二章02:平穏は、戦地のただ最中に

 僕がディジョンに出した交換条件はたった一つ。

 彼が皇帝に座す前線の帝国の、その皇位の譲渡。


 ――エスベルカ帝国。

 大陸の中央に位置し、極北の地、コキュートスと対峙する人類の最前線。

 正確には白夜の日ソーレディ。前方の王国が消滅する事で、最前線に繰り上がった・・・・・・国。


 魔族の地コキュートスに対し、人の地は中つ国プルガトリア。

 そのプルガトリアの三分の一を版図に持つエスベルカが、これから僕たちの向かう国の名だった。


 不安定な状態でコキュートスに攻め入るより、先に為すべきは人の世の統治。

 勇者エイセスの歴史的な抹消と、エメリアたちの安全を確保する事こそが急務と判断した僕は、帝国エスベルカの、皇位簒奪を目論んでいた。




 灼熱洞から帝都まではおよそ1000キロ。

 徒歩による踏破なら一ヶ月はかかろうといった具合だが、今回はそこまでの猶予は無い。


 僕は馬車の残骸に重力制御の魔法をかけると、それを宙に浮かせエメリアたちを乗せる。さしあたって勇者連中は即席の棺桶に詰め込み、皆の目には触れないよう動かす事にした。


 このまま時速10キロで動けば、一週間程度で帝都に着く筈だ。もちろん彼女たちの疲労を鑑み、夜間の休養は十分に取る。




 道中には当然の如く魔物たちが立ち塞がったが、僕は馬車の軌道を制御しながらも、それらを片手で片付けて歩いた。


 灼熱洞ほど敵の数は多く無く、レベルはせいぜい50程度。それでも一匹を仕留めるのに兵士百人は要る計算にはなるが、僕にとっては雑兵と差異が無い。


 先刻戦った牛人型の魔神と、引き連れられてオークの集団が躍り出る。

 僕が草を切って遊ぶ少年の様に手を降ると、彼らは紙切れの様に四散した。




*          *




「――そろそろ休もうか。日も暮れてきた」

 夏に差し掛かった大陸の日暮れは遅く、その為に大分距離を進める事が出来た。

 僕は水場の近くに馬車を置き周囲に結界を巡らすと、エメリアたちに今日の休息をここで取るよう促した。


「エメリアは火の準備を、ケイとフィオナ、肉の皮を削いできてくれ。シンシアは寝床を頼む」


 なにせ半年間もやらされた雑用だ。寝所の確保から食事の手配まで、悲しいかな板についている。


 あとは残された勇者たちエイセスをどうしようかと逡巡したが、僕はもう一つの洞穴に勇者ごと棺桶を突っ込むと、そのまま入り口を封じ込めた。




「ふぅ」

 疲れ、という訳では無いが、余りの世界の変わり様に僕は溜息を漏らす。


 それでもいつもの癖だ。ついつい薪を割りに出歩いた所を、エメリアに呼び止められた。彼女の夕日に輝くブロンドと、紫色に染まった瞳が眩しい。


「もうララト! あれだけ今日働いたんだから、少しは休んでてよね!」

 

 こんな普段の会話をするのは、一体どれだけぶりだろう。実際には半年だが、それより遥かに長く思える。


「分かったよ……でも身体が勝手に動いちゃってさ」

 僕は仮面と兜を取ると、何気なく岩の出っ張りに腰掛けた。


「うん……て言っても久しぶりだね、ララト以外が料理をするのは。――任せてよ。私が腕によりをかけて作っちゃうから」

 

 そう笑い踵を返すと、エメリアは手頃な長さの木を剣で斬り、倒れる前に薪にして見せた。

 

 しかしそもそもエメリアが台所に立つ姿を僕は知らない。いや正確に言えば、火の魔法を操る彼女が専らガス台役で、それが出来ない僕が料理を作っていたのだ。

 

 いや、違う。待て、思い出した。確かエメリアの料理は酷く――。


「あ、ああいいよエメリア。シンシアに任せよう。エメリアは火だけ見ててくれれば大丈夫だから」


 ……そうだ。不味かったのだ。完全無欠と思われた文武両道、才色兼備のエメリアの唯一と言っていい不得意科目が家庭科――。そんな事すら僕はすっかり忘れ去っていた。


「えー。昔っからララトはそうだよね。シンシアの料理シンシアの料理って。はいばい、分かりましたよ」


 エメリアは不機嫌な時特有の、大仰な仕草でブロンドを掻き上げると、薪に火の魔法をかけ川辺に歩いて行った。




「――嬉しいですよう。ララトがお姉さんの料理を食べたいだなんて」

 すると洞窟の奥から、寝床の準備を終えたであろうシンシアが顔を出す。

 

 破れかけた黒い修道服に身を包んだ彼女は、淡紅の髪を夕日に染め、僕と視線を合わせる位置まで身を屈めた。

 

 およそ聖職者とは思えない程に性を主張する豊かな胸は、ちょうど僕の目の下でたわわに揺れ動いている。


「ああ、うん。今思い出したんだけど、エメリアの料理は――」


 そこまで言いかけた僕の口を「しっ」と押さえたシンシアが「ダメですよ。女の子の料理を不味いとか言っちゃ」と、その癖にしっかりと代弁した。




 やがて向こうからも「センパーイ!」と元気な声がして、ケイが串に刺した肉を抱え駆けてきた。後ろからはとてとてとフィオナが追いかけている。

 

 黒いショートカットを靡かせるケイの、日に焼けた肌が夕日に映え一層に橙に染まる。服装はタンクトップにスパッツで、ついでに水遊びでもしてきたのか、全身はびしょびしょに濡れている。


「はいセンパイ。削いできたよ」

 水を吸った白のタンクトップは、彼女が付けている青のスポーツブラを如実に透かす。まったく目に毒だと思いながら、僕は「ありがとう、じゃあそこに置いて」と、エメリアが火を付けた焚き火を指した。


「はい、はい、よっと」

 ケイが肉を火に焼べ終わった頃、ようやくフィオナが追いついた。




「……は、早いよケイちゃん」

 小柄なケイよりさらに小柄な義理の妹は、藍色の髪をおでこで揃え、まな板な胸をさらに強調する様な、ぴっしりしたローブを纏っている。

 

 さっきの戦闘でレンズの割れた眼鏡は縁だけしか無かったが、まるで魔術師の意地とでも言わんばかりに指でくいとしていた。――全く一切の魔法が使えない「カナヅチ」だと言うのに。


「いーのいーの。フィオちゃんはボクに任せて休んでて。眼鏡割れて見えづらいでしょ」


 笑いながらケイは火の番を買って出て「あら、お肉の丸焼きじゃあ料理にならないですねぇ」とシンシアがくすくすと笑い、胸元から調味料を取り出した。


「……それ、無事だったんだ」

「ええ、これ一つだけですけどねえ」


 僕の問いに答えながら、シンシアは肉の塊にコショウをまぶしていく。どういう理由か魔物たちは人肉以外を食さないから、野生の動物に限ればコキュートスの領内でも普通に採れる。




*          *




「――なっ、料理って丸焼きじゃない。なによ、ララト」

 見れば川辺で顔と髪を洗ってきたであろうエメリアが、頬を膨らませてこちらを睨んでいる。


「ん、ああ。そういえばそうだったんだ。いやー、今度だな今度。エメリアの手料理楽しみだなあ」


 視線を外しながら口笛を吹いた僕に「……でもなんか懐かしいね、こういう感じ」と、エメリアは破顔して返した。


 ――本当に懐かしい。

 以前はこうして――、大体は僕の住んでいた孤児院が多かったけれど、皆で集まってパーティーをしたものだった。賑やかで楽しく、誰もが笑い合っていたあの頃……あの頃にまた戻る事は出来るのだろうか。


「そうだね」

 僕は一言だけ呟いて、遠い日の残滓を見つめる様に、目の前の光景を眺めていた。


 或いは皆も同じ気持だったのだろう。心地よく吹く初夏の風を身に受け、一寸の沈黙がその瞬間を、美しい絵画の様に切り取っていた。




*          *




 暫くして肉の焼ける香りが一面に漂うと、焚き火をさながらキャンプファイヤーに見立て、僕らの宴が始まった。


 先の戦闘もあってエメリアたちの服はボロボロのままだったが、皆表情だけは朗らかだ。


 草笛を吹くケイ、歌をうたうエメリア、手拍子で笑うシンシア、その隣で眠りこけるフィオナ。


 懐かしかった風景。かつての日常。ずっとずっと希い続けてきた幸せな時間。




 ――やっと取り戻せたんだ。

 もしかするとそれはまやかしに過ぎなくて、本当はまだ沢山の障害が横たわっているのかも知れないけれど、少なくとも今この時だけは、僕たちは僕たちの日常を取り戻していた。僕はそれが嬉しかった。




 やがてフィオナに続きケイとエメリアもくーくーと寝息を立て始め、僕とシンシアは三人を寝床まで運んだ。


 空は綺麗な月夜で、本当にここがコキュートスの中なのかと、僕は自分で結界を張っておきながらもそう思う。


「シンシア……僕は取り戻す事が出来ただろうか?」

 彼女の淡紅の長髪が、今度は月下に煌めいて光を放っている。


「――ええララト。でも」

 シンシアはふと哀しい面持ちで僕を抱きしめると、言った。


「お姉さんは辛いよ。ララトがそんな犠牲を払ってしまった事が」と。

「何を言っているんだ……シンシア。僕は何も失っちゃあいない。手に入れたんだ、この力を」


 真実の露見を恐れた僕は、シンシアの労いを否定してかかる。これ以上、もう誰にも心配はかけたくなかった。


「隠しちゃ駄目、ララト。お姉さんには話して……ううん、話さなくちゃ」

 シンシアの身体から不意に甘い香りが漂った気がして、僕はかくりと膝をつく。


「ごめんシンシア……今日はもうよそう……ちょっと……疲れた……みたいだ」

 溜まった疲れでも出たのだろうか。四肢には力が入らず、僕の頭はシンシアの胸の谷間に埋まっていく。


「……そうですねえ。おやすみなさいララト。今日はお姉さんがベッド代わりになってあげるから……頑張ったね……」


 一体彼女は、僕の何を知っているのか……過ぎった問いすらにも答える術無く、その日の僕の意識は微睡みの中に消えていった。

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