南大陸 アルゲティ地方

第22話 火竜防衛戦線

 テネシンの敬狼会ガルマエラの拠点となっている会館の前には、朝から人だかりができていた。

 革鎧や大仰な甲冑を身に纏った物々しい傭兵の集団は、会館の正面玄関が開くのを今か今かと待ち構えていた。

 職員が扉の鍵を開けた音がささやかに響いたと同時、一斉に傭兵たちは建物の中になだれ込んだ。鍵を開けた職員はもがくようにして傭兵の中から抜け出した。

 傭兵たちが目指した先には、大きな箱があった。箱の中には木の札が大量に入っており、傭兵たちは我先にと箱に手を突っ込んでは一枚ずつ札を取っていった。札の表にはそれぞれ数字と文字が彫られ、同じものは一つとしてなかった。

 傭兵たちが挑んでいるのは、本日の防衛任務の配置を決めるくじだ。人員が不足しがちな最前線に傭兵を送り込むために、比較的安全な後方支援任務を『あたり』にして募っていた。得られる日当は平等、最前線でも損耗がましな日ならば十分割に合う仕事だ。

 札を取ることができた者は会館の二階に上がった。フロアには特設のカウンターがずらりと並び、傭兵はそこで待つ職員に札を渡した。

「登録証をお願いします」

 職員の指示に従い、傭兵の証しであるメダルを渡す。照会作業をその場で待っていると、傭兵の隣に見慣れない姿が立っていた。

 背丈はやや低めで細身。背に両手剣を背負っていることから傭兵であることは見て取れたが、前衛らしからぬ体格なうえに守りの薄そうな白い外套を着ていた。全身埃まみれで、隣に立つ傭兵の鼻にも土埃の臭いが届いた。これから仕事に向かう傭兵にしては、汚い格好だった。

 傭兵は頭にも碌な防具を着けずに、銀色に輝く髪を晒していた。黒髪の混ざった銀髪は敬月教ロエール信徒がよくやる染髪で、テネシンでも珍しくはない。しかし、それが敬狼会の領域にいるのはいささか不自然だった。

 頭の先まで白い傭兵はカウンターにメダルを置いた。

「メーラン家の名代です。支部長殿にお伝えしたいことがあります」

「っ! 少々お待ちください」

 告げられた家名に、職員の顔色が変わった。メダルを持って慌てて奥へと下がる職員の足音がばたばたと響いた。

 今まで見たことがない対応に、傭兵は目を見張った。視線は自然と、白い傭兵の顔に向けられた。

 男とも、女ともつかない整った顔立ちだった。埃をかぶってもなお白さが際立つ肌は傭兵らしからぬ細やかさで、精緻な作りの鼻筋と合わせて陶製の人形を思わせた。すいを思わせる緑白色の目は、不躾に観察する傭兵の姿を映して薄い不快感を見せていた。

「どうかしましたか」

 低い女声とも、高い男声ともとれる声で、白い傭兵が言った。

「あ、いや。見ねえ顔だと思って……」

 謎の威圧感に、傭兵は無意識で半歩足を退いた。

「此処では新参者は珍しいと。これは失礼、何分到着したばかりでまだ流儀を理解していませんので、不快に思われたならば謝罪します」

 人間味の薄い、極度に抑揚のない調子で白い傭兵は丁寧に言葉を紡いだ。

「チーム・チャーコウルのリーフといいます。しばらく此処に滞在するので、お見知りおきください」


 南大陸の火竜北限線以南をアルゲティ地方と呼び、小都市ポリステネシンはその最北端にして最大級の要塞だ。

 南大陸では、モンスターの跋扈によって広域統治が難しく、各地で独立した小都市が点々としている。小教会という宗教コミュニティによって緩く繋がりがあるとはいえ、基本的に自治が暗黙の掟である。

 しかし、アルゲティ地方では火竜を筆頭とした災害級のモンスターに対抗するために、テネシンを宗主とした都市間の同盟が結ばれていた。その繋がりは、掟に抵触するほどに強固で――災害にはあまりにも惰弱だった。

 六十日間連続で観測された火竜はモンスターの生息域を大きく動かした。凶悪なモンスターの大移動に揉まれて小規模なコミュニティは三日と持たずに崩壊。飢えた群れが小都市を襲い、住民の四分の一を失う大惨事さえ発生した。

 モンスターの生態を狂わせた元凶の、火竜を討伐せんとした無謀な小都市もあった。一頭の火竜にいしゆみを打ち込んで追い払った翌日、五頭の火竜によって為す術なく焼き払われた。未だ人類は火竜の討伐という偉業には届かず、伝説の勇者は伝説のままだった。

 かくして、テネシンは火竜によって未曾有の危機に瀕したアルゲティ地方の最終防衛拠点となった。


  ◇ ◆ ◇


 小教会への挨拶と、火竜――つまるところの神獣である争炎そうえん族との遭遇報告を済ませてリーフは宿に戻った。

「リン、戻ったよ」

「……うー」

 三人部屋に足を踏み入れたリーフを出迎えたのは、寝台の上からの呻き声だった。

 ブーツと上着を脱ぎ散らかし、黒髪を振り乱した女が寝台に突っ伏していた。横では、赤毛の少年が呆れたように肩をすくめていた。

「おかえり、リーフ」

 呻き声しか上げない女に代わって、少年がリーフに返した。

「留守番ご苦労様」

――おう、戻ったぜ、エルヴァン。

 軽薄そうな男の声が、リーフと少年の耳に届いた。それらしい姿は誰の視界にも映らないが、その場の全員が当たり前のように受け入れていた。

「特に変わったことはなかったようだね」

「リンがまだ起き上がってないけど」

「それはボクが出かける前からそうだったから、特に変わったことではないね」

 寝台で動かないリンを少年――エルヴァンとリーフは首すら動かさずに見た。揃って面倒臭さを表情から微塵も隠そうとしていなかった。

「それでリン、小教会に報告した依頼についてなのだけれど」

「どーせ、はい終わりー、にはならなかったんでしょ。うー……明日から頑張る」

 リンはへなへなと手を振り上げ、べたっと力尽きた。目に余るものぐさっぷりに、エルヴァンが顔をしかめた。

「体力なさすぎじゃん」

「一晩中歩いたらフツーはこうなるって……あー、もう、ほんっと竜種の体力バカ」

 まだ疲れの残る顔を持ち上げてリンが抗議した。可愛らしい顔立ちだったが、死んだ表情筋と寝具の皺がくっきりとついた頬のせいで台無しになっていた。

 リンが主張した通り、一行は小休憩を挟みながら夜通し歩き続けて今朝方テネシンに到着していた。疲労困憊したリンは、自らが赴くべき仕事を全て放棄し、転がり込んだ先の宿で石のように寝ていた。既に太陽は空高く昇っていたが、寝台の上から離れる気配は未だになかった。

 その間に、リーフが代理として用事を全て片付けていた。

――ったく、だらしねぇな。

「あんたにだけは言われたくないんですけど! 此処に来てからずーーーっとリーフに背負われっぱなしじゃん、このオンボロポンコツ骨董品!」

 姿のない声に対して、リンは上半身を起こして一気にまくし立てた。びしっと突きつけた人差し指の先にはリーフが、正確にはリーフが背負った両手剣があった。

 傭兵にはままあることだが、リーフは魔剣を所有していた。喋っていたのは、魔剣に宿っている神獣の魂だ。

 その魔剣は、鍔に精緻な蛇の彫金が施された、仄かに赤い刃の両手剣だった。魔剣に宿る神獣の魂はギルスムニルと名乗り、種族は悪魔の異名をもつ月喰げく族。

 そして、魔剣を所有するリーフもリンも、神獣の血脈を受け継いだ魔戦士タクシディードだった。故に、魔剣の発する声を苦もなく聞き取ることができた。

――たった一日歩いただけでへばる奴に言われてもなぁあ? 俺だって、元契約者のお願い聞いて、仕方なーく大人しくしてるんだぜぇえ?

 ギルがリンを煽り返した。普段の無意識の煽りではなく、明確に狙ってやっていた。昨日、散々罵倒された苛立ちを微塵も隠す気がないらしい。

「この町には今、沢山の魔戦士が集まっている。月喰げく争炎そうえんほどではないけれど、忌避されるらしい。したがって、魔剣として振る舞いをしていた方が都合がよいというのがボクの判断だ。何か問題があるかい」

 リーフとリンは、魔剣に生前の姿を一時的に与える人形触媒という貴重な道具を所持していた。それを使用することで、制限こそあるものの魔剣での単独行動が可能になる。だが、今はリーフの判断により人目につく場所での使用を禁止していた。

「うえー、リーフがギルの肩を持つー」

「君は今ボクの話をきちんと聞いていたのかい」

 めそめそと泣き真似をするリンに、リーフが溜め息をついた。

 そのままリーフの視線は、エルヴァンへと移った。

「エルヴァン、君も外見は争炎そのものなのだから、なるべく出歩かないように」

「分かってるって、もう追い回されるのはこりごりだし」

 エルヴァンは力強く頷いた。炎のような髪と目をした少年は、己の立場をしっかりとわきまえていた。

「今日はいいのだけれど、明日からは仕事を受けるよ。それまでに回復しておくこと、いいね?」

 相変わらず寝台の上でだらけきったリンに、リーフは釘を刺した。

「……えと、一応私がリーフの雇い主だよね? 立場逆転してない?」

 リンが寝台の上に乗ったまま言った。

「今の方針に待ったをかけなかった君が悪い」

「ぐう」

 リーフの容赦のない言葉に、リンは硬い寝具に顔から突っ込んだ。


  ◆ ◆ ◆


「まあ、足がちょっと浮腫むくんだ程度なら狙撃に全然問題ないんだけどねー」

 テネシンの城壁の上で、リンは狙撃銃の点検をしていた。

 大の男でも持て余す長大な狙撃銃は、南部でも一般的になりつつあるボルトアクション式の対モンスター銃だった。

 従来の単発式とは異なり、狙撃銃の横から突き出たレバーを往復コッキングさせるだけで、照準を大きくずらすことなく次弾を短時間で装填できる。弾倉も外付けにすることにより、撃ち尽くしたときの再装填も容易になった。

 ただし、レバーの操作にはそれなりに力を要求されるうえに、装填数が増えたことで総重量も旧式よりかなり増えていた。そのため、女子供には取り回しが難しい武器となっていた。

 しかし、それをリンは軽々と抱えて整備していた。見える筋肉もない細い両腕で、ふらつくことなく銃を持ち上げ、さらには片手で抱えた体勢で銃身の二脚を立たせた。

 城壁の上に銃の二脚を置き、都市の外へと銃口を向けた。

 リンが銃身の上部に取り付けられた照準器スコープを覗くと、リーフと目が合った。見慣れている筈の翡翠の眼に見つめられ、思わず息をのんだ。

 リーフが立っているのは、城壁周辺の畑だった場所に築かれた陣地だ。平時であれば、モンスターとの防衛線は畑のさらに先に張ってあったそうだが、最近の激しい襲撃に修復が追いつかず、放棄せざるを得なかったらしい。なんとか耐え凌いでいる間に予備の設備を補強し、今は第二次防衛線としてモンスターからテネシンを守っていた。

 第二次防衛線は城壁から五百歩程度離れた場所に設けられており、当然城壁の上の人物など豆粒のようにしか見えない。その中で、リーフはリンを識別し、視線を合わせていた。

 正確には、銃口から向けられるリンのに反応してリーフはリンを認識していた。

「新入りのねーちゃン、ちょっと気合い入りすぎじゃねーカい」

 照準器を覗いたまま動かないリンを見て、一人の傭兵が声をかけた。言葉に南方訛りが強く、発音が耳慣れない。顔がにやつくのを隠しきれておらず、リンに言い寄ろうとしているのは明白だった。

 近づいてきた男に対して、リンは銃を支える片手を離して指を突きつけた。右目は照準器を覗いたまま、リーフから視線を外さない。

「あんた、魔戦士タクシディード?」

 リンの態度に少しむっとしながらも、男は素直に答えた。

「……あ、あア。刺礫せきれきのエズモだ」

「ふーん。で、私は真太まひろなんだけど、あんたの骨へし折ってもいい?」

 りょりょくに優れた狼の神獣の名を聞いて、男の顔色がさっと変わった。

「はは、勘弁してクれ」

 男はあっさりと退き、成り行きを見ていた仲間の下へとすごすご戻っていった。

 その間も、リンは照準器を覗いてリーフの行動を観察していた。リーフはリンに背を向け、他の傭兵と会話している。

――あの、仲良くしておかなくて大丈夫なんですか。

「前衛ならともかく、後衛でそんな気を遣う必要性ある?」

 リンが構えた狙撃銃――魔剣イルハールスから声が響いた。しかし、魔剣イーハンの心配にリンは噛みついた。戦場でリーフと離れているせいか、リンは少し機嫌が悪かった。

 テネシンのルールとして、新人の傭兵は職能に関わらず初回は後方支援に回される。まずは現場の空気に慣らして、少しでも傭兵の生還率を上げるための、小教会同士の協定だ。

 だが、リーフは前衛に偏った技能から、前線の枠にわざわざねじ込んでもらっていた。そもそも、後方支援に回されても基本的な筋力が不足しているリーフにできる仕事は少ない。

 小教会の側からすれば、本人に問題がなければ一人でも多く前線に立って欲しいのが実情だ。そのため、リーフはあっさりと前線に回された――取引の最中に爆睡を決め込んでいたリンを後方に置いて。

 照準器のまるい視界の中で、リーフがリンに再び目配せをした。革手袋をはめた指で自分の顎をなぞり、合図を送った。

「お、来た来た。イーハン、装填」

 狙撃銃のレバーが勝手に動き、往復して銃弾を薬室に送った。

 遠く離れた場所にいるリーフが、手信号で迫り来る敵の情報をリンに伝えていた。『十頭』『素早い』『竜種はいない』――口頭で現場に周知している内容を、リンもまた読み取っていた。

 まだ目視範囲内に現れないモンスターの情報を伝えるリーフに、戸惑った表情の傭兵が数人詰め寄っていた。リーフは手振りを交えながら傭兵たちを説得し、防衛線の前へと進み出た。

 盛り土と柵で作られた防衛線をすり抜け、モンスターの血肉が染み込んだ大地をリーフの足が踏みしめた。

 前衛で起きている騒ぎにようやく気付いたのか、リンの近くで待機していた後衛組もにわかに騒がしくなった。

 しかし、既に鎌首をもたげた異形の巨体が、丘の向こうから姿を現していた。


  ◇ ◆ ◇


 リーフは背に負った両手剣――魔剣ギルスムニルを抜き放った。

――早速のお出ましたぁ、威勢がいいじゃねぇか。

 目の前のモンスターの群れに闘争心を刺激されたのか、ギルはクケケケッと獰猛に笑った。

 リーフの前に迫り来るのは、巨大なトカゲに似たモンスターだった。巨石を思わせる砂と錆のまだら模様を背負った四つ脚。胸を張って太く長い首をもたげ、翼のようなヒレがついた強靱な前足で巨大な頭部を支えていた。顎は長く、先端が嘴のように硬質化している。

 本気の跳躍は城壁を軽く飛び越え、生きた攻城兵器として城塞都市を食い荒らすイシユミトビトカゲだ。

 トビトカゲは前足のかぎ爪で地面を抉り、頭を持ち上げた姿勢を保ったまま走っていた。さながら、蛙の跳躍のような突進だった。だが、滑稽な見た目ではあるがその速度は馬に並ぶ程で、おそらく本気はもっと速いのだろう。

 体格も馬と同程度、突進に巻き込まれればひとたまりもないのは明らかであった。

 しかし、リーフは一切躊躇うことなく突貫した。

「おい、戻れぇっ!」

 焦った傭兵の声が背後からとぶ。リーフの足は鈍ることなく、むしろ加速してトビトカゲに突っ込んだ。今さら引き返したとして、柵の向こう側へと辿り着く前に追いつかれてしまうからだ。

――伸長エクステンドっ!

 ギルが鋭く宣言した。両手剣の表層に不可視の神性が充填される。

 モンスターの五歩手前でリーフが大きく踏み込み、跳躍した。下段からモンスターの頭めがけて剣を振るう。

 硬質な顎にするりと魔剣の切っ先が侵入し、並の鋼を容易く弾く頭骨が斜めに切りとばされた。脳漿と血が空に噴き上がる。

 リーフはモンスターの鱗に覆われた首に真横に着地し、モンスターの最期の呼吸に合わせて強く蹴った。モンスターの死体が後ろに倒れ、奪った勢いでリーフは防衛線の手前まで跳ぶ。白い外套の背で着地、そこから二回転、身体を起こしながら両手剣を背中に戻し、盛り土の斜面を駆け上がった。

「撃てぇっ!」

 盛り土を登るリーフの頭上で、銃声が轟いた。弾幕が九頭を迎え撃った。

 対モンスター用に製造された大口径の弾丸は、確実にモンスターの身体を穿っていた。だが、正面からでは心臓には届かず、頭も硬質な外皮が殆どの弾をはじき返していた。

 弾幕によってモンスターの進行速度は抑えられたものの、斜面を登るリーフの後ろにモンスターは迫りつつあった。

 急斜面を登るリーフの目の前に、突然、棒が差し出された。目で先を辿ると、長槍を持った傭兵がいた。

「掴まれ!」

 リーフが槍の柄を掴むと、盛り土の頂上までぐいと引っ張り上げられた。柵の間に薄い身体を滑り込ませ、リーフは陣へと帰還した。

「感謝する」

「いいってことよ」

 手短に言葉を交わし、二人は事前に指示された配置に走った。柵の裏に、一定間隔を空けて傭兵がずらりと並んだ。弾幕を張る銃士の後ろで、身を低くして待機した。

 それほど間を置かず、モンスターは防衛線に到達した。盛り土の斜面を一歩で飛び越え、柵に大質量を叩きつけた。柵が悲鳴のような軋みをあげ、木片が埃のように飛び散った。特殊な組み方をした柵はなんとか一撃を耐えたが、長くは持ちこたえられそうになかった。

 だが、それを許すほど傭兵たちも呑気ではない。待機していた魔戦士の傭兵が各々の魔剣を携えて、一斉にモンスターに襲いかかった。

 両手剣、槍、斧――刃という括りは同じであれど、一つとして同じ形のない魔剣が柵の隙間からモンスターの肉を斬りつけ、突き刺し、叩き切った。

 刃物で与えられる痛みにモンスターは吠え、柵を破壊せんと重圧を再びかけた。さらに柵の隙間から口の先や爪を突き出し、傭兵に攻撃を加える。何人かが吹き飛ばされ、かぎ爪による負傷者も発生した。

「ぐああっ」

 爪に引っかけられた一人が柵の外に引きずり出されようとしていた。右腕は負傷したのか力なく垂れ下がり、踏ん張ろうとする足もむなしく上半身が柵の向こう側へといってしまった。

「ひっ」

 恐怖に染まった目が、モンスターのがばりと開いた口腔を映した。

「はああああっ!」

 掛け声と共に、リーフが魔剣を振り下ろした。届かない距離を埋めるように、朱い閃光が刃から伸びる。傭兵の頭を砕こうとしたモンスターの首があっけなく両断された。

 呆然とする傭兵の顔を血で濡らしながら、矢じりのような形をした頭がどさりと落ちた。

 これでリーフが仕留めたモンスターは三頭目だった。二頭目は、迎撃の担当となった箇所で相対し、一度の斬撃で胴を真っ二つにされていた。

 だが、モンスターも一方的に狩られるばかりではない。柵の一部がめりめりと音を立てて倒れた。下敷きになりかけた傭兵が散り散りとなって逃げ出した。

 背中を向けた一人の傭兵が前脚に叩き潰される。槍が横っ腹に突き刺されても、身をよじって使い手を振り払う。翼膜で薙ぎ払い、不用意に近付いた盾使いを吹き飛ばす。己の体液以上に、敵の血をまき散らしながらモンスターが咆哮した。

 一方的に蹂躙される傭兵たちを助けようと、リーフは走り――遠雷の音で足を止めた。

 モンスターの胸が弾け飛び、鮮血の大輪が咲いた。咆哮を吐いた口から血がこぼれ落ちる。さらに駄目押しとばかりに轟音と共にモンスターの胸部が深く抉られ、血の海がどくどくと広がった。

 リーフの視線が後方の城壁に向いた。明瞭に捕らえられるほどの視力はないが、聞き慣れた銃声から狙撃手が誰かすぐに分かっていた。

――相変わらずいい腕してんなぁ。

 獲物を横取りされたに等しかったが、ギルの声は心底楽しそうだった。

「技術も経験も自前だからね。君に頼り切りのボクとは大違いさ」

――テメェだってヤバいくらい硬ぇだろうが。つーか、ホント何でまだ死んでねぇんだよ。

「ボクが聞きたい」

 柵による足止めの効果もあり、モンスターたちは傭兵によって確実に狩られていった。

 最後の一体の首を、獣人化した魔戦士が斧で切り落とした。リンと同じ、真太族だったが毛色は砂色だった。三回斬りつけて切断したため、魔戦士の全身はくまなく血で染まっていた。

 血飛沫が殆ど付着していない白い外套をはためかせ、リーフは壊された柵に近付いた。

 柵は根元から粉々に粉砕されていた。破片になってしまった貴重な木材は再利用できそうもなかった。空いた穴は男二人が肩を並べたくらいの幅で、修繕にはそれほど時間がかからなさそうだった。

 後ろを振り返ると、既に城壁から工兵の部隊が出立しているのが見えた。急いで穴を塞がなければ、次のモンスターの群れで前線が崩壊する恐れがある。テネシンが歩んでいるのは、常に薄氷の道だった。

 リーフは後方に運ばれていく負傷者を尻目に、再び柵の前に進み出た。盛り土の斜面を滑り降り、そのまま前へ数歩足を運んだ。

「おい、待てよ!」

 後ろから響く声に、リーフはちらりと視線を投げかけた。

 槍斧ハルバードを持った傭兵が、リーフの後を追って斜面を滑り降りてきた。リーフほどの軽装ではないが、革鎧を身につけた身軽そうな男だった。見覚えのある顔に、リーフの形のよい眉が僅かに動いた。

「貴方は」

「リーフ、だったか。昨日会っただろ」

「コツル、でしたよね。確か」

 その傭兵は、昨日リーフが小教会を訪れたときに窓口で隣にいた男だった。

「あんたも災難だな、今日は久しぶりの大物だったんだぜ」

「そうなのですか。では、次も大物ということですか」

 リーフは丘の向こうを指さした。

 指さした直後、四つの矢じり型の頭が、ひょっこりと飛び出した。

 コツルの顔が凍りついた。

「おいおい……まじかよ」

 リーフの不審な動きを追っていた他の傭兵も、再び迫ってくるイシユミトビトカゲに気付いた。負傷者の救護活動を中断し、立てる者が柵の裏の配置についた。

 幸いなことに、頭数は四頭から増えなかった。先の群れからはぐれた個体のようだ。

「コツル、下がらないのですか」

 リーフが両手剣を背中から抜いた。ギルが無言で神性を刃に充填する。

「ぽっと出の新人に手柄を取られたとなりゃ、古参の名が泣くんでね」

 コツルもリーフの隣に並び、槍斧を構えた。コツルの腕がパチパチと弾けるような音を発した。ギルの放つ雷もどきではない、正統派の雷撃を両腕に纏っていた。

「輝ける遠雷の友、クアリサンドよ」

 掛け声と共に、槍斧の柄に刻まれた模様が青白く輝いた。湾曲した刃の先端に、紫電が火花を散らした。

――付与系陣術か。

 ギルがぼそりと呟いた。

 槍斧からは何も聞こえてこなかった。自我の薄い魔剣のようだ。

「いくぞ、新入り!」

 コツルが雄叫びと共に踏み込んだ。眼前に迫ったモンスターへと、槍斧を振りかぶる。モンスターもまた、矮小な障害物を撥ねとばさんと振り上げた前脚を大地に叩きつけた。

 コツルは身をひねってトビトカゲの一撃を躱し、返す刃が前脚のヒレに浅い傷をつけた。槍斧に宿った紫電がヒレの上を奔り、焦げた臭いが立ち上った。

 トビトカゲの身体が派手に転んだ。魔剣の放つ雷撃で前脚が痺れ、自由がきかなくなっていた。

 続けざまにコツルが槍斧を振るい、トビトカゲの前脚、後ろ脚、胴に紫電を叩き込んだ。傷自体は浅いが、流血とは異なる痛みに、悲痛な声があがった。

 モンスターの叫びに、柵に向かっていた一頭が身を翻してコツルに襲いかかった。突進と共にヒレで地表を薙ぎ払い、軽装の傭兵は容易く吹き飛ばされた。

「があっ!」

 槍斧を持ったまま、受け身を取り損ねたコツルの喉から無意味に呼気が吐き出される。

「コツル!」

 追撃をかけようとするトビトカゲの背中を弾丸が貫いた。柵を挟んでコツルの仲間が銃を構えていた。鎧のようなヒレと頑丈な頭部のせいでトビトカゲを正面から撃ち抜くことは難しいが、背後からならば効果的だ。

 トビトカゲは振り返って柵に向かって吼えた。弾丸が内臓に刺さったのか、動きはどこかぎこちない。それでも、トビトカゲは執拗に攻撃を続ける傭兵たちに向かって突進していった。

 後に残されたのは、よろめきながらも立ち上がるコツルと、麻痺から回復したもう一頭のトビトカゲだった。

 魔剣クアリサンドによってつけられた傷をものともせず、トビトカゲはまだ十分に戦える様子だった。しかし、コツルの身体にはまだ吹き飛ばされた衝撃が残っていた。次の攻撃を避けられるのか、そもそも生き残れるのかさえあやしい。

――顔立てて、くたばるまで見ててやろうぜ。先輩なんだろ。

「そうも言ってられないさ」

 リーフは既に、別の一頭をあっさりと正面から両断していた。頭から尾の先まで、真っ二つに割れたトカゲの開きが地面に転がっていた。

――テメェの実力見誤って、見栄張ってるだけの奴なんか助けるこたぁねぇと思うぞ。

「それでも、貴重なテネシンの戦力を減らす訳にはいかない」

 乗り気ではないギルを説き伏せながら、リーフはゆっくりとトビトカゲの視界に入った。

 トビトカゲの視線は、手負いのコツルからリーフへとあっさり移った。リーフの鉱石のような目を見て、トビトカゲが二歩下がった。

「後は任せて貰いましょう、先輩」

 両手剣を構え、リーフが前に出た。

 イシユミトビトカゲが正面からリーフに飛び掛かった。土埃を巻き上げ、跳躍した巨体が弩から打ち出された矢となって風を切り裂いた。

 リーフもまた正面から迎え撃った。抉り穿つ矢に巻き込まれる間一髪、頭を下げてモンスターと地面の間に身体を滑り込ませる。巻き上げられた土くれを切り裂き、紙一重で攻撃を躱しながら、両手剣の切っ先が鱗に覆われた腹を割いた。

 立ち上がったリーフは両手剣を背中に戻し、背後で内臓を四散させたトビトカゲを横目で確認した。

 コツルは、リーフの若い背中を見ながら唇を噛んでいた。


  ◆ ◆ ◆


 木の杯がかつんとぶつかった。中身は片方が薄いビネガー、もう片方が温いビール。

「初任務おっつかっれさまーーーーっ! 勝利の味はどう?」

「いつも通り」

 花が咲いたような笑顔のリンと、硬い表情のリーフが杯に口をつけた。

 仕事終わりの傭兵でごった返す食堂の一角を確保し、二人は夕食をとっていた。卓上に並ぶのは香辛料のきいた豆と野菜のスープに薄く切った硬いパン、こぢんまりとした燻製肉の鉢だった。

 リーフが革手袋をはめたままの手でスプーンをとり、スープに浮かぶふやけた豆を二粒口に含んだ。無表情でゆっくりと口の中で転がしてから、嚥下した。

「そうそう、ちゃんと食べなきゃね」

 少しずつでも食事を進める相棒を見て、リンは満足げに頷いた。食事という行為から逃げがちなリーフを宿から引きずり出し、料理を食べさせるという企みは無事に達成された。

 魔剣とエルヴァンはお土産を渡すことを条件に、宿で留守番を無理やり任されていた。

「はい、貴重なお肉なんだからしっかり食べて」

 摂取した食物がリーフにとって絶食した方がマシな味だったとしても、リンは料理をぐいぐい勧めた。因みにこの非情な相方は、ギルが人形触媒をテネシンで使わないと宣言した直後に、後生大事にリーフが運んでいた酒瓶をかち割った。

 リンはしばらくテネシンに滞在するのをいいことに、リーフの滅茶苦茶な生活習慣を矯正する気でいた。

「そういえば、こうして二人だけで食事するのも久しぶりだったよね」

「前は、ギルが捕まったときだったかな」

「そうそれ。あのときはご飯にがっついてなかったっけ」

「ギリスアンに着くまでは、倒れるわけにはいかなかったから」

「今は?」

「できれば食べたくない、けれど……」

「けれど?」

「食べなければ君を守れない、だろう」

 リーフは皿に残ったスープを一気に口の中へと流し込んだ。

 リーフの目が皿の底に向いている間、リンはパンをちぎっていた手を止めた。

「そういう誓約、だからでしょ」

 騒がしい食堂の空気に、リンの少し刺のある言葉が浮いた。

「ギルがそういう誓約結んじゃったから、命を共有しているリーフも守らないといけないんでしょ」

「違う」

 空になった皿が卓の上に置かれた。泥水でもすすったような顔で、リーフは皿から手を離した。

「その約束事はギルが果たしているから、今はボクに履行義務はない」

「じゃあ、なんで」

「君が守ってほしいと言った。だから、ボクは守ることにした」

 リンの手の中で、パンがぐしゃっと潰れた。

「そーやって私に全部押しつけないで。重すぎ」

「君が言ったことだろう」

 確かに、リンは――自ら首を突っ込んだにもかかわらず――リーフにまつわる厄介事に巻き込まれた対価として、南部での護衛を強要していた。

 だが、リンは唇を尖らせた。

「それとこれとは別。私はね、ただ――」

「ただ?」

 リーフは口ごもったリンを促しながら、一口ビールを飲んだ。

「言わなきゃ分かんない?」

 酒を一口も舐めていないにもかかわらず、リンの顔がじわりと赤くなった。

「いや、多分、いつもの流れだと大体分かる」

 いつもの流れでは、リンが顔を真っ赤にしながら告白し、リーフは涼しい顔でそれを観察する。二人が出会ってから、何回となく繰り返されたやりとりだった。

「じゃあそれ、そーいうこと」

 上気した顔をごまかすように、リンは杯の中身を飲み干した。即座におかわりを注文する。

「それなら、ボクからも言うことが一つある」

「なによ」

「最近気付いたことで……まあ、気付いたからといって、何が変わるということでもないのだけれど」

 いつにも増して、勿体ぶった口調でリーフが言った。

「リン、君のことが嫌いではないみたいなんだ」

「は?」

「つまり、君の第一目標であった、ボクと友達になるということは達成できそうだということさ」

 おめでとう、とリーフは軽く手を叩いた。

 がくりとリンの頭が肩ごと落ちた。

「そういうこと言っちゃうわけ。あーーーーっ、もう、この朴念仁!」

 さらなる罵倒を正面からぶつけようと、リンが顔を上げた。しかし、リーフの顔を見て一瞬呆気にとられ、頬を膨らませるとそっぽを向いた。

「でも、笑えてるから許す」

「え」

 リーフが己の顔に触れた。口角が僅かに上がっていた。

 その事実に、本人が一番驚いていた。 

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