第2話 魔剣の村・上
彼は、常に何かを殺さなければならなかった。
殺す対象は何だっていい。
飯のおこぼれを狙う汚いネズミ、窓枠にとまった馬鹿な鳥、地を這う虫や風に舞う蝶——生命を持つものならば、片っ端から殺しまくった。
何かを殺している間だけ、彼の心は安堵で満たされていた。
殺し続けるということが、殺されるという恐怖を和らげてくれた。
いつからそんな考えに支配されるようになったのかは、もう覚えていなかった。ほんの数週間前のような気もするし、ずっと昔からその衝動を抱えていたような気もした。
兎に角、今の彼には自分の代わりに何かを殺すことが一番大切なことだった。
だが、どんな命にも終わりがあるように、周囲にいる生き物の数には限りがある。
目についた命を徹底的に殺していった結果、彼の周りにいた生物は全て絶えてしまった。
ネズミは男が撒いたパン屑に近寄ろうとせず、窓際に鳥の姿も長く見ていなかった。
新たな生き物を探しに行こうとしても、主の許可が下りなければ家から出ることを許されない。
彼は自分が殺される恐怖に慄いた。
早く何かを殺さねばならない。殺さねば、彼を支配する主は戯れのままに彼を殺してしまうだろう。
極限の精神状態の中で、彼の思考は更なる狂気に支配されつつあった。
かちゃり
彼の目の前で、外へと繋がる扉が開いた。
彼が死ぬことのないよう、いつも食事を持ってくるその人物は、死への恐怖で身を固くしている彼を見て寝ていると勘違いし、無防備にその姿を晒した。
彼は死から免れたい一心でその人物に飛び掛かり、剣で切り伏せた。
食事が床に落ち、その上に鮮血が降り注いだ。食器が割れて周囲に木片が飛び散った。
彼の心はまた生き延びられるという喜びでまた蘇り――即座に絶望へと叩き落された。
目を見開いて既に事切れている者は、彼がとても良く知っている人物だった。
「あ……ああ……」
もう二度と動くことの無い、自分によく似た眼差しと妻と同じ色の髪をもつ少年の死体に、彼は濁った目を泳がせた。
手に持つ剣へと目を落とし、そこにべっとりと付着した血と脂を見て、彼は絶叫した。
彼は剣を投げ捨て、胸から下が無くなった我が子を抱き上げて淀んだ涙を流した。
——今更喚くなよ、俺と契約した時点で腹括ってなかったのかぁ?
嘲笑うような声が彼の耳に届いたが、それに返す言葉も無く、ただ彼は薄暗い部屋の中で慟哭した。
ちりんちりん、と到着を告げる鐘を鳴らし、御者は乗り合い馬車の扉を開けた。
鋼鉄の馬車の中から、ぞろぞろと乗客が下車していく。その中には、黒髪の少女と銀髪の剣士の姿もあった。
乗客を降ろした後、屋根に積んでいた荷物が順に持ち主に手渡されていった。受け取りの順番が回ってくるまでにしばらくかかりそうだったので、リンは周囲を見回した。
リンとリーフがやってきたのは、インディム王国から西にある
それにしては随分平和呆けした村だな、というのが今のところでのレニウムの村に対するリンの評価だった。
モンスターを防ぐ為の城壁や見張り台、頑丈な門扉は外地においてあって当然のもので、もちろんそれらは完備されている。
だが、活用出来ていない設備は只の張りぼてに等しい。城壁の周りの堀は長い間掘り直していないようで浅く、昼の間は門が常に全開で跳ね橋も下ろしっぱなし。見張りはリンが鉄の格子窓から見ていた僅かな間だけで二回も欠伸をしていた。
大型モンスターが突進してくれば城壁を崩されることもあり得るので城壁に深い堀は必須であるし、緊急時にすぐ閉められるよう門扉は半分だけ開けておくか、常時閉めておくことが望ましい。見張りに関しては言うまでもない。
いくらこの辺りのモンスターが比較的大人しい時期だからといって、ここまでだらけきっていいのだろうか。
そもそも、外地とはモンスターが蔓延り過ぎた地域のことを指し、人間が継続的に住むことが難しく国という概念が存在しない、まさしく無法地帯であるのだ。
希少な鉱石の鉱山や交通の要所に、開拓者と国を追われた者たちが集まり、集落を形成することもままあるが、十年持てば良い方だ。モンスターに攻略されないうちに別の場所へと移動するか、幾つかの集落が寄り集まって
レニウムのように、集落規模で三十年間も平穏が続いているのはかなり珍しい。
故に、外地に近い集落につきもののどこか殺伐とした空気が平和ですっかり薄まってしまっていて、リンは逆に不気味さを感じていた。
「恐ろしい村よねー。ざるの目の方がまだ締まってるんじゃないの」
村に辿り着けたことにほっとしたのか、乗客の大半は明るい顔で居住区へと入っていったが、リンは立ち止まってレニウムの現状に一言言わずにはいられなかった。
乗り合い馬車から荷物を降ろし、リンとリーフは
馬車の停留所は村の居住区の外側にあり、城壁内に広がる耕作地帯との丁度境界線上に位置していた。
「それだけ魔剣の加護が強いんじゃないかな……いや、魔剣だから加護というより呪いと言った方が正しいかもしれない」
腰に剣を挿しながらリーフが言った。
だんだんと二人から離れていく乗り合い馬車には、護送車か戦車と見紛うばかりの装甲が取り付けられていた。六足馬の速度を最大限に活かすための緩衝材入りの有刺車輪が平和な村の中に轍を残していく。
馬車が見えなくなっても、二人は乗り合い馬車の停留所の傍でしばらく突っ立っていた。
乗り心地はともかく、あの馬車の中はきっとこの村の中で一番安全な場所だろう。そんな頑強な乗り物が去っていくのは、少し心許なかった。
リーフが情報屋から得た情報では、この村には魔剣が存在するらしい。その魔剣の使い手がモンスターを退けてくれているお陰で、この村は国家の力が及ばぬ外地に存在できているという。
眉唾ものの話だが、こうして村がモンスターに滅ぼされることなく驚くほど長く存続しているのは事実だった。
「そもそも、魔剣って一体なんなの?」
リンが首を傾げた。実は、リンはリーフが欲しがっているということ以外魔剣についてあまりよく知らなかった。
「言葉の通り、魔の宿った武器だよ。ただ、剣と名はつくけど形状は槍でも斧でも何でもいいらしい。昔はモンスターを倒せる唯一の武器だったそうだ」
特に面倒くさそうにもせず、リーフは説明した。
この地に生きる獣は、動物とモンスターの二つに分けることができる。どちらも人間への大きな脅威となりうるが、特にモンスターは人間の天敵と言えた。
それは、モンスターの持つ厄介な特性が関係している。
モンスターには、普通の武器が通用しない。より正確に言えば、生きているモンスターはやたらと頑丈なのだ。
大熊の心臓を一発で仕留められる弾丸で、遥かに体格の小さい熊のモンスターの子供に致命傷を与えられなかったり、弩の矢が毛皮で弾かれたりしてしまう。
斧で足を切り落とそうとしたにも関わらず、相手はただ転んでかすり傷を負っただけ、という冗談にもならないような話さえある。
だが、そのモンスターへの有効打になりうる武器は存在した。
その一群が、魔剣と総称される呪われた武器である。
魔剣の持つ破壊力は並みの武器の比ではなく、しかもその威力はモンスター相手に減退されないという、不思議な特性を兼ね備えていた。
しかし、魔剣は誰にでも扱えるという訳ではない。無闇に魔剣を振るう魔剣使いはその身と魂を魔剣の呪いに蝕まれ、最後には殺戮を行うだけの屍と化してしまう。
魔剣の呪いを撥ね退け、モンスターを狩ることができる特別な才能を持つ者は
今ではモンスターを倒せる特殊な飛び道具が出回っているため、リンのように銃や弓矢で対抗するのが主流だ。銃はそれ自体貴重な上に整備に金がかかるが、訓練さえ積めば誰でもモンスターに対抗できる。ただ、接近されると非常に打たれ弱いという欠点があり、間合いを詰められたり集団で襲い掛かられると為す術もなく餌食にされてしまう。
対して、魔剣は接近戦に特化したものが多く、素早いモンスター相手や真正面からの迎撃には今でも有効であり、そのため外地では今だに安易に魔剣使いに身を落とした戦士が栄えある未来を潰される事例は少なくないらしい。
説明の最後に、まあこれは情報屋の受け売りだけど、とリーフは付け加えた。
「ボク自身、魔剣についてはそんなに詳しいことは知らない。ただ、かなり強力な武器であるということは確かだ」
「よく分かんないけど、魔剣が強いって言っても村一つ守れるなんてよっぽど凄い魔剣なんじゃないの? ていうか、もし魔剣を手に入れちゃったら、この村滅ぶんじゃない?」
「だろうね。まあ、交渉するだけしてみるさ」
そもそもこんなに早く見つかるなんて虫が良すぎるし、とリーフはあっさりと言った。特にこだわりは無く、魔剣であれば何でもいいようだ。
しかし、リンはその言葉に引っかかるものを感じた。
「……あのさ、交渉するって言っても、相手は武器なわけでしょ。言葉通じるの?」
「もちろん、通じるから交渉できるんだよ。ただし、魔戦士に限るけれどね」
リンの至極もっともな問いに、リーフは至極当たり前というように頷いた。
「……ごめん、更に訳分かんなくなった」
そもそも武器に口なんかあったっけ、と想像力の壁にぶち当たり、リンは頭を抱えて呻いた。リーフはまあそうだろうね、と相槌を打った。
「実物を見ればすぐ分かるさ。さて、行こうか」
自分の荷物をさっと担いで、リーフは歩き出した。
「あ、ちょっと待ってってば」
リンも慌てて荷物を持って追いかけた。弾薬が大半を占める荷物は重く、慣性で大きくよろめきながらも、先を歩くリーフの横に並んだ。
「取り敢えず、宿を取りに行こう。次の馬車はどうせ明日だし」
「さんせーい。これ以上荷物を持って歩くのは嫌」
「まだ五十歩も歩いていないじゃないか。ところで宿ってどこだろう」
「歩いてたらそのうちあるんじゃない?」
「まあ、広いといっても村だからね」
呑気に会話しながら、二人は村の中心に向かって歩いていた。
宿屋か酒場の看板を探しながら歩いていると、村の中心にできた人集りが目に留まった。
集まっている村人たちの顔は険しく、何か只ならぬことが起こったようだった。村人たちに混ざって、二人と同じ乗り合い馬車に乗っていた商人の姿も見えた。
「何かあったんですか」
リンが商人に近づいて尋ねた。
「ああ、あんた達か……何でも、ついさっき人殺しがあったらしい」
向こうもリンのことを覚えていて、声を潜めて返事をした。
「犯人は捕まったの?」
「それが、すぐに姿を眩まして誰も見ていないらしい。あんた達も気をつけた方がいいぞ」
リンが商人と話している間に、リーフは人混みに割って入っていった。
人混みの中心部には麻布を掛けられた遺体があった。麻布は遺体から血を吸い上げ布地を赤く染めていたが、周囲にぶちまけられて地面が吸った血液の量の方が
リーフは血を吸った土を躊躇い無く踏みつけ死体に近づくと、傍にしゃがんで麻布を捲った。途端に、周囲から息を呑む音や小さな悲鳴があがった。
綺麗に無残な死体を前に、リーフは少し目を細めた。
血の海の中心にいたのは、中年の女だった。
女は右腹部から左首筋にかけてを深く切り裂かれていて、肺や心臓にまで刃が届いていた。既に血は亡骸からほとんど抜けてしまっていて、内蔵がくっきりと見える。傷の深さからして、失血するまでもなく即死だっただろう。
一太刀でここまで深い傷を付けられる腕前もさることながら、犯人が使用した刃物も相当切れ味がよかったらしい。
腹膜、肋骨、鎖骨に刃が通った後があるが、骨に当たって刃がぶれた形跡が全く無かった。全てすっぱりと断ち切られ、切断面からほとばしった血が上半身を真っ赤に染め上げている。
並みの剣では、綺麗に切ることが出来ず切り口が多少潰れている筈だ。
ここまで大胆に殺傷したのなら、犯人にも凶器にも大量の血が付着している筈なのだが、道に残った血痕は集まった野次馬に踏み荒らされてしまって、辿ることが困難な状態だった。
リーフはその状況に、僅かに眉を潜めた。
「リーフ、宿探しに行こうよー」
商人が立ち去ったので、人山の向こうからリンはリーフに声をかけた。死体など全く眼中に無く、いつも通りの調子を全く崩していない。
リンにとって、他人の不幸は只の『自分以外のものが行き着いた結果』以上の何物でもなく、自分が同じ結果になることをこれっぽっちも考えていない。だから、不幸を見てご飯が美味しくなることはあっても不味くなることはない。
死体に再び布を掛け、リーフは立ち上がった。
リーフがリンに近寄るために周囲の人垣をかき分けようとすると、さっと横に村人たちは退いて道を作った。顔色一つ変えずに惨殺死体をべたべた触っていたリーフに触れられたくないらしい。
人死にが日常茶飯事な外地であるというに、その反応は異常な程平和的だった。長年この村が呪いによる安寧を受けているのは確かなようだ。
しかし、自分を異常視する異常な目をリーフは特に気にした風もなく開いた道を通ってリンの元へ行った。
二人は白い目で見てくる村人の目を避けるように、並んで脇の道へと入っていった。
「酷いことする人もいるもんだねー。早く犯人見つからないかな」
リンは辺りをきょろきょろ見回しながら言った。
「犯人は捕まらないさ。村人は犯人を知っていて隠しているからね」
リーフはきっぱりと断言した。おや、とリンはリーフの顔を覗きこんだ。
「何でそう思ったの?」
「死体に触れたとき、村の連中全てから明確な敵意を感じた。あれは閉鎖的な場所の、公然の秘密に触れたときの敵意だ」
あまりにも直感的な物言いだったが、リンは特に不思議には思っていないようで納得してふんふんと頷いた。
「ああ、なるほどね」
リーフには第六感とも言うべき感覚が備わっていた。本人が《害覚》と呼ぶその感覚は、自分に向けられる敵意を察知することができるのだ。
戦いの達人は殺気を感じることができるというが、リーフのそれはもっと高度だ。敵意を認識するだけではなく、食べ物の甘味と酸味の違いが分かるように、敵意の種類を区別することができる。
だから誰もリーフ対して悪意のある嘘を吐けず、殺意を抱いていれば近付いただけで排除されてしまうし、奇襲相手が野生動物か盗賊かも瞬時に見抜いて襲われる前に対処できた。
商人の護衛中にオオカイタクジカの群れに気付けたのもこの感覚のお陰で、リンもその感度にはかなりの信頼を寄せていた。
「後、凶器は恐ろしいまでの切れ味を持っている。この二つから考えられることは」
「それってもしかして……例の魔剣?」
住人が庇立てするような殺人鬼とすると、リンはそれしか考えつかなかった。それに、魔剣ならば切れ味が良かったとしててもおかしくはない。
リーフも同意見のようで頷く。
「ああ、しかしこれは好都合かもしれない」
「どういうこと?」
「それは——ああ、面倒くさい」
「そこの二人、立ち止まれ!」
リーフが溜め息をつくのと同時に、二人の背後から濁声が飛んできた。
リンが振り返ると、剣を携えた治安官と思しき男が、二人を睨みつけていた。
「貴様らだな、死体に勝手に触れたという余所者は!」
「野宿決定か」
「ちょっと置いてかないでよ!」
突進してくる治安官を背に、リーフは即座に逃げ出した。リンも半拍子遅れて何かを投げ捨ててその後を追う。
「待たんかっ——ぎゃっ!」
走り去る二人の後ろで、炸裂音と断末魔が響き渡った。
彼は、家族をモンスターの脅威から守りたい一心で、モンスターとの戦いに敗れた前任の魔剣使いから魔剣を継いだ。
彼は村の中で一番剣の扱いが上手く、前任の魔剣使いが倒しきれなかったモンスターの群れを駆逐するという華々しい初陣を飾り、一躍村の英雄となった。
それからしばらく彼は村の守り手となり、モンスターと戦いながらも、それなりに幸せな毎日を送っていた。
だが、彼もまた魔剣使いであり、魔戦士ではない。素養も無く魔剣を振るう者がいつまでも常人でいられた試しは無いのだ。
転機はある日突然訪れた。
彼の耳に、魔剣の声が届くようになった。
それは彼の魂が魔剣に蝕まれ、取り返しのつかない場所に立ちつつあることを示していた。恐怖に震える彼に、魔剣は二つの道を選ばせた。
一つは、今直ぐに魔剣を捨てて唯の村人に戻ること。もう一つは、魔剣と契約を取り交わし、時間制限つきでより大きな力を振るうことだった。
彼が勇気をもって選んだのは後者だった。彼は家族を守るための力を欲し、二年間の契約が終わるまでに村の周囲に住むモンスターの数を劇的に減らすことに成功した。
最初は謙虚に魔剣を振るい、村を守っていた彼だったが、次第に驕り、内心では魔剣を侮るようになっていった。
劇的な副作用もなく、魔剣によってもたらされる平和と富、村人たちからの感謝、そして莫大な報酬に、彼はすっかり味を占めてしまった。
二年が過ぎ、魔剣は良心的にも新たな剣士を所望した。
これ以上契約を続行すると彼が死んでしまうからだ。今契約を切れば、身体に多少の支障はきたすがまだきちんとヒトとして死ねるらしい。
それでも男は村に代わりになるような者がいないことを理由に、再び魔剣と契約しようとした。
途端に、魔剣は彼に向かって唾を吐いた。
——俺が親切で言ってやってんのに、テメェも一時の名声の為に死に急ぐなんて馬鹿じゃねぇの。
それでも魔剣は彼との契約に応じた。
一年後、彼の上の子供が十二歳になるまで家族と村に住む者全てを守るという、彼にとっては短い契約が、魔剣が提示した最大限のものだった。
しかし、限界は彼が思っていたものよりも遥かに早かった。再び契約をして二十日、それが彼がヒトでいられた最後の時間になってしまった。
彼はもう、魔剣に命の殆どを蝕まれてしまっていた。そして、残った僅かな寿命も魔剣に奪われ続けていた。
例えるなら、獣に深く噛み付かれ、致命傷を負いつつもまだ息絶えていない状態だ。このままでも死んでしまうことも免れないが、獣が傷を引き裂いたり、口を離したりすれば余計に命が縮まってしまう。
牙を動かさず、獣の興味を失わせないためには他の命を魔剣に食らわせるしかないと知った時、彼は豹変した。
ひたすらモンスターを狩り続け、モンスターがいないときには周囲の生き物を無差別に殺戮した。
血走った目をして生き物を魔剣で滅多刺しにする姿に、周りの村人からの評価はだんだんと落ちていった。
それまではモンスターを倒した後には感謝の言葉しか告げられなかったのに、血に塗れた彼の姿を見て皆怯えるようになった。
最後まで味方だった家族も、次第に彼から距離を置くようになってしまった。遂には、家にいる間は軟禁されるのが常になり、食事も部屋に運ばれて一人でとっていた。
いつの間にか、彼は本当に独りになっていた。自らの命を長らえるために家族に手をかけ、魔剣に逆らって家を出て村人に刃を向けるようにもなってしまっていた。
——無駄な欲を持った所で、こうなることは馬鹿でもわかると思うんだけどなぁ。何で誰も気づかないんだろうな。
魔剣の言葉は、彼にはもう既に遅すぎた。
夜、寝静まったレニウムの村の田園地帯に一つの人影があった。
人影は明かりも持たず、まだ頼りない月明かりを当てしてゆっくりとした足取りながらも城門へと向かっていた。
黄ばんで染みだらけの服、腕には傷だらけの篭手。足に履いたブーツは今にも底が抜けそうだった。
それなりに体格のよい男だったが、それにしては明らかに足取りが遅い。
男が長大な両手剣を背負っているのが遅い歩みの原因なのだが、それほどの重量があるようには見えなかった。余程重いのか、男の額には汗が滲んでいた。
——いい加減諦めちまえ、みっともねぇ。テメェはもう死ぬんだよ。
男の耳に声が届いた。だが、周囲には誰もいない。
男は確かにその声を聞いたが、無視してひたすら歩き続けた。
男の足跡は村の中からずっと続いているが、昼間の時と同じように、多くの村人が起きる前に役目の者が跡形も無く消すのだろう。
——あのなぁ、今更足掻いても無駄だぜ。俺のご機嫌取りしようったって、もう魂がカスしか残ってねぇだろ。一日だって持たねぇぞ。
男は、背の両手剣が更に重くなったように感じた。まるで、両手剣が死地へと向かう男を引き止めているようだった。
男は憎々しげに剣を睨んだ。
「黙れ、化け物が……」
——おいおい、俺のことをそんな風に言って良いのかよ? 三年前、家族を守りたいっつって契約を持ち掛けた野郎はテメェだろ。結局、その家族をテメェは殺したけどな。
「……っ」
声は男の心を容赦なく抉りにかかり、男は息を詰まらせる。
——生憎、俺は自分の身可愛さに家族を捨てるようなクズ野郎には力を貸したくねぇし、そんな奴の身体を使うのも嫌なんでな。この場でさくっと殺されちまえ。
「!」
殺気を感じ、男は反射的に横へと身を躱した。
完全に避けきれなかった鋭い突きが篭手に新たな傷を刻んだ。
男は両手剣を抜き、力任せに薙ぎ払った。刃が襲撃者の胴を真っ二つにしようと迫る。
だが、最小限の間合いに踏み込んでいた相手は素早く後退し、斬撃を難なく躱した。
「貴様、何者だ」
両手剣を中段に構え、男は出来るだけ平静を装って言った。
襲撃者は闇夜の色をした外套に身を包んだ剣士だった。短い髪は鋼色で、前髪に一筋黒い色が混ざっている。その下から見える目は、宝石のような冷たい輝きを放っていた。
男に襲いかかったのは、リーフだった。村から延々と男の後をつけて、完全に人の気配が消えるところに出るまでを待っていたのだ。
「君の次の、魔剣の所有者だ」
リーフはいつも通りの淡々とした声で囁くように言った。
「俺を殺すつもりか」
「そういうことになる。君はもう、魔剣無しで生きていられないんだろう?」
男は目を見開いた。
「何故、それを……」
「そんな死人の顔をしていたら、誰だって分かる」
無精髭だらけの男の顔は、一瞥しただけで分かるほど憔悴しきっていた。
青白い月の光に照らされて、元々青白い肌は更に生気を失って見えた。瞳にも力が無く、落ち窪んだ眼窩には濃い隈がかかっている。明らかに死相が浮かんでいた。
——大正解。コイツはかろうじて意識はあるが、もう死人も同然なんだぜ。
ケケケケ、と得体の知れない耳障りな笑い声がリーフの耳に届いた。
「お前が魔剣か」
リーフは男の持つ両手剣に目を向けた。
剣身は薄く、刃は薄い紅色で縁取られている。逆に柄と鍔はありふれた黄銅色で、奇妙な色の刃と対比されて独特の存在感を持っていた。
中でも目を引くのは、鍔に施された異様なほど精巧な蛇の彫刻だった。運搬・刺突用のリングに被せるように鍔に絡みついた蛇は、鱗一枚一枚の質感まで生きている蛇と寸分違わない出来だ。柄に向けられた一対の眼など、柄を握る手に今にも噛み付きそうなくらいに生き生きとしていた。
——お。俺の声が聞こえるのか?
得体の知れない声が弾ませた。リーフに興味を持ったようだ。
「聞こえているよ。ところで、ボクの側につく気はないのかな」
——残念ながら、コイツとの契約はまだ続行中でな。離れられねぇんだよ。だから……
「おい……まさか……やめろ、やめろっ!」
男は目を見開いてぶるぶると震えはじめた。そのまま構えを崩し、魔剣を闇雲に振り回す。リーフは剣線に巻き込まれないように更に一歩退く。
しっかりと握りしめた魔剣を振り飛ばそうとする男の奇妙な舞いに、リーフは目を細めた。明らかに隙だらけだが、リーフは手を出さずに男の挙動をじっと見ていた。
男はしばらくその場で暴れていたが、だんだんと動きが鈍っていき、遂には両腕をだらんと下に垂らして止まった。
次に男が両手剣を持ち上げたとき、彼の顔には不気味な薄っぺらい笑みが貼り付いていた。
「コイツを、この身体を殺してやってくれねぇか」
リーフの眉間の皺が一層深くなった。
「……何を言っている」
「何って……ああ。今テメェと喋ってる俺はこの男じゃなくて、この魔剣の方な。俺は
男が両手剣を指さしながら得意げに言った。
「それは分かっている。ボクが聞きたいのはそういうことじゃない」
「へぇー」
あっさりとしたリーフの返事に、男の中に入っているモノはつまらなさそうな声を漏らした。
言われなくとも、リーフは男の敵意が別人になるのをしっかりと感じていた。
男はさっきまで正体不明の敵に向ける警戒と敵意、そしてそこから派生する殺気に加えて飢えた獣のような殺意を抱いていた。
だが、目の前で笑う同じ顔の別人は初対面の人間に抱く程度の些細な敵意と、研ぎ澄まされすぎた殺意を同居させていた。感情と理性が熟練の殺し屋でもなかなか至れない境地にまで乖離している。
かなりの実力と推察されるそいつに、リーフの頭の中では警鐘が鳴り響いていた。
「お前は契約している仲間を守ろうとは思っていないのか」
「守るも何も、俺とコイツの契約は単に『共闘』だからな。そりゃあ、コイツに覚悟があるなら俺だって最後まで面倒見てやるさ。だが、欲に目が眩んで惨めったらしく縋りついてくるような奴相手の
へらりと笑い、剣を構えながら使い手の皮を被った魔剣が言う。
魔剣がいなくなれば、レニウムの村は間違いなく滅ぶだろう。しかし、それは魔剣にとって全くの他人事のようだった。
「つまり、此の村に対する未練は無く、結果次第ではボクに付いて来てくれる、ということでいいんだね」
リーフも男に倣い、剣を半身になって構えた。リーフの得物は常に腰に挿していた片手剣である。両刃で幅広のしっかりとした作りで、月の装飾が施された護拳がついている。
「ま、こいつを殺すことが出来たらの話だけどなぁっ!」
語尾を気合いにして男がリーフに襲いかかった。
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