第27話 伝説という名の呪い・下

『貴公らにエルヴァンを害する意思はない、ということか』

「私達は彼を狙う者から守る立場でした。彼に直接聞き取りをしていただいても構いません」

 大地に文字が焼きつく度に、焦げた臭いと殺意がリーフの鼻をついた。

 エルヴァンの面影がある初老の男――竜王ヴィーアは、右側しかない目でリーフをずっと睨んでいた。リーフは無表情を貫いていたが、手袋の中はじっとりと汗を掻いていた。

『仲間に月喰族がいると聞いた。そいつは今どこにいる』

「今はエルヴァンと共に待機させています。貴方達が我々の味方であるか確信がなかったので、そこはご理解いただきたい」

 ヴィーアを刺激しないように、リーフは慎重に言葉を選んだ。雰囲気からして、この火竜の頂点に立つ男はあまり気が長そうではない。

 リーフが話を進める後ろで、リンも油断なくお付きの争炎族を観察していた。ヒトの似姿をとっているラムペルラス以外は全員火竜のままだ。三頭の火竜は体格に多少の差はあれど、そこにいるだけで熱を生むような威圧を皆備えていた。以前平原で戦った二頭の竜が可愛く見える程だった。

 五ノ炎であるラムペルラスと並び立つということは、おそらく他の三頭も階位を持つ強い神獣なのだろう。リーフはともかく、リンは戦って生き残れる自信があまりなかった。イーハンもケースの中で震えているのが気配で分かった。

『エルヴァンと共にいた族を知っているか』

「少なくとも、私達の仲間は西部からずっと一緒にいました。彼の失踪とは一切関係ありません」

『そいつの顔に傷痕はあるか』

「さあ、全身傷だらけですので、顔にもあったかもしれませんね」

 ヴィーアの追及をリーフがのらりくらりとかわし続ける。少々不自然なまでに同行者の話題を避ける様に、ヴィーアの眉間のしわが僅かに深くなった。

 それでもリーフはヴィーアを説得し、テネシンの近くでエルヴァンと再会できるように交渉を続けた。

「私達としても、エルヴァンが家族の元に帰ることに賛同しています。しかし、できれば周囲を刺激しない形で合流するのがよいと思っています」

 引き結ばれたままのヴィーアの口元が、ぴくりと動いた。しかし、言葉として形には出さずリーフの提案を沈黙で肯定した。

 リーフは外套の懐から地図を引き抜こうとし、そこで一旦動きを止めた。無意識のうちにヴィーアの方へと踏み出していた足を、ラムペルラスが凝視していた。竜達も表情の変化こそ読み取れなかったが空気が一気に張りつめた。

「情報共有のために、竜王陛下に地図をお渡ししてもよろしいですか」

 無許可で近付こうとしたことがまずかったと即座に思い至り、リーフはラムペルラスに伺いをたてた。護衛の中で唯一ヒトの似姿をとっていることもあり、彼を仲介とみなしていた。

「自惚れるな、半獣ネロッド風情が。それ以上陛下に近寄ることは――」

 怒気のこもった声で拒否するラムペルラスを、ヴィーアが手で制した。即座に口を閉じる。

 黙らせた手をそのまま返し、ヴィーアはリーフに差し出した。リーフには、地図を見せにこいと言っているように見えた。

「お側に寄ってもよろしいのですか」

 リーフの言葉にヴィーアは頷いた。

「陛下!」

 ラムペルラスが諌めようと声を上げるが、隻眼の一睨みで一蹴される。

 その様子に当事者ではないリンが得意げな顔をし、ヴィーアを除く争炎族の雰囲気がさらに悪化した。

 リーフが横目でリンに視線を送ると、リンは舌を出して引き下がった。

 改めてリーフが地図を外套の中から取りだした。


  ぼとり


 リーフの足下に何かが落ちた。にぶい落下音が響いて、その場の注目が全て集まる。

 真上に立つリーフだけは、即座にそれが何か確認することができない。外套の裾を払い、薄々気付いていた正体をあらためた。

 蛇を模した黒い傀儡人形――ギルの翼蛇ニドヘグが地面に伏していた。力尽きたというていで細く長い胴体をだらんと伸ばし、動く素振りも見せない。外套の中で連絡役として潜んでいたが、突然落ちてしまった。

「どうした、何かあったのかい」

 リーフが努めて冷静に翼蛇に声をかけた。いつものように、ギル、と名前を呼ばなかった。

 翼蛇は呼びかけにも反応せず、人形らしくじっとしていた。たった一度、宝石のような朱い目がぎょろりと動いてそれきりだった。

 仕方なくリーフは手を伸ばしてその長い胴を掴んだ。



 焼けた手がリーフの右肩を掴み、もたれ掛かる。そこにはない筈の質量をリーフの身体が知覚し、支える。

「悪ぃ、不味った」

 珍しく余裕のない声で、ギルがリーフの耳元に囁いた。

「エルヴァンが半獣ネロッド共にさらわれた……ちょっとしねぇと動けねぇから、先にそっちで動いてくれ、頼む」

「毒?」

「奴ら〈竜殺し〉入りの薬を持っていやがった。まともに食らっちまったからちょっとキツい」

 情けないギルの報告に、リーフの顔が険しくなった。

「分かった。ボクらに任せて君はテネシンで待っていろ」

 極力感情を取り除いた声でリーフが言った。

「そういう訳にもいかねぇだろ。毒が抜けたら俺も追う」

「弱ったままで来られても足手纏いだ。大人しく待て」

 嫌になるほどままならねぇとギルは自嘲的な笑みを浮かべ、リーフは奥歯を噛み締めた。



 掴んだ翼蛇を片腕に巻き、リーフはヴィーアに向き合った。交渉用の波風立たないつらを落とし、戦場用の鋭角な空気を纏っていた。

「端的に申し上げます。御子息がかどわかされました」

「!」

 ヴィーアの両目が見開かれた。傷の下の右目は潰れているわけではなかったが、瞳は白く濁っている。

「これは我々の落ち度です。後ほどそしりはいくらでも受けましょう、それでは」

 次の反応をヴィーアがとる前にリーフは背を向けた。

「追いかけるよ、イルハールス!」

 鋭い一声でリンが持っていたケースの留め具が勝手にばちんと開いた。

 狙撃銃のケースの中から、ヒトを丸呑みできる大きさの鴉が這い出た。

 リーフの突然の宣告にリンも凍りついていたが、人食い鴉イーハンを目視して即座に我に返った。ケースの留め具を閉め、頭を下げた鴉に飛び乗る。ケースのショルダーベルトを鴉の首に引っ掛け、隙間に自分の身体をねじ込んだ。飛行時に振り落とされないように編み出した即席の騎乗方法だ。

 いつでも飛び立てる体勢のイーハンに、リーフが駆け寄る。

「待て!」

 ひどく割れた声がリーフの背中を叩いた。言葉の意味が頭をすり抜ける程の濁声だが、込められた威圧はリーフの足を引き止めるのに十分だった。

 立ち止まったリーフがちらりと背後に目をやる。声を荒げ襟元を乱している様だけ確認し、それ以上は視線を上げない。目を合わせればそれだけで焼き尽くされそうな憤怒を感じた。

「安心してください、ボクは少なくとも貴方の味方だ」

 感情の全く乗らない冷ややかな声でリーフは告げ、すっかり萎縮したイーハンの脚を蹴り上げた。

 関節を蹴られた痛みで泣き叫びながら飛び立つイーハンの脚を掴み、リーフも共に飛翔した。

 トップの指示を仰ぎ待つ火竜たちを尻目に、黒い鴉は西へ、テネシンの方角へと羽ばたいた。

 ギルとリーフの意思疎通に距離や時間の制約はない。まだ誘拐犯たちがテネシンからそう離れていないと踏んで一行は即座に帰路についたのだ。イーハンが全力で飛ばせば、往路の三分の一の時間で戻ることができる。

 と、イーハンは正面から近づいてくる黒い影に気付いた。

 小さい鳥の群れのようだが明らかに挙動がおかしい。普通ならば化け鴉を避けて然るべきだ。イーハンは警戒して速度を落とし、群れを迂回するよう進路を変えた。

 途端、リーフが抗議するように脚を蹴った。速度を落とす真似をせず突っ切れとのお達しである。当然、イーハンは従うしかない。

 イーハンと鳥の群れが衝突した。鳩ほどの大きさの黒い鳥は、群れを崩すことなくイーハンにぶつかっていく。いくらイーハンが脆弱な獣とはいえ質量差は覆しがたく、衝突した鳥は羽根を散らして失速、群れから外れるものも墜ちるものもいた。

 リーフの身体にも容赦なく鳥が当たっていた。硬質化した白い外套には傷一つつかないが、ぶつかった衝撃は持ち前の頑丈さで耐えしのぶしかなかった。


「こんにちは」


 リーフの耳に聞き覚えのある声がかすめた。反射的に構えるのと同時に、外套の白に亀裂が入った。

 動揺する暇も与えずどん、と胸元に走った亀裂へ硬いものがぶち当たる。

「……っ!」

 胸部に突き立てるように、外套の中に何かを無理やりねじ込んだ。強烈な圧迫感にリーフの息が詰まった。

 腕を捕まえようとリーフは手を伸ばしたが、紙一重ですり抜けられる。腕は翼の波にのまれ鳥と共に飛び去った。

「くっ」

 痛む胸元をおさえながら、リーフは後方の点になりつつある鳥の群れを横目で睨んだ。イーハンが視線を落とす前に外套の守りを張り直し、亀裂を修復した。

 外套の中に、短剣を残したまま亀裂を塞いだ。


  ◆ ◆ ◆


 小さなまるい視界の中に、一列になって平原を進む馬車がぼんやりと映った。

 レンズを軽く回して焦点を合わせる。普通の馬にひかれる馬車の数は計六台、視界を動かして一台ずつを視界の真ん中に捉えていく。馬車の周囲には馬に乗った護衛が警戒していた。

 乾燥した砂埃まみれの風を避けるように、どの馬車もほろや窓をきっちりと閉じて内部の様子は窺えない。

「うーん、此処からだと全然分かんない」

 狙撃銃の照準器から目を離し、リンは軽く肩をすくめた。

 リーフが辿ったエルヴァンの微かな気配は、東に向かう隊商に繋がっていた。一行は商隊の進行方向に先回りをし、高台からエルヴァンの姿を探していた。

 リンから渡された照準器を目にあて、リーフも馬車を観察する。

「おそらく後方の馬車のどれかだろう。護衛が全員魔戦士タクシディードだ」

 銃が普及した昨今、魔剣を持っていなくともモンスターと戦うことはできる。むしろ、適性を問われる魔剣よりも銃の方が一般的になりつつある。それに何よりも遠距離から仕留められることは、近接で圧倒的に不利なヒトにとって重要だ。

 しかし、隊商の護衛のうち銃を持っている者は前方に偏っていて、後方は皆近接装備だった。本来ならば均等に配置すべきであるはずなのに、明らかに不自然な配置だ。

 二つの隊商が襲撃を避けるためにかたまって行動し、その結果警護にムラができている――事象自体はよくあることだが、今回は干渉を嫌った後方集団が原因であるとリーフは看破した。

 馬車の周囲を警戒する魔戦士の数は十五、馬車の中にも数人いることを考えると二十人近い集団が今回の主な相手だった。これに加えて、リーフ達の出方次第では前方の護衛も敵に回すことになる。

「流石に全員を相手にするのはまず……いや、なんとかなるか」

 照準器をリンに返し、リーフは背後を仰ぎ見た。

 二人の頭上を大きな影が二つ、突風と共に通り過ぎていった。

 リーフとリンの様子から、エルヴァンの行方について争炎族にも通じたようだ。竜王付きの火竜が二頭、上空から隊商に接近した。隠蔽をかけているようで、隊商はまだ気付いていない。

「彼らが数を減らしてくれるみたいだ」

「えー、でも、それはそれでまずくない?」

 リンが顔を引きつらせながら銃ケースを肩にかけた。誘拐犯も竜種相手の対策をしているのだろうが、対するは竜王の護衛を務めるほどの実力者――確実に階位持ちだ。誘拐犯が全滅すれば万々歳だが、泥沼化してエルヴァンが危うくなることもあり得た。

「だからボクらが割り込むのさ、加勢するふりをしてね」

 リーフが腰の剣に手をかけて駆け出した。

「うーん、超あくどーい」

 悪い笑顔でリンも続いて走り出す。

 二人の目の前で、炎の槍が雨のように隊商の周囲にばら撒かれた。

 錯乱した馬のいななきが幾重にも響き渡る。突然の襲撃にも大人しい馬は、炎の槍に当たった数頭だけ。乗り手諸共、神性の炎に焼かれて即死だった。

 突然襲いかかってきた火竜に、護衛役も動揺を隠せない。たった数頭で小都市を滅ぼせる相手に、とるべき行動が判断できないのは正常である。

 だからこそ、すぐさま魔剣を抜いて反撃に転じる後方集団の異質さが浮き上がった。

 魔剣から放たれた神性が氷の槍や砂岩となって飛ぶ。迅速な反撃はしかし、火竜にはかすりもしない。

 再び火竜が炎の槍を降らせる。魔戦士達は冷気や砂塵で熱を削ごうとするが、殆ど効果はなく更に一人が貫かれた。関係のない護衛も二人倒れた。

「固まるな! 散会しろ!」

 魔戦士の一人が大声を出し、褐色の硝子瓶を左手に持った。瓶の口を魔剣で切り落とし、中の液体を魔剣にかける。

 色のついた液体を滴らせながら魔剣を頭上にかざすと、魔戦士の周囲に毒々しい色の玉が五個浮かび上がった。

「っ!」

 リーフが毒玉を従えた魔戦士に体当たりをして突き飛ばした。

 制御を失った毒玉がその場でぱちんと弾けた。毒霧は広がる前に火球によって焼き尽くされた。

「呑気に術を練っている場合ではありませんよ」

 いけしゃあしゃあとリーフは魔戦士に声をかけた。

 魔戦士を守ったと見せかけて、戦況をひっくり返し得る〈竜殺し〉を潰していた。

「私達もお助けしましょう!」

 リーフは妨害された魔戦士が抗議する前に胸を叩いて黙らせ、戦列に勝手に加わった。

 リンの援護射撃に竜種は攻撃を中断して回避行動に移った。他の護衛も頭上に銃口を向けて竜種を牽制する。

 その隙にリーフが馬車の一つにとりつき、屋根の上によじ登った。

「早く! 逃げろ!」

 隊商の前方へ――巻き込まれた一般人達に向けてリーフが叫んだ。

 彼らが逡巡したのは僅かな時間で、戦闘態勢を解き正しく街道を走って離脱する道を選んだ。

 それを追って魔戦士達も馬車を動かそうとするが、途端に無数の槍と炎の弾幕が行く手を塞いだ。

 リーフが登った馬車を残して、他の馬車に炎の槍が突き刺さった。

「このっ――」

 リーフの正体に気付いた魔戦士の一人が雷撃の鞭を精製し、馬車の上から引きずり下ろしにかかった。銃声と共に雷撃の魔戦士は吹き飛んだ。

 リンが倒れた魔戦士に銃口を向けていた。

「はーい、大人しく全滅しなさーい」

 火竜の咆哮が轟く。炎の花が、大空に大輪の花弁を広げた。

 となったリーフを避けて、炎の弾幕が地面を埋め尽くした。加減を取り払った炎は、半端な神性ごと魔戦士達を灰へと変えていった。

 肺が焼けつくまで絶叫を吐き出し、肉の焼ける前に髪が硫黄臭を振りまいて溶けていく。『全てを無に帰す』ことに特化した炎の神性の暴力を――彼らが盗もうとしていた力を身をもって思い知らされていた。

 リンはリーフのいる馬車にはりつき炎から逃れた。馬車に近寄ろうとした魔戦士は足を撃ち抜かれ、無慈悲にも炎の槍を背中に叩き込まれた。即死である。


  バアンッ!!


 突然、馬車の御者側のドアが開いて中から一人飛び出してきた。

 リンが銃口を向ける前に男は地面にしゃくじょう型の魔剣を突き立てた。神性で魔剣の周囲の地面が泥状となり、その上を男が滑っていく。魔剣から三歩程の範囲までは争炎族の神性を防げるようで、地獄のような炎の隙間を縫って突破した。

 男の後ろ姿にリンが引き金を引こうとしたが、寸前で銃口を下げた。

 男は大きな袋を背負っていた――丁度、子供が一人入るくらいの。

「リーフ、逃げられちゃうっ!」

「分かってる!」

 神性から身を守る術を持たないリンはその場に留まり、リーフが白い外套を翻して馬車から飛び降りた。

 灼熱と呻き声が湧き上がる大地を躊躇なく踏みつけ、リーフは男を追いかけた。


  □ □ ◇


「はあっ、はあっ、はあっ……こちらテリマ-18ディオクトー、マイカ-02ディオ、応答願う」

 袋を背負った魔戦士が林の中を逃げていた。しゃくじょうを突き刺した足下がぬかるみに変化し、その上を滑るように移動することで走るよりも体力を温存しながら距離を稼いでいた。

 しかし、それでも逃げ続ける間に疲労は魔戦士の足を鈍らせていた。

「マイカ-02ディオ、応答願う」

 上空の火竜から姿を隠せる道を選んでここまできたが、独力での逃走は限界に来ていた。

 子供が炎にまかれることを恐れて、木々に火を放つことはしないと予測されるが、いずれ発見されてしまうだろう。

「はあっ、はあっ……応答せよ……はあっ」

 声を仲介する結晶に呼びかけても、返事はなかった。

 日が傾き始めた林の中を、魔戦士はただひたすら東へと進んでいた。夜になれば、苛烈な追跡が緩むかもしれないという可能性に掛け、一切休みも取らず足を動かし続けていた。


  ――――ッ!


 竜の咆哮が魔戦士の耳に届いた。音量からして、そう遠くはなさそうだ。

 魔戦士は通信を中断し、逃走に専念することにした。錫杖を地面に深く刺し、泥の勢いを強めた。

 泥は量と噴出速度を増し、魔戦士の走行速度はさらに上がった。

「はあっ、はあっ……!」

 日が沈むまで逃げ続ける――それを目標とした魔戦士の目の前に、太陽が落ちた。

 白く輝く灼熱の球は、存在だけで林の一部を蒸発させた。延焼を許すことなく、木々が溶けおちて大地が赤熱する。

 その小さな球は音もなく弾けた。

「……があっ!」

 殺人的な熱風が魔戦士の全身を打ちのめし、後方へと吹き飛ばした。

 熱風で巻き上げられた青い葉が空中で燃え尽きた。周辺の植物はあまりの熱に干からび、燃え上がっていった。魔戦士の足下の泥も一瞬で蒸発した。

 背中の袋を離さず抱え込む男の目の前に、一頭の竜が降り立った。

 竜の背にしつらえられた籠の中から、重たい靴音を響かせて人が現れた。

 燃え盛る林よりも赤い外套を身に纏い、隻眼に溶岩色の怒りを宿した男が魔戦士を見据えていた。

「あ、あぁ……」

 ただ立っているだけの男が放つ威圧に、魔戦士は身を竦ませた。植物が自然発火するほどの熱気の中にいるというのに、脊椎に氷を打ち込まれたように脳髄が冷え切っていた。

 震える右手で錫杖型魔剣を握り直す。

 魔剣諸共右手が砕けた。

「ぐがああああああっ!」

 空から落ちてきた赤い杭――まさに建材と遜色ない質量の円柱が魔戦士の抵抗手段を完全に叩き潰した。

 放出系結晶術〈杭槌〉ランドクラッシャーによって肉塊となった右腕が、魔戦士を地面に縫いつけた。それを竜王はただじっと見ていた。

 魔戦士は激痛に苛まれながらも、袋から左手を離そうとはしなかった。

「あが…………が……」

「……」

 竜王が魔戦士に近づき、その手から袋をむしり取った。

 袋を開くと、中には青ざめた顔の少年がいた。目隠しに猿ぐつわを噛まされ、手足を神性を抑える封印帯で拘束されていた。

「!」

 少年の両脚は膝下で真っ赤に腫れ上がっていた。形も少し歪んでいる。

 誘拐犯達は、少年の逃走を防ぐために両脚を折っていた。

「ああああああーーーーーーっ!」

 魔戦士の全身に細い矢が刺さった。矢は的確に急所を外し、苦痛を厳選して贈った。

 さらに刺さった矢は赤く赤熱し、魔戦士の体内を奥から焼き焦した。あまりの激痛に魔戦士が泡を吹いた。のたうつための神経回路はとっくに焼き切られ、その場で痙攣を繰り返すばかりになっている。

 一睨みで魔戦士に返礼した竜王は、震える少年から目隠しと猿ぐつわを優しく外した。

 少年は赤い瞳で、おそるおそる助け出してくれたひとの顔を見上げた。

 竜王の顔を認めた途端、エルヴァンのまるい目から涙が溢れた。

「親父…………」

 優しい顔で父親は我が子を抱きしめた。せきを切ったようにエルヴァンは声を上げて泣いた。

「ごめんっ、ごっ…………ごめんなさ、ひぐっ」

「……いいんだ」

 竜王は酷く掠れた声でエルヴァンに語りかけた。年老いた手のひらでそっと頭を撫で、泣きじゃくるエルヴァンをしっかりと抱きかかえた。

 魔戦士は燃え尽きて消し炭になっていた。もうエルヴァンを害する者はこの場にはいない。

 空から降りてきた護衛の火竜達は、静かに親子の再会を見守っていた。


  ――パチッ


 ふと、竜王が鼻をひくりと動かした。

 朱い稲妻が大地を引き裂いた。魔戦士の燃え殻が砕け、地面に突き立った〈杭槌〉ランドクラッシャーが竜王に向けられた攻撃を受け止めて破片を散らした。

「っ!」

 エルヴァンを抱いたまま、竜王は戦闘態勢へと移行した。

 驚愕で泣き止んだエルヴァンの頭越しに、襲撃者へと隻眼を向ける。

 そこにいたのは、幽鬼だった。

 晴天の空を映したような詰め襟を酷く汚し、黒髪はざんばらで浮浪者のような有様。しかし、火傷で爛れた顔に輝く目は、感情もなくただ純粋に闘志でぎらついていた。

「エヴァセリウス・ヴィーア・フランメル、潰えてもらう」

「貴様……」

 竜王の喉から不安定な呻り声が漏れた。

 エルヴァンも首をひねって襲撃者を視界に収めた。


「……ギル?」

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