第28話 決闘契約・上

 砕けた赤い柱が炎へと還っていく。その揺らめきの向こう側には、竜王とエルヴァンを襲った相手が佇んでいた。

 青い詰め襟に黒髪、錆のように朱い目、そして黒い隻翼。それらの要素の寄せ集めにエルヴァンはずっと信頼と安心を感じていた。だが、今は頼もしい背中は向けられず、正面からの殺意を初めて受けて、エルヴァンの肩は震えていた。

「……なんで」

 エルヴァンのか細い声は火竜の荒々しい疾駆に踏み潰された。

 三頭の火竜が襲撃者へと殺到した。いかに外見が貧相であろうと、彼らの王を害そうとした者に対して侮るような真似はしない。エルヴァンをさらった者達同様、膨大な熱量で圧殺すべく神性術が高速で構築される。

 咆哮などという無駄な示威行為をそぎ落とし放たれた炎のとうは、白い輝きを放ち鋼鉄すら溶解させる域に達していた。先程の竜王が放った火球と同等の熱量が、三頭の竜によって再現されていた。

 だが、炎は襲撃者に到達する前に消し飛んだ。襲撃者は微動だにせず、目の前で無効化された攻撃を見ていた。

「!」

 目の前の現象に動揺する火竜達の足下で赤い線が輝いた。

 赤い線は糸のように立ち上り、火竜達をとり囲んだ。糸は交差し、火竜を中に閉じ込める檻となった。

 細い糸は竜の牙と爪をもってすれば容易くちぎれてしまいそうだったが、翼と糸の接触さえ恐れるように高位の竜種達は翼を仕舞った。糸の正体と術者の実力を知るが故の行動だった。

 糸は結界系陣術〈棘縛籠バーブケージ〉――ただの糸が張り巡らされているように見えるが、高密度の神性で編まれた拘束の神性術である。触れた瞬間に糸が変質し、棘となって対象に突き刺さる仕組みだ。

 突き刺さった棘は相手の神性に反応して更に弾け、広範囲に傷を広げていく。神性そのものである翼に棘が触れれば、棘の神性が尽きるか翼が砕けるかまで効果は止まらない。そして、前者の可能性は以上、望めるものではなかった。

 火竜の一頭が困惑した声を上げた。加勢を阻まれた理由が分からず、竜王に問いかけた。竜王は答えることなく、警告するように炎を竜の足下へと投げつけた。

「下がれ」

 掠れたささやき声で竜王が告げた。両腕でしっかりとエルヴァンを抱いて、〈飛槍〉ジャベリンを展開した。一瞬で三十以上の赤い槍が竜王の前に並び、全てが切っ先をギルに向けた。

 父親の放つ紛うことなき殺意に、エルヴァンが目を見開いた。

「え、待っ――」

 少年の制止が届く前に赤い槍が放たれる。残像を残して飛翔する槍は一つ残らずギルへと収束した。

 順当に串刺しの死体が出来上がる――わけもなく、硝子が砕ける音と共に赤い結晶の欠片が炎に還った。

 ギルは大きく左腕を薙ぎ、黒い雷を放っていた。雷は全ての槍を吹き飛ばしてばらばらにしていた。赤い炎と共に、黒い血が飛沫となって散っていった。

 左腕から血を流したまま、ギルが姿勢を低くして正面から竜王に突っ込む。手には一対の黒い小剣が握られていた。

 地面が爆ぜて行く手を阻み、複数の槍が叩き込まれる。さらに地面が炎を上げて爆発。ギルは元いた地点よりも後ろに押し戻された。爆発によって煤けただけで、青い装束に目立った傷はない。

「……」

 距離を空けられたが、ギルは無言のまま小剣を持った両手を眼前にかざした。

 二人の間を遮るように赤い柱が降り注ぎ、ギルの小剣が黒い雷となって弾ける。

 地面に突き立った〈杭槌〉ランドクラッシャーの列が黒い雷を受け止めた。三重の柱で構成された壁は雷の二連撃を危ぶむことなく耐えた。

 竜王は強力な攻撃を凌いで息を吐いた。上空に舞う隻翼の影に、ひうっと息をのんで再び構える。

 身の丈を越す柱を足場にして跳び、ギルが上空から急襲を仕掛けたのだ。

 竜王の周囲の地面がじりっと焼け焦げ、煤が陣を描いた。飛来した黒い〈飛槍〉ジャベリンが陣によって張られた結界にぶつかり、砕けて、朱い光に還っていった。

 それでもギルは上から結界に黒い剣を突き立てた。結界に弾かれて直上を舞う剣を捨て、隻翼をひるがえしてギルは後退、追尾式の火球の群れを投げナイフでいなした。

 落ちてきた剣が再び結界と接触、剣を構成している結晶が爆発した。朱色の光と共に強い神性が撒き散らされ、結界が揺らぐ。そこに追い打ちをかけるように黒い槍が突き刺さった。再度の爆発に陣が乱れた。

 竜王は咄嗟に陣を描き足して結界を補強、ギルの追撃を防ぐために〈飛槍〉ジャベリンを乱れ撃った。ギルは槍の回避に専念し、再び距離をとった。

 両腕で抱えたエルヴァンを片時も離すことなく、竜王はギルに応戦していた。火竜を抑える結界とエルヴァンを守る結界を同時に維持しているため、尋常ではない負荷に晒されいる。竜王の表情に余裕がなくなっていくのを、ずっと守られたままのエルヴァンは気付いた。

「やめてよ、ギル! 俺は大丈夫だから!」

 エルヴァンは張り裂けんばかりに叫んだが、二人の争いは止まらない。

 竜王は周囲に火を放ち、森ごとギルを焼き尽くそうとした。対して、朱い閃光が低く地面を這い、木々を引き裂きながら炎を相殺していった。

「お願いだからっ、やめてくれよぉっ!」

 叫ぶエルヴァンの前で、黒い槍が結界に突き刺り炸裂した。


  □ □ ◇


『何故だ、何故王は独りで戦おうとする』

 結界の中に閉じ込められた火竜の一頭が獣の言葉で苛立ちを吐いた。彼らを閉じ込めているせいで竜王の力が削がれているのは明白だった。

『せめて御子息をこちらに預けてくだされば』

 別の火竜は飛んできた槍に怯えるエルヴァンを心配そうに見ていた。

 槍の一撃は竜王が完全に防ぎきったが、エルヴァンの顔はすっかり青ざめていた。

『おい、これを見ろ』

 籠を背負った火竜が足下をがりりと引っ掻いた。

 そこは、竜王が牽制で炎を投げつけた場所だった。炎は広範囲に焦げを残していたが、その中でも一際黒くなっている箇所があった。おそらく、炎の着弾点なのだろう。

 着弾した炎は地面に直線と曲線を明確に刻み、文字を残していた。


――全ての名と魂を懸け、正義卿と戦うさだめである。


 その文面に、三頭の火竜は動揺を隠せなかった。

『正義卿……正義卿ヴレイヴル!? 我らが王の王権を削いだという、魔王軍の裏切り者がっ!?』

『しかし、奴は死んだ筈。そう、この地にて我らが王と刺し違えたと聞いている』

『だが、いや……もしそうであれば、王をこの地に縛りつけていたせいやくは奴である、のか!?』

 正義卿ヴレイヴルの名を知らぬ争炎の民はいない。かつては魔王軍の聖遺物殺しレリックハンターであり、城壁崩しの名手として調和軍を震え上がらせたという。だが、終戦間際に突如として離反し調和軍の傘下に入った。終戦後は調和軍のみょうだいとして各地の反抗勢力を弾圧して回ることに加担した。

 当時、ヒトとの協調路線を拒んでいた争炎族とも激しく争い、まだ若かった頃の竜王とも正面から戦った。死闘の末に竜王は裏切り者を討ち果たしたが、負った傷の深さに勢力圏を縮小せざるを得なくなった。

 正確には、正義卿ヴレイヴルと戦った地よりも北に竜王が外征に赴けなくなってしまった。理由を竜王は語らなかったが、「己の正義に狂った正義卿が竜王に呪いをもたらした」という言説も流れた。

 真偽はともあれ、その呪いによってかつて世界を震わせた傭兵種族は南部の火山地帯に閉じ込められてしまったのだ。竜王が代替わりを拒んでいることもあり、苦難の時代は今もなお争炎族をさいなんでいた。

『誓約により戦いを選ばざるを得ないというのか、我らが王は』

『そして、戦いの妨げとなる我々はこの場に不要と……だが……』

『最早下がることすら出来ないまま、ただ見守ることしか手はないのか』

 一頭の火竜が不服げに喉を鳴らした。

 誓約によって宿命づけられた竜王と正義卿の戦いが始まった今、二人の勝負に割り込む行為はそれがどちらの味方であれ許されない。そして、妨害者を排除する行為は誓約を結んだもの同士のうち、神性が強い方が優先して行うのが通例だ。王である以上、竜王の神性がたかが第二階位級を下回ることなどあり得ない。場のお膳立ては全て竜王の責務になるのだ。

 それほど竜王は圧倒的に優位であり、その差は揺らぐことはない。

 しかし、竜王の傍にはエルヴァンがいる。戦いの最中でもエルヴァンを守り続けなければならないうえ、竜王が本気になれば神性にあてられてしまう。まだ幼体の竜にとって、強い神性は致命傷になりかねない。かといって、エルヴァンを護衛に託す行為は第三者の介入を許すことになる。

 誓約に則った余計な負荷、加えて親としての守りと攻めの制約が竜王ヴィーアの戦いを厳しいものにしていた。

 本来ならば瞬きの間に森諸共焼き尽くせる相手に、初歩的な神性術を駆使して戦わねばならない。

 だが、矢よりも速い槍も無数の火球の弾幕も、正義卿には届かない。敵を圧殺するはずの柱は逆に足場として使われてしまう。仕込んだ地雷は雷で誘爆させられる。

「はあっ、がっ……はぁっ、はぁ……」

 竜王は痰混じり咳をしながら、肩で息をしていた。まだ正義卿を寄せ付けていないが、額に大粒の汗がいくつも滲んでいた。我が子を抱える両腕も時折痙攣していた。

 抱きかかえられたままのエルヴァンは、泣きそうな顔で父親にしがみついた。口を引き結び、戦いから目を逸らすように胸元に顔を埋め、小刻みに震える肩を竦めた。

 既に周囲の木々は燃え尽き、大地は黒く変色していた。乱発される神性術の残り香が空中に漂い、耐性のないものであれば肌に不快感を覚えるほどの濃度になった。

 竜王の攻撃で灰になった森の跡地で、まだ正義卿は五体満足のまま立っていた。煙で青い詰め襟はすっかり煤け、虚ろな灰色に変わり果てていた。自らの雷で傷だらけになった両腕からは黒い血が滴り落ち、肘から先は泥のように黒かった。

「……」

 感情のない朱い目に千年前と変わらぬ殺意を湛えて、正義卿は再び双剣を両手に構えた。

 正義卿を押し潰すように火球の群れが殺到した。火球は全方位から襲いかかり、どれほど機敏であっても回避は不可能である。

 正義卿の手の中で双剣が朱く弾けた。今にも千切れてしまいそうなくらい切り傷塗れの指で剣の柄を握りしめ、舞うように剣を振るった。朱い雷が肉を引き裂きながら赤い炎を消し飛ばした。

 その脳天に目がけて杭が降ってきた。火球はただの目くらまし、本命は必殺の〈杭槌〉ランドクラッシャーだった。

 突き立った血のように赤い柱が地面を震わせ灰が舞った。

 舞い上がった灰を突き破り、柱の頂点を蹴って正面から突進する。

 竜王は既に次の槍を生成開始しており、一呼吸後には敵を刺し貫ける。だが、正義卿の口元には咥えられた剣。竜王は隻眼を見開いた。

 目を瞬く暇も与えず弾ける朱い閃光に、正義卿の顔が裂けた。

 結界に雷が突き刺さり、竜王の足下に広がる陣が朱い光で引き裂かれて消し飛んだ。

 竜王が左手を前に突き出す。その手のひらを黒い鎖が貫き、赤い飛沫が散った。

 鎖を辿った先には、黒く染まった幽鬼の顔。朱い目をぎらつかせて右腕で鎖を引き、左手には鉈のような剣。

「……っ!」

 鉈の軌跡の先には拘束された左腕。最早一撃は避けられまいと、竜王は歯を食いしばりエルヴァンを抱えた腕を後ろに引いた。


 ギャリギャリギャリギャリと耳を裂く音が擦れた黒と白の狭間から響く。耐えきれなくなった黒い刃がべきんと折れた。

 見た目よりも脆い鎖に剣がかませられ、力任せに引き千切った。続いて鋭い蹴りが正義卿の鳩尾みぞおちを突き飛ばした。


  ◇ ◆ ◇


「放て!」

「っ!」

 声に合わせて竜王が〈飛槍〉ジャベリンを放った。狙いの逸れた槍は脇腹を掠め、服を裂いた。

 第三者の乱入にエルヴァンが顔を上げる。

「リーフ!」

 竜王と正義卿ギルの間に立っていたのは、月色の髪に白い外套姿の半獣だった。左腕に装甲のように分厚い結晶を纏い、右手には月の装飾が入った鋼鉄の剣を握っている。翡翠色の瞳を険しく歪め、ギルと対峙していた。

「エルヴァンを早く後ろにっ!」

 それだけ言い捨ててリーフはギルにとびかかった。左手の革手袋を口で外し、指先まで白い結晶で覆いつくして黒い剣を受け止める。剣は結晶に食い込むも、腕を捻ればいとも簡単に折れた。

 戦闘に介入されたにもかかわらず、竜王はリーフの行動を止めようとは思えなかった。左腕で攻撃を受け止めながら、つたない剣技で牽制する様をただ眺めることができた。

 火竜の一頭が吼えた。

 竜王は火竜達に覆いかけていた結界を解いた。

 一頭の火竜が消えていく檻の隙間を前のめりにすり抜け――無理やり通るためにヒトの似姿をとりながら駆け抜け――竜王の傍に馳せ参じた。

「……頼む」

「お任せください」

 争炎族の戦士は血塗れの手からエルヴァンを受け取った。素早く、しかし折れた足に障らぬように抱きかかえた。

 一方、リーフはまだギル相手に戦い続けていた。腕力の差で剣が弾かれたところを結晶のスパイクで一歩も動かずに耐え、竜王の一撃で露出した脇腹に蹴りを叩き込んだ。僅かにできた隙を使ってギルの左手首を掴む。そのまま剣を捨てて肘に組みついた。

「!」

 リーフの意図に気付いたギルが振り払おうとしたが、がっちりと脇を締めて固定された状態から動かない。

 軽業のようにリーフが地面を蹴って宙を舞い、全体重をのせて肘の関節をひねり上げる。間の抜けた音を立てて傷だらけの左手が上腕から外れた。拍子抜けするほど小さな血飛沫がリーフの頬を叩いた。

 リーフはギルの左手を抱えてギルの背後に着地、ギルが振り返りざまに振るった剣を背に展開した翼で受け止め身体ごとはたき飛ばした。

「いい加減止まれ、勇者」

 ぼろぼろと砕けて形を失っていく左手を捨てて、リーフは感情のない声で言った。

 刃が通らないことと驚異の打たれ強さからリーフが僅かに競り勝っていた。ギルは竜王との戦いの最中に自傷したせいで身体が異様に脆くなっていたことも、有利に寄与していた。

「……なぜ」

 黒いひび割れと黒い血で染まった右腕を地面について、ギルは再び立ち上がった。消失した左肘の断面からは少量ながらも出血が止まる様子はない。人体ならば大量出血して然るべき重傷の筈だが、そもそももう流出するものが枯渇しているのだろう。血のついていない、火傷のない地肌は唇くらいのものだったが、尋常ではなくあおざめていた。

 毒抜きと称したしゃけつ、神性の暴発による失血、リーフによる肉体破壊――生身を必要としない魔剣であっても、否、損耗を受けて尚、ギルの行動に何ら揺らぎはない。

「なぜおまえがそちらにつく」

 ギルが感情のない声で言った。右手には既に剣が握られていた。

「それがボクの果たすべき誓約だからだ」

 感情的にもとれる言葉とは裏腹に、その声色はとても冷え切ったままだった。リーフの握りしめた拳が霜のような結晶に包まれていった。

「それは優先されない。ヴィーアを殺せ」

「しない」

「ならば」

 ギルはひび割れた顔の前に黒い刃をかざした。投擲された剣をリーフの腕が弾いた。

 剣はくるくると宙を舞い、朱い光となって消えていった。

「寄越せ」


  がぶり


 四本のちいさな牙が白い喉に食らいついた。

 翡翠の瞳を見開いて、リーフが自分の首に触れた。零れた血潮が白い結晶に覆われた手を汚した。

 ばね仕掛けの玩具のように翼蛇ニドヘグがリーフに噛みついていた。毒牙は薄く素肌を覆っていた結晶を容易く貫き、氷よりも冷たい毒を皮膚の下へと流し込んでいく。

 ぼろりと血のついた結晶が地面に落ちた。白い結晶は灰色のもやとなって蒸発していった。

 外套からもはらはらと結晶が剥がれ落ちていく。すぅ、と灰色を残して消えていく。白い外套が暗褐色に戻っていく。

「あ」

 リーフの喉から、間の抜けた声が零れた。凍りついたように動けないまま、身体の感覚が徐々に消えていくのを感じていた。

 ととん、と軽いステップでギルが距離を詰めた。宝石のような朱い目が強張ったリーフの顔を映した。

 どくん、とリーフの心臓が大きく脈打った。

 鷲掴みにされた心音が握りつぶされた。

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