南大陸 臨海都市グロウ

第36話 半獣連続失踪事件・解決編(上)

「この部屋には三人、隣は……二人か。目隠しで顔が見えねぇ、以上」


 鉛筆が紙の表面をなぞり、建物の図面を描いていた。定規をあてていないというのに線はほぼ真っ直ぐ、四隅は直角で几帳面さが見えた。

 仕切られた四角の部屋の中に白抜きの円が書き込まれた。そして、部屋の外には塗りつぶされた黒い円が幾つか追加される。


「判定が雑すぎるよ。こっちの少女は十日前、この少年は三日前に報告がある。他は未所属か、まだ発覚していない者だろう」


 鉛筆の先が戻ってきて、白い円に印をつけた。

 同じ声、しかし、別人のような口ぶりで言葉が続いた。


「他に拠点があるかはともかく、ボクたちの依頼は此処で果たせそうだ」

「待った、この壁は偽モンだ。音の響きがおかしい。ここに隠し部屋あり」


 一人語りを続けながら、図面に印が次々と書き込まれていった。

 図面の空白部分にぐりぐりと円が粗雑に重ねられた。


「入り方は?」


 女性の声が割り込んだ。質問に少し遅れて、がちゃっと金属が音を立てた。


「知らねぇよ」

「うわ、役立たず」

「固定砲台がナマ言ってんじゃねぇよ。現地で吹っ飛ばせば一緒だろ」


 雑な円がバツで消された。


「リン、準備は?」

「『おもちゃ』は予定位置だよ。『一声』でいつでもボンッ、できるから」

「配置もこんなトコだな。おいクソ狼、今回は雑に狙うなよ。流れ弾で目標をぶち抜くんじゃねぇぞ」

「言われなくても分かってるわよ」


 白い円と黒い円を書き込んだ図面が卓の上を滑って移動した。それを細い指がつまんで取り上げた。


翼蛇ニドヘグの回収は?」

――そんくらいなら歩きながらでもできるっての。

「油断しないように。奴らも竜殺しを持っているかもしれない」


 声の主はがたがたと音を立てて椅子から立ち上がった。壁に立てかけていた両手剣を手に取る。

 両手剣の刃は黒い金属でできており、つばは鈍色、柄は青く塗装されていた。暗褐色の外套の上からベルトを締め、金具に引っ掛けて両手剣を背負った。

 会話相手の姿はどこにもない。

 そもそも、会話を盗み聞きしている第三者がいたとして、が聞こえるかどうかも怪しい。


――あーメンドくせぇ。そんな出回るモンじゃねぇんだけど。

「くらうとソッコーで潰れるアンタが言っても、負け惜しみにしか聞こえないんですけどー?」

――んだとクソ狼。

「そこまで。行くよ、ギル。リンも合図したら頼む」

「はいはーい」


 部屋のドアを静かに開け、両手剣を背負った人影は薄暗い廊下に出た。

 安い賃貸物件の廊下は時折軋み、階段も狭くて急だった。


 通りの裏に面した出入り口から外に出ると、耳に並んだピアスが陽光を反射した。等間隔に並んだ三つの白い石は、光を吸い込んでぼうっと輝いていた。


 表通りは潮の強く香る風が吹いていた。

 通りを行き交う人々は漁から帰ってきた漁師であったり、市場へと向かう主婦であったり、武装しているものなど誰もいなかった。


 その中にあって、剣を背負っていることは悪目立ちしそうだが、奇妙なまでに誰も目を向けない。ぶつからないように避けるので見えているのは確かだが、誰も刃物を――人を簡単に斬り殺せる刃を剥き出しで持ち歩いていることに気付いていない。

 ただ、耳につけられた三対の石が曖昧な光を宿していた。


――意外と使えんな、目眩ましの術。

「目眩ましではなくて、認識防壁だよ。気付かれると二度と通用しなくなるから、労力のわりに使い勝手は悪いけれどね」


 人の波が途切れたところで、呟くように口を開いた。


――使いっぱなら、それこそ上達するじゃねぇか。実際、半年でかなり制御の腕上がったと思うぜ。

「おかげで君たち以外に顔を覚えてもらえないけれど……まあ、その方が都合がよいのだけれど」


 窓硝子に両手剣を背負った剣士の姿が映った。

 剣士にしては身体の線が細く、肌も白く滑らかで荒事には向いていそうもない。両手剣よりも、腰に提げた片手剣を使う方が似合いの見た目だった。襟足を少し伸ばした髪は肌よりも眩い銀色で、所々に差し込まれた黒い筋がその輝きを引き立てていた。瞳はそれよりも昏い灰色で、水晶をはめ込んだように生気が薄かった。

 その感情の乏しい様と整った顔立ちは人間というより人形が歩いているとさえ錯覚させた。


 暗褐色の外套の剣士は表通りに面した建物の前で立ち止まった。

 建物の看板には小麦と鳥のマークがあり、『カンビス雑貨店』と書かれていた。だが、窓のカーテンは閉めきられ、休日の表示がさがっていた。


――鍵は開けといたぜ。


 姿のない声に返事をせず、剣士は扉の取っ手を掴んだ。抵抗なく開いた扉の隙間に滑り込み、明かりの消えた暗い店内に侵入した。

 剣士は後ろ手に扉を閉め、素早く店の奥へと進んだ。歩きながら口元にスカーフを巻いて鼻まで覆った。

 商品棚から降りてきた蛇が剣士の後ろを追いかける。


 途端、店の外で激しい炸裂音が轟いた。


 店の前に置かれていた紙袋が爆発したのだ。


 たちのぼる白煙に、一拍遅れて通行人が悲鳴を上げた。通りにいた人々は散り散りに逃げ出し、店の周囲から人はいなくなった。


 剣士は爆発に動じることなく店のバックヤードへと入った。

 店内の棚にはジャムや瓶詰めといった食品、装飾用のドライフラワー、麻紐といった日用雑貨が並び、特に不審な点はない。それはバックヤードに置かれた在庫も同様で、歩きづらくなるほど積まれていること以外に特筆するべきことはない。


 だが、店の奥から現れた男は店員とは思えない物々しい格好をしていた。

 右手に剣を持って通路の角から身を躍らせ、剣士に斬りかかり――両手剣によって真っ二つにされた。

 抜き身で背負われていた黒い刃は抜き放った勢いのまま振り下ろされ、男の脳天から股間までを通って床に軽く切っ先が当たった。両手剣の表面に一瞬奔った朱い閃光が、男が見た最後の光だった。


 積み上げられた商品の上に臓物と血が飛び散った。

 当然、剣士にも平等に血しぶきが降りかかるが、いつの間にか白に変わった外套にあたると跳ね返った。床に細かい飛沫が上書きされる。


 剣士の灰色の目が、男が飛び出してきた角をぎらりと睨んだ。暗い店内の中、剣士に向かって銃口が向けられていた。

 しかし、発砲する前に銃を構えた男のすねに蛇が噛みついた。

 食い込む牙の痛みで怯む間に、蛇はさらに足を這い上って太股へと牙を再度突き立てた。


「あ……」


 銃を持った男はかっと目を見開き、引き金にかけた指を動かせないまま全身を硬直させて倒れた。石像のように青ざめ、既に呼吸は浅く途切れかけていた。

 黒い毒蛇は男から離れ、得意げに剣士の足元で身体を揺らした。


――残り八。


 天井からどすんと音がした。重たいものが落ちるような、人間が倒れたような音だった。

 続けて複数人の足音と物が倒れる音が響き、上階が一気に騒がしくなった。


――お、残り七か。

「注意が逸れている間に目標を確保する。警戒を頼む」

――おう。


 両手剣を背に戻し、剣士はまた進み始めた。足元では黒い蛇が胴を赤く染めながらどろっとした液体をかき分けて追随した。

 剣士は迷うことなく店の一階にある商品倉庫へと辿り着いた。

 倉庫は三つの区画に分けられ、それぞれに通じる扉にかんぬきと錠前がかけられていた。見張り番はいない。剣士に襲いかかったのが、見張りだったのだろう。


 剣士は両手剣を錠前に当てて切り落とし、かんぬきを外した。

 倉庫の中には廊下と同じく製品が積み上げられていた。剣士のブーツが硬い足音を響かせると、幽かな物音が聞こえた。


 はめ殺しの窓から差し込む光を頼りに剣士は倉庫の奥へと進んだ。製品の山の影を覗き込むと、動く影があった。

 手足を縛られた人間が三人、敷物の上に転がされていた。目隠しと猿ぐつわも付けられ、外との交流を断たれた芋虫のような有様だった。

 剣士は唇に指を軽く当ててから縛られた人達の傍にしゃがんだ。


「安心してください、貴方達を助けに来ました」

「……っ!」

「静かに、動かないで」


 剣士はナイフを取り出し、手足の拘束を切り落としていった。拘束を外されたものはおぼつかない手つきながらも自分で目隠しと猿ぐつわを外した。

 捕まっていた人々は顔を隠した剣士を見てぎょっとしたが、静かにしろという身振りに悲鳴はなんとか飲み込んだ。


「あ、あ……ありがとう、ございます」


 ずっと拘束されていた精神的疲労のせいか顔色は悪かったが、誰も大きな外傷や障害を負っていなかった。退路さえ確保できれば、自力で逃げられるだろう。


「まだ部屋から出ないでください」


 剣士は救出者がこくこくと頷くのを確認してから、隣の部屋で囚われている人達も同様に解放した。

 もう一部屋にも囚われている筈だが、その前に階上から怒声が聞こえた。


 剣士は救出活動をあっさりと切り上げ、身を翻して屋内を駆けた。

 階上へと続く階段へと向かうと、煙――というより白い霧が段の上を覆っていた。

 その白い幕を突き破って、階段から一人転がり落ちてきた。その頭を踏みつけ、抜いた片手剣で首を突く。さらに蹴り上げてどかし、剣士は階段を静かに上った。


 階上の昇降口で、蛇と男たちがもみ合っていた。

 蛇は一番上の段に陣取り、誰も階段を降りることを許す様子はなかった。不意討ちで一人を引きずり倒して勢いづいた蛇が鎌首をもたげた。毒牙を剥き出しにして威嚇する蛇に、男達は攻めあぐねていた。

 霧で視界が悪いこともあり、彼らはまだ下の剣士には気付いていない。


「この蛇は一体!?」


 蛇は大きく跳躍し、階段に一番近い男にとびかかった。そのあまりに大振りな動きは剣ではたき落とすことが容易で、仕留められる相手に注意が集まる。

 段をとばして駆け上がった剣士が、蛇を真っ二つにした男の腹へと剣を突き刺した。立ち位置をぐるっと反転させ、まだ息のある男を階下に突き落とす。


 剣士は振り下ろされた刃を片手剣で遮った。交錯する刃の間で青白い火花がとび、剣士の腕が大きく弾かれた。

 剣士が相対した敵は魔戦士であり、振るう武器は魔剣だった。鈍色の鋼には青白い電光の神性が巡っている。雷撃の魔剣だ。


 剣士はがら空きになった脇へ急襲する切っ先から身を捩って回避、片手剣を手放して両手剣で薙ぎ払う。飛散した朱い閃光が雷撃と白い霧を駆逐し、剣士の周囲のみ視界が晴れていく。

 しかし、閃光は霧を全て駆逐する前に薄れ、敵まで届くことはなかった。

 朱を飲み干してぽっかりと空いた空間に、再び霧が流れ込んだ。


「幻霧結界を緩めるな!」


 鋭い声と共に雷光をまとった魔剣が再度閃いた。剣士もまた、黒い両手剣に朱い閃光をまとわせて迎え撃つ。沸き立つ光は青と朱、弾ける様は同じでも青は細く霧雨のように散り、朱は鮮血の質感を持って撒き散らされた。


 胴を狙った斬撃を黒い切っ先が逸らす。小さく畳んだ構えから放たれた突きは、魔剣の使い手の懐に一瞬潜り込み、刃を絡ませて侵攻を阻まれる。

 青白い雷光と朱い光が刃の上でバチバチと激しくぶつかり合った。


 競り合ったのはほんの刹那、雷撃は両手剣の表層を伝う前に朱い光に圧殺された。

 纏う超常の力を剥がされ、剥き出しになった魔剣からぴしりと音が鳴った。


 白装束の剣士が振るう黒い両手剣もまた、魔剣だった。


 不利を悟り後退する紫電纏う刃の後ろから、唸りをあげてつぶてが飛来した。

 剣士が黒い魔剣の腹で礫を弾く。礫の破片が壁を抉って大きな傷をつけた。

 室内に似つかわしくない礫は流線形と矢のような速度を備えており、魔戦士の一人が生み出したものだった。


 敵は四人だが、昇降口の周囲が狭いおかげで斬りかかれるのは一人に限られていた。

 しかし、武器は手に持つ刃物だけではない。

 魔剣と魔戦士が力を混ぜて放つ氷の矢と礫の弾丸が剣戟の合間に剣士へと襲いかかってきていた。


 剣士が雷撃の魔戦士を追い詰めても、最後の一手を投擲が邪魔をし体勢を立て直される。

 黒い魔剣が閃光を放っても、漂う霧を薄めるばかりで敵には届かない。

 霧が薄くなった場所はすぐに濃いところから流れ込み、再び均された。


 戦いは膠着状態――しかし、それは数で勝る四人がたった一人をしとめきれていないということでもあった。

 数の利を活かしきれていない状況を加味しても、剣士に一撃も与えられていないのは異様だった。

 

 剣を交える魔戦士は徐々に後退し、それに合わせて後衛もやむを得ずさがっていった。黒い魔剣の力を削ぐ霧も全体的に薄くなっていった。

 霧を作り出している小柄な魔戦士は、魔剣を正面に掲げた体勢のまま集中していた。滴るまでに汗を流し妨害に徹していたがそれでも生産が間に合っていなかった。


 突然、霧の発生源である魔戦士の頭が突然弾け飛んだ。まき散らされる赤い飛沫に一呼吸遅れて、室内に立ち込めた霧が急激に晴れていく。


 完全に霧が消えるのを待たず、黒い魔剣の表面でばちんと朱い光が爆ぜた。

 朱を纏った刃は雷撃ごと魔剣を断ち切った。刃は即座に翻り、魔戦士の首が宙を舞う。はねとんだ首は、まだ状況を理解していなかった。


 剣士は狭い屋内で、朱い光を纏う両手剣を大きく振りかぶった。壁を紙のように引き裂き、何物も阻むことを許さず――範囲内にいた二人を含めて――剣先が両断した。

 あまりにも呆気なく、後衛の魔戦士たちも退場した。同じ意匠の魔剣が二本、血塗れの床に落ちた。

 残る一人が肉厚な刃を掲げて剣士にとびかかった。刃は赤橙色の光を宿し、空気が歪むほどの熱を放っていた。


 その刃を、剣士は落ち着いて左腕で受け止めた。


「――っ!」


 硬質な音を響かせて白い外套が刃の侵入を拒んだ。

 それまでただの布であった袖が、鎧へと姿を変えていた。


「なるほど、炎熱使いだから自重していたというわけか」


 熱や炎を操る神性は同じ神性を含めた全てを焼き尽くすという特性上、強力なものとしておそれられている。しかし、一度広がった炎を御するほどの使い手は希少で、屋内で振るえば十中八九火事に発展する。

 彼らが獲物を捕らえている以上、ボヤを避けるのは当然の心理だった。


 一瞬で制圧された今となっては無用の心配で、しかもその奥の手は剣士にまるで効いていなかったが。

 高熱の刃は鎧に阻まれ、かすり傷ひとつ負わせることができなかった。


「……つっても、たかが天錬てんれん族の分際で俺らにかなうわけねぇだろ。しかも半獣風情で!」


 静かに言葉を紡いでいた筈の剣士が突然粗野に言葉を吐き捨てた。灰色だった瞳が朱く染まり、ぎらぎらと生気に満ちあふれていた。


「お前は一体――」


 問いかけた魔戦士の腹が裂け、溢れた欠片がぼたぼたと床に落ちた。

 広がっていく血溜まりが、階段から下へと垂れていった。


「あーめんどくせぇだけでくそつまんね。弱すぎて肩慣らしにもなりやしねぇの」

「君と比べればそんなものさ。世の大部分は君より脆くて儚いのだから」


 崩れ落ちた死体と血の海を跨いで、剣士の一人芝居は続いた。

 剣士の目が、壊れた魔剣に向けられた。魔戦士たちが使っていた魔剣は、それぞれの戦闘技能に合わせた形をしていたが、デザインや材質は似通っていた。

 剣士はしゃがんで魔剣を詳しく検分した。死体は一瞥もしなかった。


「こいつらの魔剣、前にエルヴァンを襲った奴らと同じじゃねぇか」

「成程、標的にしていたのは争炎族だけではなかったというわけか」


 剣士は立ち上がり、霧を生み出していた魔戦士の側を通り過ぎた。丁度魔戦士の頭の高さくらいの位置に、壁に穴があいていた。


 近くの部屋から、するすると蛇が出てきて剣士の足元にまとわりついた。真っ二つにされたはずだが、断面はきれいにくっついていた。

 剣士の視線と蛇の朱い瞳が交錯した。


「さっきのリンの狙撃、君が誘導したのだろう」

「なくてもいけただろうけどな。つーかあいつ、ついでに俺もぶち抜くつもりだっただろ」

「いつものことだね」


 二階の壁には点々と穴が開いていた。穴は外壁から一直線に連なり、外からの銃撃の跡だと容易に想像がついた。

 完全に貫通していることからも分かる通り遮蔽物など意味を為さなかったらしく、割れていない窓の下で倒れている死体があった。


「これ自力で仕留めたんだぜ、救助なしだったら今回ぜってぇ俺らいらなかったよな」


 窓の外に向かって剣士が手を振ると、遠くでちかちかと光るものがあった。それは丁度、剣士がさっきまでいた建物から発せられていた。

 鏡で光を反射させ、剣士の相棒である狙撃手が合図をしていた。


「つまんねぇし、早く終わらせて帰ろう、なあ」

「君はもう少し雑事でも真剣に取り組んだ方がいいと思うよ。何しろ……」


 独り言を繰り返しながら剣士は二階を見て回った。棚に収まった本を物色したり、飲食の形跡を調べていた。

 雑貨屋を装い、誘拐を繰り返していた集団の正体につながるものはないかと剣士が広げられた新聞を手に取った。


 背後の壁が突然開いて男が飛び出した。手に持ったナイフを剣士の首筋へと振り下ろす。


「こういうこともあるからね」


 剣士は振り返らなかったし、避けようともしなかった。

 襲いかかった男の顎を第三者の掌底が撃ち抜いた。ナイフが手からすっぽ抜けて床に転がる。男はたたらを踏んで隠し部屋の中に戻された。

 間髪入れずに伸びた腕が男の襟首を掴み、部屋の中から引きずり出した。脳を揺らされて反応が鈍ったところを床に叩きつけ、手早く腕をひねりあげた。


「いや、最初ハナから分かってんのに放置してんじゃねぇよ」


 男を拘束したのは、突然現れた青年だった。青空のように鮮やかな詰め襟姿は大変目立ち、こっそり隠れていたとは到底思えない。突然空気から湧いてきたとしか言いようがなかった。

 青年は上背のわりに幼い顔をむっと歪め、我関せずとばかりに部屋の物色を続ける剣士に膨れっ面を向けた。


「テメェも意外性のねぇ襲い方してんじゃねぇよ、欠伸がでるぜ」


 青年が男の後頭部を殴った。鈍い音と共に男の身体から力が抜けた。


 建物内部にいた不届き者たちは皆無力化され、ようやく表通りから警吏の声が聞こえた。

 剣士は窓から下の様子を確認した。


敬狼会ガルマエラの所属ではなさそうだ。説明してくるから、ここで待っていてくれ。揉めたら呼ぶよ」

「おう」


 青年を残し、剣士は覆面を外して下の階へと戻った。階段の周囲は血塗れで臭いもきついが、血の海を平然と踏んで歩いていた。


 一人残された青年は、立ち上がってズボンを埃を払った。手持ち無沙汰に隠し部屋の中を覗き込んだ。


「なんだ、こっちが当たりかよ」


 隠し部屋の中には腰までの高さの棚が一つあるばかりで、男が三人も入ればいっぱいになる狭さだった。天窓からの採光で、造りの割にそこまで閉塞感はなかった。

 奥の壁には、町の地図が貼られていた。印や線が事細かに書き込まれ、色つきのピンでいくつかの建物を示している。ピンが刺してある箇所は小教会の会館であったり、大きな傭兵団の拠点であったりと、犯罪組織なら避けて通るべき場所だった。

 他にも、人相書きが数枚、メモと重ねて地図の隅に留めてあった。人攫いが注目する理由など、碌でもないものに違いなかった。


 青年は人相書きの中から一枚を破りとった。

 描かれていたのは、獣の耳を模した耳当てイヤーマフをつけた女性だった。端には『銃使い』、『怪力との噂』、『真太まひろ』とメモされていた。


「リンも標的に入ってたのかよ、節操ねぇし命知らずかよ……リーフは、まあ、認識なんちゃらのせいで顔割れてねぇか」


 青年は人相書きを棚の上に置き、他に何か目につくものがないか部屋の中をぐるりと見回した。

 視線が、ぴたりと出入り口の近くで止まった。


 隠し扉のすぐ横に、紋章が吊り下げてあった。

 赤銅の月にくろがねの剣を重ね、黒い羽根で囲んでいる。月の下から伸びる三つ股の線は植物の根のように見えたが、その先端にはそれぞれ蛇の頭がついていて、朱い舌を見せつけていた。


 おどろおどろしい組み合わせのシンボルを見て、青年の顔から血の気が引いていた。

 蛇の舌と同じ色の瞳を見開き、死んだ人間に出会ったような表情で固まっていた。


「まさか……そんな……」


 言葉を喉から絞り出し、青年は後ずさった。棚にぶつかり、本がばさりと落ちた。

 落ちた本の表紙には壁飾りと同じ意匠が刷られていた。


 青年は本を手に取って開いた。

 最初のページに書かれていたのは、爪で引っ掻いたような形の文字だった。この辺りで使われている言語の文字とは明らかに形が異なっていた。

 しかし、青年は難なく解読した。


「総ては魔王の安寧と、来たるべき終焉の為に」

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