってないの。はあ」

「い……いや、お兄ちゃんにそれを言われてもだな。その、反応に困るぞ」


 要するに、他の女の子はこの半年でさらに体つきが良くなったという事なのだろう。

 それは傍目に見ていた僕も分かる。だがフィオナの身体が成長しない理由は分かる訳が無い。


「ねえお兄ちゃん。お兄ちゃんはやっぱりおっきいおっぱいが好きなの?」

「馬鹿……それを男に、ましてや兄に聞くもんじゃないぞ、フィオ。とてもとても難しい問題だ」


「なんでー!? お兄ちゃんだからアタシだって聞いてるのに……」

「あ、ああ……そうか、そうだよなフィオ。うん。おっぱいって言うのはだな……」




「おっぱいが、なんですかねえ? 」

 そこでひょこりと顔を出したシンシアが、ほくほくとしながらやってくる。


「ああシンシア! そう、シンシアがナイスバディだって話をね。はっはっは」

 誤魔化した僕の顔を、フィオナが恨めしげに睨む。


「あら、お姉さん嬉しいですよう。ララトに好きって言って貰えてー」

 これではまるで僕が巨乳好きと宣言してしまったかの如くだ。打ち沈んだ表情のフィオナが「そう……そうだよね……」とぼそぼそ呟いている。


「ん! シンシアが来たって事は、そろそろ皆も風呂上がりかな。料理よそっちゃってもいいかな?」

 誤魔化しに誤魔化しを重ねる様な僕に、シンシアが「もうそろそろだと思いますよう」と上機嫌で返す。


「よっし、じゃあもう分けておこう。今日は野菜スープと焼き肉の木の実添えだー」

 やたらテンションの高い僕に、対照的なフィオナの姿を、流石に訝しんだのかシンシアも問う。


「どうしちゃったの、フィオちゃん。さっきまであんなに元気だったのに」

「んーん。なんでもないシンシア……お兄ちゃん、おっぱいおっきな人が好きなんだって」

 そこまで聞いたシンシアは、くすくすと笑い始め、破顔してフィオナの肩を叩いた。


「あのねフィオちゃん。お兄ちゃんは、お姉さんに気を遣ってそう言ってくれたんだよ。だから、安心して」


「え……ほんと? ねえお兄ちゃん、ほんと?」

 僕は目配せで、そのシンシアの気遣いに謝辞を送った。


「あー、シンシア。それを言われちゃあなぁ。うん。フィオは可愛いぞ。僕がお兄ちゃんじゃなきゃ惚れてるぐらいだ」

 僕はお玉にスープを取り、それを五つのお椀に分けながら言った。


「そ、そっか……アタシ頑張るよ……へへへ」

 フィオナは不気味な笑みを浮かべると、それから直ぐにいつもの寝ぼけた雰囲気に戻っていた。




 その後エメリアとケイも混じり、野営とはまた違った落ち着いた食事に、皆舌鼓を打ち夜を迎えた。


「あうぃ〜……」

 台所に残っていた酒を煽ったエメリアは、えんたけなわになると呂律ろれつも回らず、両肩を僕とシンシアが担いで部屋まで送る。


「まったくエメリアは、自分がお酒に弱いって自覚がないんだよな……」

「それはララトの前だからですよう、きっと?」

 くすくすと笑うシンシアの後ろに、フィオナを背負ったケイが続く。


「えっへん。ボクは下戸なの分かってるから飲まなかったよ!」

「――悪いなケイ。異母妹いもうとの御守りをさせちゃって」

 

「えっへっへ。そのうち本当に妹になっちゃうかも知れない子のお世話ですから、任せて任せて」

 意味深にケイが言うが、仮にそうなる頃には僕はもうこの世にいないだろう。

 適当な相槌で返し、僕とシンシアはエメリアを寝室まで運んだ。




「さ、それじゃあお姉さんも寝ようかな。ふふ……それじゃあララト、おやすみね」

 いつも通りの治療・・を終え、僕とシンシアが部屋を出ると、フィオナを寝かしつけたケイが顔を出す。


「ケイちゃんもおやすみ」

 気の所為だろうか、去っていくシンシアが、僕に軽くウインクをして見せた様な気がした。




「――二人きりだね、えへへ」

 悪戯げに微笑むケイの姿に、僕はシンシアの目配りの意味を察した。

 暖炉の火の燃えカスが燻ぶるリビングに、黒い二つの人影だけが残された。

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