第20話 忌むべき子供たち・上

 陽炎の平原は、その名に違わずよく晴れていた。地平線まで続くのは腰丈の草むらと疎らに生えた低木の乾いた世界だった。偶に見上げるような木もあるが、暑さから逃れるために立ち寄ろうとすれば、大抵は木に潜む小型モンスターに襲われるのが世の常だ。

 そのため、人々は涼しい朝方に早馬をとばし、この広大な灼熱の窪地が牙を剥く前に通り過ぎるようにしていた。幸い、六足馬が牽引する馬車ならば、最寄りの小都市ポリス――テネシンまで昼前に到着できる。

 しかし、何らかの事情で馬車の恩恵にあずかれなかった人間は、太陽に焼かれながら、モンスターに怯えながら、一晩歩き続けなければならなかった。


  ◆ ◆ ◆


 熱気がゆらめく大地に敷かれた一本の道を、四人が進んでいた。

「純血種の神獣はどーしてモンスターに嫌われるわけー?」

 狙撃銃のケースと散弾銃を背負った黒髪の少女――リンが疲れきった顔で疑問を投げかけた。少し前までほぼ横並びで歩いていたが、暑さで足が重くなりいつの間にか最後尾となっていた。

「知らねぇよ。弱ぇから勝手にビビってんだろ」

 列の真ん中でエルヴァンと手を繋いだギルが、律儀に返した。空色の詰め襟に黒いマントを羽織り、馬車に乗せて運ぶ筈だった荷物を半分だけ背負っていた。

「原理とか理由とかどうでもいいんだけど、六足馬に嫌われるのなんとかならないわけー?」

「俺は大人しくしてんだけどっ」

 ギルが自分のせいではないとばかりに声を張り上げた。

「俺、のせい?」

 エルヴァンがおそるおそる赤い瞳をギルに向けた。ギルはちらりとエルヴァンを見たあと、少し気まずそうに視線を外した。

「かもな」

 見た目に違わず幼いエルヴァンに、気配を完全に制御することは無理難題だ。ギルは普段なら口をついて出る悪態をこらえた。

 かといって、フォローできるほど口も頭も達者ではないため、気落ちしたエルヴァンを励ますこともしなかった。気まずさのあまり左手で頭をかいた。

「で、何であんたはずぅーっとそのまんまなわけ?」

 どんどん声を低くしながら、リンは声を張り上げた。

「……ほっとけ」

 ギルは、もう構っていられないとばかりに口を尖らせた。

「どういうこと?」

 エルヴァンが振り向いてリンを見た。

「だーかーらっ、オンボロ骨董品らし――」

「あーーーーーっ!」

 ギルが突然大声を出して遮った。エルヴァンはギルの奇行に目を丸くし、リンも煩そうに手で耳あてをおさえた。先頭を歩くリーフもこの騒ぎに足を止めた。

「何をやっているのだい、君達は」

 リーフは疲労をまるで見せない翡翠の目で、後方のバカ騒ぎを眺めた。暗褐色の外套に茶色の三編みといういつもの扮装で正体を隠し、ギルが運ぶ荷物のもう半分を背中に背負っている。

「この調子だと、明日まで歩き通してもテネシンに着かないよ」

 溜息をつきそうな言葉を淡々と述べて、それでもリーフの表情は変わらなかった。

「ねー、ちょっと休憩しようよ。暑すぎてもう無理ー」

 リンの間延びした声が懇願した。

「さっき休憩したばかりじゃあないか」

 リーフは即座に却下した。

 丁度太陽が南天に輝いていた頃に、一行は木陰で休憩していた。木に潜んでいたヘイゲンドクトカゲは、ギルが尻尾を掴んで彼方まで投げ飛ばした。

 それから太陽はまださして動いていなかった。

「エルヴァンだって辛いよね、ね?」

 一番小さい同行者に、リンは同意を求めた。

「いや、俺、暑いの慣れてるし」

 リーフ程ではないが、余裕のある表情でエルヴァンは否定した。ギルがエルヴァンの手を引いているのは、歩幅の差で置いていかないように珍しく配慮しての行動であり、決してエルヴァンが疲れているわけではなかった。

「ああもう、竜種の体力バカっ!」

 誰も同意してくれない現状に、リンは太陽光で焼けるように熱い黒髪を掻きむしった。

 種族として、三人とリンの間には大きな隔たりがあった。体力温存のために寝ている相方イーハンを勘定に入れても、三対二で多数決に負ける。

 干からびてしまう前に、いかにこの日差しが常人並みの体力しかない――それでも後方支援の軍人としては十分に体力のある――リンにとって危ないものなのか、理解してもらわなければならなかった。

 その無為な労力を考えると、リンの頭を掻きむしる手は止まらなかった。

「!」

 リーフが突然南に顔を向けた。若干鋭くなった翡翠の目に、リンの雑念がさらわれて手が止まった。

 一拍置いて、ざあっ、と平原を突風が叩いた。乾いた草原が波打ち、砂埃が薄く舞い飛んだ。

 強弱を繰り返して吹きつける風に、ギルの顔が険しくなった。ギルは頭を左右にゆっくりと振り、何かを確認した。

「おいリン、イーハンは使えるか」

 ギルの言葉に、暑さに苛ついていたリンは反射的にかみつきそうになった。だが、只事ではなさそうな雰囲気にぐっと牙を収めた。

「起こせば使えるわよ、そりゃ。何よ、なんかいるの?」

「あそこだ」

 リーフが風の吹いてきた方向を指差した。リンも指先の方を見るが、よく晴れた空があるばかりで鳥すら飛んでいなかった。

「私には見えないけど」

「俺も見えねぇが、風の音が変だ。戦争バカ共のお出ましみたいだな。隠れたままこっちに来てやがる」

 ギルが『戦争バカ』と罵倒するものは、一つしかない。リーフ達がテネシンで迎撃する予定の大災害指定大型モンスター、神話にすら語られる荒くれもの、正式名称ヒヒイロコウテイリュウ、通称は火竜――そして、神獣としての種族は、争炎そうえん

「え、何それ、そんなこともできるってズルくない?」

「できるって知ってたけどな、喧嘩っ早ぇくせに顔も見せねぇとはふざけた野郎共だ」

 ギルの喉が獣のように鳴った。どすん、と背負っていた荷物を地面に落とし、その上にマントを丸めて捨てた。

 手を振り払われたエルヴァンは、所在なさげに目をさまよわせた。そして、一番邪魔にならなさそうな、突っ立ったまま動かないリーフに駆け寄った。

「あれは敵だ、撃ち落として構わない」

 リーフは空を指差したまま言った。リンには何も見えなくとも、リーフにはしっかりと知覚できているようだった。そして、リーフが〈害覚〉で明瞭に感じ取れるものは、一行にとって間違いなく敵なのだ。

「了解ー」

 軽く敬礼の真似事をして、リンは背負ったケースを地面に下ろし、ぱちんと開いた。

 ケースの中には、黒い銃身の狙撃銃が収まっていた。リンの故郷、リドバルド王国で正式採用されている狙撃銃とほぼ同じ型式だった。

 唯一の違いは、銃弾を装填するために引くレバーの持ち手がやたらと短く、握ることすら困難な仕様になっていることだ。

 リンは狙撃銃のストックを指で軽くとんとん、と叩いた。

「はいはーい、起きて起きてー、イーハン……イルハールス・エリオン・ライカぁー?」

 名前に反応して、狙撃銃の形をした魔剣が軽く震えた。

――はい、なんでしょうか。

 とりわけて特徴のない男の声が響いた。起こされたばかりにしては明瞭な声だったが、現状に対する困惑が少し滲んでいた。

「敵がいるからぶち抜きたいんだけど、いける?」

――いけると思います。

「よしっ」

 リンは狙撃銃を両手で軽々と持ち上げ、銃弾が詰まった弾倉マガジンを銃身にセットした。

「ぶち抜くのは別にいいんだけどな、面倒臭ぇから殺すなよ。あいつらマジでしつこいからな」

 狙撃の準備を進めるリンに、ギルが忠告した。

「はぁ? じゃあどうしろっていうのよ」

「前も言ったじゃねぇか、翼だつ、ば、さ。片方叩き折ればどんな野郎でも大人しくなるぜ」

 自らの背中を指さしながら、ギルが言った。

「あーはいはい、ご忠告どうもありがとう」

 リンは感謝の念が一切籠もっていない言葉を返した。

 次にリンはリーフが指差した方向に銃口を向け、状況をイーハンに見せた。

「どう、分かる?」

――結界でぼやけてますけど、当てるくらいならなんとか。

 リーフにしか捉えられていなかった敵の姿を認識し、イーハンが言った。

「よし、照準お願い」

 リンは腰のベルトに左手を伸ばした。バックルの狼を象った装飾に指をあて、スライドさせた。

「変身」

 短く呟いた言葉と共に、リンの姿は獣へと近づいた。黒い革のジャケットが毛皮に、耳当てが三角の耳に、細い手指が前脚に変貌した。

 銃のストックを右胸と鎖骨の間に当て、銃口を空に向けた状態でリンは照準器スコープを覗き込んだ。毛むくじゃらになった指を引き金の横に添え、両腕で銃をしっかりと支えた。

 通常、狙撃銃は射撃精度を確保するために地面に銃身を固定する。しかし、今回は仰角が大きすぎるが故に、通常のライフルのように構えていた。

――距離は五十猟身りょうしん、高度は一定のまま詰めてきています。

 イーハンが、独自に取り決めた単位で標的との距離を告げた。銃身に僅かに上向きの力がかかった。リンはそれに従って銃口を少しずつ上げた。

――そこです。

 イーハンの言葉に、リンはぴたりと動きを止めた。相変わらず照準器には何も映っていなかった。しかし、イーハンがいるというのならば、そこに獲物はいるのだ。

 イーハンの知覚能力はリーフの〈害覚〉と同じように、概念的に対象を捉えることができた。ただし、判断基準はイーハンの餌になるかならないか、という二択だった。吸血鬼ストリクスは神性に由来するその感覚を頼りに、餌を狩るのだ。

 敵と敵以外で識別するリーフは、自らの感覚を『被食者の視点』と自嘲気味に称し、イーハンの食欲で満たされた視界を『捕食者の視点』と呼んだ。

「この角度だと二十猟身が限界ね。装填」

 リンの指示に合わせて、銃の中からがしゃんと音が鳴った。短すぎるレバーが勝手に動き、一発目の銃弾が装填された。

――三十猟身、二十九、八、七、六……

 イーハンが見えない敵との距離を測りながら、銃口を僅かに動かして微調整した。リンの親指が安全装置セーフティをかちりと外した。

――三、二、一。

 銃口は異様な熱気が昇る空に向けられたまま動かない。引き金に人差し指がのる。


  ったーーーーーん


 内臓を震わせるような鋭い発砲音が、蒼天に響き渡った。


  ◆ ◇ ◆


 霞んだ陽炎から赤い塊が吐き出された。数は三つ。二つは高度を上げ、一つは墜ちた。

 牛や馬より遥かに大きな赤い物体は地面に激突し、盛大に土煙が上がった。激突音とも咆哮ともつかない衝撃が、不安気なエルヴァンの顔を打った。

 白い土煙を割って赤いあぎとが吠えた。わにのように大きく裂けた口腔に、鋭い歯をびっしりと並べた恐ろしい肉食獣の頭だった。長い首に支えられた頭は隙間なく硬質な赤い鱗で覆われ、頭頂部には茨のような角を一対掲げていた。

 全貌は土煙に隠れてリンにははっきりと見えなかったが、その体格は馬どころか攻城兵器か戦車と同等だった。さらに、長大な翼の影がぶわりと広がってより体格を大きく感じさせた。

 赤い竜は撃ち落とされた屈辱を吠え立てた後、一旦口を閉じた。閉め切った口の隙間から細い白い煙が上り、続いて赤い炎が零れた。

 途切れない二発の銃声が翼に突き刺さった。赤い結晶を散らして、翼に二つの穴を穿った。

 翼を貫かれる苦痛に、竜は堪らず炎を呑み込んだ。銃弾が竜種の硬質な翼を削って弾痕をつくる度に、竜の喉から苦悶の音が漏れた。

 不時着の衝撃から身体が動かないのか、竜は最低限の身をよじる動きで銃弾から逃れようとするが、その程度で狙いを外してあげられるほどリンは優しくも下手くそでもなかった。

 リンが引き金を引き、銃口が火を噴いた直後に、勝手にレバーが引かれて空薬莢が排出、即次弾が装填される。

 騒動霊ポルターを用いた擬似的な自動機構狙撃銃――それが魔剣イルハールスの今の姿だった。

 リンの頭の上から怒りの咆哮が降った。同胞を執拗に攻撃する銃弾を止めさせるべく、二頭の竜が上空から襲いかかった。鋭い爪を備えたたくましい前脚を、リンを八つ裂きにするべく振り上げたまま急降下する。

 リンはまるで気付かないかのように、次弾の照準を合わせた。

「こっちを無視してんじゃねぇよ!」

 ギルが遮光眼鏡を捨てて疾駆した。黒い長剣をマントの下から抜き放ち、竜めがけて跳躍する。竜の赤い目が、ギルの朱い目を見てかっと開いた。

 動揺した竜が反転し僅かに胴を浮かせた。浮いた胴の下を剣閃が掠める。ギルは外した〈伸長エクステンド〉の一閃に舌打ちしながら重力に従って着地した。

「はっ、へっぴり腰のびびり野郎かよ」

 悪態をついた直後、ギルの頭上に槍状の結晶が現れた。放出系結晶術〈飛槍ジャベリン〉が、竜の周囲に六本生成された。ギルに向かって六本の槍が同時に放たれる。長剣の伸びた切っ先が槍を薙ぎ払って片端から粉砕した。砕けた赤い槍は炎へと変わり、中空で霧散した。

 代償として、〈伸長エクステンド〉の長剣は維持不可能なまでに摩耗した。元の長さの剣身に戻ることなく、ギルの手の中で砕けて消えた。

 滞空したまま、竜たちは〈飛槍ジャベリン〉の第二波を練り上げた。二頭合わせて十二の槍が空中に現れた。ギルも迎撃すべく、刃のない黒い投剣を一組精製した。

 今度は一斉に射出せず、連続した攻撃が二点に向けて放たれた――一方はギル、もう一方はリンに向けて。

「まあそう来るよなぁっ!」

 ギルはリンを狙う〈飛槍ジャベリン〉に右手の投剣を投げつけ、自らは軽い足捌きで赤い槍を躱した。

 投剣は〈炸裂バースト〉によって、〈飛槍ジャベリン〉を粉砕した。続けて左手の投剣を右手に持ち替えてリンをさらに援護する。

 その間も、リンは冷静に撃ち落とした竜の翼に銃弾を叩き込んでいた。

 撃ち込んだ銃弾は合計六発、ことごくが翼を貫通していた。痛みに耐えかねてか、竜は四つ足を一歩も踏み出せず、ただの的と化していた。

 頭上で投剣が槍を巻き込んで爆散しようと、リンは動じる隙を見せなかった。


  ったーーーーーーん


 七発目の銃弾が、竜の左の翼を真ん中から破壊した。一際大きな叫びが竜の喉から吐き出される。

「おう、初竜討伐おめっとう! それ以上はやめてやれ!」

 倒れ伏す竜を一瞥いちべつすらせずに、ギルが声を張り上げた。精製したばかりの投剣を投げてリンを執拗に狙う槍を破壊した。僅かに頭を傾け、己を狙う攻撃も紙一重で避けた。

「つーかいい加減逃げろ!」

「分かってるって!」

 リンは狙撃銃イーハンを抱えて走り、断続的に降る槍からの回避に移行した。走るリンの後ろの地面に、ぐさぐさと槍が刺さった。ギルも刃の精製を一旦止めて回避に徹した。

「リン、受け取れ!」

 突然のリーフの声にリンが顔を向けると、文字通り尻を蹴り飛ばされたエルヴァンがよろめきながら突っ込んできた。

「うわわわっ!」

「ちょっと、ま――」

 重量と長さのある狙撃銃を両手で支えるリンに、少年を受け止める腕はない。転びかけたエルヴァンの全体重を胸で受け止め、リンは諸共ひっくり返った。

 リンの足を掠めて槍が突き刺さり、黒い毛皮に覆われた首筋に冷たい汗が滴った。

「ふざけんなっ!」

 エルヴァンの頭を胸で抱えたまま、リンはがばりと上半身を起こした。突然のリーフの暴挙に、全身の毛を逆立てて怒鳴った。

 リーフは荷物とかつらを捨てて駆け出していた。外套の白い裾をはためかせ、空から降る槍を躱しながら疾走する。

 リンを狙っていた〈飛槍ジャベリン〉は、ぴたりと止んだ。第三波は標的をリーフに変更し、矢継ぎ早に降り注いだ。

 エルヴァンを跳ね除けて立ち上がろうとしたリンは、そこで強烈な違和感を覚えた。何故、竜に攻撃できる自分を攻撃しないのか。どうしてさっきまでリーフは攻撃されていなかったのか。

「あれ、もしかして――」

 リンは自分の胸にくっついたままの少年を見た。

 赤髪赤目の少年は、瞬きひとつせずにリンの豊満な胸の間に顔をのせていた。獣化によって毛皮に近い柔らかさになった胸の間に、顔がのって胸の形が変わっていた。

「なにこれ、すげー柔らかい」

 興味津々でリンの胸に手を伸ばしかけたエルヴァンを、リンは首根っこを掴んで即座に引き剥がした。そのまま片手で宙に吊る。

 リンの顔の、大部分の毛に覆われていない肌が真っ赤に茹で上がっていた。口角と目尻も羞恥と怒りで細かく痙攣けいれんしていた。

――エルヴァンさん、それは女性にやっちゃ駄目なやつです。

「え、そうなの」

 狙撃銃イーハンの指摘に、エルヴァンはきょとんとした。リンは肩まで震えていた。

「あーーーーーっ、そういうことしていいのはリーフだけなのにいいいいいっ!」

 我慢の限界に達したのか、リンが絶叫しながらエルヴァンをぶん回した。女の細腕らしからぬ怪力で、赤毛の残像が見える速度を保って振り回し続けた。

 エルヴァンはあっという間に目を回して抵抗する力さえ奪われてしまっていた。イーハンがリンを宥めにかかったが、暴走したリンは聞く耳を持たずに騒ぎ続けていた。

「多分、半分くらいはギルがやったやつだよ」

 リンに聞こえないくらいの声量でぼそりとリーフが言った。左足を半歩引くと、そこに槍が刺さった。

 リーフが自発的にリンに触ろうとしたことは片手で数えられるくらいしかなかった。

「半分どころか殆ど俺だろ。つーか今それ言うな、超絶めんどくせぇから」

 耳聡くギルが即座に返した。手にした黒い小剣で槍を弾き、リーフの隣に並んだ。

 リンとエルヴァンから〈飛槍ジャベリン〉の弾幕を遠ざけるため、リーフとギルは距離をとって迎撃していた。

 とはいえ、ギルの〈伸長エクステンド〉の剣も、〈炸裂バースト〉のナイフも空を飛ぶ竜には届かない。

 現状、有効な攻撃はリンの狙撃のみだったが、リーフの目はギルに向けられていた。

「ギル、いつまで遊んでいるつもりだい」

「遊んでねぇよ」

 ギルは口を尖らせて反論した。

「本気を遊ばせている自覚がないのは重症だよ」

 リーフは槍を右腕で弾き、そのまま手をギルに差し出した。

 差し出された手を見て、ギルはますます面白くなさそうな顔をした。

「別に俺が本気出さなくたって、リンがやりゃあ問題ねぇだ――」

 片方の竜が、大きく胸を膨らませた。ゴウッ、と空気を抉る音と共に竜の裂けた口から炎が吹き出す。神性の塊そのものの炎が波濤となってリーフとギルを呑み込んだ。

 リーフの背中から白い結晶が翼となって広がった。身を翻したリーフの翼が、地面に突き立って炎を受け止めた。リーフとギルの立つ地点で炎の波が割れた。

 少し遅れてもう一頭の竜も炎を喉から放出した。二人を狙って叩きつけられた炎は周囲にあまり広がりをみせなかったが、飛び散った火の粉は草原の乾いた大地を焦がし始めていた。

 熱気すら遮断する翼の盾の背後で、リーフの翡翠の目はギルを見据えていた。

「今日に限って、いや最近どうしてそこまでやる気がないのか」

「そりゃ、あれだ・・・・・・えーっと」

 ギルは気まずそうに目を伏せた。

「折角綺麗に顔を作っているのに、もう一度焼けるつもりかい」

「綺麗なのはテメェの顔だろーがっ!ああもう分かった、本気出せばいいんだな本気出せばっ!!」

 ギルはやけくそ気味に差し出された手を掴んだ。

 リーフが握り返した手の中には、剣の柄があった。黄色味がかかった、使い込まれた色の金属でできた柄だった。同じ色のつばには精緻な蛇の彫刻が絡みついていた。剣の刃は仄かに赤い奇妙な色合いで、リーフの細身に似合わない長大な両手剣だった。

 地面に落ちた金属の人形を〈翼蛇ニドヘグ〉が口にくわえて回収し、リーフの外套の裾にするりと入り込んだ。

 長い呼気の終わりと共に、炎はか細くなって途絶えた。延焼する草原の中で、リーフはただ一人、すす汚れ一つなく立っていた。

 リーフは空を飛ぶ竜に向き直ると、両手剣を胸の前に掲げた。畳んだ翼の直上で、黒い結晶が二本の槍を形成した。

――お返しだゴラァッ!

 ギルの怒声と共に黒い〈飛槍ジャベリン〉が竜めがけて放たれた。二頭の竜は旋回して危なげなく槍を回避した。

 旋回によって位置を交換した二頭は、再び〈飛槍ジャベリン〉を展開するために滞空体勢をとる。滞空に切り替わった瞬間の赤い翼を黒い槍が貫いた。

「止まらねぇと術の展開ができねぇたあ、マジでクッソ弱いな」

 リーフギルは墜落する二頭の竜を見て吐き捨てた。リーフの背中の翼がばらばらと崩れ落ちていた。

 試しの第一射から、本気の第二射までの間に予備動作めいたものはなかった。槍の生成から射出までがほぼ同時、速度も銃弾に迫っていた。

 竜たちの技を児戯と嘲笑うような、圧倒的な精度の術だった。

――やっぱ俺出なくてもリンだけで勝てたろ、これ。

 一瞬本気を出しただけで、ギルはやる気を失って引っ込んだ。一度崩れかけた白い翼が、再び形をなした。

「今更退くとは、君らしくない」

――あんなクソ弱竜共に退くわきゃねぇだろ! ここまできたらやってやるっての!!

 リーフが発破をかけて、魔剣ギルスムニルの表面にばちんと朱い稲妻が奔った。散った朱い閃光が、野を焼く炎をふきとばした。

 翼に黒い槍を生やしたまま、二頭の竜は長い首をもたげた。翼が完全に砕かれぬうちはまだ戦うつもりなのか、闘志に満ちた二対の目がリーフを睨んでいた。竜たちとリーフの間は歩数にして五十歩、互いに切り結ぶには距離を詰めることが必須の間合いだった。

 リーフは両手で魔剣を構え、低く前傾姿勢をとった。翼を縮こませるように力を溜め、踏み込みと同時に羽ばたく。焼け焦げた草の先を走るように滑空した。

 竜たちはかぎ爪のついた四つ指の前足を大地から離し、たくましい後ろ足で立ち上がった。突っ込んでくるリーフに対して、食らいつくように前足を振り下ろした。

――前だっ!

 ギルの鋭い声が早いか、リーフの再加速の踏み込みが早いか――確かなことは、赤いかぎ爪をすり抜けた白い外套が竜の背後に回った現実のみ。

 金属製のブーツの踵ががつんと地面に白い杭を打ち、杭を軸にリーフの身体が反転した。遠心力に若干振り回されながらも、細腕で朱い閃光を纏う両手剣を振り上げた。

 抜けられた側の竜たちも即座に反応し、太い尾で地面を大きくなぎ払った。草原が抉れて土が舞いとんだ。

 竜が尾で大地の表面をふきとばしたときには、リーフは跳躍して右の竜に詰め寄っていた。

 振り返りざまに竜の顎ががばりと開く。致命傷を与えるに足る噛みつきが、リーフを襲う。

 背の翼を一度だけ羽ばたかせ、リーフは軌道を変えず宙を一回転。竜の顎に左足を突っ込む。顎が閉じられる前に口腔内で足を踏ん張り膝まで結晶で固定。顎の力よりも結晶の強度は勝り、顎は閉じきらない。

 そのまま竜の顎を足場に、リーフは両手剣を振るった。朱の閃光が刃から飛ぶ。赤い翼の片方が根元近くから断ち切られた。

 断末魔をあげた一瞬で緩んだ顎を蹴り、竜が倒れる前にリーフは離脱した。

 両足で着地したリーフが頭上に両手剣をかざす。間髪入れずに四本のかぎ爪を剣が受け止めた。

 最後の竜が吠え、かぎ爪でリーフをなぎ払った。まともに食らったリーフの身体が吹っ飛ぶ。

 リーフは地面に叩きつけられ五、六回転して止まった。衝撃で痺れた身体を無理やり動かし、即座に立ち上がった。剣を再び構える腕は少しふらついていた。かぎ爪は外套の守りを破れなかったが、全身を打ちつける衝撃はさすがに堪えたようだった。

 神性術よりもこちらの方が効くと看破し、竜はリーフに突進した。

――だから竜相手に軽すぎるつったろ。あんまり食らうとテメェでも保たねぇからな。

「確かに、これだと守りの上から肉団子にされてしまいそうだ」

 再び叩き潰さんとする竜の左前足を回避、続く右のかぎ爪を剣で受け流す。さらに左の追撃を右に大きく跳んで避けた。

 外套から剥がれた白い結晶が散る中で、リーフの口元が不敵につり上がった。地面を強く踏みしめ、構えが変わった。

 迫る右のかぎ爪の下に、リーフの身体が潜り込んだ。振り下ろされた竜の前足が半ばから切り飛ばされる。攻撃の勢いのまま、竜はバランスを崩して前に倒れこんだ。

 リーフギルは翼なしで跳躍し、上段から竜の右の翼を両断した。

「弱ぇ割には、久しぶりのいい運動になったな」

 倒れて動かなくなった竜を背に、暗褐色の外套姿のリーフギルが言った。背中に剣を仕舞おうとして、固定用の帯を巻いていないことに気付いた。代わりに、剣の先を無造作に地面に突き刺した。

「おーいクソ狼、生きてっかー」

 両手を口元にあて、リーフギルは叫んだ。かぎ爪で吹っ飛ばされたおかげで、リンとリーフの間にはかなり距離が開いていた。

「生きてるに決まってんでしょ、この馬鹿骨董品!」

 構えていた狙撃銃を下ろして、リンが怒鳴った。リーフがいよいよ危なくなったら、いつでも割り込むつもりで用意していたのだ。

 リンの横で、エルヴァンは口をぽかんと開けてリーフを見ていた。

 リーフギルはエルヴァンの顔を見て、途端に渋い顔になった。

「ねえ、リン」

「ん、どしたのエルヴァン」

「ギルって、どこにいるんだ」

「いるでしょ、ほらリーフの横に刺さってる」

「え……ていうことは……ギルって」

「あれ、知らなかったっけ。あいつはリーフと契約してた魔剣よ」

「本当に、ギルが魔剣……?」

 エルヴァンとリンのやりとりは、リーフギルの位置でも十分に見てとれた。

「あー、くそ。だから嫌だったんだよ」

 リーフギルは頭をがりがりと掻いた。

「君の態度の原因はエルヴァンか。彼に正体を知られるのがそんなに嫌だったのかい」

 リーフが問いかけると、リーフギルは口をへの字に曲げた。

「ああそうだよ。だってなあ――」

 リーフギルは、地面に突き刺した魔剣に目をやった。

「魔剣なんて全部クソだろ」

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