第38話 半獣連続失踪事件・解決編(下)

 〈斜陽教〉ルイノリコス――真太まひろ族の情報網を以てして得られたのは、その言葉だけだった。


 目的は不明、半獣を攫っている理由も不明、魔王と繋がりがあるのかも不明。

 ギルが知っていること以上のものは得られなかった。


「分からなかった、というよりも調べることを諦めているという表現が正しい」


 エヴァスから届いた分厚い手紙を読み、リーフはそう断言した。

 手紙の三分の一はギルに対する罵倒で埋まっていたが、残りは争炎族が掴んでいる情報が詳細に記述されていた。


「どうやら彼らは度々半獣を拉致しているらしい。被害は既に十種族以上、判明しているだけでも二百人以上が数十年に渡って連れ去られている」

「そこまでやられてんのに、何でどいつもこいつも黙って見逃してんだよ」


 予想を遙かに上回る悲惨な実態に、ギルが片眉を吊り上げて言った。

 いくら半獣が彼らの身分社会で低い地位にいるとはいえ、好き勝手に領分を荒らされるのを黙認するほど寛大で無関心な神獣に心当たりはなかった。


「争炎族は、今まで被害がなかったからだ。真太族は、これ以上被害をださないためだ」

「……はい?」


 リンが首を傾げた。


「昔、真太族が斜陽教の内部を調べようとしたことがあったらしい。しかし、送り込んだ諜報員は残らず消息を絶った」

「え」

「加えて、逆に彼らの情報網を探る動きがあり、情報が一部抜かれる騒ぎになったという噂もあるそうだ……こちらについては話が話だから確証はないらしいけれども、干渉を控える理由としては十分すぎるね」


 リーフが手紙を指で弾いた。

 普段は他人の末路に毛ほども関心を寄せないリンですら、その不気味な末路に顔をひきつらせた。


「つまり、消えた奴が寝返ったっつーことか……ありえねぇだろ」


 ギルが頭痛に耐えているようなしかめっ面で言った。

 ギルの中の常識ではあり得ないことばかりが起こっていた。


「狼共は特に仲間意識が強いから裏切るなんざ絶対しねぇし、情報勝手に渡したらそれこそ王から一発で制裁とぶだろ、なんなら即死級の。マジでありえねぇ」

「それは分からない。従わざるを得ない何かがあるのか、神獣を支配する術があるのか……君がそうだったように」


 リーフの意味ありげな視線に、ギルは低く喉をならした。


「言っとくけどな、俺の呪いは魂をバラして直接刻まれたモンだから、フツーの奴にやっても潰れて終わりだかんな」


 かつてギルはエヴァスを抹殺するために呪いで縛られていた。呪いは一部解除され今では衝動に呑まれることはなくなったが、それまでは己の信条に反してまでエヴァスを殺そうとしていた。

 そこまで強力に支配する術が神獣には、確かに存在する。


「方法が何であれ、内部に入り込まれるということは、看過できない問題だろうね」

「狼共はそれが一番の取り柄だからな。テメェは違ぇけど」

「うっさいバカ骨董品、だからリーフと一緒にいられるんでしょーが!」


 ギルは投げられた銃弾を難なくキャッチ、軽く投げ返した。ふくれっ面のリンが銃弾をジャケットの中に押し込んだ。


「叔母様が私使ってリーフの監視ができたらいーなーとか考えてたんだから、そっちの才能あったらとっくに離れてたわよ」


 真太族は神性術を通して知識や知覚の共有を行うことができる。彼らはこの種族特有の神性術を同時に使用することでお互いの経験を自分の身の上のように理解できた。

 しかし、リンには感覚共有の適性が一切なかった。

 代わりに獣化すると純血並みの膂力を振るうことができ、今の境遇に至っている。


 生まれながらに共感能力に欠陥を持った文字通りの一匹狼、群れから孤立して生きていくしかない不適合者――しかし、だからこそ上層部の意向を無視して異種族のリーフたちに与する自由があった。


 リーフが竜王にけしかけられた件で真太族から距離を置くと決めたときも、リンが即座に了承していなければ話は余計にこじれていただろう。

 死闘が本家から半分仕組まれたものだと教えられたとき、リンは小教会に半月近く寄りつかなかったし、狩りの獲物を当てつけのように他所に卸していた。知識共有をしていたら一発で懲戒がとぶ造反である。


 リンが現在の王の親戚であること、リーフたちと事を構えると被害が馬鹿にならないことから目をつむってもらい、事なきを得て今に至っている。

 大陸有数の諜報機関を真っ向から敵に回しかねない行動にリーフが肝を冷やしていたことは、リンは知らない。


「リーフの足ひっぱるくらいなら、実家に絶縁状たたきつける覚悟くらいあるのよ、こっちは」

「そういうところだけはすげぇヒトっぽいよなぁテメェ」

「ヒト未満ケモノ未満のだーれかさんとは違ってねーー」

「はーーーー、テメェよりかはヒトの気持ち理解できっけどなぁ」

「の割には方向性の違いでヒトバラしまくってたらしいじゃんドーーーアホーーー」

「んだとこの規律はみ出しクソメス狼」

「立ち回りド下手くそな万年下っ端野郎」


 鼻先がくっつきそうな距離でギルとリンは睨み合っていた。

 男女が顔を突き合せている光景だが、誰も色恋に勘違いしようがないほど殺伐とした空気が流れていた。

 リーフだけが優雅に安い茶器で一息ついていた。


「イーハン、お茶の追加を頼む」

「あの……止めなくていいんです?」

「共有するべきことは大体言ったからもういい。止めたところで疲れるだけだから」


 少しやつれた顔でリーフはポットをイーハンに押しつけた。


 金髪の長身痩躯が空っぽのポットをキッチンに持っていき、新しく茶を淹れて戻ってきた。

 リーフは熱い茶に角砂糖を二つ入れて(これはリーフの栄養不足に対してギルが苦言を呈しまくった結果決まったルールであり、相変わらずリーフの舌は飾りである)、ぎゃんぎゃん口喧嘩を繰り広げる完全な人外と半分人外を眺めながら茶を啜った。

 イーハンはリーフの隣の空いた椅子に腰掛け、ぬるく冷ました茶を手に取った。


「なんかもう、慣れちゃいましたね……」

「なんだかんだで、もう一年近く一緒にいればそうもなるさ」


 リーフに倣い、イーハンも曖昧な表情で茶に口をつけた。

 観劇している方の胃がすくみ上がる罵倒の応酬は二人が茶を飲み終えるまで続いた。

 いつの間にか罵る矛先はお互いではなく、過去に出会ったどうしようもない分からず屋たちへとズレていた。最終的に「そいつはクソ!」の一言で息が合い、きょとんと顔を見合わせてギルとリンは固まった。

 リーフは溜息をつきながら軽く手を叩いた。


「意見が一致したところで、本日の会議は終了。ギルはエルヴァンへの手紙の返事を書く、リンは夕食の準備、ボクは敬狼会に呼ばれているからイーハンと出てくる」


 卓上に空の茶器を残したままリーフは立ち上がった。壁に掛けていた暗褐色の外套を羽織り、革手袋で華奢な指先を覆い隠した。

 イーハンも暗い色の上着を着て、フードを目深にかぶった。こちらはただの日光対策である。


「なんで俺が返事書かねぇとなんだよ。あのクソじじぃに言うことなんか……いっっっくらでもあるぞ」


 ギルは留守番への不満を直球でぶつけた。

 直接罵られたわけでもないのにイーハンが大きな図体を縮こまらせて顔を青くした。視線で殺されるかもと思ったのかリーフの影に隠れた。


「それは言わなくてよいことだから。エルヴァンに書けと言ったよ」

「分かったっての。書きゃあいいんだろ、書けば」


 机の上を片付け、ギルは獣の言葉で手紙をしたため始めた。


「いってらっしゃーーい」


 鍋を片手に手を振るリンに返し、リーフは仮住まいから出た。その影に同化するようにイーハンも続いた。

 一行が滞在しているのは表通りに面した二階建ての一軒家である。元は傭兵団の拠点として建てられたもので、敬狼会が斡旋した住居である。


 敬狼会が管理している区画内にあるため、周辺には真太族の縁者が多い。道を歩く者は茶色や濃い灰色の頭が多く、リーフほど色が明るく眩い髪の者など歩いていなかった。

 だが、誰もリーフを奇異の目でみることはなかった。


 リーフの両耳を飾る白い石は神性を固めた護符だった。装着者の存在感を薄め、周囲に溶け込ませる力がある。集中して観察すれば見破れる程度の弱い効果だが、そもそもすれ違う程度の相手を穴があくほど見つめるだろうか。

 実質的に、常に身につけていれば顔見知り以外には初対面を貫き続けることができ、目立つ外見でありながら町で騒動に巻き込まれることはなかった。


 耳飾りによって、リーフが敬狼会の会館に入っても誰も気付かなかった。


「支部長に話がある。取り次いでもらいたい」

「えーーっと……あ! はい、直ちに!」


 リーフの言葉にきょとんとしていた受付は、台に置かれたメダルを見てようやく誰なのか認識した。

 まもなくリーフとイーハンは応接室に通され、彼らをこの地に招致した人物と相対した。


 敬狼会の支部長は、白髪混じりの神経質そうな男だった。連日の対応に追われているのか目元に疲れが見えた。


「先日の件は、ええ、誠に見事な活躍ぶりで……お噂通りの実力に感服いたしました」

「それはどうもありがとうございます。それで、今後の方針は定まりましたか」


 抑揚の変化が一切ないリーフの言葉に、支部長は目を泳がせた。


「ええと……まあ、はい……」

「我々も別件の仕事がありますので、いつまでもこの町に滞在するわけにはいきません」


 リーフは卓上に用意された茶に早速手をつけた。


「争炎族の統制によってモンスターの大移動は収まりましたが、今度は自由戦士の流入による騒動が絶えません。此処で時間の潰している暇などないのです」


 竜王による統治が正常化したことにより、今まで制限されていた争炎族の行動範囲が大幅に広がっていた。加えて、争炎族の傭兵――自由戦士を自称するものたちがヒトに手を貸すことでモンスターの大移動で壊滅した小都市の再建が急速に進んでいた。


 しかし、同時に種族差によるトラブルも爆発的に増えていた。何より争炎族は竜種の例に漏れずプライドが高い。

 他の神獣が強権を持っている小都市では仲裁がきくが、ヒトが直接交渉するにはあまりにも暴力的で相互理解が難しい。

 そこで、リーフは仲介として交渉の矢面に立つ仕事もしていた。竜王と面識があることも手伝い、大抵の争炎族はリーフの話に耳を傾けた。


 敬狼会の仕事は大口ではあるが、稼ぐ機会は他にいくらでもあるのだ。


「しかし、まだ事態が解決したわけでは……」

「そういえば、私どもでも気付いたことがありまして。以前、争炎族の子供を彼らとよく似た集団がさらおうとしていたことがあったのですよ」


 曖昧な言葉ではぐらかし、つなぎ止めようとする支部長の首筋に言葉の刃がすっ、と当たった。


「その話は、まさか……」

「争炎族と話していれば、話題に上っても不思議ではないでしょう。そも、此度の仕事については何ら口止めされてないことですし」


 支部長の顔が青ざめた。

 作戦に参加した真太族については口外しない契約だが、事件そのものについては機密事項に当たらない。既に事態は広く知れ渡っているからだ。

 それでも町に住んでいない他種族にはちょっとした注意事項程度にしか思われておらず、他人事でしかなかった。


 しかし、リーフが所有する情報と併せたことで新しい知見が生まれてしまった。竜王の息子を誘拐しようとした集団がこの町に拠点を築いていた、という事実だ。


 加えて、リーフが『争炎族と話した』と言えば相手は只一人しかいない。

 此度の事件が竜王の関心を引いたとなれば、周辺を火竜が血眼になって飛び回り港町に争炎族が詰め寄せることは想像に難くなかった。


「そうそう、敵側に嵐雅らんが族や潜界せんかい族の半獣がいましたね。念のため、彼らにも話を回しておきましょうか。特に、潜界族の領土はこの近くなのでしょう?」


 これ以上隠し立てをするならば、他種族を巻き込んで話を大きくするぞ――リーフの言葉は暗にそう脅していた。

 通常、半獣は祖とする神獣のコミュニティに属し、そこから外に出ることに消極的である。

 だが、所謂『はぐれ』のリーフはどの種族と関わり合いになろうが知ったことではない。利になるのであれば、幾つの種族を股にかけて交渉することも辞さない。


 乾いた唇を舐め、支部長が口を開いた。


「彼らが拠点としている場所が一つ、判明しました」

「予想以上に動きが速いですね。大樹がざわめくにはまだ時間がかかるものかと思いましたが」

「ええとまあ……はい。そうです、本国リドバルドからの情報です」


 支部長はがっくりと肩を落として話を続けた。もう既に完膚なきまでに心を折られ、手順を踏んだ交渉を諦めていた。


「先月、西部に現れた不審な集団と同一であると分かった次第で」

「現れた場所は?」

「それが、その……ギリスアン教国、でして」


 茶菓子を摘まんだリーフの手が一瞬止まった。


「お気になさらず続けてください。景月かげ族から見放された国に間者が入り込むことは容易いでしょうし」


 リーフは硬いメレンゲを口に入れた。がりり、と音を立てて白い塊が砕け散った。


「彼らは聖都の宝物庫から、景月族の遺産を盗みだし、東部へ輸送しました」

「まさか、彼らが持っていったものについて何も分からないと宣うことはないでしょう?」


 ギリスアン教国にまだ神獣の遺物があることは、リーフにとって意外ではなかった。リーフを苦しめた拷問用魔剣に四振りの聖剣、魔王の力にも耐える城壁――守る神がいなくなっても、その残滓ざんしはまだあの国に息づいていた。


「目撃者によると持ち去られたものは、どうやら白い棺であったと」

「白い、棺?」


 リーフは僅かに眉をひそめた。


「敬月教の関係者はそれを『天使の証明』、『神の奇跡』、『永遠なるもの』と呼称していました」


 支部長が卓上に紙片を差し出した。紙片には盗品の簡単なスケッチが描かれていた。

 花と月の紋様をあしらった長四角の箱は、それなりの大きさがあれば確かに棺にも見えた。


「なるほど」


「残念ながら、それ以上の情報は得られず」


「でしょうね」


 リーフの声色は一切変わりなかった。そのあまりの変化のなさに、同席したイーハンはすっかりびくびくしていた。

 こっそりと顔を盗み見ると、氷のように凍てついた灰色の瞳がスケッチを睨んでいた。


「ボクのことも挑発しているというわけか、あのじじい」

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