第34話 千年後にまた会えたら

 リーフが車椅子から解放され(激しい運動はかたく禁じられているが)包帯もほぼとれたということで、四人は揃って争炎族の最高決定機関に赴くことになった。

 城は炎都に一番近い火山の麓にそびえ立ち、尖塔よりも高い城壁が卵の殻のように城を囲っていた。

 今回は前回の謁見とは異なり、竜王の私的な会合という体で招かれた。外に出るためには理由づけが必要だが、内部であれば融通がきくらしい。

 そのおかげで、堅苦しい正装を纏うことなく城門をくぐることができた。

 城内で四人を待っていたのは、ラムペルラスだった。

「またテメェかよ」

「我らが王の命だ。私としても、貴様のような礼儀知らずに会うのは業腹だがな」

 ギルがあからさまに嫌な顔をしたのに対し、ラムペルラスもぎろりと睨んだ。直接交戦したことがあるせいか、ラムペルラスの当たりは他の争炎族よりも強烈だった。

「ついてこい」

 それでもラムペルラスは命令に従って城の案内を務めた。

 イーハンは行きたくなさそうだったが、リンに軽々と引きずられて拒否権はなかった。なにしろ、今日の本題に必要不可欠なのだ。

「まさか、貴様があの勇者だとはな」

 閑散とした城内を歩きながら、ラムペルラスはいまだに信じられないとばかりにギルを見た。

「ハッハ! 驚くよなぁ、そりゃ。伝説になっちまった奴が、こんなに」

 ギルがにやっと笑って返した。

「弱っちぃなんてな」

 おかしくてたまらないと口からクケケケ、と笑いが漏れた。

「全く、天使共といい、テメェらといい、好き勝手言いやがって。気持ち悪すぎてゲロが出るっての」

「うわあ、自虐なのに滅茶苦茶腹立つ」

「平常通りじゃあないか」

 リンの顔は一気に曇ったが、リーフは素知らぬ顔で外套に付いた火山灰を払った。

「王は執務室にてお会いになるそうだ」

「そういえば、エルヴァンもここにいるのですか?」

 前を歩くラムペルラスに、リーフが声をかけた。

「……そうだ」

 少し間を置いてラムペルラスは頷いた。

「もう怪我も治ってんだろ、さすがに。別に会わなくていいけどな」

 ギルがぶっきらぼうに言った。

「あれ、てっきり会わせろって言うのかと思った」

 予想外の言葉にリンは驚いた。竜王との対立については先日の対話で解消しているため、前と同じように振る舞うのかと考えていた。

「あれだけやって嫌われてねぇとかないだろフツー、事情も知らねぇのに」

「そーいうところだけは空気読むのね、馬鹿のくせに」

「……うるせぇバカ狼」

 キレの悪い罵倒を返し、ギルはそっぽを向いた。勝った、とリンが得意げに拳を握った。

 一行は城の中を進んでいった。城の外観は黒を基調としていたが、内装は鉱石のモザイクで鮮やかに彩られていた。病院内の装飾品も彫刻やレリーフが多かったので、石材による芸術表現が盛んなことが見て取れた。

 まだ全快ではないリーフの遅い足に合わせて、ラムペルラスの案内はゆっくりとしていた。あの死闘を間近で見ているだけあって、急かすような真似はしなかった。

 長い回廊にさしかかると、反対側から向かってくる集団があった。竜王とその護衛が三人、何故かリーフ達の方へと歩いてきていた。

「どうした?」

 リーフが顔をしかめた。儀式は部屋で内密に執り行う予定だったというのに、外で遭遇するのは奇妙だった。

 竜王もリーフ達に気づき、足早に近づいてきた。

「貴殿等、何故此処にいる」

 喉の不自由な竜王の代わりに、護衛の一人が発言した。

「執務室に通すようにとのことだったので、案内している最中なのですが」

 ラムペルラスもこの事態に困惑していた。

 それに護衛が眉をひそめた。

「例の儀は玉座の間で執り行う予定なのだが……それより、御子息はどうした」

「マルケルス殿が代わりに。私は来客を案内するように言われたのですが……」

「!」

 その言葉に竜王は目を見開いた。踵を返して一人来た道を走る。

「王!?」

 突然の行動に驚きながらも護衛が後を追った。

 ギルも後を追いかけようとし、リーフをちらりと見て躊躇う。リーフはすっと顎で行けと指示した。即座にギルが駆け出した。

 竜王はとある一室の扉を叩き壊す勢いで開けた。息を切らす竜王の後ろから、護衛と、少し遅れてギルが部屋の中を覗き込んだ。

 部屋の中には誰もいなかった。テーブルと椅子と寝台があるだけで、何の変哲もない部屋だった。

 だが、部屋の様相に竜王は肩を震わせ、護衛達は息をのんだ。

「なっ、いない!?」

 ラムペルラスが叫んだ。

「確かに、確かに先程までは御子息がここにおられました!」

「御子息……ってエルヴァンか!」

 ラムペルラスの言葉に、ようやくギルも事態を飲み込んだ。

 ギルの実体がその場で消え、床にがらんと魔剣が転がった。

 同時に、置いてけぼりにされたリーフの外套の裾から、潜んでいた翼蛇ニドヘグがするりと表に現れた。

――おい、大変だ! エルヴァンが……

「いなくなったというのだろう。おおよそ予想はついていた」

 憑依霊デモニアとしての力を使い、翼蛇ニドヘグを通じて慌てて報告したギルに対してリーフは冷静そのものだった。

「今回の騒動の件といい、竜王陛下は随分と御子息を大切にしているらしい」

「でも、リーフの話を聞いた限りだと過保護が過ぎない?」

――はぁ!?

 緊急事態にもかかわらず、リーフもリンものんびりと構えていた。ギルの後を追いかけるでもなく、勝手に城の中を歩いていた。

――おい、テメェら何処に行ってんだ!

 翼蛇ニドヘグがリーフの首に巻きついて抗議した。頬に鼻先をぐりぐりと当てて遺憾の意を表明する。

 しかし、リーフの表情はその程度では変わらなかった。

「もちろん、エルヴァンを探しに。君たちも早く来ないとどうなるか分からないよ」

――居場所が分かったのか!

「いや、分からない。でも、相手の考えていることを辿れば行き先は一つしかない」

「そこのあんた、緊急事態! ちょっと案内しなさい!」

 通りがかった衛兵をリンが強引に捕まえた。抗議する暇も与えずひっ掴んでリーフのそばへと強引に連れて行った。

「それでリーフ、どこに行けばいいの?」

「ありがとう。誘拐犯の行き先はおそらく……」


  □ □ ◇


 エルヴァンが扉を通ったとき、広間はがらんとしていた。

 炎の神性で点火する灯りは全て消えていて、高い位置の明かり取りの窓から落ちる光が薄暗い室内を照らしていた。

 床には一面赤い石材が敷かれ、白と黄の敷物が奥へと続く道になっていた。

 部屋の奥の灯りがぽっ、とついた。

 エルヴァンが振り向くと、護衛が部屋の奥へと手を伸ばしていた。

「もうすぐ竜王様もお見えになります。中で待ちましょう」

 護衛の言葉に、エルヴァンは固い動きで頷いた。

 ラムペルラスと交代した護衛は、あまり面識のない男だった。同じ顔ぶれ五人が持ち回りでエルヴァンの面倒をみているが、この男が単独でエルヴァンのそばにいたことはない。

 とはいえ、エルヴァンも彼のことは知っていた。

 一ノ炎マルケルス。その才で二百年ぶりに市井からの階位持ちとして城に上がり、遂には頂点である一の席を手に入れた男である。見た目は精悍な青年で年齢も三百歳手前くらいという、階位持ち全体からしても若い部類の戦士だ。

 ギル達以外の若い戦士と二人きりになることはなかったせいか、エルヴァンはいつも以上にそわそわしていた。

 先に立って歩くマルケルスの後ろを追い、エルヴァンは部屋の奥へと進んだ。

 部屋の奥には台座があった。成体の竜が一頭寝転んでも余りあるほどの長大な石の台座だった。赤い石材を優美に彫り、埋め込まれた宝石がきらきらと灯りを反射していた。台座の中央手前は窪んでいて、そこにクッションが敷き詰められていた。

 ただの調度品だというのに、そこにあるだけで萎縮してしまう存在感があった。竜王の残り香とでもいうべきだろうか。

「御子息は、玉座の間に来るのは初めてですか」

「……うん」

「でしたら、あの絵を見るのも初めてですね」

 マルケルスが玉座横の壁を照らした。

「うわ……」

 壁一面が写実的なモザイク絵画になっていた。自然とエルヴァンの口から感嘆の声が漏れた。

 中央に玉座を据えた構図はまさしくこの部屋で、玉座には争炎族の青年が座っている。左右には多様な種族の神獣が並び、青年に拍手をおくっていた。

「千年前の戴冠式を描いたものです。この頃の争炎族は今とは比べ物にならないほど栄えていたと言われています」

 戴冠式ということは、中央の青年は竜王なのだろうとエルヴァンは思った。青年の顔は真剣そのものだが険はなく、右目と喉にはしる傷もなかった。

 見たことのない父親の姿に信じられない気持ちを抱えたまま、エルヴァンは絵を眺めた。

「え?」

 ぼーっと全体を見ていると、より信じがたいものが目についた。

 若い竜王の近くに、黒い髪の男がいた。ギルに瓜二つだった。見た目はギルよりも年嵩としかさだが、あまりにも顔形がそっくりだった。

 エルヴァンは壁画に駆け寄って黒髪の男を凝視した。

 厳めしい顔で新しい竜王の戴冠を祝う者が多いなか、そのギルによく似た男は本当に祝福するように微笑んでいた。隣に立つもう一人の月喰族も楽しそうに大きく手を叩いていた。

「どうして、ギルが……」

 エルヴァンが絵に夢中になっている後ろで、マルケルスは静かに佇んでいた。その右手には、いつの間にか抜き身の剣が握られていた。

「危ないっ!」

「っ!」

 突然開け放たれた扉から大声が飛び込んできたのと、熱線がエルヴァンを掠めたのは同時だった。

 反射的にしゃがみこんだエルヴァンの上を悲鳴が跳び越えていった。

 おそるおそる顔を上げたエルヴァンの目に、扉の前で火だるまになった人影が見えた。黒焦げになって倒れる衛兵を、マルケルスは剣先を向けたままじっと見ていた。

「もう気付かれたか」

 剣が、エルヴァンの目の前につきつけられた。剣は結晶化した神性を纏い、高熱を発して輝いていた。

「ひっ」

 至近距離から浴びせかけられた殺意に、エルヴァンは尻もちをついた。

「ど……して……」

「どうして? どうしてだと?」

 マルケルスはエルヴァンの疑問を鼻で嗤った。

「お前のような混在変種キメラ一匹のために、我々は千年間も苦渋をなめてきた。理由などそれで十分だ!」

 振り上げられた剣がぎらりと光った。恐ろしい輝きに身が竦んで、ひとりぼっちの少年は動けなかった。

「エルヴァン!」

 入り口から聞こえた叫びにエルヴァンの目がそちらへと向いた。

 肩で息をしながらリーフが扉に寄りかかっていた。

 剣との間に割り込むには遠すぎる距離があった。

 無慈悲に刃が振り下ろされる。


 目が覚めるような破裂音が降り注いだ。

 明かり取りの細い窓が一斉に砕け散り、透明な破片が雨粒のようにきらめいた。

 石英の粒を弾き返し、黒い両手剣が真っ直ぐに落ちていった。

「!」

 脳天に落ちてきた切っ先をマルケルスは剣で受け止める。燃える剣が一対の黒い双剣と交錯した。奔る朱い雷光が剣の纏う赤い神性を炎と一緒に削り取った。

 奇襲に虚を突かれたマルケルスの腕に足が組みついた。そのまま遠心力で投げ飛ばされ、壁画に叩きつけられた。

「がっ」

 マルケルスの喉から苦悶の声が反射的に吐き出されたが、膝をついたのは一瞬だった。

 マルケルスが立ち上がる前に青い服の男がエルヴァンを抱えて距離をとった。

「大丈夫か、エルヴァン!」

 小脇に抱えられたエルヴァンの目に映ったのは、黒い髪に朱い瞳――異種族の青年が声を張り上げた。

「ギル……」

 当たり前のように助けに来たギルの横顔に、エルヴァンは思わず涙ぐんでいた。


  ◆ ◇ ◆


「で、テメェに何か申し開きはあるのかよ、勇猛卿マルケルス

 黒い双剣を両手に構え、ギルは油断なくマルケルスと対峙していた。後ろにエルヴァンを庇い、静かな闘志を宿した目でマルケルスを観察していた。玉座に死体を晒そうとした、不敬極まりない竜王の家臣の次の手をうかがっていた。

「お前が噂の勇者の残り滓か、正義卿ヴレイヴル

 剣に再び炎の神性を宿し、マルケルスも構えた。

 相手が竜王に痛手を負わせた勇者と分かっても、マルケルスは退かなかった。否、むしろ退くような場面ではないのだ。

 マルケルスの武器はただの剣ではない。竜種が好む神性武装の一つ、〈竜牙〉である。剣身に空いた複数の穴に圧縮した神性を溜め、任意のタイミングで攻撃の爆発力を跳ね上げることができる。マルケルスの竜牙に開いた穴は大小合わせて八。瞬きの間に半分を充填したことから、斬撃全てを強化しても余りある。

 一方、ギルの構える剣は結晶術によって生成した使い捨ての道具であり、強度も内に込められる神性も専用武装には程遠い。加えて、ギルの身体は全開で神性を使えばまた自壊してしまう。

 ギルが竜王と互角以上に戦えたのは、竜王がエルヴァンを守るために全力を出せなかったことと無手であったからだ。呪いでギルの抑制心が吹っ飛んでなりふり構わなかったこともある。そのことをお互いよく理解しているからこそ、どちらも下がるという選択肢が最初からなかった。

 竜王が到着するまでに決着をつける。

 燃える赤い翼と雷纏う黒い隻翼が展開したのはほぼ同時だった。

 一点に凝縮した炎を雷が貫いた。爆風と共に玉座の間が炎に包まれた。

 煙に覆われた視界が晴れないうちに、黒い双剣が宙を舞った。床にぶつかった二本の剣は粉々に砕けて消滅した。

「ぬるい、ぬるすぎる。正義の名が聞いて呆れるな」

 マルケルスの目の前で、ギルが膝をついていた。青い服は焼け焦げ、化粧の剥げかけた顔に火傷の痕が浮かび上がっていた。

 ある程度相殺したとはいえ、魂すら焼く炎がギルに直撃していた。エルヴァンが背後にいる以上、避けることもできなかった。

「そもそもお前の行動が正義なのか疑わしいな。そのガキはお前の仇でもあるんだぞ」

 エルヴァンの肩がはねた。

「どういう……意味だ」

 疑問を呈したギルをマルケルスが蹴り飛ばした。ギルの身体は軽々と吹っ飛ばされて、脇にどけられた。

「千年前、我らが王が乱心してヒト共を虐殺したのはそのガキのせいだ」

 エルヴァンにマルケルスが近づいた。エルヴァンも逃げようと後ずさるが、腰が抜けたまま立ち上がれない。

「そしてお前が王の力を削ぎ落としたにもかかわらず、千年間醜く玉座にしがみついたのもな」

 マルケルスの剣の上で、赤い炎が四つ輝いた。熱気と神性で周囲の空気が揺らいだ。

「まったく、我らが王とはいえ愚かが過ぎる。妻を亡くし、千年も孵らない卵を抱えて過去に浸るなんてなぁ!」

 エルヴァンに振り下ろされた剣を滑り込んだ白い翼が受け止めた。翼の表面をがりがりと削って剣閃は逸れ、見当違いの方向で炎が爆発した。

「終わりだ」

 リーフの宣告から一呼吸置いて、絶叫がその場を引き裂いた。脳を引っ掻き回されるような金切り声にマルケルスも思わず耳をふさいだ。

 扉のそばで、大鴉が部屋の中に耳障りな声を吐き出していた。神性で不快感を増幅させ、獲物を恐慌に陥らせる詠唱術〈死鳴スケア〉である。

 ただの食われる肉であれば、しばらくは震えて動けなくなる強烈な怪音波だが、狩る側の火竜には効果が薄かった。

 動きを止めたのは一瞬――だが、リーフの手に魔剣が握られるには十分な時間だった。

 鴉の声は火竜の〈圧咆ロア〉にかき消されてイーハンが卒倒。ほぼ同時に黒い稲妻が炎の剣へと落ちる。

 雷撃の衝撃波がマルケルスの剣から神性を剥ぎ取り、一ノ炎の顔が歪んだ。

 再び竜牙に力を宿してマルケルスが薙ぎ払った。リーフギルは一歩も動くことなく朱い光を纏った黒い魔剣で受け止めた。

 刃が打ち合った瞬間、一際強く朱い閃光が弾けた。

 竜牙に溜めた神性が全て吹き飛んだ。

「!」

 マルケルスの顔が驚愕で固まった。

「テメェ、月喰おれらと戦うの初めてだろ」

 リーフギルがマルケルスに肉薄した。朱色に染まった瞳をかっと見開いて、口の左側をつり上げた。

「強度の練りが足りねぇんだよ、下手くそが」

 竜牙の強みは神性を溜めた爆発力をいつでも引き出せることにある。しかし、それは裏を返すと干渉しやすい不安定な神性を纏うことでもあった。対策として竜牙の使い手は武器に溜めた神性の表面を薄く結晶化させて干渉への耐性を上げるが、結晶の層が厚ければその分神性の取り回しは悪くなる。

 マルケルスは争炎族の干渉力を基準とすれば十分に対策をしていたが、こと浸食に関しては月喰族ギルの方が性質が勝っていた。

 リーフギルは空っぽになった竜牙を払いのけ、黒い翼をのせた当て身をマルケルスに食らわせた。

 体勢を崩したマルケルスの左腕に鎖が巻きついた。

「ドラァァァァッ!!」

 リーフギルが一気に鎖を引っ張った。床に白いスパイクをめり込ませ、鎖を掴む手が裂けても力を緩めなかった。

 華奢な身体から振り絞られた渾身の力に、倍の体格の戦士の身体が浮いた。リーフの頭上を越え、短い放物線を描いてマルケルスが投げられる。間髪入れずにリーフギルの足元で放出系結晶術〈磔刑〉クルシファーが発動、床の表面を這う結晶から槍が伸びてマルケルスを追撃する。

 マルケルスは竜牙に溜めた神性で腕に巻きついた鎖と胴を貫こうとする切っ先をまとめて叩き斬った。神性の赤い炎と朱い閃光が相殺されて弾ける。

 床に降り立ったマルケルスの手には、神性を溜めた竜牙、全ての穴が揺らめく炎で埋まっていた。

 八個の炎が一斉に輝いた。一ノ炎が全力で放つ攻撃。閉鎖空間で受けてよいものではない。

「〈災火卿〉に平伏せよ!」

 かすれた怒号が玉座の間に響き渡った。

「っ!」

 竜牙が床に転がり、マルケルスはその場に膝をついた。逆らうことのできない命令に頭を垂れたままぶるぶると震え、歯を食いしばっていた。

 赤一色の礼服に身を包んだ男がマルケルスに歩み寄った。

 男の目は怒りで煌々と燃えていた。マルケルスがエルヴァンに向けた憎悪が燃え滓程度に思えるような憤怒をたぎらせ、竜王エヴァセリウス・ヴィーア・フランメルンが入場した。

「ようやく飼い主が登場かよ」

「全く、これでは病院に逆戻りだ」

 リーフギルとリーフが口々に竜王へと小言を漏らした。

 リーフの手の中に黒い結晶で形作られた触媒人形が生まれ、ギルが完全に分離した。

「リーフ、大丈夫!?」

 扉の影に隠れていたリンが駆け寄った。手には愛用の銃を抱えている――特別製の対モンスター用弾丸が二発こめられたものだ。

 もし竜王が来るのが遅ければ、三回目の奇襲としてリンがマルケルスの狙撃を敢行するつもりだった。

「実はあまり大丈夫ではないかもしれない。あちらこちらが痛くて倒れてしまいそうだ」

 リーフは立ち上がったまま一歩も動いていなかった。普段通りの顔を繕おうとしているが、全身が訴える激痛で表情が少しひきつっていた。

 リンの目がきっ、とギルを睨みつけた。

「仕方ねぇだろ。一ノ炎相手に下手な動きをすりゃ、それこそ俺らもエルヴァンもやられてただろーがよ」

 ギルが口をとがらせた。人形を作り直したおかげで、ギルの外見は元に戻っていた。

 マルケルスとの戦いでギルが優勢をとれたのは、一重に経験の差である。もしマルケルスが月喰族との戦い方を知っていれば、勝ち目はなかっただろう。

「このお馬鹿っ、それでリーフの身体になにかあったら責任とれるわけぇ!」

「たりめぇだろ。それに、半分くらい俺のもんだし責任とるのはコイツリーフと半々だろーが」

「やっぱり殺す、もう一回殺してやる」

 リンに銃口をごりごりと押しつけられながら、ギルは竜王の方を見た。

 足元でうずくまる裏切り者を見つめ、絶対者は自らの喉をおさえていた。

「……ルジュラージャ・マルケルス・ルビリエ、〈災火卿ヴィーア〉の名において、階位を剥奪する」

 竜王の声は決して大きくなかった。だが、その一言で誰もが空気がひび割れて崩れていくのを感じた。たったそれだけで、マルケルスは全てを失った。頭を垂れた戦士はもう一ノ炎ではなくなっていた。

 ヒト寄りの半獣は神獣を貴族社会のように階層化されているというが、実体はそんなものではない。『王』と『それ以外』しかないのだ。階位は『王』の力を一部貸与しただけで、階位持ちのどんな武勇も地位も、『王』の前では些細な加点要素でしかない。

 ギルとの戦いで力を削がれ、内部に不穏分子を抱え込んでなお千年も地位を維持してきたのは、その圧倒的な力があってのものだ。

 最早何者でもなくなった男を衛兵達が連れて行った。都という己の領域にいるからか、早計な処断を執ることはなかった。

「……」

 エルヴァンは、自分のせいで一人の男が駆除される様を黙ってみていた。

「おい、怪我してねぇよな」

 地面にへたりこんだまま動かないエルヴァンにギルが近付いた。

 ギルが手を伸ばし、立ち上がれるように腕を掴もうとした。掴む前に、エルヴァンの顔がこわばっているのに気付いて手を引いた。

「どうした?」

「あいつが言っていたこと、本当なの?」

 つばをのみこんで、エルヴァンが言葉を続けた。

「ギルが死んだのが、俺のせいって」

 エルヴァンはうつむいた。

「俺、生まれたのは十六年前だけど、卵は千年前からあったって……知ってるんだ、俺を守るために父さんが千年間ずっと無理してたって。ずっと、悪い王だったんだって。そのせいで、ギルも巻き込まれて、死んで……」

「はあ? なんでお前の責任になんだよ」

 底抜けに明るく馬鹿にした声で、ギルが一蹴した。

「エヴァスの件がなくっても、そのうち俺がくたばるのは目に見えてた。お前が気にすることじゃねぇ」

「でも……」

「つーか、俺としてはなんでテメェもくたばらなかったんだオイ。喉さばいてやったってのによ」

 ギルの視線の先で、竜王エヴァスが鬱陶しそうに手を払った。指先から散った火花が文字に起こす必要すら感じない言葉を物語っていた。

 エヴァスとギルの間に好意的な感情はない。しかし、エヴァスはギルからエルヴァンを引き離そうとしなかった。

 結局のところ、竜王と勇者が出した結論は同じなのだ。

「ま、だから今となって俺が言えるのはこれだけだ」

 ギルの左手が赤毛をくしゃっとかき回した。

「お前がちゃんと生まれてこれてよかった、エルヴァン」

 エルヴァンの口から嗚咽が零れた。


  ◆ ◆ ◆


「どうやら、話はきちんと、収まったみたいだね」

 泣き崩れるエルヴァンを観察して、リーフが言った。

「それで、リーフは何か私に言うことあるんじゃないの」

 リンは痛みを堪えるリーフの身体を支えていた。変わらない高さの目線を少しずらして、リーフの顔を直視しないようにしていた。

「特に、何も」

「……ま、そう言うんなら、別にいいけど」

 リンがそっぽを向くと、壁画が目に入った。

 戦いで煤けていたが、絵は奇跡的に無傷のままだった。美術品に興味が薄いリンでも、モザイクで描かれた緻密な肖像に目を奪われた。

「あれ?」

 リンの目が、絵の中の黒い髪と朱い目の二人組にとまった。『王』と思しき男と、顔に傷のある男――問題はその王の顔立ちだった。

「ちょっとちょっとちょっと! なんでギルが描いてあんの!」

 場にそぐわない大声にその場の視線が集まった。リンは気にせず絵を指さした。

 当然、ギルも壁画を見た。リンの指先を辿り、二人の月喰族まで認識が追いついた。

 ギルの口がぽかんと開いた。

「おいおいおいっ! どうして陛下とお父様が描いてあるんだ!」

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