第31話 黒い化物、白い怪物
「おい、大丈夫か」
一瞬沈んだ意識が、声とともに浮上した。
気がつくと、リーフは雪景色の森の中で倒れていた。どこもかしこもまっさらな新雪で、人の気配はない。
焼き尽くされた焦土も、火竜も、化物と化した相棒も何処にもいなかった。
戦いで疲弊していたはずの身体は意外にもすんなりと言うことを聞き、リーフは特に苦労せず身体を起こした。雪を払って真っ白な大地を踏みつけ、立ち上がった。
ギルに蹴り飛ばされた腹部に痛みも感じなければ、自分で切った左手首に傷痕もない。即座に現実ではないと理解した。
「思ったよりも頑丈だな」
再びリーフに声がかけられた。
リーフの傍らには男が立っていた。背丈はリーフよりも頭一つ高く、白い毛皮のついた厚手の上着を羽織っている。両腕には白い籠手をつけて指の先まで守りを固めていた。
精悍で整った顔立ちに宝石のような緑の目、眩いほどに透き通った白い肌、暗い色を幾筋か混ぜた銀の髪。リーフがよく見知った特徴の多い男だった。
「ボクもそうだけれど、貴方も存外しぶといらしい」
以前、男と無理心中を敢行しようとしたリーフがさらりと言った。
「次は全身をめった刺しにしようか」
リーフの一言に、男の顔が分かりやすく曇った。
「なんでオレを殺そうとするんだ。それに、その程度ではオレは死なないよ」
「それじゃあ色々試すだけさ。魔剣は自分の死因に弱いらしいじゃあないか」
自分とよく似た容姿で、兄を自称する男にリーフは容赦しなかった。
確かに男は同族であるという以上にリーフと顔立ちも似ていた。敢えて相違点を挙げるとするならば、纏う空気が墓石のように退廃的か春のようにはつらつとしているか、くらいの差だった。生者と死者の評価としては反転しているようなものだが。
これには男も苦笑いを返すしかなかった。
「そんなにオレのことが嫌い?」
「そもそも本当に兄なのか疑わしいと思っている」
「はっきりと言うな……まあ確かに、君は覚えていないからなー」
男が指先で顔をかいた。
リーフは男の言葉を無視して森の中を歩き出した。
「おいおい、どこに行くんだ」
男が慌ててリーフを追いかけた。リーフは追いつかれないように足を速めた。
「貴方が引きずり込んだ理由は知らないけれど、ボクは戻らないといけないのだ」
「オレがやったんじゃなくて、そっちが落ちてきたんだけど。戻らせてやるから、ちょっと待てって」
リーフは足を止めなかった。
「どれだけ歩いたって、あの悪魔――ギルには辿り着かないぞ。今、やつの心は此処にない」
「前は頼まなくても来たじゃあないか」
以前、リーフがモウゼの心の中に引き込まれたとき、ギルが介入してリーフの意識を引っ張り上げた。魔剣同士であるならば、心の内に干渉することができるのだ。
「あれは不意打ちだったからオレも止められなかった……いやそういう話じゃなくて、今のギルは君に会おうとしていないから此処からは会えないし、会ったとしてどうするんだ」
「止める、もしくは殺す」
リーフは足を止めることなく即答した。男を振り返ることすらしない。
「君一人では無理だ」
リーフが足を止めた。振り返って翡翠色の目を男に向けた。
「では、手伝ってくれるのかい」
「なんでそういう話になるかな」
男も足を止めた。二人の間の距離は変わらない。
「貴方はボクが戻ることに賛同している。けれど、ボクがギルとの戦いをやめるつもりがないことは分かっているはずだ。貴方が本当にボクを死なせたくないのならば、止めるべきなのに」
リーフは男の行いを思い出していた。ギルに身体を明け渡すために自殺しようとしていたリーフを必死で留めようとし、反撃されても身を挺して助けたのだ。
リーフに勝ち目がないのならば、死地に送り出そうとする男の行動は矛盾していることになる。
「ならば、貴方は事態を打開する心づもりがあるということだ」
「可愛くない方向に育ってしまって……はあ」
男は天を仰いで溜息をついた。
「確かに、君がやろうとしていることをオレは否定しない。というよりも、否定してはいけないんだよ、オレたちは」
遠くの森が燃えているのが見えた。かつてリーフが間近で見た惨劇が再演されているのだろう。
「覚えていないだろうけど、君は忘れていなかった。それはちょっと嬉しかった」
「知らない」
男の記憶とリーフのそれは完全に断絶していた。
ばっさりと切り捨てられ、男は鼻白んだ。
森と共に村が燃えていることをリーフは知っていたが、それに対して特別な感慨は湧いてこない。自分と同じ髪色の人々が逃げ惑い、殺されていく様を見ても風景としか思えない。
「もう少し婉曲的というか……余裕とか……そういうのがないのが今の君ではあるんだけどさ」
「手を貸すのか貸さないのか、早く決めてくれないかい」
リーフが男を睨んだ。
「貸すよ、貸すとも。ただ――」
男がすう、と息を吸った。
「お気づきの通り、オレは
男の目に真剣な光が宿った。
「君はまた自らの命を魔剣に引き裂かれたとしても、後悔しないと誓えるか」
「元よりここまで生きるつもりもなかった。いつ死んだって覚悟はしているさ」
リーフは迷いなく言い切った。
男は少しだけうつむいてから、リーフの目を正面から見返した。
空からちらちらと灰色の雪が降り始めた。雪は冷気のない、わたぼこりのような鉱石だった。ぼんやりと輝く灰色が一面白い景色を徐々に濁らせていった。
「いいだろう、では契約だ。オレは君がギルスムニル・ヴレイヴル・レイジェアトと戦うことを助けよう」
「対価は」
「必要ない」
男があっけらかんと言い放った。リーフは眉をひそめた。
「……どういうつもりだ」
「必要ない。君に与えることはあっても貰うつもりなんて元よりなかった」
リーフに投げた厳しい言葉は、ただの試金石だったと男は微笑んでみせた。
「どうしてもというなら、君が生き続けるということで。また自殺行為をしないと誓ってくれ」
リーフの顔が少し曇った。
「しばらく――十日くらいは真面目に生きてみよう」
「十分だ」
リーフが提示した酷い条件はすんなりとのまれてしまった。先程から肩透かしをくらいまくって、リーフの顔は不信感まみれになっていた。
男はしてやったりと声を出して笑った。
降り積もる灰色の雪の勢いはどんどん増していった。
「この契約を縛る名は――勿論知っているよな、リーフ」
リーフが言葉を返す前に、男の姿は微笑んだまま雪に隠れて見えなくなった。
◆ ◆ ◆
リーフは身体を折って手足を投げ出したまま地面に横たわっていた。背中には透き通るような白い翼があるが、一対の翼の片方は砕け散っていた。
剣で切った左手首からはとめどなく血が流れ続けているせいか、肌が少し青ざめて見えた。焼けて乾いた地面の上で血は広がることなく、深く染み込んでいった。
固く目を閉ざしたまま動かないリーフを、黒い化物がぼんやりと見ていた。
ヒトと獣を冒涜的に混ぜた化物は、倒れたリーフに止めを刺そうとはしなかった。興味を失ったように視線を外し、本来の獲物へと朱い瞳を向けた。
「……」
竜王は化物の感情のない視線を睨み返した。よろけながらも立ち上がり、欠けた翼をもう一度広げた。
リーフが稼いだ時間で竜王は動ける程度に回復した。しかし、吐いた血は口元にこびりつき、吐く息もまだ乱れていた。
少しでも苦しさを軽減をさせるためか竜王はきつくとじた襟に指を入れ、タイを緩めて抜き取った。胸元を大きく広げ、厚い筋肉に覆われた首筋を曝け出した。皺の刻まれた顔から想像だにしないほど竜王の素肌は若々しく年齢を感じさせなかった。
ただ、喉に水平にはしる大きな傷痕が古木のように醜く盛り上がっていた。
「……来い」
がらがらのしゃがれ声で、竜王が挑発した。
「……」
化物が骨格の歪んだ足を一歩踏み出した。大地の熱で焼けた足もまた、無機質な黒い結晶で覆われつつあった。
そのまま身体を低くし、突進の予備動作へと移る。些細な切っ掛けで再び両者は激突するだろう。今度こそ、片方が息絶えるまで戦いが終わらないことは明らかだった。
「ギル!」
鋭い言葉の後に続いて轟く銃声が張りつめた空気を破った。竜王と化物の目が、散弾銃を掲げるリンへと向いた。
天に向けて銃をぶっ放したリンは、化物を射殺しそうな目で見ていた。
「あんたホントいい加減にしなさいよ。脳髄ぶちまけたい?」
「おい、半獣の。それ以上は――」
「黙れ腰抜け」
リンの行動を止めようとした護衛役を一蹴し、銃口が
いつの間にかベルトの機構が作動して獣化もしていた。そのおかげで危なげなく散弾銃を片手で構えていた。
「前にあんたに言ったよね。リーフを殺したら殺してやるって」
化物はリンを見つめるだけで動かない。
「あの言葉、取り消したつもりなんてないから」
銃口は僅かに震えながらも、怪物の頭に狙いを定めていた。
「この距離だったら、あんたが私を殺す前に一回はぶちのめせるわね」
「……」
竜王が無言で左腕をリンに向けた。その仕草は、不自由な声よりも雄弁にリンを警告していた。
「そっちのカタブツも、攻撃して、みなさいよ。その前に、ギルを、吹っ飛ばしてやるから」
リンは王の威圧をはねつけて言い切った。
銃の引き金に指が掛けられない限り、リンの殺意は未完成だ。未完成の殺意では、耕王との誓約で縛られたギルがリンを殺すことはない。引き金が指に触れれば殺意が完成してリンを殺す大義名分を得るが、ギルの一撃までに発砲する猶予はある。
その前に妨害行為として竜王が排除に動くこともできなくはない。しかし、因縁に関係のない相手を叩き潰すことに竜王は消極的だった。
引き金を引いた瞬間に真っ二つにされるか、焼き殺されるか――命と引き換えにこの決戦をぶち壊しにする権利がリンの手の中にあった。
はぁ、はぁ……ふぅーーーー
リンのこめかみを汗が伝って落ちた。
最早処置なしとばかりに、護衛役たちはリンから離れた。必然的に結界からリンが除け者にされるが、文句もなにも言わなかった。
乾いた唇を舐めてから、リンの人差し指が宙を泳いだ。
「死――」
人差し指が引き金にかかる紙一重で、ざり、と重いものが動く音がした。
がりっ、と音をたてて、折れた剣が地面に突き立てられた。
剣を支えに、金属張りのブーツをはいた足が立ち上がった。
「リン、前に出るなと言っただろう」
リーフが乾いた喉から声を絞り出した。
「リーフぅ……」
へなへなとリンはその場に座り込んだ。首筋につう、と水滴が滑り落ちていった。
化物の視線は戦意を失ったリンから外れ、重傷の竜王を通り過ぎ、屍のようなリーフへと注がれた。
左の手首からはぼたぼたと血が滴り落ちるにまかせたまま、外套を覆う結晶の鎧もひび割れて下地の褐色が露出していた。それらを接ぐリソースは砕けた翼のせいで供給できず、守りを立て直すことは不可能だ。加えて唯一の武器である剣は負荷に耐えきれずに半ばで折れ、刃こぼれも酷く今にも砕けてしまいそうだった。
殺意の有無の前に、立ち続けることすら危うい相手に注視する必要性はない。
しかし、化物の視線は否応なくぼろぼろの剣士に釘付けになっていた。まるで、天敵に遭遇した獣のように。
剣を持ち上げ、リーフは二本の足だけで立った。
「少しはこちらを見る余裕ができたのかい、ギルスムニル」
リーフはじっと見つめてくる朱い目の化物へと自然に語りかけた。
「君にどれほどの自由意志が残っているのかは分からないけれども、もう終わらせよう」
リーフの肩から、翼がもげて落ちた。
強固な翼は原型を留めたまま落下し、煙となって消えていった。
空いた背に、リーフは新しい白を纏った。ひび割れた結晶が落ち、無傷の鎧が外套を覆った。
両肩に負った羽根はより厚く大きく、首筋を完全に隠すほどになった。
震えるリーフの足を支えるように、背中の一対の翼がとじて地面に先端を立てた。その後ろで白い翼が後光のように広がった。
「二対の翼、だと」
ラムペルラスが目を見開いて呟いた。竜の翼は一対である。階位を持たない凡庸なものも、頂点に立つ王も質は異なれど数は変わらない。それが竜としてあるべき姿だ。複翼の竜は異常であり異形だった。
「……
その呟きは戦場に広がることなく消えた。
「終端の白の魔剣、その
折れた剣が白い結晶にのみこまれ、新しい剣が形成された。片手剣の形を保ったまま、刃引きのされた分厚い剣身が暮れる夕日を反射して輝く。再構成されたそれは、細身の
「かかってこいよ、竜もどき」
オレが怖いのか、と
化物が牙を剥き出しにした。
「■■■――――ッ!」
化物の喉から獣の咆哮がほとばしり、リーフに向かって突進した。
◇ ◆ ◇
ギルの結晶に浸食された腕が剣へと変わった。指も手も砕け散り、残ったのは剣の
白い戦棍と黒い剣がぶつかった。硝子を打ちあわせたような澄んだ音が響いた。
朱い閃光が弾けるが、湧き立つ灰色の霧の中で輝きを失って消えてしまった。
霧はリーフの背に負う翼から拡散していた。霧が焼き尽くされた地面に広がると、それまで神性に侵されて赤く朱く煮えていた表面が和らいだ。
ギルの方にも霧が広がり、ギルは剣を引いて霧の範囲外へと退避した。呻り声で励起した朱い輝きが霧と拮抗し、霧の進行が止まった。
白い結晶が
霧は指向性もなくリーフを中心に拡散していくばかりだが、常に発生し続けているため薄くなることはなかった。むしろ神性を強く封じる領域は濃さを増していった。
ギルが隻翼を大きく羽ばたかせた。朱い光を散らして風が霧を吹き飛ばした。
そこをギルが突撃――するのを待たず、リーフから距離を詰めてきた。
二対の翼の上の組を羽ばたかせて滑るように飛翔、下の翼を盾にして前に突き出し、ギルに体当たりした。
体当たりの衝撃でギルは後方に吹っ飛ばされた。それをリーフはさらに追いかける。
ギルは左腕と尾で地面を掴んで体勢を立て直し、
立ち上がろうとするギルを上から翼の盾が押し潰しにかかった。ギルは鉤爪の左手一本で対抗する。翼の表面から立ち上る霧が鉤爪に触れると、白い霜のように表面にはりついた。
霜がついた左手が意思と関係なしに
血の代わりに神性で動いている部位は、霜が麻痺毒として作用していた。
「■……」
ギルが喉の奥で
翼に負けて砕けた槍がギルの肩に刺さった。刺さった破片は棘として肉体に同化した。
リーフは翼の盾を構えたまま空中に突き上げられた。しかし、もう一対の翼がバランスをとって軟着陸した。そこに黒い剣が急襲、白い戦棍が受け止めて再び戦場に不釣り合いな音が響き渡った。
激しい打ち合いの度に結晶同士が奏でる音が、黄昏をとうに過ぎた夜空に響き続けた。打ち合い続けるうちにギルの右腕の残骸は削れてひび割れていったが、崩壊する前に新しく作り直されて差し替えられた。
その場にいるだけで相手の神性を徐々に押さえつけるリーフの力に、ギルは一箇所に留まらせないよう突き飛ばしたりわざと大きく退いたりして誘導した。リーフもまた、退かれたときに〈滅雷〉を撃たれないよう、ギルを追って距離を詰めなければならない。
自然と二人の間は一定の距離から離れることはなく、透明な鎖に繋がれたようにお互いのことしか眼中になかった。
低く突き出された剣先を盾が防ぎ、返す形で戦棍がギルの肩を殴った。骨が砕ける鈍い音がしたが、ギルの顔色は変わらない。
ギルはさらに踏み込み尾で盾を殴りつけた。さらに、僅かに体勢が崩れた隙へと蹴りをねじ込む。肉食獣の脚がリーフの脇腹に刺さった。
だが、鉤爪は白い鎧を貫けなかった。
リーフの手が刺々しい鱗に覆われた脚を掴んだ。ギルの顎を翼で殴る。顔を覆う結晶の棘がまとめて砕け、変形しつつある骨格が露わになった。そこに追加で頭突き。衝撃がギルの脳天を揺らした。
脚に組みついた腕を振り払い、蹴り飛ばし、ギルは距離をとった。追撃を仕掛ける翼を黒い隻翼ではたき落とし、地面に鋭い結晶をばら撒いた。
戦棍で殴られたギルの肩には白い結晶がはりついていたが、朱い光によって剥がされて代わりに黒い結晶が占有した。リーフを蹴った脚に付着した結晶も同じ結果を辿った。ギルの表面は歩くだけでも砕けそうなほど結晶に覆われていた。
リーフは蹴られた脇腹を押さえながら、ギルが身体を作り替えていく様をただ見ていた。鎧に守られ血が流れないからといって無傷なわけではなく、内側に痛みは蓄積していた。
「全く、ボクも君も愚かがすぎるよ」
険しい顔でリーフは戦棍を構え直した。
「不必要な殺し合いで絶対に叶わない願いを託すんじゃないよ、オレもお前も」
「■■■――ッ!」
ギルが獣の声帯で吼えた。吼える度に喉が傷ついているのか、音域が変質していた。
ばら撒かれた結晶が咆哮に呼応し、ばちばちと朱い光がそこかしこで弾けた。周囲を覆いつつあった灰色の霧が朱い光に払われ消えていった。
「はああああああ――っ!」
リーフも雄叫びをあげて二対の翼を広げた。翼の末端が散らばり、冷気のような
再びギルの右腕とリーフの戦棍が交錯した。月明かりの下で血生臭さとは無縁の音が鳴った。
戦棍の動きに合わせて細かな白い結晶がギルに叩きつけられた。白い結晶を阻むべく、ギルの表皮を覆う黒い結晶がゼロ距離で励起した。
朱い光とともにギルの肌が爆ぜ、黒い体液が飛び散った。
白い結晶が朱い光によって砕けて消滅する。しかし白は圧倒的な物量でギルの右半身を覆った。
白によって自由を奪われたギルの胸を白い戦棍が抉った。先端の突起が胸を覆う臙脂色の鱗を砕いてめり込み、白と灰がギルの内部を侵食する。
いぎぃあぁぁあぁぁぁぁぁぁっ!
耳を裂くような絶叫がギルの喉から絞り出された。痛々しい甲高い声と共に胴体に散らばる臙脂色の鱗が明滅した。
鱗の血に似た輝きは白い結晶が表面を覆っても褪せることなく、むしろ内側から湧き上がるように強い輝きになった。そして血色の輝きが強くなればなるほど、ギルの悲痛な声が増していった。反射的に左手が戦棍を掴み、だが真っ白になって機能を失った。
リーフの顔面に向かって
一瞬気が削がれたところを強い衝撃で後方に弾かれた。不意打ちにリーフの手が戦棍から離れた。
その隙を逃さず尾が戦棍をはねる。リーフの手が届かない彼方へと戦棍が転がり、白い結晶が消えて折れた剣へと戻ってしまった。
ギルが放ったのは神性の威圧で相手を吹き飛ばす、初歩的な神性術だった。相手が身構えていたら有効打になり得ない弱い技である。それを激痛に苛まれながら成功させたのは、理性を完全に蝕まれて尚冴えるギルの才覚あってのものだった。
無手のまま、リーフの翡翠の双眸がギルを射た。
「ないたな」
どこまでも冷たい翡翠の目に射竦められ、ギルの目が揺れた。
「おそれたな」
ギルの両腕は自由がきかなくなっていたが、尾と翼はまだ武器になる。対するリーフは五体満足ながら翼の盾しかない。
それなのに、ギルの脚は半歩下がった。痛みで
「弱さを晒したな」
白い籠手で右手を指先まで固め、リーフがギルに殴りかかった。
動きの鈍い腕の代わりにギルは
「――っ!」
衝撃が激痛となって腕を貫いたが、リーフは怯まない。止まらない。
踏み込みと共に左手で懐から黒い短剣を抜き放つ。流れるようにギルの胸へと短剣が突き刺さった。
黒い切っ先は砕けた鱗の間に滑り込み、奥の血色の呪いにまで届いた。
ぎ、いぃいいいいああぁぁーーーーっ!
再び呪いに干渉されたギルが軋むような苦悶の声をあげた。叫ぶ口元から赤い液体が泡立って零れた。
鉤爪がリーフの腕を掴んだ。渾身の力で引き剥がしにかかった。
「うるああああああああっ!」
地面に結晶を打ち込み、関節も固定させ、リーフは一歩も動かない。骨が折れた右腕で鉤爪を掴み、ギルが離れることも阻止した。
その執念が底力を引き出したのか、短剣はさらに深く埋まっていった。
短剣が刺さったときには激しく光っていた血色の模様が輝きを失っていった。
「がっ――」
突然リーフが嘔吐した。白い外套の腹部に黒い剣が突き立っていた。剣はギルの足元から伸びていた。
剣は外套に阻まれて肉にまで達していないが、内臓を致命的に揺さぶる役目には十分だった。
二本目の剣が足元で生成されるのを、リーフは気配から感じていた。狙いは首。あやまたず放たれれば守りの隙間を縫って
避ける力もなく、リーフは顔に乾いた笑いを浮かべた。諦めたように、二対の翼を地べたに墜とした。
肉が弾ける音がした。
脱力した肉体が倒れた。少し遅れてその上にもう一人が折り重なった。
倒れた二人の後方で、リンは狙撃銃を構えていた。銃口からは、細い煙が立ち上っていた。
額を撃ち抜かれたギルがリーフの下で灰のように崩れて消えた。跡には粉々に割れた人形触媒と黒い剣が残った。
「…………ざまぁなさいっての」
月明かりの下で、人狼の少女は泣きそうな顔で勝利宣言をした。
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