二章04:煉獄は、人の世の中にこそ

「……ねえララト。力を使いすぎては駄目。帝都に戻ったらお姉さんが診てあげるから、絶対に無理をしない事」

 翌朝、温かい膝枕の上で目覚めた僕は、シンシアにそうたしなめられた。


 ――代償。

 灼熱洞でパーティーが全滅した時、脳裏に響いた声は確かに告げた。

 そして僕も、対価としての命の喪失に同意した。

 けれども、余命があと幾許なのかは、僕にもその声にも分からない。


 シンシアは勇者の力の、その代償について何かを知っている様だった。

 彼女は軽く僕に口付けをすると「それじゃあお姉さん、ちょっと用事があるから」と言い残し、寝所へと去っていった。




 ――力、か。

 シンシアの言う事も気にはなったが、先ずは帝都に戻り、ディジョンから皇位を奪わねば始まらない。


 僕もまた気持ちを切り替えると、出立の為の準備にとりかかった。空は暗く、夜明けはまだ遠い。

 



「ふああー、おはようララト」

 欠伸をしながら出てくるエメリアは、夕餉の途中で眠ってしまった所為か、ロングヘアーは酷い寝癖だった。

 

 一足先にと水風呂に向かうエメリアは「覗かないでね」と僕に念を押し、そそくさと駆けていく。フラグか、思わぬ訳でも無いが、ここで話の腰を折るほど時間のある訳でもない。


「おっはよーう、センパーイ」

 何より後から続いてきた僕の後輩が、そういった煩悩の発露を許してくれる筈も無かった。


 こういう時ショートカットのケイは便利だろう。顔を洗うついでに整髪が出来るのだから。


「あっ、エメリアお風呂に行ってるんだ。ボクもいっちゃおー。いっちゃうぞー」

 こちらを二度三度ちらちら見ながら、ケイもまたエメリアの後を追った。ああ、僕は行かないぞ。




「おまたせですよう、ララトー」

 一度奥へと戻っていたシンシアは「お薬お薬、ちゃんと朝夕で飲んでね」と、僕に小包を手渡した。どうやら彼女は、寝所で薬剤の調合を行っていたらしい。


「なんちゃって、はい」

 だが僕が受け取るや、シンシアは口移しで僕に何かを含ませた。


「えっ、ちょっ……」

「ふふ……治療のお時間ですよう」


 シンシアは僕の頬を押さえると、舌を絡ませながら本人曰くの治癒薬を滑りこませた。――遠い日の記憶が過る。

 



「んんっ……おはようお兄ちゃん。あ、シンシアも」

 だが事もあろうか眠気眼を擦り、フィオナまでも起きてきた。しかし眼鏡が無い所為か、僕たちが何をしているかまでは分からないらしい。

 

「あ、あ……ちゅっ……はよう……っフィオ」

 辛うじて口を動かしながら返す僕の声は、離す様子の無いシンシアに絡め取られ実にぎこちないものになる。


「あれ、お兄ちゃん。へんなの……んー、トイレ」

 そうとだけ言うと、フィオナはとてとてと川辺のほうへ向かっていった。




「んっ……ぷはっ、ちょっ、シンシア、どういう」

 抗議しかける僕に「これは治療ですよう、ね、ララト」とシンシアは指で「めっ」をし、次の言葉を封じ込めた。


「幸いを弱き者に、希いを持たざる者に、秘蹟をそれを求める者に。――ヒールメント」

 そしてシンシアが治癒魔法を唱え、僕の身体を光が包む。


「はい、朝の治療はおしまいです。後は夜。帝都に着くまで毎日やりますからねえ」

 シンシアは悪戯げに微笑んで、最後にもう一度僕にキスをした。




「あっ、何やってんの! センパーイ!」

 しかしてここで朝風呂を終えたケイが、一足早く戻ってきたらしい。あいつは目が良いから厄介と言えば厄介だ。


「ヴぇっ、何してんの! シンシア!」

 今度は少し怒った口調でケイが詰め寄る。


「ふふ……ララトが熱っぽいっていうから、ちょっと体温を計っていたんですよう」

 くすくすと笑うシンシアに「えっ? センパイ、大丈夫」と、ケイが真顔で僕に迫る。


「だ、大丈夫だよ。でもケイにそんなに近づかれたら、緊張して熱が出ちゃうかも……」

 冗談のつもりで言った筈だったが、ケイは顔を真っ赤にして飛び退いた。


「なっ、なんなんだっ、このセンパイッ!」

「ごめんごめん。半年間ずっと冗談なんか言わなかったからさ。でもケイが可愛いのは本当だよ」


「うっ……嬉しいけど……別に。今度はボクのが熱がでそうだ……」

 ケイはそのままストンと岩の上に腰掛けて、僕とシンシアを交互に睨んでいた。




「なんだか朝から賑やかで、昔に戻ったみたいだね」

 ケイより少し遅れてエメリアも朝風呂を終える。そうだ。こんな風に笑い合える日々が戻ってくるなんて、数ヶ月前は信じられなかった。


「なんかさ。センパイがいきなり女たらしになったんだよ。シンシアともキスしてるし」


「えっ、ララト……本当?」

 驚くエメリアに「い、いやこれは」と僕が弁明し「熱を確かめただけですよう」とシンシアがまた笑う。


「なんだ。調子が悪いなら私が起きた時に言ってくれればよかったじゃない。熱なんていつだって計ってあげるのに」


「よっぽどシンシアさんがいいんだね」とまた不貞腐ふてくされたエメリアは、やっぱり長いブロンドを大仰に掻き上げると洞窟の中に入っていった。


「べー、だ。センパイのエッチー」

 ケイも僕にあっかんべーをして、エメリアの後を追っていく。


「……なあシンシア、酷いことになっちゃったよ」

 僕が項垂れてシンシアを見ると「いいじゃない。皆元気で、お姉さん嬉しいですよう」と相変わらず笑っていた。




*          *




 やがてフィオナが用を足し戻ってくるのを確認した僕は、朝餉と共に出立する旨を告げる。


「今日は食材の調達を頼みたいと思う。流石に肉だけだと栄養価が偏るしな」

 差し当たってはキノコ類と木の実でもあれば充分だろうか。


「オッケー。その辺はボクに任せといて」

 腰のベルトから短刀を抜き出しケイが言った。彼女は弓こそ折られているが、ナイフはまだ残っている。


「いやいやそこは私でしょう。なにせ雑貨屋の娘ですから」

 エメリアもまた剣を握る。そういえばエメリアの実家は雑貨屋だった。――というか実際に働いていたのは僕とフィオナだが。


「それじゃあ、お姉さんは薬草でも採ってこようかしらー」

 コキュートスの領内は、珍しい薬草も多く生えている。シンシアの目的は概ねそれだろう。


「え、えっと……じゃあアタシは……」

 おろおろとするフィオナだったが、魔法銃クアトラビナも無い今、他のメンバーと同じ速度で歩くのは彼女には少し厳しい。


「――ん。じゃあフィオナはお兄ちゃんが肩車してあげようか」

 僕が逡巡とするフィオナに提案すると「え、ほんと? お兄ちゃん?!」と、一転破顔した妹がこちらを見つめる。エメリアとケイの、じっとりとした視線が痛い。


「よ、よし……じゃあ決まりだ。今日は皆で一緒に歩こう。ちょっとしたピクニックだ」

 勇者エイセスの入った棺桶を浮かび上がらせ、僕たちが洞窟を後にしたのはそれからすぐだった。




*          *




「おっし探すぞー。見ててねセンパイ!」

「あんまり離れるなよ! まだ一応敵だっているんだから」

 ケイが我先にと駈け出し、それにエメリアとシンシアが続く。


 流石にマニュフェス・ゲヘナを離れた所為か、魔神格の魔物は鳴りを潜め、ハイオークやゴブリンキングといった歩兵の連隊長クラスが、子分を伴い現れるケースが増え始めた。


 敵の弱体化に伴い、僕が使う魔力の量は昨日よりかなり減った。それは勿論、荷台を捨て面積の少ない勇者たちの棺桶の所為もある。




 周囲ではエメリアたちが銘々に植物や木の実を拾いながら歩いていたが、しかしエメリアだけはなぜだろう、どぎつい色の明らかに毒キノコといった手合のものをピンポイントで選んでくる。

 

 もう一度言っておくが、彼女の実家は街の雑貨屋だ。――今更だが、僕はエメリアが家督を継がずに本当に良かったと胸をなでおろした。もし継いでいれば、今ごろ死人が出ていたに違いない。


 やっぱりこういう時頼りになるのは、肉体派のケイと鑑識眼あるシンシアで、前者は的確に食べ得る物を、後者は治癒に用いる薬草の類を、それぞれ集め袋の中に入れていた。

 

 片やフィオナは――、と言うと、僕の肩車でぺたぺたとあちこちを触り、珍しそうにこの黒い甲冑を調べている。




「ねえお兄ちゃん」

「なんだ?」


 丁度ハイオークの群れが出てきたので手を降る。ボッと塵となり敵が消える。


「これさ。なんなの、これ」

「――いや、僕にも分からん」


 僕とフィオナの会話に割り込む様に、エメリアが笑顔でキノコを持ってくる。 ――だからそれは駄目なヤツだって。エメリアはしゅんとしてまた探索に戻る。


「脱げないの? ほら、仮面と兜以外」

「うん。脱げん」


 今度はゴブリンだ。一応周囲数キロの地表の生体反応は、マッピングの魔法で常に監視している。僕は左手の指を弾き光線を放つと、シンシアの近くに現れたそいつを射殺いころした。


「へえ。くんくん。でも臭わないよねお兄ちゃん。もしかして生きてるのかな、これ。寄生虫かな」


「虫なのか……けどまぁ僕の身体と繋がってるのは多分、本当だ」

 俄然興味を示したと見えるフィオナは、矢継ぎ早に僕に質問を浴びせかけてきた。


「これさ。帝都に戻ったらさ。仮面か兜だけでも触らせてよ。何で出来てるのか知りたい」

「ん、いいぞ。まぁ落ち着いたらな。多分しばらくは忙しくなるから」


 実際の所この甲冑について分かっている事は殆ど無い。

 もし解除の手がかりでも分かるのならば儲けものだが、しかし僕の代償についてだけは伏せておく必要があった。


「んー、でも凄いなぁ。あんな弱々のお兄ちゃんが、これ着た途端勇者だってバーン、でしょ。なんなんだろう」


 独り言ちあれこれ推測を試みるフィオナだったが、そのうち疲れたのかこくりこくりと居眠りを始めた。周りはと言うと中々採集に精を出してくれたらしく、エメリア以外は袋一杯の収穫があった様だ。




*          *




 やがて日も暮れ始め、その日も適当な場所で宿を取る事にした。

 昨日に比べると食材のバリエーションは増えたものの肝心の鍋が無く、結局料理はバーベキュー。


 その日はシンシアが薬草を煎じていた為に、今度こそは汚名返上とエメリアが袖をまくり始めたが、丁度いたケイに僕は調理を任せた。


 腰に手を当てて怒るエメリアを横目に、ケイは酷く喜んで串刺しにされたそれぞれを焼き、僕たちに手渡す。


「ねえララト」

「なんだ?」


 エメリアが不思議そうに問う。夜も進むと、次第に話題は僕の着込む甲冑の話になった。


「それってさ、外せないの? もう二日間ずっと着てるじゃない」

「うーん。兜と仮面以外は取れないんだよな」


「汚くない?」

「今日フィオにも言われたんだけどさ。臭わないんだよね、ほら」

 衛生面で疑問を投げかけるエメリアに、僕は近づくと辺りを嗅がせた。


「ちょっ、何するのよ――、って。ほんとだ。臭わないね」

 ケイも近づいてきて鼻をひくひくさせたが「うん、臭わない」としか答えようが無かったらしい。


「――アタシが思うには、だけどさ」

 ここでフィオナが口を挟み、輪の中に入ってきた。事この手の話題になった時のフィオナは饒舌で、口調には淀みがない。


「これは生物なんじゃないかって思ってる。さっき軽く調べてみたんだけど、お兄ちゃんの身体に寄生――、或いは同化してるんだね」

 コツコツと僕の鎧を叩いてフィオナが言った。


「恐らくお兄ちゃんの身体から出る排泄物、老廃物の類は、全部こいつが食ってるか、吐き出してるか。まあ悪いものだけが取り除かれてるならいいけど、もしそうじゃないものまでってなると――マズい。例えば血とか、命とか」

 

 フィオナの推論は恐ろしく中核に迫りつつあった。事実この甲冑は僕の命を喰らっている。但しそこに行き着かれる事だけは困った。


「ははは。流石に僕の妹だな。でも大丈夫。今のところ身体は頗る健康だし、不快感も無い。なによりこいつが僕の力の源泉だとしたら、下手に外しちゃ駄目だろう。元の僕はただの雑魚なんだから」


 ごまかす様に笑った僕を、フィオナが疑念の目で睨んだのを感じた。ここに居る四人の中では、最も一緒に居た時間の長い妹だ。気をつけなければ代償の存在に気が付かれてしまう。


「とりあえず、帝都に戻ってから僕の事は考えよう。今はこの力が手に入った事が重要なんだ。この力があれば、僕はもう二度と絶対に――、大切なものを失わずに済む」

 最後のほうで重くなってしまった話題に、一瞬しんと周囲が静まり返る。




「はいはーい皆、ララトもきっと疲れてるから今日はこの辺にしましょう、ね」

 僕の困惑を察知したのか、薬草を煎じていたシンシアが手を叩きながらやって来た。


「はい、じゃあこれ煎じておいたから。精神力の消耗に効く薬。ちゃんと飲んでね、ララト」

 シンシアが僕の肩を叩き、手の上に紙の包みを置いていく。


「そっか、そういえばララト、風邪ぎみだって言ってたもんね。ごめんね」

 エメリアが朝の事を思い出した様に詫びると「明日はボクが前線に出ようか?」とケイも乗る。


「大丈夫だって。僕もこの力についてはよく分かってないから、念のためシンシアに薬を調合して貰ってただけ。ヤバかったら言うから」


「分かったよ。じゃ、片付けするからララトは休んでて」

「ホント、無理したらボクが許さないからね!」

 二人は頷きながら立ち上がると、夕餉の後を片付け始めた。


「じゃあねララト。それからみんな。お姉さんは今日は早く寝ますよー」

 昼間の探索と調合で疲れたのか、シンシアは一足先に寝所へ向かった。


「おやすみ、ララト」

「おやすみーセーンパイ」

 片付けと水浴びを済ませた二人も、シンシアに続き床についた。――残されたのは、僕と、そしてフィオナ。




「なんだか寝れないなー、アタシ。ねえねえ寝れないよお兄ちゃん」

 フィオナが駄々をこねながら僕に身体をすり寄せてくる。余りに平べったいから、それこそ本当に軟体動物の様だ。


「そりゃそうだろ。あれだけ昼間寝てたんだから」

「だってお兄ちゃんの肩の上、気持よかったんだもん」

 

 しかし工学の話から一歩でも外に出るとこの有様だ。ビフォーアフターで写真を並べてあげたい程には、退行が著しい。


「ねーお兄ちゃん」

「なんだ」


「閃いちゃった……へへへ」

「何をだ」


勇者エイセスの力をエネルギーにする方法見つけちゃったかも。凄いでしょ」

「それは……すごいな」

 

 随分と壮大な所から切り口が始まったフィオナの仮説。今日はどうやら長い夜になりそうだ。

 僕は彼女の口から色恋やファッション、その他同年代の子どもたちが示す様な話題を聞いた事がない。

 フィオナが目を輝かせるのは専らが自身のアイディアや、専門分野に関する話だけだ。


 まあアイディアに限っては他人に話している間に整理され、実現への思わぬ糸口が掴めたりもする。優秀な妹の聞き手に回るのも、兄である僕の仕事の一つだろう。

 

 何よりこの半年、ろくに自分の研究が出来なかった環境は、フィオナにとっても辛い事だったに違いない。僕が皇位を継いだなら、本腰を入れて応援してやりたいと心から思う。




*          *




「――ブレイヴ。そう名付ける事にしたんだ。へへへ」

「――そうか。なるほどな」

 

 さてどこまで聞いたっけかな。気がつけば大分フィオナの話は進んでいる様だった。おでこで揃った藍色の髪が、夜に溶け込んでより深い蒼を映している。一方の僕はと言えば、肝心の話は大部分が頭に入っていない。

 

 無闇光トゥレースとの接触でおつむは大分改善された筈なのだが、フィオナが得てきた知識の大海にはまだ程遠いと言うことか。それとも単に疲れているのか。いずれにせよ、四元素クアトルの力を軍事転用できると言うのなら、これ以上の幸運は無い。


 


 ――夢中で話すフィオナの首が、やがてこくんこくんとリズムを刻み、気がつけば僕の瞼にも緞帳が降りていた。

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