一章08:地獄は、ここに。その終わりを希い
それから一週間。
遠征から戻ってきた
この一件で、街の危機に指揮を執れなかった
あの後エメリアに聞いた話によれば、実は
市民の混乱を避ける為に、敢えて伏せた情報の公表が、結果として
出来過ぎたタイミングの良さを訝しがる
夜毎繰り返される屈辱の一方、僕らを取り巻く環境は良くも悪くも一変した。
なにせ
無論僕もエメリアたちも、それぞれがそれぞれに事情を抱えていたから断りはしたものの、擦り寄ってくる人々の腹の底には、何とかして
そして出立の当日。
街は英雄を送り出す歓喜の渦に包まれ、響く歓声はさながら祭りの一日の様でもあった。
街道を埋め尽くす人に見送られ、僕たちは手を振りながらナヴィクを後にする。その中には雑貨屋を営むエメリアの両親、それから孤児院の子供たちの姿が見えた。
何も知らない子供たちは無邪気に笑い、勇者と、それから僕たちへありったけの声援を送ってくれる。傍らにはシンシアの留守を預かる、アカデミアの学長が立って一礼する。
――ゾディアック・アルバ・ポーラスター。
だがその実年齢は齢の百を越えていると囁かれ、事実半世紀以上の永き間、アカデミア理事長の座を守り続けているのだ。そんな彼女にとって、ナヴィクは実の子も同然の存在だろう。全てを見通す様なゾディアックの碧眼には、平和裏に略奪される祖国の、耐え難い現状が映し出されているに違いない。
しかし幾ら手練のプロフェゾーレとは言え、人智を凌駕する
彼女の教え子として
最後にシンシアの元に立ったゾディアックは「……と、彼女たちを頼みます」と告げ、そそくさと去っていく。シンシアもシンシアで、彼女とは旧知の仲であったらしいが、その背景と委細について僕は知らない。
片やの僕はと言うと、物陰から皆の姿を眺め、後ろめたい想いで溜息を吐くしか出来なかった。――なにせ彼女たちを守れなかったのは、とどのつまりは僕の所為でしか無いのだから。
* *
喧騒を他所に巡る雑考が去った頃、僕たちは既に城門を出ていた。やがて郊外に止めた一台の馬車に至ると、ディジョンが俄に声を上げる。もう見送る影は無く、聖人君子を演じていた勇者たちは仮面を外し、素の態度に戻っていた。
「おいおい、死んでるじゃねえか……早く捨てろ! ――ちっ、季節が冬で良かったぜ」
ユークトバニアに顎で示され僕が幌をめくると、中には既に息絶えた少女の死体が転がっている。
「思ったより保なかったな。聖騎士の卵ってんで多少は期待していたが」
腕を組んだサルバシオンがぼそりと呟く。見れば確かに、鎧と呼ぶには余りに脆いボロボロの姿で、少女の身体にはいくつもの痣が浮かんでいた。
低い気温の所為か、腐敗や異臭は無かったが、硬直の具合から死後一日は経過している様に思える。
銀髪の髪は所々抜け落ちて、かつては美しかったであろう少女の面影は、もう微塵も残されていなかった。
「餌をやるのを忘れていましたね。まぁ新しい
ユークトバニアがせせら笑い、僕は指示されるまま少女の遺体を抱いて外へ出た。なるべくエメリアたちの目には触れない様に背を向けて。
「人目につかない所に埋めておけ! 急げよ」
背後から飛ぶ怒号に身体を震わせ、僕は枯れた木の下に少女を運んだ。
「岸壁を崩し、木々を穿ち、地より爆ぜよ――、ブラスト・フィア」
発破の魔法で地面に穴を穿ち、僕は少女の亡骸を懇ろに埋める。ケイより少し濃い褐色の肌が、見る間に
埋め終えた僕が気配を感じ振り向くと、そこには火の
僕の視線に気がついたのか、ちらと一瞥したバートレットは、無言で踵を返すと馬車へと戻っていった。
急ぎ手を拭いた僕は、ハンカチをしまうポケットの中に、何か固い異物の存在を感じ取った。
ふと見るとそれはペンダントで、中にはシャムロックの、三枚の葉のクローバーが押し花として挟まっていた。――どうやら先の彼女の遺品らしい。
咄嗟に戻そうと引き返しかけた僕だったが「何してんだ! 早くしろ!」と呼ぶディジョンの命令に抗えず、そのままバートレットの背中を追いかける。
そうか。これが僕たちの耐えなければならない日常なのか。
馬車に辿り着くと、やはり光景を目にしてしまっていたのか、エメリアたちの打ち沈んだ表情が見て取れる。
だがそれでも、どんな非道を耐え忍んでも、僕は彼女たちだけは守らなければならない。
僕は遺体の処理をディジョンに報告すると、御者として馬に乗り手綱を握った。
これから先、もし他の誰かの犠牲でエメリアたちを救えるなら、それを許容してしまいかねない自身のおぞましい発想に僕は慄き、邪念を振り払う様に鞭を振り上げた。
「おいララト! とっとと出せ!」
不快極まる
斯くて雪原に轍を残し、僕たちは
地獄の季節に終わりが来る事を信じて。またきっと幸せに暮らせる日々が訪れると祈って。
* *
あれから半年。
確かに季節は終わりを迎え、僕はかつての平穏を取り戻す為の力を手にする事が出来た。
代償に、エメリアたちと同じ未来を過ごす事はできなくなってしまったけれど。
多分、それで正しかったのだ。
あの日人知れず息絶えた少女の様に、他の誰かを犠牲にするくらいなら。
この僕が犠牲になるって選択は、きっと。
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