第33話 First Curse・下
「そうだな、それが筋というものだ」
ギルの声は無機質だった。普段の小馬鹿にしたような嗤いもヒトを真似た熱量もなく、どこまでも冷たかった。
ギルが車椅子から手を放し、前に進み出た。
「見た方が早い」
ギルの足元にマントが落ちた。
口元を引き結んで詰め襟に指をかけ、その場で服を脱ぎ始めた。
「ちょっ、何やってんの!?」
リンが悲鳴を上げた。みるみるうちに耳の先まで真っ赤に茹で上がってしまった。
初心な反応をする少女を無視して、ギルは青い上衣を床に躊躇いなく投げ捨てた。中に着た黒の肌着も乱雑に掴んで、剥がすように引き裂いた。
「さいってー……本当にもう、最低」
リンは顔を手で覆い、そっぽを向いた。
一方、リーフは眉一つ動かさずに半裸のギルを見ていた。
「それが、君を縛る呪いか」
やや線の細い、しなやかな筋肉に覆われた上半身が露わになった。盛り上がる力こぶも小さく、骨格に沿って肉が均一についた様は猫のようだった。童顔も相まって、
だが、均整のとれた身体の表面は痛々しい肉色の火傷痕で覆われていた。油を塗ったような照りのある赤い肌が吐きそうなほど生々しく古傷を主張していた。
さらに、火傷痕を抉り潰すように
茨や鎖を思わせる臙脂色の刻印は骨格をなぞるように描かれ、上半身にまとわりつくだけでなく腰の下まで続いていた。入れ墨のように肌に馴染んでいるが、火傷の上でも鮮やかな輪郭は焼き印に似ていた。
『陣術、いや刻印か。魂に神性術を刻む技術はとうの昔に禁止されているはずだが』
竜王の言葉が紙の上につづられた。
「禁止か……確かに、王以外が他者の魂に干渉するのは許されないことだ」
誰も取り乱すようなことがないので、リンもおそるおそるギルの裸を見た。あまりの惨状に、うえっと声を漏らした。
「ギル、その模様は一体何を示しているのだい」
リーフが問いかけた。
「これは、神性を無理やり汲み上げて、魂を地上に縛るものだ。そして、これは――」
ギルの右手が胸に触れた。心臓の位置に、複雑に絡みつくような模様が刻まれていた。模様の中心はひび割れ消えかかっていた。
「王以外が勅命を下すためのものだ。この二つの呪いで、俺は魔剣になった」
苦虫をかみつぶしたような顔でギルが言った。胸にあてた指先が肌を強く引っ掻いた。爪は血が滲みそうな程食い込んでいるが、その下にあるのは冷たい黒の体液だ。熱い生者の血潮ではない。
「この忌々しい呪いが、竜王ヴィーアの抹殺を俺の魂に命じたのだ」
「そして、その呪いのせいで、君はあんな姿になったというわけだね」
リーフの言葉に、ギルは無言で頷いた。
焼け落ちた森の中で、追い詰められたギルは隻翼の化物になった。竜でもヒトでもない、冒涜的に混ざった姿は
呪いの作用によるものか、呪いが神性を奪っているためなのかは定かではないが、ギルのもう一つの姿が歪められているのは呪いの影響だった。本来なら一対あるはずの翼が欠けていることも獣の姿が封じられた副作用なのだろう。
『貴様のような小僧が何の得があって寝返ったかと思えば、存外つまらん理由だな』
竜王は鼻を鳴らした。
『獣に首輪をつけて躾ける。ありふれた話ではないか』
「……」
竜王のそっけない感想に、ギルの口元が歪んだ。リーフの注意の賜物か、噛みつくような真似はぐっと堪えていた。
「その首輪つきに二回もしてやられたわけだよ、竜王陛下」
リーフの棘のある言葉に、竜王は無言のまま、暗い目つきで肯定した。
ギルはようやく握った拳を解いた。
竜王がギルに近付いた。炎のような右目が臙脂色の呪いをじっくりと観察した。
『骨に陣術を刻み、魂に永遠に干渉させているように見える。竜種であっても、命が危うい施術だ』
竜王の指先がギルの胸をとん、と軽く突いた。指が触れているのは、ひび割れた紋章の中央だった。
『ここに、術のほころびがあるな』
「そこってリーフが刺したとこじゃん」
リンが指摘した。
「そういえば、あの剣は何だったんだ」
ギルが思い出したように言った。
「見間違いでなければ……アレは俺が友人に贈った剣だ」
ギルの朱い目がリーフに向いた。
「そんなわけがない。あれは、勇者の剣の
疑惑と敵意でざらついた視線を、リーフは涼しい顔でいなした。
「誰が作ったのかは知らない。テネシンの武器屋通りで偶然手に入れたものだ。神性があるとは気付いていたけれども、君に干渉できるほどのものとは予想外だった」
『千年経ても
竜王の言葉がリーフの膝の上に落ちた。
『あらゆる神性を焼く我の炎ですら耐えた術だぞ。そんなものが市井に流れてたまるか』
焼き尽くすような赤い視線をリーフは無視した。
「あの剣の正体については興味があるけれど、砕けて消えてしまったからもう確認のしようがない。残念なことに」
なおも疑いの目を向け続けるギルに、リーフはこの話は終わりとばかりに手をひらひらと振った。
「それで、君が呪いで強制されていた竜王の暗殺は回避できたという解釈でいいのかい」
「強制力が落ちただけで、呪いはまだある。それに、俺と竜王の決闘は誓約で結ばれたものだ。破棄しない限り、竜王が死ぬまで続くだろう」
「じゃあ誓約だけでも破棄すればいいじゃん」
至極真っ当な指摘がリンからとんだ。
ギルの顔が渋くなった。
「簡単に言ってくれるな……確かにそうだが」
「ていうかさっきからなんなのその話し方」
慣れなさすぎてぞわぞわする、とリンは両腕をさすった。
「真面目に話して何が悪い」
「ねぇリーフ、こいつもしかして脳天吹っ飛ばした影響で脳みそどっか行ったのかも」
「うるせぇんだよバーカ」
「あ、いつものだ。安心したからくたばんなさいよアホ悪魔」
「テメェが吹っ飛ばしたんだろーがちゃんと覚えてっぞコラ!」
「それでっ! 誓約の破棄には何か問題があるのかい」
いつものくだらない口喧嘩にリーフが無理やり割り込んだ。
『誓約の破棄には三つの条件がある』
竜王が文字の浮かび上がった紙をリーフに投げた。
『一つは、両者の合意。二つは、第三者の見届け。三つは、強権の制限だ』
「一つ目に関しては、問題はないのでは」
『本来ならば最も大きな関門だがな。誓約を果たせないことは最上級の屈辱の一つとされている』
「出た、竜種のめんどくさい名誉理論」
リンの発した嫌味は竜王もギルも触れなかった。
「俺の有様を晒させておいて、今更のらないなどと言うなよ」
『いくら灰にしようと終わらんのなら、こちらも拒むわけにはいくまい』
竜王の言葉はあっという間に燃え尽きてなくなった。
「見届けを行うのは私達でよろしいですか」
リーフの言葉に竜王は首を横に振った。
『残念だが不足だ。見届ける者は純血の神獣、かつ誓約を結んだ者とは別の種族でなくてはならない』
「よし、イーハンを連れてこよう」
「はいはーい、泣いても持ってくるからねー」
リンが病室へと駆け出した。ドレスの裾を持ち上げて器用に軽快に全力疾走していった。
会談の場を断ったイーハンの心情など誰も汲んでいなかった。
「それで、最後の条件はどういったものですか」
リーフが竜王に問いかけた。
『条件というよりも、懲罰的な意味合いが強い。誓約を破棄すると、一定期間神性を制限される。勅命の権限も剥奪される』
答えた竜王の顔はとてつもなく渋かった。
『無論、王とて例外ではない』
遅れて付け足された文字が、表情の理由をしっかりと説明していた。
「王権が弱くなることに、何か差し迫って困る理由がおありで?」
リーフがしれっと挑発的な言葉を投げかけた。竜王は口角をひくつかせたが、それ以上言葉を紡ぐことなく沈黙が流れた。
「それは、エルヴァンが誘拐されたことにした件と何か関係がおありで?」
『……』
ぴりついた空気についていけず、ギルはきょとんとした。
「どういうことだ?」
「いや、ただのボクの妄言だ。忘れてくれ」
リーフが先に目を伏せた。
竜王は紙をぐしゃりと握りつぶしてからぽいと投げた。ギルが反射的に紙のかたまりを受け止め、くちゃくちゃになった紙面をのばして広げた。
『残りの話は城まで来い』
その言葉だけを置いて、竜王は講堂から出て行った。
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