一章08:地獄は、ここに。その終わりを希い

 それから一週間。

 遠征から戻ってきた教授たちプロフェゾーレが頭を垂れ、ノーデンナヴィクの新しい支配者が誰であるのが明示されるまで、勇者たちは街に留まり続けた。


 この一件で、街の危機に指揮を執れなかった教授プロフェゾーレの信用は失墜し、片や勇者たちは救世主としての確固たる地位を得た。

 

 あの後エメリアに聞いた話によれば、実は教授プロフェゾーレのうち一人は、緊急の事態に備え街に残っていたらしい。だが魔族が襲来する当日に謎の死を遂げ、それが指揮系統の混乱に繋がったのだと言う。


 市民の混乱を避ける為に、敢えて伏せた情報の公表が、結果として勇者たちエイセスに付け入る隙を与えてしまった顛末だ。


 出来過ぎたタイミングの良さを訝しがる魔法剣士ゾーレフェヒターも居るには居たが、あの戦力差と熱狂的な世論の支持を鑑みれば、勇者エイセスに意見出来る者などあろう筈も無く、空いた一つの席にユークトバニアを迎え英雄たちを歓待する以外に、彼らにも為す術は無かった。




 夜毎繰り返される屈辱の一方、僕らを取り巻く環境は良くも悪くも一変した。

 なにせ勇者エイセスに認められ、聖戦に同行する英雄の一団だ。今までろくに喋った事も無い連中からすら祝報を貰い、或いはパーティーに誘われる日々が続いた。


 無論僕もエメリアたちも、それぞれがそれぞれに事情を抱えていたから断りはしたものの、擦り寄ってくる人々の腹の底には、何とかして勇者たちエイセスと繋がりを持ちたいという大人の邪な意図が透けても見え、僕は勇者エイセス以前に故郷に嫌気が差す始末だった。




 そして出立の当日。

 街は英雄を送り出す歓喜の渦に包まれ、響く歓声はさながら祭りの一日の様でもあった。


 街道を埋め尽くす人に見送られ、僕たちは手を振りながらナヴィクを後にする。その中には雑貨屋を営むエメリアの両親、それから孤児院の子供たちの姿が見えた。


 何も知らない子供たちは無邪気に笑い、勇者と、それから僕たちへありったけの声援を送ってくれる。傍らにはシンシアの留守を預かる、アカデミアの学長が立って一礼する。




 ――ゾディアック・アルバ・ポーラスター。

 教授プロフェゾーレを率いるノーデンナヴィクの最高戦力は、傍目にはフィオナとさして変わらぬ小柄の少女だ。


 だがその実年齢は齢の百を越えていると囁かれ、事実半世紀以上の永き間、アカデミア理事長の座を守り続けているのだ。そんな彼女にとって、ナヴィクは実の子も同然の存在だろう。全てを見通す様なゾディアックの碧眼には、平和裏に略奪される祖国の、耐え難い現状が映し出されているに違いない。


 しかし幾ら手練のプロフェゾーレとは言え、人智を凌駕する勇者エイセスの一団には敵わない。出立の前日に孤児院を訪れたゾディアックが口にしたのは、せめて残される孤児たちを、アカデミアが総意で以て支援するという申し出だけだった。


 彼女の教え子として魔法剣士ゾーレフェヒターの手ほどきを受けたエメリアにケイ、さらには永久奨学生たるフィオナの三人との別れを惜しむ様に、ゾディアックは各々の手を取って回っていた。アカデミアが誇る才媛のいちどきの流出は、ナヴィクにとっても大きな痛手であったろう。


 最後にシンシアの元に立ったゾディアックは「……と、彼女たちを頼みます」と告げ、そそくさと去っていく。シンシアもシンシアで、彼女とは旧知の仲であったらしいが、その背景と委細について僕は知らない。


 片やの僕はと言うと、物陰から皆の姿を眺め、後ろめたい想いで溜息を吐くしか出来なかった。――なにせ彼女たちを守れなかったのは、とどのつまりは僕の所為でしか無いのだから。


 


*          *




 喧騒を他所に巡る雑考が去った頃、僕たちは既に城門を出ていた。やがて郊外に止めた一台の馬車に至ると、ディジョンが俄に声を上げる。もう見送る影は無く、聖人君子を演じていた勇者たちは仮面を外し、素の態度に戻っていた。


「おいおい、死んでるじゃねえか……早く捨てろ! ――ちっ、季節が冬で良かったぜ」

 ユークトバニアに顎で示され僕が幌をめくると、中には既に息絶えた少女の死体が転がっている。


「思ったより保なかったな。聖騎士の卵ってんで多少は期待していたが」

 腕を組んだサルバシオンがぼそりと呟く。見れば確かに、鎧と呼ぶには余りに脆いボロボロの姿で、少女の身体にはいくつもの痣が浮かんでいた。


 低い気温の所為か、腐敗や異臭は無かったが、硬直の具合から死後一日は経過している様に思える。

 銀髪の髪は所々抜け落ちて、かつては美しかったであろう少女の面影は、もう微塵も残されていなかった。


「餌をやるのを忘れていましたね。まぁ新しい仲間・・が手に入った以上、今更どうでも良い事ですが」

 ユークトバニアがせせら笑い、僕は指示されるまま少女の遺体を抱いて外へ出た。なるべくエメリアたちの目には触れない様に背を向けて。


「人目につかない所に埋めておけ! 急げよ」

 背後から飛ぶ怒号に身体を震わせ、僕は枯れた木の下に少女を運んだ。




「岸壁を崩し、木々を穿ち、地より爆ぜよ――、ブラスト・フィア」

 発破の魔法で地面に穴を穿ち、僕は少女の亡骸を懇ろに埋める。ケイより少し濃い褐色の肌が、見る間に土塊つちくれの中へ消えていった。


 埋め終えた僕が気配を感じ振り向くと、そこには火の勇者エイセスバートレットが立ち、彼は目を閉じたまま合掌を捧げている。


 僕の視線に気がついたのか、ちらと一瞥したバートレットは、無言で踵を返すと馬車へと戻っていった。


 急ぎ手を拭いた僕は、ハンカチをしまうポケットの中に、何か固い異物の存在を感じ取った。


 ふと見るとそれはペンダントで、中にはシャムロックの、三枚の葉のクローバーが押し花として挟まっていた。――どうやら先の彼女の遺品らしい。


 咄嗟に戻そうと引き返しかけた僕だったが「何してんだ! 早くしろ!」と呼ぶディジョンの命令に抗えず、そのままバートレットの背中を追いかける。




 そうか。これが僕たちの耐えなければならない日常なのか。

 馬車に辿り着くと、やはり光景を目にしてしまっていたのか、エメリアたちの打ち沈んだ表情が見て取れる。


 だがそれでも、どんな非道を耐え忍んでも、僕は彼女たちだけは守らなければならない。

 僕は遺体の処理をディジョンに報告すると、御者として馬に乗り手綱を握った。

 

 これから先、もし他の誰かの犠牲でエメリアたちを救えるなら、それを許容してしまいかねない自身のおぞましい発想に僕は慄き、邪念を振り払う様に鞭を振り上げた。


 「おいララト! とっとと出せ!」

 不快極まる勇者エイセスの怒声を耳に残し、雪原にパシィンという鞭の音が響く。


 斯くて雪原に轍を残し、僕たちは地獄コキュートスへの道を歩み始めた。

 地獄の季節に終わりが来る事を信じて。またきっと幸せに暮らせる日々が訪れると祈って。




*          *




 あれから半年。

 確かに季節は終わりを迎え、僕はかつての平穏を取り戻す為の力を手にする事が出来た。




 代償に、エメリアたちと同じ未来を過ごす事はできなくなってしまったけれど。

 

 多分、それで正しかったのだ。


 あの日人知れず息絶えた少女の様に、他の誰かを犠牲にするくらいなら。


 この僕が犠牲になるって選択は、きっと。

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