第26話 伝説という名の呪い・上

 テネシンの商業区の一角に武器や防具を取り扱う商店が集められている。住民からは何のひねりもなく武器屋通りと呼ばれ、テネシンに訪れた傭兵は必ず一度は足を運んだ。

 リンは弾薬補充のためによく通うが、リーフはまだ数える程しか来たことがない。

 魔剣ギルスムニルは神性で刃を覆って戦うため刃こぼれや歪みとは無縁だからだ。因みに、通常の魔剣は戦闘で損壊するのが当たり前で、魔剣専門の修理屋もテネシンにはあった。

 リーフが武器屋通りで済ませる数少ない用事は片手剣の修理である。モンスターの素材を一切使っていないただの鋼鉄の剣であるため、モンスターとの戦闘ですぐに欠けるし曲がることも多い。

 激しい使用に耐えられず、既に剣身を一度取り替えている。敬月教の意匠が入った柄だけは使い続けているが、他は全て寄せ集めの部品だった。

 そういう事情で、掃討任務を終わらせたリーフが武器屋通りに向かうのは至極当然のことだった。

 幸い、軽く研ぎ直す程度で済むとのことだったので、リーフは終わるまで店で待つことにした。だが、見知った気配を感じ表へと出た。

 程なくして、店の看板を眺めていたリーフに一人の男が近付いた。

 あさ色の衣装の上に深い紺のマントを羽織った長身。黒い髪を一つに束ね、派手な装飾品の類いは身につけていないが所作に貴族のような気品がある。商家の重役や小教会の幹部と名乗ったとして、違和感のない出で立ちと年齢を重ねているように見えた。

 整った顔立ちには甘さがありつつ、右頬から首筋かけてはしる大きな傷痕と、朱色の双眸が周囲とは隔絶した雰囲気を持っていた。

「いやあ、こんなところで会うとは奇遇だねえ」

 口の左端を釣り上げて男は端正な顔を歪めた。暗い感情を隠そうとしない醜悪な笑みだった。

 リーフは男の顔をいちべつし、興味なさそうに視線を看板に戻した。

「全くもって白々しい」

「いや、ちょっとお茶でもどうかなと思ってね」

「断る」

「相変わらずつれないなあ」

 目立つ容姿の男が立ち止まったにもかかわらず、周囲の人々は目を向ける素振りを見せない。男の異質さに気付かないまま、加えてリーフの存在も隠されているかのように、武器屋の前だけ空気が隔絶していた。

「この平穏を楽しめる間に、少しでもお近づきになりたいと思うのは悪いことかな」

「今の状況が平穏に見えるとは……ああ、その色は眼病で腫らしているというわけか」

 おどけてみせた男の態度をリーフが切って捨てた。珍しくも忌まれる色の瞳をしたが、男は憤るような素振りを見せなかった。

 一時に比べると落ち着いたとはいえ、テネシンは今だに火竜の脅威に晒され続けている。流通も安定せず、物価は上がるばかりだ。まだ弾薬の貯蔵があるおかげで士気は維持されているが、この状況が続くことは歓迎できない。

 テネシンの陥落は、最南端の小都市が完全に滅ぶことを意味する。それはヒトの活動圏が縮小することにも繋がり、南部全体にも影響は波及するだろう。

 が気にするような事ではないが、底でひりつくような町の空気を感じながら『平穏』という言葉は口にするものではなかった。

「んー、十分平穏だと思うけど。竜王がお出ましになれば全てが灰になってしまうし、それと比べるとねぇ」

 男は明日の天気を話すような調子で、最悪の事態を語った。

「話したっけ、とうとう竜王が直々にやってくること」

「全く聞いていない」

 リーフの表情は全く動いていなかった。

「しかしその事実については知っていたから、支払わないよ」

「それは残念。最後に麗しの君と愛を語り合いたかったんだが」

「貨幣に替えられるものを愛と呼ぶなら、さぞかしさもしい生涯を送ってきたのだろうね」

「愛の解釈が狭いねぇ、

 男の手が銀色の髪を一房すくい、さらりと梳いた。リーフの口元がぴくりと動いた。

「それで、用件は」

「シルヴィアちゃんの顔を間近で見たかっただけ、と言ったら?」

「……」

 挑発するような言葉に、リーフはただ視線を返した。

「勿論、それだけじゃないよ」

 男はリーフの革手袋を嵌めた右手をとった。マントの中から一振りの短剣を取り出し、そっと握らせた。

「いつも頑張るお嬢さんに、せめてもの贈り物」

 短剣はギルの扱う小剣よりも一回り程小さく、服の中に隠し持てるくらいの刃渡り。柄は黒く、刃は艶のある深紅の鞘に収められている。鞘と柄を細い黒い鎖で縛り、容易には抜けないようになっていた。

 男が無理やり手渡してきた武器を、リーフは無情に手を開いて落とそうとするが、無理やり握らせて手放すことを許さない。

「これは勇者の遺産を模したものだ。竜王へと挑む前に勇者が仲間へと託した、呪いの短剣のがんさく

「呪いの短剣?」

 物騒な言葉にリーフがいぶかしんだ。

「そう怖い顔をしない。所有者に呪いが掛かる、というものではないよ。千年間も変わらずに伝わる思いが込められていただけだ。千年も変質しないものがあるなら、それはもう呪いと同等だと思わないかい」

 勇者本人も、千年経てば色々と変わるだろうに――男は愉快そうに口元を歪めて言った。

「そんなものを渡して何をさせたい」

「まあまあ、これは贋作だと言ったろう。形こそ同じだが込められているものは異なる、というよりも反転している。贋作だからね」

 リーフは男の手を振りほどこうとするが、がっちりと掴んで離さない。

「元型が不変の呪いならば、これはさしずめ呪いを断つものかな」

 男はリーフの意思を無視して話を続けた。

「もしも、勇者が竜王と再会することがあれば、変わらない伝説が見られるのかもしれないからねぇ」

 朱い瞳を輝かせながら、男がリーフの顔を覗き込んだ。瞳の奥の狂気染みた光をすいの目が冷たく見返した。

 ばしんっ、と大きな音を立てて短剣が宙を舞った。力ずくで拘束を振りほどき、リーフが短剣を放り投げた。

 道の反対側にとんでいく軌跡を追いかけることなく、二人は向き合ったままだった。短剣が落ちた音に数人の通行人が目を向けた。

「伝説とは既に終わった話のことだ。今更続きがあるものか」

「蘇る伝説というのも、素敵な夢だと思うけどなぁ。ま、ヒトにとっては悪夢かもね」

 今度は何人死ぬかなあ、とわらいながら姿。リーフが瞬きをした間に、男の姿は朱い霧となって霧散していた。

 後ろ姿も気配も残さず、道に落ちたままの短剣のみが男の存在を証明していた。


  ◆ ◆ ◆


 エルヴァンの親に会うため、リーフはリンと共にテネシンの外へと出てきていた。

 まだ機嫌を損ねたままのエルヴァンと護衛役のギルは、二人(と一体)が戻ってくるまで宿で留守番をすることになった。

「別に君はついてこなくても良かったのだけれど」

 リーフは白い外套に片手剣を携えていた。背後から影をいちいち踏んでくるリンに鬱陶しそうな目を向けた。

「やぁーだ、あの馬鹿とずっと顔つきあわせてるなんて無理」

 リンはつんと口を尖らせて言った。空が薄曇りで比較的気温が低いせいか、狙撃銃のケースを背負っていても元気に歩いていた。

 二人はテネシンの東の街道を外れて進んでいた。途中までは商隊の馬車に相乗りしていたが、何もない外地イパーナのど真ん中で下ろしてもらい炎獄の平原まで歩いている。

 二人はまばらに低木が生えた林の中を進んでいた。炎獄の平原は地図上では林の先にあるという。

 障害物を除くためにギル謹製の黒い鉈をリーフが振るい、リンがその後ろに続く。木陰や地面に小型モンスターが潜んでいてもおかしくはない環境だったが、不思議と遭遇することはなく、普通の動物ですら殆ど見かけなかった。

「……それに、リーフを一人にしておきたくないっていうか」

 背後を警戒しながらリンがぼそりと言った。

「そんなにボクは信用がないのかい」

 聞こえにくいように、声を落としてリンは言ったがリーフにしっかりと届いていた。リーフの顔が苦笑いの形に歪んだ。

 二人が旅を始めてから短くない時間が経ったが、リーフの基礎的な身体能力は殆ど変わっていない。

 神性によって攻撃を防ぐことや魔剣の運用方法を覚えて総合的には強くなったと言える。しかし、腕力は男性に劣り、剣術も取り立てて優れている訳ではない。只の傭兵と正面から戦ったときの勝率は仲間の中で一番低いだろう。

「そんなことないっ……んだけど、えーと、その、ほら、なんて言うか……」

 リンは否定する言葉を探してしばらく唸り――突然両手を合わせて目を輝かせた。

「リーフは、誰かを守ろうとしているときが一番無敵なのよ」

 私だって守られるばっかりじゃないけど、とリンは誇らしげに胸をはった。

 しかし、リーフはぴんとこないようで首を捻った。

「実力は変わらないのに、無敵と言えるのかな」

「結構違うと思うんだけど」

――リーフさんは、やる気で結構変わりますよね。

「そうそれ! こう、斜め後ろから見た顔がかっこいい、的な!」

 ケースの中のイーハンにリンが全力で頷いた。

「何を言っているのだい」

 リンの要領を得ない言葉にリーフは半分呆れた声で返した。

 話しながら進むうちに二人は林の出口に辿り着いた。木々の途切れた先には背の低い草がしげる草原があった。だが、少し先に目を向けただけで緑の絨毯の目は粗くなり、不毛な大地と化していた。

 火竜に指定された交渉場所であり、数百年以上前からのいわくつきの土地――炎獄の平原が二人の前に広がっていた。

「猛し黒の御遣い、封印の楔を炎の魔人の首に打ち込み封印せり。悪鬼の喉より放たれし最後の声、呪詛となりて天を焦がし、地を溶かし、定命のもの永きもの区別なく終生の苦痛をさだめる」

 荒廃した大地を眺めながら、リーフが呟くように唱えた。

「何それ」

「炎獄の平原にまつわる敬月教の教えの一節だよ。この地にて勇者は炎の魔人と戦い、その爪痕が今でも残っているらしい」

「へー……わりと重要そうな場所なのに、なーんにもないのね」

――生き物も、見当たりませんね。

 リンが辺りを見回した。二人以外に人影は全く見当たらなかった。そもそも、二人も獣道すらない林を切り開いて辿り着いたことから、ひとのなさは数年どころの話ではないことがうかがえた。

「この地に近付くと死ぬという噂があるからね。実際、変死や謎の病が多くて誰も寄りつかないらしい。おそらく、土地に濃い神性が残留しているせいだろう」

 リーフの淡々とした説明に、リンがうげっ、と顔を歪めた。反射的に数歩あと退ずさった。

「それ、ちょっとやばくない」

敬狼会ガルマエラの調査によると、外縁部ならば魔戦士程度の抵抗力で問題ないらしい。実際、何ともないだろう?」

「あ、確かに」

――僕も、十分耐えられそうです。

 表情筋が不動のままリーフが言い切った。リンの危機には焦りを隠さないリーフが落ち着いていることは、それだけで説得力があった。

「ていうか、敬月教の言い伝えが正しいとすると、ここでギルが死んだってことよね」

 リンもギルの正体について既に知っていた。正確には、ギルがギリスアンで名乗ったときには伝承の勇者と同じ名前であることには気付いていた。西部に生きている人間ならば、幼少期の寝物語で勇者の話は聞くのが普通だ。

 しかし、正体を知ってもリンにはギルに対する敬意は特に湧いてこなかった。

「そういう話になっている。およそ千年前の出来事だと言われている」

「千年前って……今でも被害が残ってるって、どんなやばい戦いだったわけよ。後、戦った相手も相当ヤバそうじゃん」

「聖典によると、魔王の配下たる炎の大魔人ヴィーアと死闘を繰り広げたとある。魔王に次ぐ力を持ち、被害の大きさからすると……」

「すると?」

 真剣な顔で考察を述べるリーフに、リンも自然と引き込まれていた。だが、はっとリーフは我に返った。

「いや、宗教談義などするものではなかったね。今は関係のない話だ」

「じゃ早速狼煙あげよ」

 リンは驚異の順応性で焚き火を組み上げ始めた。林を通るついでに拾った枯れ枝と落ち葉、自作した火炎瓶の中身を使って手早く完成させた。

 火を点けて勢いがついてきたところで、生の枝をくべてわざと煙を立たせる。

 程なくして、リーフが空を見上げた。直後、吹いた突風に煙が吹き飛ばされた。

「来た」

 その一言でリンは焚き火を蹴って崩した。

 風を割って赤い竜が姿を見せ、二人から三十歩ほど離れた場所に着地した。風圧で焚き火の残骸が吹きとんだ。

 竜が降り立った場所に炎のように赤い光が湧き上がり、竜の姿が消えた。代わりに、赤いマントを纏った男が同じ場所に現れた。先日、リーフ達と戦った〈五ノ炎〉ラムペルラスだ。

「来たか。あの魔剣と若の姿が見えないが」

「連れてくることは約定の外と言った筈です。まずは親に会わせてください」

 ギルと協力して辛うじて勝てた相手だったが、一人でもリーフは堂々と相対した。

「いいだろう、もうお見えになられる。本来卑しき半獣ネロッドがお目通りにかなう方ではない、光栄に思え」

 ラムペルラスの来た方角から、さらに三頭の火竜が飛来した。三頭の火竜は横一列となってラムペルラスの後方に降りた。

 先行していた第五階位のラムペルラスは火竜達に向けて敬礼をとった。リンには、特に中央の火竜に向けて敬礼をしているように見えた。

 中央の火竜は背中に籠のようなものを括りつけていた。籠はさざ波のように緩急をつけた深みのある赤で塗られ、モールを編み込んだ装飾が散りばめられている。窓のようなものは見当たらない。

 籠を積んだ火竜が地面に腹をつけた。籠の側面が開き、中からひらりと人影が降り立った。

 重たい靴音を響かせて地を踏みしめたのは、赤い外套の男だった。金糸の刺繍が入った豪奢な生地で鍛え抜かれた身体を包み、武器を帯びているように見えない。服をきっちりと着込み、襟をとじている様は紳士然としている。

 炎のような赤毛を肩口まで伸ばしているところはエルヴァンと似ていた。右の横顔は深く皺が刻まれているのが見てとれ、リンの予想よりも遥かに年老いていた。エルヴァンの父ではなく祖父と言われても信じてしまうだろう。

 男が二人の方へと顔を向けた。

「っ!」

 正面からの容姿に、リンは思わず息をのんだ。

 男の左目を覆うように長い傷痕がはしっていた。左目は失明しているのか固く閉じ、右目だけが煌々と赤く輝いていた。

 男は二人の立つ場所へと歩き始めた。

 ラムペルラスが男に向かって頭を下げた。

「陛下、こちらが若と行動を共にしている者達です」

 ラムペルラスの言葉に、男の目が僅かに険しくなった。瞳の奥に見える暴力性に、リーフだけでなくリンにも緊張が走った。

「拝謁を喜ぶがいい。現竜王――天焦がすもの、ヴィーア陛下の御前である」

 男が右手を上げ、大地にかざした。

 じゅう、と音を立てて白い煙が立ち上った。

「!」

 煙の出処を目で追い、リーフの瞳が驚愕で見開かれた。

 大地に文字が刻まれていた。一瞬で土壌を燃やし、焦し、文字列となって二人の前に言葉を投げかけていた。

『貴様らは、あの悪魔の使いか?』

 竜王の音のない問いに、リーフは自然と唾を飲み込んでいた。


  ◆ ◇ ◆


「ギルの悪魔ーーーーっ!」

「そうだよ悪魔だよ、文句あっか、ええ?」

 エルヴァンの悲痛な叫びにギルはすました顔で返した。ギルの手の中で、出来損ないの結晶の山が粉々になって消えた。

「時間はたっぷりあるんだ。今日は俺が納得できるまで寝かせねぇからな」

 左の口角を上げてギルが悪い笑顔を作った。

 エルヴァンはギルの真正面に座り、半泣きで神性の結晶を作らされ続けていた。

 リーフ達の帰りを待つ間、ギルとエルヴァンは食事以外ずっと宿に閉じこもることになっていた。特にやることもないため、エルヴァンはこの前の修行の続きを行わされていた。

 数日で上達する筈もなく、エルヴァンが作る結晶はギルの合格点以下のものばかりだった。

「練り方が雑なんだよな。お前、どんな型で結晶を作ってんだ?」

 ギルは出来たての結晶をつまみ上げた。指先で不完全な結晶を押し潰しながら、首をかしげる。

「型って?」

 エルヴァンも首をかしげた。炎のように赤い髪がふわりと揺れた。

「あ? そりゃ、神性練るときに考えてることだよ。丸とか三角とか……あるだろ、そーいうの」

「え、そんなこと考えながら結晶術使ってんの!?」

 指で図形を作りながら、当然のようにギルは言い放った。エルヴァンは目をまるくした。

「いや、普通だろそういうの。って、エルヴァンお前、知らねぇでやってたのかよ!」

「だって誰も教えてくれなかったし」

 エルヴァンが口をとがらせた。

「おいおいおい、普通親が教えることだろ制御方法なんてよー」

 ギルは呆れかえって頭を掻いた。

 エルヴァンの顔が一気に暗くなった。

「知らねーもん……親父、あんまり帰ってこなかったし」

「母親は?」

「生まれたときにはもう死んでた」

 竜種は卵生であるため、子供が生まれたときに母親がいない、両親がいないということもごくまれに発生する。

「ふーん、そうか」

 ギルはエルヴァンの隣に座った。

「実は俺も、母さんが早くに死んじまって、叔父上のとこに預けられて育ったんだよな。おと……父親があんまり帰ってこれねぇからって」

「それ、ホントの話?」

 あまりにも都合よく重なる境遇に、エルヴァンは不審そうな顔をした。

「なんで嘘つかねぇといけねぇんだよ。俺が嘘ついたことあるか」

「十九歳」

「うっ……それは別にいいだろ!」

 だから外見年齢だっつーの、とギルは勝手にいじけ始めた。

 その様があまりにもおかしくて、エルヴァンはぷっと吹き出した。

「それで、ギルの親ってどんなだったの」

「……疑ったのにホントに信じてんのかぁー」

 ギルは頬を膨らませて疑り深そうにエルヴァンを見た。

「面倒くさっ、分かってるって信じてるってば」

 立場が逆転してエルヴァンがなだめる側に回っていた。

「俺の親はな、俺が全くかなわねぇ天才だった」

 ギルが自分の家族のことを語り始めた。

「母さんは指折りの傀儡くぐつ使いで、おと……父親は軍での実力者。俺はどっちにも似なくて、傀儡は蛇一匹操ってやっとで、戦い方も真似できなかった。酷ぇ落ちこぼれにも程があるってもんだろ」

 極めて明るい調子で、低い自己評価を述べた。

「でも、ギルだって強いじゃん」

 エルヴァンの率直な感想を伝えた。しかし、ギルは鼻でわらった。

「今は周りが弱ぇんだよ。戦争中はもっと強ぇ奴がばんばんいたし、あいつとも決着がつかなかったからな」

「あいつ?」

「クソムカつくクソ強ぇ奴がいたんだよ。で、お前の親はどんな奴なんだ」

 ギルがエルヴァンの横顔に視線を送った。

「実は、強いってことしかよく分かんなくて。みんな親父が怒ることを怖がっているし、俺のこともどう扱っていいのか迷ってるみたいで……なんか、すっげー嫌だった」

「それで家出したのか」

「うん。危ないからってあんまり外にも出してもらえなくって、ずっと一人で。そしたら、親父の友達っていうやつが連れ出してくれて」

「お前なぁ……家族以外に勝手についていっちゃダメだろ」

 ギルが呆れたように溜息をついた。

 エルヴァンの顔がむっとした。

「知らない竜じゃなかったし! 親父も本当にもしものときは頼れ、って言ってたし」

「なんだそれ、なんていう奴だよ」

「えーと……あれ、なんて名前だったっけ」

 つっかえて出てこない名前に、エルヴァンは首をひねった。頭に手を当てて唸ってみても、記憶の底から浮かんでこない。

「じゃ、顔は? どんな奴だったんだ」

「あ、それなら……あれ?」

 一瞬エルヴァンの顔が明るくなったが、すぐに曇った。

 ギルが眉をひそめた。

「覚えてねぇのか?」

「おっかしいな、絶対に見た筈なのに」

 うなるエルヴァンに、ギルの目が険しくなった。

「記憶がない……そういや、ラムペルラスも族が誘拐したって言ってたよな。本当にがかかわってんのか?」

 月喰族が保有する神性術の中に、記憶を消す効果があるものが多いことは周知の事実である。ギルはざっくりとした期間でしか記憶を消せないが、熟練の術士ならば特定の情報のみを隠すこともできる。

 エルヴァンを連れ出した者が月喰族ならば、関わった記憶が無いことも十分に説明がつく。

 しかし、そうする理由がギルには全く分からなかった。

「あーくそ、こういうの考えんのはリーフの役回りだってのに。後で聞いてみるか」

 ギルは頭を振って思考を中断した。窓の外に目を向ければ、太陽はかなり高い位置まで昇っていた。

「そんじゃ、ちょっと飯食いに行こ――」

 立ち上がろうと足に力を入れた体勢で、ギルの身体が前のめりに倒れた。

「っ!」

 咄嗟に両手を床につくが、腕にも力がはいりづらく立ち上がることができない。

「えっ、どうしたんだよ!」

 エルヴァンが立ち上がってギルの肩を掴んだ。持ち上げて支えようとするが、明らかに力が足りていなかった。

「エルヴァン……お前は大丈夫か?」

 ギルはうなだれたままエルヴァンに声をかけた。

「俺は大丈夫、だけど」

「そうか、なら、逃げるぞ」

 突然、ギルが自分の顔を殴った。噛み締めた奥歯の隙間からうなり声を漏らしながら、無理やり上半身を起こした。

「それより、大丈夫なのかよ!? ホントにどうしたんだよ!」

「これくらいなら気合いで何とかなる」

 床を強く踏みしめてギルは立ち上がった。首筋にじっとりと汗が浮き上がっている。よろけながらも窓に近付き、外の様子をうかがった。

 二人がいるのは宿の三階に位置する個室、敢えて最上階の四階ではない。眼下の通りに目を向けると、武装した人影が立っているのが見えた。

「やっぱり来てやがる……薬撒くたぁ、やってくれんじゃねぇか」

「え、薬?」

「痺れ薬だよ、竜種にきくやつ」

 ギルが吐き捨てた。

「こっちが竜種だからって、〈竜殺し〉混ぜていぶしやがった。クソが」

「でも俺はなんともないけど」

 エルヴァンは己の手足を見た。特に痺れもなく、いつも通りに動かすことができている。

「だろうな。ほら、乗れ」

 ギルは窓を開け放ち、有無を言わせずエルヴァンに背中にのるよう指示した。エルヴァンは素直に従い、マントをかぶってギルにおぶさった。

「苦手なんだよ、薬」

 窓枠に足をかけ、ギルは部屋の外へと躊躇いなく跳躍した。下で様子をうかがっていた魔戦士タクシディード達が一斉に宙を舞う青い影を見上げた。

 ギルの上衣の裾から伸びた鎖に引っ張られ、一旦建物から離れた身体が引き戻される。靴の裏で壁を踏みしめ、塗装に五指の爪をたてる。壁を蹴り上げると同時に鎖を切断、一気に四階の窓枠にまで駆け上がった。

 一足遅れて部屋の扉を集団が蹴り破ったが、窓枠に引っかかった鎖が急速に朽ち果てている様しか捉えられなかった。

 エルヴァンを狙った魔戦士の集団が登ってくる前に、ギルは身体を腕の力だけで屋根の上へと引っ張り上げた。エルヴァンには、動作が普段よりももたついているように見えた。

「なあ、ホントに大丈夫なのかよ?」

「お前は自分の心配してろ、気にすんな」

 背負ったエルヴァンに心配されながら、ギルは隣の建物の屋根へと飛び移った。下では武装した集団が併走し、逃す気はないようだ。

「後ろ!」

 背中にしがみつきながら、エルヴァンが首を捻って背後を確認した。同じく屋根を登ってきた魔戦士が迫ってきていた。

 短剣の形をした魔剣に白い冷気がまとわりつき、氷塊をギルの背中に向けて射出した。

 エルヴァンが声を発する前に、ギルは振り返って黒いナイフを投擲。氷の魔剣の所有者の腕にナイフが刺さり、照準が逸れた氷塊はあらぬ方向へと飛んでいった。

 しかし、その間に別の魔剣が雷撃の鞭や砂の弾丸を生成している。迎撃のためギルも再びナイフを生成しようとし――指先の違和感から即時諦めた。

 砂の弾丸は流れるように回避、面で絡めとろうする鞭からは跳躍して射程から逃れた。屋根の端に着地し、通りへと身を投げた。追随していた魔戦士の背中を踏み潰し、もう一人の顔を蹴り上げて潰した。

 関係の無い通行人があげる悲鳴を背に受けながら、ギルは敬狼会ガルマエラの拠点へと向けて通りをひた走った。

「なあってば!」

 明らかに不調のギルを見てとり、エルヴァンが声をあげた。

 不安を無視して、ギルは走り続けた。ただならぬ雰囲気に、通行人は逃げるように道を譲った。

 突如、ギルの前にたるが転がってきた。減速せず踏み切って跳び越える。

 樽に気を取られ、道の先で魔剣を構えた魔戦士がいたことに気付くのが遅れた。迎撃のいとまも与えず、毒々しい色の球が放たれる。

 ギルの胸元で球がはじけた。

「っ……!」

 ギルは足をもつれさせて転倒した。エルヴァンを背負ったままで満足に受け身もとれないまま、地面に身体を打ちつける。衝撃で弾かれてエルヴァンが離れた。

「いてっ」

「っの、クソがよぉっ!」

 ギルは四つ足で目の前の魔戦士にとびかかった。手の中に生成した小剣で魔戦士の心臓を貫き、そのまま突き飛ばした。

 〈爆裂バースト〉を仕込んだ小剣が朱い光を散らして発動し、魔戦士の首から上がごっそりと消滅した。

「ギル!」

 立ち上がったエルヴァンが、フードをかぶり直すことも忘れてギルに駆け寄った。

 ギルは荒く息を吐きながら立ちつくして魔戦士の絶命を見届けていた。エルヴァンが袖を引っ張ると、ふらりと崩れて片膝をついた。

「っ……ぐぇっ」

 ギルの口元から黒い液体がこぼれ落ちた。地面にぼたぼたと水溜まりが出来上がった。

「やってくれんじゃねぇか……毒使いの、海蛇野郎が、うっ」

 血の気の引いた顔で毒づきながら、ギルは再び黒い血を吐いた。触媒人形の流す血は、生身と異なりインクのように黒かった。

 魔戦士が放った球は毒を内包していた。礼装で常に遮蔽しているリーフと異なり、ギルは毒物をまともに浴びてしまっていた。

「……ギル」

 どう見ても満身創痍のギルに、エルヴァンはかける言葉が思いつかなかった。

「エルヴァン、狼共の家は分かるよな……立ち止まらずに走れ」

「え、でも、ギルは」

「もう走れねぇ。だから、お前一人で助けてもらえ」

 背後からまだ敵が迫っている。だが、ギルは立ち上がらない。立ち上がれない。

「でも、そうしたら……」

 エルヴァンの目が揺れた。赤毛の少年は立ちすくんだまま動こうとしなかった。

「いいから走れ!」

 叫んだ拍子にギルの喉からまた血がこみ上げた。

「げほっ、俺なら平気だっつの。もう死んでんだから、死なねぇし」

 ギルは口の左端を釣り上げて、精一杯の笑顔を作った。

「走れ!」

 血の混じった唾を飛ばしながらギルが叫んだ。

 エルヴァンは一人走りだした。

 その背中を見送り、ギルは追いつきつつある魔戦士の一団に膝をついたまま向き直った。

「くそ、こんなことなら〈翼蛇ニドヘグ〉を戻しとくんだった」

 ギルは黒い血溜まりの中に手をついた。指先で血をまるくかき回し、

 黒い血を吸収して生成された剣を支えにして、ギルは立ち上がった。

「これ以上好き勝手できると思うな、半獣ネロッド風情が」

 鉄錆のように冷たい目で、悪魔は黒い剣に朱い稲妻を奔らせた。


  □ □ ◇


 既に近くまで来ていたおかげか、エルヴァンは追手に出会うことなく敬狼会の拠点に辿り着いた。

 だが、普段は開放されているはずの扉は何故か閉じていて、押しても引いても動かなかった。

「助けてくださいっ」

 重たい木製の扉の表面を叩いてエルヴァンは叫んだ。しかし、応えるものは誰もいない。

 それでも他に行き場のない少年は扉を叩いて助けを呼ぶことしかできなかった。

「お願い、助けてーっ!」

 複数の足音が近付いてきていた。このまま扉にとりついていてもどうにもならないのは明らかだった。

 微かな希望を胸に、マントのフードをかぶってエルヴァンはその場を離れた。

 少し間を空けて魔剣を携えた一団がエルヴァンを追いかけていった。


「あーあ、やっぱり助けてくれないんだねぇ」

 エルヴァンも、その追手も気付かない横道で男が他人事のように呟いた。

 男の目には、拠点の二階から様子をうかがう敬狼会の関係者の姿が映っていた。彼らはエルヴァンが辿り着く少し前に表を閉め、悲痛な叫びにも耳を塞いでいた。

「ま、騒動の原因になった子供を匿うなんて貧乏くじ、引きたくないのは分かるとも」

 既に先日の火竜との遭遇で、争炎族の目的がエルヴァンであることはひろ族の知ることとなった。そして、彼らはエルヴァンの存在を無視することに決めたようだ。知らぬ存ぜぬで事態に深入りする気は全くない。

 男は右頬の傷を人差し指で軽く掻いた。指に嵌めたリングには黒い鉱石が埋め込まれている。

「こちらカティーダ-17ディエフタ、原種の捕獲に成功。繰り返す、原種の捕獲に成功」

 鉱石から発せられた声に、男は指を――正確には指に嵌めたリングを口元に寄せた。

「こちらマイカ-02ディオ、魔剣の拘束は放棄し直ちに撤退せよ。経路四四六を指定する」

「了解、撤退する」

 男はリングを外し、みちの奥の暗がりへと放り投げた。落ちる音は聞こえない。

「それじゃ、くれぐれも君は見つからないよう帰ってね、二号くん」

「はいはーい、分かってますよ、原型オリジナルさん」

 男と同じ声が影の中から返した。幾分か若く聞こえるが、耳にした者が困惑することは必至だろう。

 遠ざかっていく足音を見送り、男は再び敬狼会を見上げた。

「感謝するよ、臆病な狼諸君。おかげで伝説の再演のがついた」

 朱い目を細め、口の左端を釣り上げて男はわらった。

「さて、もう一度渡しに行こうかね」

 男が懐から黒い短剣を取り出した。リーフが受け取らなかった短剣は、男の手の中にあった。

 立ち去る男の背後で、乱れた足音が乱暴に扉を叩いていた。

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