第39話 日出処に、祈る神はなく(上)
拉致された半獣の輸送先、
全ての手がかりは、東部へと収束していた。
「全ては『神なき地』に繋がっているらしい」
「『神なき地』?」
リーフの言葉にリンは首をかしげた。
「君は信仰にあまり興味がなかったね。まあ、この話は布教する側にしか広まっていないし、何より信じがたい事実だろうから知らなくてもおかしくはない」
元は傭兵団の拠点ということもあって、借り家の居間には大きな卓があった。リーフは卓の上に大陸の地図を広げた。
「東部では偶像崇拝の一切が禁忌とされている。つまり、神獣の信仰による支配が浸透していない数少ない場所だ」
千年前、魔王によって神獣とヒトの間の絆は打ち砕かれ、ヒトは神獣を認識することが出来なくなってしまった。
その代替手段として、神獣たちは自らを主体とした宗教を作り上げ、ヒトに布教することで意思を間接的に伝えていた。それが西部や南部に広く流布している数多の宗教の真相である。
現代に残る大きな派閥の宗教には、敬月教を除いて神獣がバックについているのだ。
しかし、中央部や東部では神獣の影響力が薄い。
中央部は潤沢な資源と聖遺物の残滓を巡る紛争で人心も文化も荒廃し、宗教が形骸化しているためだ。
神獣にヒトが欲しがるような油田や石炭鉱脈といったエネルギー資源は必要ないため、わざわざ干渉する理由も薄かった。
対して、東の大海を
争いの絶えない中央部とは深い渓谷で区切られ、モンスターの闊歩する南部とは内海で分かたれた帝国は、まさにヒトのために築かれた楽園だった。
ヒトが豊かで居心地のよい国であれば自然と神獣はすり寄ってくる。しかし、帝国はその全てを拒絶していた。
皇帝を神意の代理人とし、他の神を称するものは全てまがい物だと切って捨てている。神獣が関わる宗教は表立って活動することを禁止、宗教活動を少しでも匂わせれば審問官に告発され、最悪の場合は東の大海に流刑にされる。
つまり、実質死刑である。
「東部って懐かしいなおい。もう千年行ってねぇぞ」
ギルが口を挟んだ。
「東行ったことあんの?」
リンのギルに対する態度はいつも通り刺々しかったが、興味を持っていることが窺えた。
「そりゃ、俺たちは海の向こうから来たからな」
ギルが地図の一点を指さした。大海に面した大きな港で、帝国の都にもかなり近かった。
「俺がこっちに来たときの港は此処のはずだ。まだ残ってんのかよ」
「今は
リーフが別の港を指した。こちらは内海に面していて、南部と距離が近い。
「被害者が運ばれたと思われる港は此処。そして、ここから伸びる街道を辿っていくと――」
地図に描かれるほどの重要な道の先には、ギルが示した港があった。しかも、それほど距離も離れておらず、船でも行き来が可能である。
「さらなる情報収集は必要だけれど、現状では此処が一番怪しい。月喰族が降り立った港、イーリオシア」
「それだけ分かれば、もう十分でしょ。後はやる気のある小教会連合に投げれば潜入なりなんなりして調べてくれるんじゃない」
リンは興味なさそうに地図を片付けようとした。しかし、リーフとギルの手が押さえていて動かせなかった。
「話は終わりなんじゃない?」
「ふざけてんじゃねぇよ、陛下の行いを
ギルの朱い目は怒りに燃えていた。軽薄そうな見た目とは裏腹に、普段は従順そのもので勝手に動かない男だが今回だけは話が別のようだった。
「何か言ってやってよ、リーフ」
嫌な予感をひしひしと感じながら、リンはリーフに助け船を求めた。
「敬月教総本山から距離は置いているけれども、
リーフの目は地図から離れなかった。
「そうだったこっちも宗教バカだった」
リンは額を押さえた。リンにとって信仰とは共同体に属する手形程度の扱いだったが、仲間二人は生き様を左右するほど入れ込んでいた。
「何か言ってやれない、イーハン?」
「無理ですー」
「役立たず」
「ごめんなさい」
苦笑いでごまかすしかない貧弱吸血鬼に、リンは溜息をついた。
「分かったわよ。一緒に行けばいいんでしょ」
リーフの目がリンをとらえた。かぎりなく灰色に近い瞳に、呆れ顔の黒髪の美少女が映っていた。
「ボクたちの問題だ。ついてくる必要はないのだけれど」
「今更何言ってんのよ」
リンは、リーフの発言に傷ついたと言わんばかりの顔をしてみせた。
「ただし、ひとつだけ約束して」
リンがリーフの目を見据えていった。
「何があっても死のうとしないでよね」
「……善処する」
◇ ◆ ◇
「そこの君!」
「はい、いかがいたしましたか」
呼び止められ、リーフは振り向いた。
ウエイターのぱりっとしたシャツに薄手のベスト、首には蝶ネクタイを結び、暗い灰色にごまかした髪は後ろに撫でつけていた。
先程カクテルを配り終えたばかりで、手の上の盆には空のグラスがいくつか乗っていた。
リーフを呼び止めたのは、正装をした紳士だった。佇まいからも、上流階級の人間であることが窺えた。
「彼女にワインを。銘は白き鹿の涙、22年もので」
紳士が手元のグラスで少し離れた場所にいる淑女を指した。
髪を結い上げ、すみれ色を重ねたドレスで着飾り、近くの友人とお喋りに興じている。
「かしこまりました」
リーフは軽く会釈して、そのままバックヤードへと下がった。
告げられたワインをグラスに用意し、盆にのせて波打たせることなく運んだ。
斜め後ろから淑女にそっと近づいた。
「失礼いたします」
呼びかけられた淑女は顔に警戒の色を少し浮かべてリーフを見た。
「あちらの旦那様からでございます」
リーフが手で指し示すと、先程の紳士は淑女に目配せをした。
途端に淑女の取り巻きが小さく歓声を上げた。紳士は業界では有名人のようだ。
すぐにリーフは下がったが、淑女たちは誰も気に留める様子はなかった。
白いピアスで耳元を飾ったリーフは、雇われた通りのホールスタッフとして場に溶け込んでしまっていた。
誰もリーフの顔に注目しないし、細い身体の線を不審に思われることもなかった。
ホールには複数の円卓と椅子があり、奥には幕の下りた舞台があった。
本日ここで行われる催しは、東部で人気の歌劇である。観客は貴族や富豪ばかりで、誰もが華やかに着飾っていた。
もうすぐ始まる公演を前に、紳士淑女はグラスや軽食を片手に社交に精を出していた。
しかし、リーフの掴んだ情報によると劇は単なる隠れ蓑であり、貴族たちは別の目的のために集まっていた。
この隠蔽工作はとても巧みで、本当に劇団による公演が開催されることになっていた。談笑する客の半数も真相を知らないまま集められている。
公演が終了し一般会員が帰った後で、限られた特別会員による密会が始まるのだ。
謎の団体が主催する、世にも稀な奇跡を宿した物品――聖遺物のオークションである。その希少性と神秘の力に魅せられ、金を惜しみなく積む貴族は少なくない。
無論、リーフのような一般のスタッフも完全に締め出されてしまうだろうが、潜り込む隙は十分あった。
間もなく公演の開始が告げられ、紳士淑女は席についた。スタッフは数名を残して裏へと引っ込んだ。
リーフも裏へ回り、食器洗いに勤しんだ。幸い、ギルに皿洗いのコツを伝授されていたおかげで壊れやすいワイングラスを割るような真似は避けられた。
指示されるままに勤労に励んでいると、拍手が裏にまで響き渡った。もうすぐ公演が終わるのだろう。
リーフはゴミの入ったバケツを持って洗い場から外に出た。劇場の裏にはゴミ捨て場があり、つんと鼻につく匂いが漂っていた。蝿もうるさく飛び回り、衛生的とは言えなかった。
当然、周囲に人影はなかった。
リーフはゴミバケツを指定の場所まで運んだ。しかし、仕事を終えても劇場の中には戻らずゴミ捨て場の奥の方まで入っていった。
ゴミ捨て場の奥には、回収頻度の少ない大型のゴミやくず鉄がまとめて置かれていた。
――なあ我が主、俺なんかしたか?
くず鉄入れの中から声が聞こえた。錆びた釘や頭の削れたネジ、装飾のモールやホイルに混じって、ぼろぼろの両手剣が何本か投げ込まれていた。
両手剣の表面は赤錆ですっかり曇り、元の色がわからないほどだった。他のゴミと比べて場違いなほど大物だが、捨てるのもさもありなんという正真正銘のゴミだった。
黙っていれば、倉庫の奥にあった使い物にならない小道具を捨てたとしか思われないだろう。
「別に」
――ほんとかぁ?
疑わしげな声を後ろから浴びながら、リーフはごみに偽装した包みを引っ張り出した。薄汚い油紙が二重になった包装を解くと、中身は暗褐色の外套と両手剣を背負うためのベルトだった。
外套はリーフの唯一の神性礼装であり、最強の鎧である。
ウェイターのベストを脱いで、外套の袖に腕を通した。ベストは油紙に包んで今度こそゴミの中に突っ込んだ。
「強いていうなら、一昨日リンが晩ご飯を作ってくれるはずだったのに、君が作り置きをだしてきたからかな」
――おっ、まえ……っ! そんなみみっちいことの仕返しがこれかよ! ひでぇ!
足があったら飛び跳ねそうな勢いでギルがまくしたてた。
――仕事の前に信頼関係にヒビ入れてんじゃねぇよ、女々しい真似しやがって!
しかし、リーフは涼しい顔だった。懐から革手袋を取り出し、手に着けた。
「何を言う。君との関係はこれ以上悪くなりようがないだろう」
――まあそうだけどよ。
リーフは錆びついた両手剣を拾い上げた。
両手剣の表面にバチッと朱色の閃光が弾け、錆色と鈍色の塗料がぼろぼろと落ちた。塗料の下からは黒く光る刃が現れた。
リーフの手の中には錆ひとつどころか傷ひとつない魔剣ギルスムニルがあった。
――それで、これからどうすんだ。
「大まかな配置は分かった。後は予定通り、連中の売り物を確認する」
――んなことしなくても、全部ひっくるめてぶっ壊してぶっ殺してもいいんじゃね?
ぶっとんだ提案に思える発言だったが、リーフは眉ひとつ動かさなかった。
「ボクの目当てのものが此処にあるとは限らない。むしろ、ない可能性が高い。奴らがどこまで手を広げているのか確認できれば、他の種族も巻き込んで包囲網が敷ける。一網打尽を狙う方が確実だ」
――はいはい、分かったよ。我が主は慎重なことで。
「どうせ実働になるのはボクたちだ。心配しなくとも君の鬱憤を晴らす機会はいくらでもあるさ」
リーフはゴミ捨て場を漁った跡を隠し、両手剣を背負った。
白い外套姿で、何食わぬ顔をしてスタッフの通用口から劇場の中に戻った。
「おい、お前、なにをしている」
前から歩いてきた男が言った。服装と威圧的な態度から、劇場のスタッフではないことが分かった。裏を取り仕切っている側の人間だろう。
リーフは男を眼中に入れず歩き続けた。
舌打ちした男が懐を探った。
「動く――」
隠し持っていた銃を抜く前に、男の足に蛇が巻き付いていた。黒い蛇の鱗が一瞬朱く輝くと同時に、男はその場に崩れ落ちた。
既に劇場の関係者は追い出され、主催者の秘密の会合が執り行われているようだ。
倒れた男を通路の端に寄せ、リーフは耳につけた石をひとつ外した。白い石を強く握りしめると灰色へと変わった。灰色になった石をうなだれて壁に寄りかかる男の腹部に投げた。
結晶にこめられた印象を薄くする効果の神性術により、意識して男を探すか、足を引っかけて躓くかしなければ誰にも気づかれることはないだろう。
結晶は仕事を終える頃合いには効果が切れて消滅するはずだ。
リーフは男が歩いてきた方へと躊躇いなく進んだ。蛇はリーフに難なく追いつき、外套の中に隠れた。
劇場の舞台裏、控え室や大道具部屋へと続く通路を歩きながら、耳に残った三つの石のうち、一つに触った。白い石が灰色に曇る。
薄い壁の向こうから、くぐもった声が届いた。高らかに声を張り上げる司会の芝居がかった声と、珍品にどよめく凡人の空気が伝わってきた。
ひとつオークションが終わったのか、通路の奥から人影が現れた。三人組で、一人は警備らしく見える場所に銃をぶら下げ、残り二人が台車に乗った商品を慎重に運んでいた。
リーフは隠れるところがない通路で壁にはりつき、三人が通るのをじっと待っていた。
三人はリーフの存在に全く気づく様子もなく通り過ぎていった。少し距離を開けてから、リーフは三人をつけた。
三人は稽古部屋として使われている大きな部屋に向かった。
扉には二人が警備につき、三人が近づいて初めて鍵を開けた。二人が中に商品を仕舞い、次に舞台に上がるものを台車にのせて出てきた。
リーフが中に滑り込む暇も与えず、警備は速やかに部屋に鍵をかけた。
会場へと戻る三人を先程と同様にやり過ごし、通路には警備員二人とリーフが残された。
商品倉庫への鍵は警備員が持っている。
何も躊躇う理由はなかった。
黒い蛇が牙を突き立てるのと、リーフが黒い針を警備員の腰に刺したのは同時だった。誰に襲われたのか認識する前に、二人の警備員は動かなくなった。
早速鍵を頂戴して倉庫の中へと入った。
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