第40話 日出処に、祈る神はなく(下)

 扉を閉め、部屋の電気をつけた。スイッチの起動からもったりと遅れて暗い光が広い空間をぼんやりと照らした。

 部屋の中には等間隔で台が並べられ、オークションの品は各台に一つずつ乗せられていた。


「出来うる限り、これらの出所を探る」

――我が主、そんなに目利きできんのかよ。

「一月かけて色々と勉強したから、君には劣るが多少はね」

――まじかよそんなに俺頼りって聞いてねぇぞ。


 リーフは手帳と鉄筆を取り出し、台の列に近づいた。


「君は少し足りないところがあるけれど、言うほど馬鹿ではない。頼りにして何が悪い。まあ、君ほどの下積みをした神獣の方が少ないだろうね」

――明日は雪でも降るか?

「前言撤回、やはり君は馬鹿だったか」


 神妙な口調になったギルを、リーフはばっさりと切った。一見褒め言葉に見える婉曲な罵倒を解するには、やはりまだ頭が足りないらしい。


 リーフは目の前の聖遺物の鑑定に集中した。

 台のクッションの上にのせられているのは、猫の形の小さな彫像だった。表面には薄く霜が張り付いている。


「冷気に、猫……これは分かりやすい」

――それ遺物じゃねぇぞ、付与してそれっぽくみせてるだけだ。


 蛇が尾の先でちょいと彫像をつつくと、かすかにぱきっと割れる音がした。張り付いた冷気は消え失せ、猫はだらだらと結露の汗をかいた。


贋作がんさくが紛れ込んだか、意図的に仕組んだものか、どちらだろう」

――完全に仕込みだろ。十日も保たねぇぞ、この程度。


 虚実入り交じるオークションは、本当に資金調達のために開催されたものらしかった。出品の半数が長くて数ヶ月、短ければ数日で込められた神性が崩れて消える脆い細工だった。

 逆に言えば、半分程度は本物と同等の素材――神獣の素材で作られた道具や芸術品だった。

 本物の聖遺物と呼ぶに値するものは千年以上前に作られたものだけだが、神獣の素材で作られた神秘的な物体も同等とみなされている。歴史的な価値は雲泥の差でも、実用面から見れば変わるところはないからだ。


「これは……人骨か」


 とても軽い素材で作られた煙管は、全体がほのかに暖かかった。表面加工で手触りは偽装しているが、異常な軽さとわずかに残る元々の造形が、人間のあごの一部だと示していた。


――半獣で作るってのは珍しいな。さすがに質は純血よりかは低いけど。

「驚かないのだね」


――別に、燃やしたり埋めたりするよかいいだろ。リンの服だって、お仲間の皮いで、モツから絞った脂で磨いて作ってんだろーが。我が主の服も髪織り込んでんじゃねぇか。

「何故君らがヒトと離別したのかがよく分かるよ」


 特に感情のこめられていない声でリーフが述べた。手帳には『廃棄した半獣ネロッドを再利用した形跡あり』と書き留めた。

 もっと直球に、鱗の生えかけた人皮をおさめた額縁もあり、組織がかなり多数の神獣に手をかけているのがまざまざと見せつけられた。


――犠牲者がバラされてるのは驚かねぇよ。ただ、腹は立つってだけだ。一方的にぶち殺されて、素材にされてんだぜ。


 ギルは釈明したが、まだ人間の価値観との齟齬は確かに存在していた。

 リーフにとってそれはどうでもよかったので、言い返すことはなかった。


「これだけの証拠があれば、多少の増援は見込めそうだ」


――とっととずらかろうぜ、早くしねぇと奴らが戻ってくる。

「ああ」


 台の横でしゃがんでいたリーフは、手帳をしまって立ち上がった。



  ぴき



 歩きだそうとしたリーフの頭上で、小さな音がした。足を空中で留め、そっと下ろした。



  ぴき、ぴき、ぴき


――おい。


 小さな音が複数聞こえた。聞き間違いなどではない、確かに音がした。するするとリーフの肩に登った黒い蛇の鼻先が天井を指した。

 指し示す先は、照明だった。やたらと暗い照明の中で、気泡がぽつぽつと浮かび上がっていた。

 照明のガラス球の中は真空であり、液体が入っているということは普通ない。


「まずい」


 リーフは部屋の出入り口へ、そしてその近くにある照明のスイッチへと手を伸ばした。しかし、間に合わなかった。


 照明が一斉に破裂した。全ての光が消え、ガラス球に充填されていた液体が部屋中に飛散した。


 リーフは服の袖で鼻と口を覆い、液体の吸引を防ごうとした。しかし、隙間から入り込んだ微量の飛沫だけで目眩が誘発され、よろめく。


 竜殺し、という単語と、罠に引っかかった自分への罵倒が瞬時に頭の中を巡った。


 明らかにリーフを標的として定めた罠だった。

 ちかちかとする感覚の中で、トラップに連動したサイレンがけたたましく鳴り響いた。


――おいどうする!


 リーフのこめかみを蛇がどついた。


「あわ、てるなっ!」


 背中に負った剣を抜き、リーフは格子がはめられた窓に近づいた。

 剣で金属の格子とガラスをまとめてたたき割り、外部への穴を開けた。迷わず外に身を躍らせる。


 外へ飛び出した先は劇場の中庭だった。幸い部屋は一階だったため、受け身を取り損なっても大した痛みはなかった。

 痺れが回ってきたという考えは頭から振り落とす。


 新鮮な空気をようやく肺に取り込めたが、濁った意識はまだ晴れない。


 震える足をなんとか踏ん張り、エントランスへと前のめりに進んだ。既に背後から複数の足音が迫っているのが聞こえた。

 前からも警備員が駆けつけるのが見えた。


――俺も

「駄目だ」


 ギルの焦った声をリーフが遮った。

 竜殺しの効果は混血のリーフよりも純血種のギルに強く現れる。もし追撃を食らえば、共々行動不能になることが目に見えていた。


 リーフは両手剣を構え直した。元より細身の体格で武器に振り回されがちだったが、剣を持つ両腕は目に見えて震えていた。

 それでもリーフの目には諦めの色はなく、周囲の敵意を反射してギラついていた。


 警備員が銃を構える前にリーフは倒れ込むように前へと疾走する。剣線に沿って朱色の閃光が水平に引かれる。鋼鉄の警棒を葦のように切り払われ、血しぶきが舞った。


 鉄も木も雑草も、ギルの施した付与の前では全て等しく脆い。

 警備員に魔剣が配備されていないことが唯一の幸運だった。


 しかし、弾ける音とともにリーフの体勢が崩れた。


 後ろから撃ち込まれた弾丸の衝撃にリーフは膝をついた。普段なら躱せる筈のちゃちな攻撃だった。

 衝撃は身体に響くが外套を貫くことはできない。反撃ではなく逃走を選択する。


 背後から複数の銃声が追いかけた。一発が脇腹に当たり、リーフの身体がぐらつく。それでも歯を食いしばって走った。


 中庭とエントランスを仕切るドアを靴ごと硬質化した足で蹴り破った。ようやく外へと繋がる場所へと足を踏み入れた。


「閉めろ! 急げ!」


 声の方へリーフが定まらない目を向けると、出入り口に鋼鉄のシャッターが下ろされている最中だった。鋼鉄を切り裂くことはできても、人が通れる穴を開けるには致命的な手間がかかる。


――まずいっ!


 ギルが言葉を発するとほぼ同時にリーフも力を振り絞って駆けだした。


 リーフの目に警備員が向ける銃口が映った。回避行動をとらずに火を噴く銃の集団に突っ込んだ。

 刺突の勢いで無理やり弾幕の突破を試みる。重なる被弾には構っていられないし、濁る意識に痛みも感じなくなってきていた。


 四方八方からの射撃は、左肩、右太股、右側頭部を殴りつけた。むしろ頭への衝撃で曇りかけた視界が少しだけ明瞭になる。


 三人の身体が欠けてとび、剣先が人の壁を貫いた。

 通した先をこじ開け、押さえつける腕が殺到する前にすり抜けた。


 伸ばした手の先で、硝子の扉は鋼鉄の格子で阻まれた。


――くそっ


 リーフの代わりにギルが悪態を吐く。リーフにそんな余裕はなかった。


 ぐらつく世界の足下に煙を噴く筒が転がった。一気に息苦しさが増す。

 ただの煙幕ではなく、これにも竜殺しが混ぜられていた。


 咄嗟に鼻と口を手で塞いだが、平衡感覚を失ってたまらず膝をついた。


「うっ――」


 喉にせり上がってきた衝動が床にぶちまけられる。酸の匂いと刺激が粘膜を焼いた。


「かかれっ!」


 動けなくなったリーフを、顔に布を巻いた警備員が取り囲んだ。


「かはっ」


 リーフは口の中に残ったものを吐き出し、上半身を跳ね上げた。


 精彩に欠けた動きだったが、それでも一人の腕をなめらかに切りとばした。

 吹き上がる血飛沫に怯んだ警備員を突き飛ばして逃げた。


 混濁した意識が僅かに感じた敵意に、倒れ込むように前に転がる。リーフの頭があった場所を氷が素通りした。


 振り返る時間も惜しんでリーフは従業員用の通路に逃げ込んだ。


 見なくとも分かる、新たな援軍は魔戦士だ。


 とうとう、リーフに勝ち目はなかった。


――どうする?


 外套の裾から黒い蛇が顔をのぞかせた。


 リーフは剣に体重をあずけ、前に手を差し伸べた。伸びた腕に黒い蛇がするすると絡みつく。

 力を徐々に失い、下がる腕を正面から支える者がいた。


 いつの間にかリーフの前にギルが立っていた。気づけば、そこは劇場の中ではなく闇の幕が下りた廃墟だった。


 ぼやけていた視界がくっきりと戻ってきた。薬物に侵された現実から離れた悪夢の箱庭だから許される理だった。外の現実へと戻れば、もう意識を長く保っていられないだろう。


「ギル、頼みがある」


 リーフは荒い息を吐いたままギルの顔を見上げた。色白の顔をさらに青ざめさせて、表情に余裕はなかった。

 ギルはリーフの腕を支えたまま、表情を変えなかった。


「二回目の遺言は聞かねぇぞ」

「なに、この程度で死ぬことはないさ」


 リーフは諦観した薄い微笑みを浮かべた。


「奴らは神獣を収集している。ならば、ボクをすぐに潰すなんて、勿体ないことはしないだろう」


 ギリスアン教国にて途絶える寸前の天使の血――貴重な景月族の末裔である。リーフのかつての身分も加味すれば、利用価値は計り知れない。


 それが、リーフにとって死よりも辛いことであったとしても。


「情報をリンに渡してくれ。これで他の勢力も動かせる筈だ」


 リーフの手の中には手帳があった。今日見た全てがその中に記録されていた。

 なにがあっても守らねばならない、貴重な戦果だった。


「それから」


 リーフは淀みなく言葉を紡ぎ続けた。

 舌にも痺れが回り始めている筈だが、夢想を現実にする悪夢の世界と確固たる意思が、一言も伝え漏らすまいと全意識を集中させたリーフに最後まで応えた。


「出来うる限りで良いから、リンの手助けをしてあげてほしい」


 苦しみと絶望の淵で、それでもリーフはむず痒くはにかんでみせた。


「これは『命令』じゃあない。君へのお願いで、ボクのささやかな希望だ」


 ギルの朱い目がリーフの末路をじっと見つめた。


「分かった」


 ギルは深く頷いた。


「それじゃあ、さよなら。の最後の騎士、半身の勇者――」


 とん、とリーフの手がギルの胸を軽く押した。


「また会えるから」


 ギルが悪夢の中でリーフの手から手帳を抜き取るのと同時に、夢は崩れて溶けて消えた。


 黒い蛇はリーフの手から手帳を奪い取り、通風口を突き破って配管に侵入した。

 再び襲い来る気持ち悪さにリーフはその場で膝をついた。


 杖代わりにしていた両手剣を持ち上げる力も失い、唯一の武器から手を離した。床に転がった剣の刃から付与エンチャントが剥がれ、何の変哲もない鈍色に戻った。

 リーフが持ち歩いていた両手剣はただの数打ちの安物だった。ギルの本体はゴミ捨て場から動いておらず、リーフの身体を中継して神性を使っていた。

 翼蛇ニドヘグも去った今、リーフは本当に独りだった。


「いたぞ!」


 最早声のする方向も距離も分からない。リーフは壁によりかかりながらただ足を動かして前に進んだ。


 感覚のなくなった足をもつれさせ、派手に転倒する。起き上がろうとするが、腕に力が入らずもがくばかりだった。


 とうとう進めなくなったリーフへと、悠然と男が歩み寄った。


「残念だったね、シルヴィアちゃん」


 リーフを見下ろす男には右頬から首にかけて、大きな傷跡があった。

 朱い目には面白がるような邪な輝きがあった。

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