第3話 魔剣の村・下

 突進と同時に鋭い突きがリーフの心臓を狙う。

 リーフは剣の腹で両手剣の切っ先を逸らし、右へと跳んで剣を振りかざす。

 しかし、リーフが振り下ろした剣は刃の根本で止められ弾かれてしまった。

 剣を弾かれたリーフは一瞬体勢を崩し、そこに男が斬りつける。

「くっ」

 リーフはわざとさらに体勢を崩して斬撃の軌道を避けた。外套に剣が掠り、左袖のピンの装飾が吹き飛ぶ。

 そのまま剣を手放し、リーフは地に手をつき両足を男の左足に瞬時に絡ませ引き摺り倒した。

 本体である両手剣を手放す訳にもいかず、男は肘で受け身を取り一瞬無防備になった。その左肩に刃物が突き刺さった。

 リーフが右袖から抜いた暗器が男の肩の筋肉を切り裂く。続いて剣を拾い上げ、飛んでくる蹴りを後ろに転がるように跳んで躱した。

 男が左肩を庇いながら立ち上がるのと、リーフが剣を構え直したのはほぼ同時。

 間髪入れずにリーフは男の背後に回り込み、剣を振り上げ突進した。

「はああああぁぁぁっ!」

 リーフは雄叫びを上げながら剣を振り下ろした。

 男はよろけるようにして身体を反転させ、その横を剣が通り過ぎる。リーフの全身全霊を込めた斬撃は外れてしまった。

 男の殺意が膨らみ、リーフの感覚にぶち当たった。

(両手剣を振るうつもりか!)

 殺意からリーフは男の行動を予知した。殺意の方向と種類から相手の攻撃の先を読み、その先の手を常に打つ――それが害覚を駆使したリーフの戦い方だった。

 打ち合いになった場合、片手剣と両手剣では破壊力が劣る片手剣が不利になってしまう。ましてや、魔剣相手に唯の剣が何回も打ち合えば、折れてしまう可能性も高い。

 そのため、リーフは両手剣を徹底的に避け、攻撃を一切受けないように細心の注意を払っていた。

 しかし、肩の肉を切り裂かれた状態で、重量のある両手剣を振るうことは難しい。

 だからリーフは一瞬、油断してその殺意を見過ごした。両手で剣を握りしめ、次こそ必殺の一撃を叩き込もうと構えにのせる。

 だが、男は振り返り様に片手で両手剣を薙ぎ払った。

「!」

 完全に不意をつかれ回避は不可能だった。胸部を狙った斬撃に、リーフは咄嗟に左腕を突き出した。

 両手剣は外套を容易に切り裂き、ばきりと音を立てて前腕に食い込んだ。

 持っていかれる——痛みよりも先に、リーフの脳裏に千切れ飛ぶ左腕が見えた。

 現実は、そこまで酷いことにはならなかった。両手剣は腕を切り飛ばすまでには至らず、腕の中程で引っかかって止まった。肉に刃が滑り込む感触と、肌に吸い付いて立てるぎちぎちという音が、擦れた骨を通して痛みとなり神経に伝わっていく。

「——っくううううっ!」

「お?」

 男の顔に僅かに戸惑いの色が浮かんだ。片手で振るったとはいえ、今の斬撃には細い腕を切り飛ばせるだけの威力があった。それなのに、まだリーフの腕はくっついている。

 ありえない現象への困惑が剣から力を削ぎ、リーフに反撃の機会を与えた。

「ぁぁああああああっ!」

 リーフは痛みを押さえつけるように雄叫びを上げ、男の胸を剣で貫いた。

「ぐがっ」

 息を吐き出す音と共に、両手剣に込められていた力が抜ける。

 痛みで剣筋がぶれ、心臓からは剣が逸れてしまったが、仕留めるには十分な傷だった。

 リーフは片手剣から手を離し、渾身の力で男を蹴り飛ばした。

 男は胸に剣が刺さったまま後方に吹っ飛ばされる。魔剣は男の手から離れ、からんからんと地面に転がった。

 肩で息をしながらリーフは数歩後ずさって膝をつく。あまりの激痛に、額に汗が浮かんでいた。

 腕から血が止めどなく流れ落ち、地面に黒い染みが広がった。

——ケケケッ! すげぇなぁ、お前!

 敗れて尚止まない魔剣の耳障りな笑い声がひどく不快で、リーフの頭の中でがんがん反響した。

「リーフッ!」

 それまで畑の陰で隠れていたリンがとうとう我慢できずに飛び出し、リーフの元へと駆け寄った。深手を負ったリーフを見て、顔から若干血の気が引いている。

「大丈夫なの!? 急いで手当てしなきゃっ」

 リンは荷物をひっくり返してランプと薬を取り出し、その場ですぐに応急処置の準備を始めた。

「触るな、痛、いっ……」

 触らせまいと腕を庇うが、リーフの弱々しい抵抗はあっさり退けられリンはリーフの左腕を抱えた。リンの顔は怪我をしているリーフよりも青くなっていて、リーフが更なる痛みで呻こうが関係無く引き千切りそうな勢いで袖を引っ張りあげた。

「え?」

 傷を確認したリンの口から間抜けな声が漏れた。

 傷の具合は、リンが思ったよりも遥かによかった。

 両手剣はその重量で腕くらいなら簡単に切り飛ばしてしまう驚異的な武器だ。だが、リーフの腕は外腕しか切られておらず、動脈をぎりぎり避けたのか出血も抑えきれないという程ではない――それでも、すぐに止血しないと意識が遠のく怖れのある量は流れ出ていたが。

 傷がその程度で済んだのは、まぐれではなかった。

 まず、腕に捲いていた暗器が盾になっていた。へし折られ肉に刺さり表面的な傷口を広げる代わりに、緩衝の役目を果たしていた。

 そして、何よりも奇跡とも言えることがリーフの肌自体に起こっていた。

 両手剣に切られた付近の皮膚の上を、白い結晶が埋め尽くしていた。

 結晶は全て爪ぐらいの大きさで、形も揃っている。綺麗に並んだ鱗のような結晶は、剣に切られた部分だけ乱れ割れていた。

 リンがそっと結晶の一つに触れると、それがかなり硬いことが分かった。

 両手剣の破壊力の前に砕け散ってしまっているが、謎の結晶は傷が広がるのを防いでいた。

「何なのよ、これ……」

——そんなことより早く止血してやれよ。

「うるっさいわね! 黙りなさいよ、この元凶!」

 自分が怪我を負わせたのでなければもっともな魔剣の言葉に、リンは思いっきり噛みついた。

——そこまで言うことねぇだろ……って、テメェも俺の声が聞こえてんのか!?

「聞こえてんのか、じゃないわよ。武器のくせに喋るなんざ生意気なのよもう死ね死ね死ねっ!」

 リンは喚きながらリーフの肘の辺りに猟銃のストラップを巻きつけ、死ね死ねと言いながらきつく縛り上げた。リーフが痛みで悶絶しているが、気付いていないようで鬱血しても尚力いっぱいに締めている。

——後、傷の中の金属片は早めに抜いとかねぇと大変なことになるぞー。

「あんたに忠告される筋合いなんかないっての!」

 そう言いながらも、リンは泣きそうな顔で魔剣の忠告通りリーフの傷口から暗器の破片を引きぬいていった。リーフの身を案じる気持ちは本物のようだ。

 ランプの明かりを頼りに破片を全て取り除き、気休め程度の傷薬を塗ると傷口に布を巻いて簡易的な包帯にした。包帯を巻く頃にはリンの感情も落ち着いてきていて、きつく縛り過ぎないように配慮できていた。

「どう?」

 不安げにリンが尋ねた。傷薬はあるが痛み止めが無いのでまだ焼けつくように痛い筈だ。

「言いたいことは色々、あるが、少し落ち着いた。これなら、何とか」

 痛みと失血で少し顔色が悪いが、リーフは確かな足取りで立ち上がった。激痛を堪えているためか、言葉が少したどたどしくなっていた。

 そして自分の血で汚れた魔剣を右手で拾い上げると、胸に剣を刺したまま倒れている男の横まで引きずっていった。

「殺すことが、出来る」

 リーフは静かに言った。

 驚くべきことに、男はまだ息があった。浅い息を繰り返し、死相はより色濃くなっているものの、リーフの姿を認めると目が動いた。まだ意識もあるようだ。

「何でまだ生きてるのよ……」

——契約が完了するまでの間に魔剣に命を食われすぎると、魂が魔剣の一部になってそう簡単に死ねなくなんだよ。まあ所謂、剣守つるぎもり化だな。

 リンが思わず呟くと、魔剣が丁寧に解説した。

——死ににくくはなるが不死身じゃねぇし、さくっと首を落とせばさすがの剣守も死ぬけどな。

 今まで契約していたというのに、情けを一片も見せずに魔剣は淡々と言った。

「そうなのか。首を落とせば、死ぬのか」

 単調な声音でリーフは魔剣の言葉を繰り返した。

 両手剣を片手で軽々と持ち上げ、空中でぴたりと静止させる。

「助け、て……くれ」

 男は最後の力を振り絞って、言葉を紡いだ。

「俺は、まだ……生きなければならないんだ。こ、子供のためにも……だから、どうか、どう、か……」

 最後まで惨めったらしく命乞いをする男に、リーフは奥歯をぎりっと噛みしめた。

「今更、何を、言っているつもり、だ」

 新緑色の双眸は宝石のような冷たい光を宿し、その輝きの中に言葉を失った男の姿を映していた。

「お前が、魔剣に魂をくれてやった時点で、子供はもう十分不幸に、なっている」

 リーフはそう言って、魔剣を一気に下へと落とした。

 ざくり、と魔剣が地面に突き刺さり、黒い染みが散る。魔剣にも更に染みが付着した。

「子供を不幸にしてまで、魔剣に縋ろうとしたお前が、親の資格を持っている筈がない」

 元から黒いリーフの外套に、血が付いたのかはよく分からなかった。

「子供を不幸にする親が……存在して、いい訳がない」

 リーフは地面に刺さった魔剣を引き抜き、自分の傍に垂直に刺し直して寄りかかった。動いたせいでまた左腕が酷く痛み始めたようだ。

「本当に大丈夫なの?」

「ああ……」

 リンは心配そうにリーフの顔を覗き込んだ。リーフはしばらく傷をおさえ、痛みも感情もようやく落ち着いた。

「……この程度の傷で、死にはしないさ。それより早く、この村から出ないと」

――ああ、確かにそうだな。じゃねぇと俺を取り返そうする村人にテメェらがぶち殺されるぜ。

 リーフは右手で男の胸に刺さった剣を引き抜き、男の服で血糊を拭って収めた。

「リン、頼む。これを背負わせてくれ」

 魔剣に軽く手をおいてリーフは言った。

「ホントにこれ、持ってくの?」

 少し嫌そうな顔をして、リンが言った。

「左腕切り飛ばそうとした奴を連れて行く気?」

「そのためにここまで来たのだからね。それに、最初君も出会い頭にボクを射殺しようとしただろう」

 リーフの痛烈な一言に、リンは口をすぼめて反射的に左頬をおさえた。

「うー、分かったわよ……分かったけど、これ以上無茶はしないでよね」

「後のことを全部引き受けてくれるなら、無茶はしないさ」

 リンは男の死体から魔剣を背負うためのベルトを剥ぎ取った。血を拭き取ってからリーフの身体に付け、鍔のリングを引っ掛けて魔剣を背中に固定させた。

「さあ、急ごう。夜が明けないうちに、ね」

「はーい」

 左腕をおさえながら、リーフは歩き出した。

 リンも荷物を持ってリーフの後に続き、村の城門へと向かった。


「まあ、予想はしていたけどさすがにこれは無いでしょ」

 リンは銃に弾丸を装填し、銃床を肩に当てた。続いて隙間から銃口を外へと向け、対岸に蠢くものに照準を合わせた。

 鍵を奪って跳ね橋を下ろし、城門を開いて外に出る。後に残された村人がどうなるかを全く考えていない無責任過ぎる逃避行は、城門を開く前に躓いていた。

 血で赤く染まった待機所の中で、跳ね橋の巻き取り装置と門の鍵を手に入れるまでは順調だった。

 だが、跳ね橋を下ろした時点で、村の周辺に外地のモンスターが集まってきてしまったのだ。下手に門を開ければ、モンスターが中に雪崩れ込んできて出るどころの話ではなくなってしまう。

 橋の向こう側に見えるのは、馬並の体高を持つ狼に似たモンスターの群れだった。月明かりだけでは具体的な特徴を挙げるが難しいが、ヤツハオオカミであることは間違いなかった。数は八頭。

 ヤツハオオカミはその名の通り鉄板をも容易く食い破る牙を二対、つまり八本持った狼である。集団で狩りを行う社会性の肉食モンスターで、人間が正面から戦いを挑んで勝つことは不可能に近い。

 正攻法は籠城して銃で狙撃することだが、この場合、リン一人では荷が重すぎた。

 銃口が二回火を噴き、地面を抉る。銃声に合わせてヤツハオオカミの群れはぱっと散ったが、直ぐにまた集まってきた。

「ちっ」

 しっかり狙ったにも関わらず、銃弾は二発とも外れた。リンの持っている銃はあまり狙撃に向いていない上に、徘徊するオオカミの動きは不規則で狙いを定め辛かった。

——おいおい、朝までここにいる気かよ。

 思わず舌打ちを漏らすリンに向かって、リーフの背の魔剣は呆れたように声を掛けた。

 二人と一体がいるのは、門の傍の城壁からせり出した物見の上だった。

 城壁には村に接近してくるモンスターを発見、排除するための物見が各所に設けられており、対モンスター用の弩も設置されている。その中でも門を挟んで配置された一番重要な物見は、モンスターを威嚇するための大砲を常備していた。

 残念ながら、大砲に使える大きさの対モンスター弾は未だ開発されていない。だが、いくら減退されるとはいえ高速で飛来する鉄の塊にぶつかったらモンスターもただでは済まないし、何より大砲の轟音で驚かせて、人々が橋を渡って城壁の中に逃げ込んでくる時間を稼ぐことが出来た。

 ただ、今は大砲用に空けられた隙間に陣取っているのはリンだった。置かれていた大砲は、リンの所有物ではなく更に使い方を知らないのを良い事に、お荷物とばかりに物見から乱暴に文字通り蹴り出されていた。

 大砲は城壁の内側へと通ずる通路に転がされ、丁度良い高さであったがために車輪に輪止めをかけて固定して、リーフが寄りかかるためだけの台になってしまっている。

「うるっさいわね。こんだけ暗いと狙いを定めにくいのよ。文句言うならアンタが倒しに行けばいいでしょ」

 自分の射撃の腕に苛々しながら、リンは魔剣の言葉に噛みついた。

——それもそうだな。おい、契約予定の剣士、特別に前借りで力使わせてやるから連れてけ。

 魔剣のその一言に、リンは一瞬で後ろに振り返った。

「ちょっと待って、何でそういう話になんのよ!」

——テメェが行きゃあいいっつったんだろうが。だから俺が行くんだよ。文句あんのか?

「さっきの話聞いてなかったわけ!? 後は私が何とかするからアンタはすっ込んでなさいよ!」

——どっちだよ! それにテメェ全然何とかできてねぇじゃねぇかよ。俺がやってやろうじゃねぇか、さあ連れてけ。

 自分一人では何も出来ないので致し方ないのだが、魔剣から滲み出る傲慢さにリンは更に腹が立った。一方、リーフは魔剣の言い分を聞いてもいつも通りの無表情で、感情を全く悟らせない。

「お前を使うのは、現状では無理だ。左手が使えなければ両手剣は振るえない。それに、ボクは両手剣の扱い方を知らない」

 リーフは左腕をおさえたまま静かに言った。

 リーフが常日頃から使っている得物は片手で扱える軽い剣と暗器。どちらも両手剣の大きさと重量には程遠い武器だ。

 両手剣は剣という名を冠してはいるが、素人では刺突槍と斧を足して割ったような使い方しかできない。つまり、重量に任せて振り回すか、突くかしか出来ない。両手剣を剣として運用できるのはそれなりの修練を積んだ人間だけで、リーフにはその経験が全くなかった。

 だがそれ以上に問題なのは、リーフの傷だった。剣士にしては割と細く、筋肉のついていないリーフの左腕では、負傷したままの状態で両手剣を振るうのに必要な腕力を発揮することが出来ない。振り上げて落とすので精一杯だ。

——それなら大丈夫だ。背負ってくれるだけで充分能力は使えるからな。全部俺が何とかしてやる。

「道端に転がしてきた前任者と同じように、ボクに憑くということか」

 暗に自分を憑き殺すのか、という皮肉を交えてリーフは言ったつもりだった。

——おう。あの程度の出来損ないの犬の群れ、憑依霊最強の俺がさっさと片付けてやるぜ!

 どうやら、この魔剣は会話において察する力が無いのか、根本的に頭が弱いのかのどちらかのようだ。リーフとしては、後者の可能性が高いと思った。

「それで、ボクはどうすればいい?」

——なに、特にすることなんざねぇよ。

 ずるりとリーフの視界が暗転し、意識は一瞬にして闇に呑まれた。



 リーフが目に見える抵抗をしなかったせいか、リンにはいつ魔剣が身体を乗っ取ったのかが分からなかった。

 少なくとも、リーフが左腕を押さえて顔を歪めたときには、既に『リーフ』ではなくなっていた。

「いてて、さっき思いっ切り斬り過ぎちまったか――ま、ほっときゃ治るか」

 リーフが言ったその言葉を聞いて、リンは自分の耳を疑った。

 間違いなくリーフの口から発せられたリーフの声である筈なのに、リンには別物に聞こえた。

 『リーフ』はそれ以上痛がる素振りをせず、リーフの身体を借りた魔剣は感触を確かめるように軽く腕を回したり、手を握ったり開いたりした。続いて身体の柔軟性を確かめるために前屈をし、大きく伸びた。

「動きは上々、後は……」

 そして、膝を曲げて物見の外壁の上に一息で飛び乗った。

「わっ」

 物見の外壁に寄りかかっていたリンは突然の跳躍に驚き、銃を抱えたまま叫んで身を低くした。

「線が細い割には結構筋力あるじゃねぇか。しかもすげぇよく魂が馴染むいい身体だし。背がもう少し高けりゃ、言う事なしなんだけどなぁ」

 リーフの顔で、満足そうに魔剣が笑った。

 微笑むことすらしないリーフの顔が、口の左端を釣り上げて歯を剥きだし、笑顔を作った。それは、リンの目には醜悪に映った。

「それじゃ、さっさと片付けるか」

 そう言うと、リーフの身体がぐらりと前に傾いて、物見から落ちた。

「ああっ!」

 リンが血相を変えて物見から身を乗り出したのと同時に、風を切る音を伴ってリンの顔の傍を鎖が飛んだ。鎖の先端は容易く城壁に突き刺さり、根を下ろす。

 壁に突き刺さったその鎖は、落下を続けるリーフの右腕の辺りから飛び出していた。何もない虚空から現れた朱く煌めく黒い鎖は、重力に逆らって一直線に上へと飛んでいた。

 リーフの右腕は鎖を絡めて掴んで落下を止め、両足で城壁を蹴って振り子のように舞う。

 白い月の光の中で、黒い影がにたりと笑った。

 リーフの右手から鎖が離れると、鎖は火の点いた導火線のように刹那に朽ち果てる。宙に残されたリーフの身体は慣性に従って堀を飛び越えた。

 影はオオカミたちの真上へと落下しながら右腕を振り下ろし、地面にぶつかる前に盛大な水音を辺り一面にぶち撒けた。

 一体のオオカミの首が、すっぱりと飛んでいた。

 リーフはそいつの背中を踏みつけて着地、跳躍から手近にいた別のオオカミの胴を両断しようやく大地を踏みしめた。

 リーフの右手には、いつの間にか鉈のような直刀が握られていた。

「久しぶりに大盤振る舞いしてやるぜぇっ!」

 直後、リーフに飛び掛かったオオカミの顎が切り飛ばされる。残りのオオカミもリーフが腕を振るう度に、次々と駆逐されていった。

 リーフが繰り出すいつも以上に人間離れした動きを、リンは呆然と見ていた。我に返った時には既に全てのオオカミは動かなくなっていた。

 リーフの右手がこちらに振られているのを見て、リンは慌てて荷物を引っ掴んだ。急な階段を転げ落ちるように下り、リーフの元へと急いだ。

 門の横の通用口の三重の格子戸の鍵を次々と開け、外へと駆け出した。だが、リンの足は橋の中程で止まってしまった。

「な、何よ、これ……」

 リンは目の前の惨状に思わず顔を顰めた。

 リーフの身体を借りた魔剣がオオカミと肉薄して戦った結果、村の出入り口に大きな血の池が出来上がっていた。

 咽るような濃い匂いとねっとりとした液体の中で、生きて立っているのは身体を濡らしたリーフただ一人だけ。後は全て池の中に沈んでいた。

 池の中には毛皮を血で濡らしたオオカミの骸と、その破片が散乱していた。鼻先、下顎、前足、耳、眼球の表面……石の彫刻を砕いたような、不自然なくらい綺麗に原型を留めた肉体の欠片がよりおぞましさを強調し、地獄絵図を作り上げていた。

 目を背けたくなるような光景に、リンの口に自然と酸っぱいものがこみ上げてきた。屠殺されたような綺麗な死体なら平気なのだが、さすがに部品が無秩序に散らばっているのには耐えられなかった。魔剣のいる場所で吐くのは癪に障るので、口元に手を当てて押し留めた。

「おいおい、さっきまでの威勢はどうしたんだよ、え?」

「うるっさいわね。とっとと引っ込みなさいよ、クソ魔剣」

 リンが精一杯の罵声を浴びせても、魔剣はリーフの身体から出て行かずに、心底楽しそうといった様子でにたにたと笑っていた。

「……ていうか、袖の中にそんな武器仕込んでたっけ。いやそもそも入らないよね、それ」

 口元を押さえていない方の手で、リンはリーフの右手を指さした。

 さっき跳んだときに使った鎖も、今リーフの右手に握られている鉈も、リンには全く見覚えのない装備だった。それに、鎖も鉈も隠し持てるような長さではない。

 文字通り、リンにはそれらが湧いて出てきたように見えた。

 ああ、魔剣はと鉈を持ち上げ、リーフの目の前に翳した。

「全部俺の自前だ。魔剣よりもよく切れるんだぜ、これ。この能力が俺の本領ってわけよ。尤も、魔剣使いの身体でこれだけ使うと一発で発狂するけどな」

「ちょっと、リーフは大丈夫なんでしょうね!」

 リンがまた魔剣に噛みつきそうな勢いで言った。

「安心しろ、混ざりもの——いや、今は魔戦士とか言うんだっけな。それならこの程度の能力行使で壊れたりしねぇよ」

 魔剣が言い終わるのと同時に鉈にぴしっと亀裂が走り、粉々に砕けて消え失せた。

「『混ざりもの』?」

 魔剣の言葉に、リンは眉を潜めた。

「昔はそう呼んでたんだよ、テメェらみたいな奴の事を。さて、とっとと行こうぜ。どっかマシな場所見つけて休まねぇと、テメェもコイツも持たねぇぞ」

 リーフの顔に付着した血をコートの肩口で拭い、魔剣はリーフの身体を村とは反対方向に向けた。

 すると必然的に背中の魔剣がリンの方を向く。綺麗に血を拭き取った筈なのに、魔剣の刃の地金は相変わらず薄っすらと赤いままだった。

 何故か、魔剣を見ているとリンの心はざわついた。女の勘とでも言うのだろうか。魔剣がリンにとって、とてつもない不幸を招いてくるような気がした。

「何か、怪しい……」

 リンがぼそっと呟いた目の前で、リーフが後ろを振り返った。

 いつも通りの感情の乗っていない冷めた目で、リーフがリンを見ていた。

「早く行こう」



 周囲に家はおろか人の姿すら見えない外地のど真ん中で、焚き火が静かに燃えていた。木々の少ない平原の中でも低木の生えた場所を探して火を燃やしていたが、遠目でも分かるくらい丸見えの状態だった。

 夜の外地で野宿など正気の沙汰ではないが、二人がレニウム行きの馬車に乗った町はまだ遥か遠くであり、まだもう一日程度歩き続ける必要があった。

 リンは既にリーフの横で荷物を抱えて寝息を立てていた。

 リーフは左腕の痛みですっかり目が冴えてしまっていて、とてもではないが眠る気にはなれなかった。疲れは取れないが、火の番と見張りができるのでそれで良かったことにした。夜が明ければ、怪我を理由にリンに荷物を押し付ければいい話だ。

「魔剣」

——何だよ。

 リーフが呼ぶと、魔剣はすぐに返事をした。魔剣はリーフの傍の、リンがいる側の反対に横たえられていた。

「そういえば、お前に銘はあるのか」

 素朴な疑問をリーフは口にした。

 魔剣とは総称であり、リーフが左腕の傷と引き換えに手に入れたこの魔剣を示す言葉が何かあったとしてもおかしくはないし、寧ろそれが自然なことだ。

——さあ、工房にいたときにはあったような気はするが、何百年も前のことだし忘れた。

「なら、呼ぶとしたらお前の名前は何になる」

——え、あー、うん。俺の名前は……あー、何つったら良いのか……

 リーフの問いに、魔剣は口篭った。答えが無いのではなく、どう言うべきか悩んでいる沈黙だと察し、リーフは気長に返事を待ち続けた。

 暫しの静かな時間に、焚き火の炎が数回弾けた。

——…………ル、だな。

「る?」

 届くか届かないかくらいの小さな声で、魔剣が呟くように言った。上手く聞き取れず、リーフは聞き返した。

——違ぇよ、ギル、だ。ギルスムニル、それが俺の名前だ。

 今度ははっきりと魔剣は名乗りを上げた。

「魔剣ギルスムニル、か」

——ああ。俺の名前は、ギルだ。

 どこか感慨深そうに魔剣は繰り返した。

「どうかしたのか」

——こうやって名前を呼ばれるのは、三十年ぶりだって思うとちょっとなあ……で、テメェの名前は?

「今はリーフと名乗っている。ただそれだけだ」

――なら俺もそう呼ばせてもらうぜ、これから契約する嬢ちゃんよう。

 男の名を使う少女に、ギルは戯けて言ってみせた。

「ボクが女だと気付いていたのか」

――そりゃ気付くなってのが無理だろ、さっき『お前』だったんだからな。何年他人の身体間借りしてると思ってやがる。ま、全然女っ気がねぇから股の間に何もねぇことに気付いた時にはちょっと驚いたけどな。

 下品な冗談を飛ばし、ケケケケとギルは笑った。

「あまり、モノに期待することではないけれど、品がないね」

 口ではそう言ったが、リーフの顔には不快感も蔑みも表れていない。

――ここまで話してモノ扱いかよ。ま、俺もテメェのことをそれぐらいにしか思ってねぇからお互い様だな。

「さて、お互い名を名乗って道具程度にしか思っていないことを吐露したわけだけれど、そろそろ契約といこうじゃないか」

——今、契約するのか?

「ここなら誰にも聞かれない」

——仲間にも秘密にするのかよ。

 ギルの言葉に、リーフはちらりとリンを見た。リンは熟睡したままで、ぴくりとも動かない。

「別に、リンは気紛れでボクに力を貸しているだけの奴だ」

——……そうか。なら、別にいいけどよ。

 リーフは焚き火を見つめながら軽く瞬きをした。

 瞬きから目を開けたとき、リーフの目の前から焚き火が消えていた。隣にいたリンと魔剣もいなくなっていた。

 よく周囲を観察してみれば、そこは野宿をしていた場所ではなかった。

 元は大きな町であったのだろう——崩れた建物の群れ、砕けた石畳、火の手の上がった巨大な塔、そして無数に積み重なった屍たち。空はどこまでも暗闇で閉鎖されているのに、無残な光景をはっきりと見て取ることができた。

 状況が飲み込めないでいるリーフの目の前に、『何か』が現れた。姿を正確に掴むことはできず、人のようでもあり、モンスターのようでもあり、それ以外の何かであるような気もする。ただ、それが魔剣であることは何故か分かった。

——別に口約束でやってもいいんだが偶にはきちんと手順を踏んでもいいだろう、ってな。俺の世界にようこそ。此処なら本当に誰にも聞かれねぇし。

 リーフの目に見えているのは、ギルの作り上げた幻影だった。リーフの精神を自分の中に引きずり込み、記憶の中の一風景を映し出しているのだ。

「この惨状は何だ?」

——俺との契約を裏切った町の末路だ。契約を破ればこれと同じだけの災いがテメェにも起こるってわけだ。で、テメェは俺に何をして欲しいんだ?

 何を願ったのかは分からないが、この町の住民全てが魔剣と契約していたとは考えにくかった。契約を破棄されたギルが行った報復が、結果として町を滅ぼすまでに至ったのだろう。

 眼前の死屍累々の山は、契約者に対する警告と共に、ギルの持つ力の強大さを示していた。

 しかし、リーフが魔剣の誇示した力に怯む様子は全くなかった。

「ボクがお前に望むのは唯一つ、人を救うことだ。ある人達をお前の力で救い出したい。今、何人が生き残っているのかは分からないけど、ボクが出来得る限り助けたいんだ」

 それは、普段のリーフからは想像できないような願いだった。

——その言い方だと、救いたい奴らはもういないかもしれねぇ、っていう風にも聞こえるぜ。

「確かにもう全員死んでいることもあり得る。その時には、お前は対価だけ受け取ればいい」

——対価?

 リーフは大きく息を吸い込んだ。

「ボクの全てを、くれてやる」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る