炎の都 プロメーテー

第32話 First Curse・上

「前回の投薬から八時間経過、刻印の定着率は?」

「順調です。投薬後に発作は一度もありませんでした」

「うーーん、それは少し効き過ぎかもしれない。次回からは半分にして頂戴。本日の施術準備は終わった?」

「はい」

「じゃ、早速始めましょうか」

 両肩に打ち込まれていた太い針が引き抜かれた。続いて手のひら、太股、足の甲の順に針が抜けて四肢の拘束が解かれた。

 当然血が出るが、痛みは分からない。もうこの程度を痛みだと認識できなかった。

 指先ひとつ動かせないまま檻の外へと引きずり出された。手を振り払うことも、いやだと叫ぶことも、震えて泣き喚くこともできない。ひからびた池に取り残された舟のように、『自分』が動かない。

 此処に閉じ込められて、もうどれくらい時間が経ったのだろうか。考えたくない。今まで苦痛を与えられた回数も、これから与えられる回数も数えたくない。知りたくない。此処にいたくない、助けて、誰か、誰か助けて助けて助けてたすけてたすけてたすけてたすけていやだいやだいやだいやいやいやいやいやいやいやいああああああああっ!

「それでは始めましょう。昨日までで下半身の処理は完了したので、今日は脊椎に刻印処理を施します。数は多いですが、密度は今までと変わらないようにお願いします」

 無数の手が内臓を掴んだ気がした。めいめい勝手に体内で掴んだものをこねくり回し、位置を無理やり変えて収めていく。腸を上に引っ張って下に胃を詰め、肝臓を細切れにして隙間を埋める。腎臓をぶつけて潰して一つにして、膵臓を目立つ場所に据え直す。それくらい意味不明に中身を引っかき回されて作り替えられていく。

 激痛で反射的に身体がっくり返ってけいれんした。叫び声は一切出なかった。喉を痛めないようにと薬で沈黙させられている。荒い呼吸を繰り返すだけで誰にも声は届かない。

 でもまだ誰も俺には触れていない。触れていないのにこれだけ痛い。魂をいじられるだけで痛い痛い痛い痛いいたいたいいたいたいたいたいたいいいいいいいっ!

 腰に冷たいものが当てられ、ずぶりと肉に沈み込んだ。

「刻印開始」

 やだやだやだやだやだやだやめてお願いお願いおねがいあああああいたいいたいいたいいたいいたい――――


「うるっせぇんだよクソ悪魔ぁっ!」

 ばしん、と側頭部を叩かれて目が覚めた。

「珍しく昼寝したと思ったら気味の悪ぃ声出しやがって、静かに寝やがれクソが」

 懐かしい声に罵倒の嵐を容赦なくぶつけられた――あれ、どうして懐かしいと感じたのだろう。不本意ながら一緒に旅をしてきたというのに。

 顔を上げると、不機嫌そうに顔を歪めた奴がいた。

 どこをとっても平々凡々、左目が金色であること以外にあまり特徴のない顔立ちの男だった。手には木の枝を持っていて、それで俺の顔を再度叩いた。

 着けっぱなしだった仮面と木の枝がぶつかって乾いた音を立てた。

「起きたぞ、もう叩かなくてもいいだろ」

 大して痛くないので、防ごうとも思わない。

「仮面着けてたら分かんねぇよ。もっと分かりやすくしろ」

「仕方がないだろう、リディリウス・レオルート。俺の正体が分かると騒ぎになるだろうが」

「急に本名で呼ぶな気持ち悪ぃ」

 リディンは身震いして木の枝を焚き火に放りこんだ。

「こんな誰もいない森の中なら、別に外してもいいだろ」

 確かに周囲は白い雪に埋もれた木々ばかりで、人の気配は全くなかった。

 どうしてこんなところにいるんだっけ。寝起きのせいか頭があまり回らない。

「パーシェは、どうした?」

 いつもならそこらへんをぶらぶらしている奴の姿が見えなかった。

「明日合流だったろ。全く、あきない優先で俺たちをこんなさみぃ場所にほっぽりやがって」

 ぶつぶつ文句を言いながら、リディンは焚き火に枝を足した。

「いつものことだ」

「そうだけどな――」

 リディンの不機嫌そうな目が俺に向いた。

「いつものことと言えば、また悪夢見てたのかよ」

「別に」

 仮面のおかげで目を逸らしたのは見えていないはず。

「今ぜってーに目ぇ逸らしたろ。分かりやす過ぎんぞ」

「うるさい」

「どうせ昨日の夜も寝てねぇんだろ。限界まで起きてるから寝てるときまで追い詰められんだ。ちゃんと夜寝やがれ」

「夜の見張り番がいる」

「そんなん交替でやりゃいいだろ。体力馬鹿もいい加減にしやがれ」

 もっと頼れよ、とぶっきらぼうにリディンは言った。

 頼れるわけがない。既にもう借りが貯まって――そんなに借りがあるほど一緒にいたっけ。

 旅をして、どれくらい経ったっけ。

「飯ができるまで休んでろ」

「……ああ」

 リディンの言葉に素直に頷いた。かまどがあれば俺の方が料理ができるが、野外料理はからっきしらしいので手は出さない。食えないことはないと思うんだが。表面真っ黒焦げでも肉は肉だろうに。

 焼ける干し肉を見ているうちに、またまぶたが重くなってきた。

 何故かとても穏やかな気持ちだった。野外で、俺が気を張っていないといけないのに、勝手に気が緩んでしまう。思い出したくもない過去を夢の中で突きつけられて、それでも眠気があるのは珍しかった。

 今なら、悪夢を見ずに眠れる気がした。

「おいこら」

 また木の枝で殴られた。閉じかけていた目を仕方なく開いた。

「何だ」

「本当に此処で寝てていいのか」

 リディンが神妙な顔で言った。休めと言ったのはお前だろうが。

「――っ!」

 胸に強烈な痛みがはしった。押さえてうずくまっていると、痛みはすぐに消えた。

 消えたが、現実を思い出した。

 俺はリディンと雪の降る場所に行ったことがなくて、リディンと旅していたのは千年前で、そして俺はリディンを置き去りにして――だから、があるわけで。

 ためらう理由は何もなかった。

「悪いが、俺は戻る」

 仮面をはぎ取って立ち上がった。

「飯は食っていかなくていいのか、ギル・レージィ。いや、黒の雷の正義卿ヴレイヴル

「食わなくとも味は分かる。俺が作った方が美味いからな」

「相変わらずクソ腹立つなぁ!」

 リディンが焼けた干し肉の串を放り投げた。受け取って一口かじった。

「やっぱ俺が料理した方がぜってー美味い」

「口調真似してんじゃねぇよ」

「言葉遣いが固ぇって文句言ったのそっちじゃねぇか」

「死んだ後に真似すんな」

 リディンは本当にこんなことを言うだろうか。言わないかもしれない。俺は馬鹿だから、あいつが何を考えていたかちゃんと分かってやれなかった。

「では、行ってくる」

「二度と戻ってくるんじゃねぇぞ、クソ悪魔」

 背中にかけられた言葉に振り返るようなことはしなかった。


 過去リディンから離れれば離れるほど、現実が戻ってきた。

 元からある呪いの苦しみの上からかぶさるように、火傷の痕が熱く疼いた。右目はかすんでよく見えない。戦闘で手指が完全に砕けたせいか、右腕の骨もずきずきと痛んだ。消えたはずの胸の痛みもぶり返して、心臓を深く刺した。

 実体化していないのにこれだけ痛いなら、現実に戻ったときに感じる痛みはもっと酷いだろう。

 それがどうした。

 俺は、生きたかったんだ。どうしようもなく生きたかったんだ。

 その結果で呪いが積み重なって、苦しみが続くならば、背負い続けるだけだ。だって、続くんだから、しょうがないだろ。

 本当に最後に、消えてなくなるまでは、生きていたいんだ。終わるまでは続けていたいんだ。生きることなんて、簡単にできなくなってしまうんだから、抗い続けるんだ。

 痛みを訴える身体を引きずって、白く凍りついた森の中を進んだ。

 俺はこんな場所に来たことはないが、見覚えはあった。

 どうやら、うっかり踏み外して落ちてしまったらしい。めちゃくちゃ格好悪いな。

 歩いているうちに木々はまばらになり、森の終わりが見えてきた。

 森の外には廃墟があった。廃墟の上には太陽がなく赤黒い空が広がっているのに、子細な建物のひびまでくっきりと見えた。飽きるほどに見慣れた、俺がかつて滅ぼした町がそこにあった。

 白い森と廃墟の境界線上に、男が立っていた。

 雪のように白い外套を身に纏い、両腕には同じく白い籠手をつけている。大太刀をき、柄に左手をかけていた。銀色の髪には暗い色が幾筋か混ざっていて、輝くような緑の双眸と顔立ちも合わせてどことなくあいつに似ていた。

「邪魔したな」

「死ね」

 真っ直ぐな暴言で真正面から殴られた。

「お前なんざ、一生立ち上がらずに雪の中で凍え死ねばよかったんだ」

「その程度で死ぬかよ、バーカ」

 憎まれ口で返したが、正直、あのまま寝ていたら立ち上がれなかったかもしれない。二、三年……いや、十年以上目覚めないような気がした。

 十年も雪の下でコイツらの養分になる……酷すぎるな、起きてよかった。

「起きたところで、どんな顔であの子達と会うつもりだ」

「このツラで行くに決まってんだろ。テメェこそ表出やがれ引きこもり野郎」

「あの子を殺した口でほざくな、人殺し」

「へぇ……っつーことは、俺が殺したリーフは全部テメェが拾い上げてたってわけか。ねちっこいんだよ、死体拾い野郎」

「イカれた悪魔が……所詮は心のない純血種のクソッタレだな」

「同情と殺しは別モンだろーが。そんなことも分からねぇのか、これだから混血は」

 男の目がぎっと睨みつけてきた。男の背に白い翼が二対現れた。

「……はっ、混在変種キメラだからって調子に乗ってんじゃねぇぞ、クソガキ」

 俺も翼を出す。欠けているのはとっくにバレているのでもう出し惜しみはしない。

 足元の白い雪がなくなり、廃墟の石畳が地面にどんどん敷かれていく。

「なんだ!?」

 広がっていく廃墟に男が動揺した。

「狭間で待つとか舐めてんのか。ここまで来れば、俺だってなんとかできんだよ」

 相手の陣地のど真ん中でくびり殺されるならまだしも、境界線の支配権の奪い合いで負ける気は一切しない。モンスターだけじゃなくて、魔剣とも長いこと戦ってんだよ、こっちは。

 自分の陣地を奪われて動けなくなった男の横を通り、俺は俺自身の世界へと戻った。

 勇者の赤い革鎧と青い服を剥ぎ取って、影を頭からかぶった。こうすると、苦しみも痛みもましになる。

「いいか、テメェがリーフを生かしたいって思うのは自由だ。けどな、俺がリーフを殺すのも自由なんだよ」

「お前っ」

「全部あいつが望んだことってのを忘れんじゃねぇぞ、クソッタレの兄貴」

 くけけけけ、と悪魔らしく男をわらってやった。

 境界線に亀裂がはしり、世界は真っ二つに割れた。


  ◇ ◆ ◇


 空には高く噴煙が昇っていた。火山は都市からかなり距離があったが、不機嫌そうな地鳴りはリーフの耳に届いていた。

 車椅子に身体を預けて、リーフはぼんやりと火山を眺めていた。薄手の病人着にショールを重ねた外見に目立った傷はなかったが、服の下は包帯と湿布まみれだった。

「ねえ、まだ結構痛むの?」

 先程まで車椅子を押していたリンが、後ろから声をかけた。

「安静にしていればそれほどでもないかな。ここまで痛み止めが効いたのは初めてだ。さすがは竜種専門の医療といったところだ」

 身体機能を蝕むほどの神性の汚染に全身が侵されていた上に、右腕に複数箇所の骨折、肋骨も何本か折れていた。酷使で四肢の筋肉も断絶し、殴打が内臓を痛めつけた影響はしばらく後遺症が残ると診断された。

 争炎族の医者の治療を受けた後で五日間の絶対安静を言い渡され、リーフは先日まで病室で寝たきり生活だった。拘束されていないだけで、ギリスアンの一件から何も進歩していないなとリーフは内心で少し反省していた。

「そろそろ部屋に戻ろう」

 十分に日光浴を行ってから、リーフはリンに声をかけた。

 リンに車椅子を押してもらい、二人はテラスから病院の中に移動した。

 病院は都市の高台にある石造りの建物で、当然のように階段や段差が多かった。大きなフロアを移動するための昇降装置は設置されていたが、リーフ一人で病院内を移動することは不可能だった。

 竜種はおしなべて頑健であり、病人といえど介助が必要なほど動けなくなることが滅多にないが故の不親切設計である。

 段差や階段を力技で踏破し、リンはリーフに割り当てられた病室に辿り着いた。

――お二人とも、おかえりなさいませ。

 洋服掛けに引っ掛けられた狙撃銃イーハンが二人を出迎えた。

 リーフの部屋は、上級軍人が使用する広い個室だった。寝台だけではなく応接用のテーブルセットや一通りの家具が揃っており、従者用の寝室までついていた。

 リンはリーフの細い身体をひょいと抱えて寝台に寝かせた。すっかり慣れた手つきでリーフの体勢を直し、シーツを整えた。

「思ったんだけど、一日中寝っぱなしで退屈しないの?」

 リンがリーフにたずねた。リーフは右手を骨折しているせいで、本を持つことすら禁じられていた。日光浴と食事、それから身体を清める時以外はずっと寝台で横になっていた。

「身体が不自由なのだから仕方がないさ。天井を眺めるだけも存外悪くない。それに――」

 リーフの目がリンに向いた。

「君もずっと一緒にいてくれることだし」

 リンの顔がみるみる真っ赤になった。リーフから隠れるように後ろを向いた。

「急にそーいうこと言っちゃうぅ? 石頭のくせにぃー」

「君がいなかったら、ボクは確実に死んでいたからね。それを考えれば、感謝も友愛も伝えて足りないくらいさ」

「……あーはいはい、友愛、友愛ね」

 浮かれていたリンの声が少し沈んだ。

「ねえ、あのときさ、ギルに殺されたい、なんて思ってなかったの」

「殺されてやるつもりもなかった。君を守る誓約がまだ残っていたし、あの行動を見過ごすこともできなかった――そのせいで、今、君を守れないのは辛かったのだけれど、それも今日までだ」

「今日まで?」

 リンがきょとんとした。

「そうだよ、約束の百日目が今日だから」

 リーフとリンが結んだ約束は、百日間リンの護衛を行うことだ。百日経ってしまえば、二人がともに行動する大義名分が失われてしまう。リーフの体調から今すぐ別行動をとる真似はできないが、縛る枷はなくなった。

「リーフは、どうしたいの」

「こんな遠く離れた場所に来てしまったんだ、選択肢なんてないだろう」

 リンがリーフの顔をちらりと見た。

「つまり?」

「……つまり」

「つーまーり?」

「リン?」

「つーーまーーりーー?」

 リンはリーフの顔をじっと見ていた。結論を口にするまで許さないつもりらしい。

「……君とまだ、一緒にいたい」

「やったーーーーーーっ!」

 リンが歓声を上げてリーフにとびついた。

「いっ!」

「あああああごめん、つい」

 リーフが呻いて、リンはぱっと離れた。

「はぁ。とはいえ、今後どう動くかは考えないといけないね。それと……」

 リーフの目が、寝台の横に設置された台座へと向けられた。

 台座は武器を安置しておくためのものだった。軍人向けの部屋ということもあり、得物を手元に置きたいという要望への配慮から用意されていた。

 そこには、黒い刃の両手剣が飾るように置かれていた。今まで刃を覆っていた薄紅色の鍍金めっきは剥がれ落ち、つばに施されていた蛇の彫刻は削りとられて蔦模様のようになっていた。柄も傷だらけで、今後も使用するのであれば交換が必要になりそうだった。

 すっかり見た目が変わってしまった魔剣ギルスムニルは、死闘の後からずっと沈黙していた。魂が消滅したわけではないというのがリーフの見立てだったが、ギルの意識は深く潜ったまま表出することはなかった。

「ギルはどうしようか」

 リーフはリンに意見を求めた。今回のギルの行動に一番立腹していたのはリンだった。逆に、死にかけたリーフも竜王も、同じ竜種であるが故に仕方がないと納得していた。

 リンはむすっとした顔で腕組みした。

「地べたに這いつくばって百回謝ったら、こき使ってやらんこともない」

「意外だね。声も聞きたくないのかと思っていた」

「だってリーフ、このポンコツまだ使いたいんでしょ。じゃあしょうがないじゃん」

 頬を膨らませて、リンは嫌そうに言った。

「いいのかい」

「許さないけどねっ!」

――あはは……。

 リンの態度に、イーハンが乾いた笑いをこぼした。

「ということらしいので、安心して出てくると良いよ」

「え?」

 リーフの言葉に、リンが目をぱちくりさせた。

 がさごそと音を立てて、黒い蛇がリーフの枕の下から這い出してきた。黒い鉱石の蛇腹をもち、朱い結晶を瞳に入れたギルの使い魔である。

――いやー、出た瞬間八つ裂きにされんのかと

「こんのクソ悪魔ーーーーーっ!」

――ああああてめぇっ!

 リンに鷲掴みにされた翼蛇ニドヘグは、一瞬で引きちぎられてバラバラになった。


 ギルが覚醒したとの一報は竜王に即座に伝わり、翌日に面会の席が設けられた。当事者の一人であるリーフが未だ病院から出られる体調ではないと主治医に強く止められたため、竜王が病院まで出向いてくるとのことだった。

 普通なら心臓が止まるほど恐縮する扱いだが、リーフは使者に告げられても眉一つ動かさなかった。無論、立場を承知しての態度である。

 リーフ達のえっけんきゅうきょ決定したことで、病室はにわかに騒がしくなった。

 正式に竜王と謁見するには、一行にどうしても足りない物があったからだ。正装である。

 竜王の御前に出る際には細かい服装規定があり、それに準じた衣装を仕立屋が用意した。

 リンには露出の抑えられたフリルドレスが王命で贈呈された。リーフは怪我を考慮して、ゆったりとした短衣チュニックにロングスカートという簡素な格好にマントを羽織ることになった。

 慌ただしくやってきた仕立屋は二人の採寸をし、その場で仮縫いまでしていた。既に完成しているものを仕立て直すとはいえ、職人は徹夜を免れないだろう。

――テメェらはそれでいいけどよ、俺このままだと場外なんだけど。

 つばの上で翼蛇ニドヘグを組み直しながらギルが言った。

 謁見の場での武器の持込みは勿論禁止されている。使い魔も武器が仕込めるので同様の扱いになる。厳重に封印したものならば許されるが、そうなると今度はギルが喋れなくなる。

 人形触媒を使うという手段は、ギルが全て破壊したため実行不可能だ。

「その前に、あんたなんか出したらまた竜王に突っかかるでしょ」

 これまでの惨状を振り返り、リンが至極真っ当な指摘をした。

――しねぇよ! その、なんでかは……聞くなっ! 今!

「うわなにこの面倒臭さの極致みたいな奴」

――テメェが言うかぁあ?

「何よ、何か文句でもあるわけー?」

 リーフの横でやいのやいのと喧嘩が始まった。

「イーハン、君はどうするのだい」

 喧嘩をまるっと無視して、リーフは洋服掛けにつるされたままのイーハンを見た。

――僕の分の人形もないですし、別室待機でいいです。下手に聞いても寿命が縮みそうですし……

「もう死んでいるじゃあないか」

――いやでも、少しでもたくさん美味しいもの食べたいっていうか。

 必要な採寸を終え、仕立屋たちはそそくさと工房へと帰っていった。

「失礼します」

 仕立て屋と入れ替わりに一人の男が入ってきた。

「我らが王の命により参りました。魔剣管理局のものです」

「魔剣管理局?」

 初めて聞く名称にリンが首を傾げた。

「炎都で使役されている魔剣の登録および管理の指導を行っております。本日は、ご所有の魔剣について、適用される規則と制御術式の説明にあがりました」

「制御術式?」

 リーフの目がすっと細くなった。

「魔剣に労働させる際に必要な〈結晶人形グラスドール〉の神性術です。お持ちの人形触媒が破損されたと伺いましたので、代わりになる神性術になります」

――なんだそれ! めちゃくちゃ便利じゃねぇかよ!

 ギルが即座に食いついた。

「ただし、こちらの神性術を魔剣に直接教えることは禁止されております」

――なんでだよ!

「まあそれが当然だろうね」

「ねー、勝手に出歩いたら困るでしょーが」

――命令は聞くぞ、俺。

「どの口が言うか。本物の馬鹿なんじゃないの」

「こちらが文書になります」

 役人はリーフに書類の束を渡した。リーフは寝台の上で上半身を起こした状態で左手を出し、受け取った。

 リーフが役人から魔剣に関する法の概要を聞いている間、リンとギルの言い合いはさらに白熱していた。ギルは今回のことはあれど処遇に納得していないと主張し、リンはそれに三倍の罵倒で返していた。

 相当な声量だったが、役人は全く意に介さず説明を続けた。

「……以上が魔剣を扱う上での注意点になります。くれぐれも公的な場では魔剣に武装を与えないよう気をつけてください」

「分かりました、気をつけます。それで、人形触媒の代用になる神性術はどうやって習得すればよろしいのですか」

「こちらをお渡しするように仰せつかっています」

 役人が巻物を取り出した。巻物は赤い結晶で封をされていたが、役人が指でなぞると砕けて消えた。

「〈結晶人形グラスドール〉の結晶術の譜面になります。使用用途に応じて三種類の術式が認可されています……それと、こちらは我らが王が特別に許可された譜面になります」

「なるほど」

 リーフの目に、役人が嫌そうな顔をしているのが映った。

「……それでは、私はこれで」

 退散した役人の後に、結晶術の習得方法を手に入れたリーフが残された。

「ギル、譜面から結晶術を習得できるかい」

 リーフが巻物を床に落として広げた。巻物の中に書かれた図形が、台座に置かれた魔剣の前で明らかになった。

 翼蛇ニドヘグの頭がしげしげと巻物を眺めた。

――傀儡系っぽいな。でも、そんなに難しくねぇし、一番単純なやつならすぐにでも使えそう……って、いいのかよ!?

「何がかい」

――魔剣が使ったら駄目だっつってたろうが!

「えー、今更そこ気にする?」

――ったりめぇだろうが。殺し以外で法は破らねぇ主義だ。

「殺しこそ駄目じゃん、フツー」

――うるせぇ。

「役人が言っていたのは、が禁じられているというだけだよ。ボクの手元が狂って、君の前に譜面を投げ出してしまったのさ」

 さらりとリーフが言った。

「竜王の指示と言っていたし、この神性術は君のために届けられたのは間違いない。そもそも、ボクは譜面の読み方を知らないから、活用しようがないしね」

「まあそうよねー」

 リンもあっさりと肯定した。

 遵法意識に欠ける二人を交互に見て、蛇は呆れたように舌を出した。


 謁見の場として用意されたのは、病院内の講堂だった。講堂の出入り口は護衛で固められ、静謐な病院の空気がそこだけ緊張していた。

 リーフはまだ車椅子のまま会場へと向かった。車椅子を押すのは、青い詰め襟に黒いマントをつけた青年――ギルだった。

 服装規定で可燃物を多めに身につけないといけなかったため、ギルの肩口と腰には色とりどりの飾り紐が踊っていた。そして、魔剣の規定のため首筋に紋章を入れ、両手首に鉄の輪をはめていた。

 ギルの囚人のような惨めさを感じさせる格好に、リンは当然の如く大笑いした。

 三人は講堂の前で再度服装を確認され、ようやく竜王と対峙する権利を得た。ちなみにイーハンは希望通り病室で留守番をしていた。

 椅子も机も片付けられた講堂の中に、赤髪の初老の男が一人立っていた。

 男の姿を認めたギルの喉から微かに呻り声が漏れた。

「ギルスムニル」

「……分かってる」

 リーフに諌められて、ギルはぐっと息を飲み込んだ。

 ギルが車椅子を押して、リーフを男の近くへと連れて行った。

「わざわざご足労いただき、恐縮の極みです。竜王ヴィーア陛下」

 男がすっと紙を提示した。白紙の表面に黒く焦げた文字が浮かび上がった。

『くだらんおべんちゃらはいらん。とっとと本題に入るぞ』

 喉の古傷のせいか、竜王は声を出そうとしなかった。

「それでは、一体何から話を進めましょうか」

『決まっている』

 竜王は紙を持つ指を正面に突きつけた。

「まずは貴様の呪いについてだ、ギルスムニル・ヴレイヴル・レイジェアト」

 地の底から湧き上がるような濁声が指名した。

 鉄のように冷たい朱色の瞳が、竜王をへいげいした。

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