第19話 雷のやくそく、鉱石の目・下

 イーハンが鼻を鳴らしてリーフの髪に顔を寄せた。

「もう血の臭いはしていないです」

「そうかい」

 リーフは茶色の前髪を軽く手で直した。目立つ月色の髪を再び隠し、三編みのかつらをかぶっていた。イーハンも金髪を黒いフードで隠し、ひょろ長い背中を丸めてできるだけ目立たないようにしていた。

 二人は屋台の立ち並ぶ通りの外れで佇んでいた。戦いでついた汚れはすっかり落とし、昼間の攻防などなかったような顔をしていた。

「お待たせー」

「お疲れ様です」

「ああ」

 屋台料理の包みを持ったリンが、二人に合流した。

「ちゃんとリーフの分も買ってきたからねっ!」

「ボクは別にいらない」

「駄目! 食べないともたないよ」

 リンの厳しい言葉に、リーフはあからさまに嫌そうな顔をした。

「どうせ食べたところで……」

「食べたところで?」

「……何でもない」

 顔を逸らしたリーフだったが、リンは即座に回り込んだ。

「食べたところで?」

「……」

「食、べ、た、と、こ、ろ、で?」

「……全部塵芥ごみみたいな味がする」

 リーフはとうとう観念して告白した。

「酒で流し込んだら多少はマシなのだけれど、何を食べても不味く感じる」

「あー、それでギルさんに付き合って夜中に飲んでるんですね」

「えっ! それ初耳!」

 リンの顔がイーハンの方にぐりっと向けられた。

「リンさん、一口で潰れてますもんね……」

「しかも記憶がないときた。盛られて寝台に連れ込まれることだけは気をつけなよ。初めてでやられるとかなりきつ――」

「あーーっ! 道端でなんて話してんのよ、馬鹿っ!」

 リンは顔を真っ赤にして、勝手に歩き始めた。

「もう、無駄話してないで早く帰るっ!」

 すたすたと宿の方へと歩いていくリンの後ろ姿に遅れて、リーフとイーハンも歩き始めた。

「今のは助かったよ、ありがとう」

 リーフは歩きながら、前を向いたままイーハンに話しかけた。リンと話していたときの苦い表情はすっかり抜け落ちていた。

「あはは、いいですよ。今日はお腹いっぱいになれましたし」

 イーハンもまた、リーフの方を見ないで返した。イーハンが話題をずらしたのはわざとだった。リンがリーフとギルの関係について、知らないことに間違いなく食いついてくることを知っての発言だった。

 実は、イーハンはリーフの抱える問題について、リンに先んじて知っていた。以前、始末した追手をイーハンが片付ける際に、「これで多少は味が戻る」と解体された人間の横でリーフが保存食を齧っていたことがあった。

 リーフは敵意に対して鋭敏な感覚を持つ代償として、五感に負担がかかっていた。特に、敵意を持った人間が近くにいると味覚が真っ先に駄目になるのだ。

「でも、いいんですか。ギルさんに言って、代わりに食べてもらった方が……」

 イーハンはリーフに、ギルに憑依された状態で食事を行うことを提案した。リーフの味覚障害は精神的なものであるため、ギルの感覚にまで影響が及ばないのだ。

「そこまでギルの世話になるつもりはない。ギルが食事をすることでボクにも多少返ってくるから」

 本来はギルとの契約で、リーフは死んでギルに身体を譲り渡す予定だった。結局、横槍のせいで契約は曖昧になってしまったが、完全に繋がりがなくなったわけではない。寧ろ、魔剣との同調という意味では以前よりも強くなった。

 その副産物として、これまでギルの活動で一方的に消費されていたリーフの体力が、ギルの食事によってある程度回復するようになっていた。だが、あくまでも補助的なものであり、全て補えるわけではない。

「すぐに餓死するわけでもなし、手遅れになる前にはなんとかするさ」

 いつも通りの他人事のような言葉に、イーハンは苦い笑みを浮かべた。


 宿には先にギルが戻ってきていた。

 一行が使っているのは三番目に安い部屋、複数人向けの大きめの部屋に雑魚寝用の布団がついたものだ。因みに、一番安いのは共同の大部屋で、次に安いのは雑魚寝できる団体部屋の布団なしである。

 寝台つきのもう少し高い部屋を取れるだけの資金はあったが、リンの金遣いの荒さを警戒してリーフが節約志向に舵をとっていた。

 そんな安い部屋であるからして、椅子やテーブルなどあるわけがなく、ギルと赤毛の少年は向かい合って床に胡座をかいて夕食をとっていた。床に直接置いたランプが部屋を明るく照らしていた。

「って、何でギルがご飯買えてるの!? 計算が一切出来ない馬鹿なのに!」

「うるせぇっ! さすがにコインの数くらい数えられるっつーの!」

「それで、釣りはいらねぇ、とかカッコつけてたんだ」

 少年がぼそりと言った。ギルとリンは同時に信じられないものを見たとばかりに目を見開いた。

「バラすな!」

「え……さすがに引く」

「ギル、計算できないんだ」

「そうそう、三たす三は七とか言っちゃう馬鹿なのよこの馬鹿」

「うわっ、すげー馬鹿じゃん」

「テメェら……」

 リンと少年から言葉の集中砲火を受け、ギルは何も言い返せず悔しそうな顔をした。

「多分無事だとは思っていたけれども、特に問題はなかったようだね、ギル」

 ギルを弄る流れをぶった切ってリーフが言った。

「……あんなのに遅れを取るわけねぇだろ、俺が」

 左右から馬鹿だ馬鹿だと騒がれて不貞腐れながらも、ギルは返した。リーフ達が倒した数の倍以上を相手にしていた筈だったが、特に目立った怪我をした様子もなかった。

「それで、そこの少年は一体何なのだい?」

 リーフの目が少年に向けられた。

 人目を気にする必要のない屋内で、少年はマントを脱いでその目立つ容姿を晒していた。癖の強い赤い髪を肩まで伸ばし、同じ色の眉と睫毛と瞳も持っていた。体格はおおよそヒトの十二歳くらいで、背丈はリーフの肩に届く程度だった。

 貫頭衣から突き出たひょろりとした手足は昼間のやり取りで擦り剥けていたが、それ以外に目立った外傷はなく至って元気そうに見えた。

「俺はエルヴァン、ギルとおんなじ竜種でーす」

「種族は違ぇけどな、俺は月喰げく、コイツは争炎そうえん、因みにあっちの美人は景月かげ混血ネロッド

 ギルは親指で自分自身、少年、リーフの順番に指した。

「そこのやたら胸がデカい馬鹿力のクソ女は真太まひろ、後ろの影のうっすいヒョロガリは闇夢あんむのクソ烏だからぜってーに二人きりになるなよ」

 続いてリンとイーハンも人差し指で指した。

「あれー、何か言ったー? 計算できないクソお馬鹿のギル?」

 流れるように自然な悪口を聞き逃さずに、リンはすぐさま反撃した。

「他人のお財布事情に首突っ込むくせに、掛け算どころか足し算すら覚束無い馬鹿のギルが何か言ったー?」

「別に俺が計算出来なくてもリーフがいるから別にいーだろしつけーんだよクソ狼!」

「二人共、一番貨幣経済と付き合いの短いボクが、財布を管理しなければならない現状を奇妙だと思わないのか」

 リーフの無情な言葉が平等に二人に突き刺さった。

「それで、ギルはどうしてこの、エルヴァン君を助けたのだい」

 再び流れをぶった切ってリーフが言った。

「テメェが母親ぶっ殺した理由とおんなじだよ」

「ん?」

「昔、争炎が困っていたら助けるって誓約を結んだんだよ。俺もすっかり忘れてたんだが、こいつの声聞いたら勝手に反応しちまって」

「今朝あんだけボロクソに言ってたのに、そんな約束するって……変態?」

 リンが雷に打たれたような顔になった。

「ちっっげぇっ! それぐらい重くしねぇと釣り合い取れなかったんだよっ!」

 即座にギルが否定した。

「じゃあ一体どんなお願いしたのよ」

「それは……テメェにだけはぜってぇ言わねぇ」

「何で」

「……」

 完全にへそを曲げた顔でギルは黙りこくった。言わんとしていることを、すぐにリンは察した。

「じゃあ先に言う、ばーかばーかばーーーーか」

「リンさん、さすがに言い過ぎでは……」

 ここぞとばかりに一方的に言葉で殴るリンを、はらはらしたイーハンが宥めに入った。

「絶対今度泣かす……」

「ギルさん今の声何処から出しました!?」

 いつもの嘲るような調子が抜けた、ドスと殺意に似た何かの効いた声にイーハンは勝手に震え上がった。

 罵詈雑言の茶番が進むことを他所に、リーフは夕食を食べているエルヴァンの横に座った。腰の片手剣は剣帯から抜いて後ろの布団の上に置いた。

「それで、どうしてあの連中に追われていたのだい。エルヴァン君」

「エルヴァンでいい。そういう呼び方されると、嫌な大人を思い出すから」

「ではエルヴァンと呼ぼうか。ボクのことはリーフと呼んでくれないかい」

 人形のような無表情で友好的な言葉を紡ぐリーフを、エルヴァンは奇異な目で見ながらも頷いた。

「此処は争炎族が住む地域からは少し離れているそうだけれど、一人でここまで来たのかい」

「ううん、親父の友達が連れてきてくれた」

 リーフは僅かに眉をひそめた。

「父親の友達? それは争炎族なのかい」

「えーと……あれ、おかしーな。どんな奴だったっけ」

 エルヴァンは自分の頭を押さえて首を傾げた。

「まあいい、あの連中には何処で目をつけられたのだい」

 エルヴァンが考え込む前に、リーフが次の質問を投げた。

「一昨日この町に来て、昨日からなんか怪しい奴がちらちらこっち見てた。それで、今日の朝、外に出たら追いかけてきた」

「ということは、計画的に君を捕まえるつもりだったのか。いや、君を、というより争炎族であれば誰でも良かったのかもしれない」

 リーフは懐から硝子瓶を取り出した。瓶の中には青い液体が波打っている。始末した魔戦士からの戦利品だ。

 瓶の栓を抜き、リーフは鼻を近づけて液体の匂いを嗅いだ。

「やはり、これは竜種にのみ効果がある痺れ薬だ。元から竜種を襲うつもりがなければこんなものを持つ筈がない」

「げっ、あいつらそんなもん持ってたのか」

 エルヴァンの顔が強張った。ギルが割って入らなければ、危うくそれを飲まされるところだったのだ。

「おい! 危ねぇからそんなもん捨てろ!」

 『痺れ薬』という言葉に反応したギルが血相を変えて硝子瓶を指差した。

「嗅ぐくらいなら害はないよ。後、他にも怪しい物を持っていたけれど、同じようなものだろう。明日、敬狼会ガルマエラで調べて貰おう」

 リーフは硝子瓶をきっちりと閉め、懐に戻した。

「リン、敬狼会まで頼みにいってくれないかい」

「え、リーフは行かないの?」

「ボクが行ったところで、嫌な顔をされるだけだろう。その間、イーハンと少し偵察してくる」

 そもそもリンが代表という建前だっただろう、とリーフはしれっと言った。リンの顔がすこしむくれた。

「クソ烏の弱さじゃ戦力にならねぇだろ、俺も行く」

 ギルが口を挟んだ。

「偵察と言っただろう、それならイーハンの方が適任だよ。戦闘にはならないようにする」

「言って回避できりゃ世話ねぇよ」

 ギルの主張も間違いではなく、リーフは少し考えてから提案した。

「まずいと感じたらすぐに知らせるようにしよう。狼煙代わりに〈炸裂バースト〉の投げナイフを一本作ってくれないかい」

「作動条件は?」

「循環切断型、作動から二呼吸で爆発するように調整して。緊急停止の機構はなし、威力と汚染は最低限に抑えて閃光重視で」

「光らせるのが一番神性バラ撒いてんだけど。朝までにゃ作っとくからな」

 待機することに不満はないようで、ギルはあっさりと引き下がった。

「煙幕も使い切ったから、そちらの構築の手伝いも頼みたい」

 こちらには、ギルは嫌そうな顔をした。

「はー……早く術構成覚えろよ。あんなの結晶術の基礎の中の基礎だぜ」

「努力はしている」

「飯食い終わったらやるぞ。元契約者もちゃんと食えよ」

「はい、これリーフの分」

 リーフが口を開くよりも速く、リンが目の前に夕食の包みを突き出した。意趣返しとばかりにとても良い笑顔だった。

 リーフの目がイーハンに向けられた。イーハンは苦笑いを浮かべて己の分の小さい包みを捧げ持っていた。

「……」

 観念して手袋を外し、リーフは包みを受け取った。包みの中身は煮豆と少々の肉を挟んだサンドイッチだった。

 硬いパンの端からかりかりとかじり、空の胃袋に栄養を落とし込む作業を始めた。

 苦行のように食事をするリーフの隣にリンも座り、食事を開始した。

 続いてイーハンが少し離れた場所に座って包みを開き、ギルとエルヴァンも串に刺さった硬い肉を頬張った。

 それぞれが薄暗い部屋で黙々と夕食を食べ進めた。

「エルヴァンは、また襲撃があるかもしれないから、明日もギルの側から離れないように」

 何とかサンドを半分まで飲み込んだリーフが、思い出したようにエルヴァンに向かって言った。

「え、うん、分かった」

 エルヴァンは食べ終わった串を名残惜しそうにかじっていた。リーフに突然声をかけられて少し肩が跳ねた。

「なー、どうして俺を助けてくれるの」

 恐る恐るエルヴァンはリーフに尋ねた。

「君が困り続ける限り、ギルが突然すっ飛んでいく可能性があるからだ。連中との件が片付いたら、大人しく家に帰ってほしい」

 此方は大変迷惑している、とリーフは言い切った。リンも追従して頷いた。イーハンは曖昧に笑って誤魔化した。

 あからさまな態度に、エルヴァンの表情が固まった。

「えー、うん、まあ。そうだよなー」

「これ以上一人でうろついたって、石投げられるか、またとっ捕まるかだろ。悪いこと言わねぇから帰れ」

 ギルも比較的寄り添った辛い言葉を投げかけた。

「う……でも、なー」

「此処なら俺が助けられるけどな、他で襲われたって助けが来るとは限らねぇぞ。つーか、絶対来ねぇ」

 危険な状況だと分かっていながらも煮え切らないエルヴァンに、ギルが畳み掛けた。

「エルヴァンがいる限り、ギルの動きが制限される。いや、そもそも……」

 そこでリーフは何かに気付き、俯いたまま黙りこくった。

 そろそろとエルヴァンがリーフの顔を覗き込んでいると、リーフは急に顔を上げてギルを見た。

「因みに、ギル、仮に目の前に二人の争炎族がいたとして、別々に助けを求められたらどうなる」

「ぜってーにそういうことにはならねぇから、あいつら無駄にプライド高ぇし」

 そんなことは考えたくもないとばかりに、ギルは口を曲げた。

「鏡を見ろ。もしもの話さ。二人同時に助けを求められ、しかし同時には助けられないとしたら、君はどう動く」

 リーフの問いかけの意味を掴みきれずに、ギルは首を傾げた。それでも足りない頭を捻って自分なりの答えをゆっくりと出した。

「俺なら少しでも先に助けを呼んだ方を助ける。それから次だな。それくらいは意思で選べる」

「では、エルヴァンが家まで送ってほしいと言った場合、家に送る道すがらに他の争炎が助けを求めても無視できるのかい」

「そりゃ、そっちが先だからな」

 ギルは即答した。リーフの目がすっと鋭くなった。

「決まりだ。エルヴァン、ギルに家まで送ってくれとお願いしろ」

 リーフは食べかけのサンドでエルヴァンを指した。エルヴァンの目が丸くなった。

「何で!?」

「簡単な話さ。君が争炎族だから狙われたとして、争炎族の目撃情報が多いこの先で他にも襲われている者がいる可能性が高い。そして、助けを求められたらギルは強制的に介入させられてボクらは迷惑を被る。だが、君がお願いすればギルはそれを無視できるということさ」

「つまりは虫除けってことね。うーん、発想がクズい」

 言葉とは裏腹に、リンは肯定的な笑みを浮かべていた。

「そんだけの理由で俺に戦争バカ共の本拠地に行けってか!」

 当事者であるギルは抗議した。これ以上、争炎族と深く関わり合いになりたくないようだった。

「ボクが代わりに届ければいい。だってこと、忘れていやしないかい」

「うぐ……」

 思いがけない抜け道に、ギルは呻いた。ギルとリーフの契約のことを知らないエルヴァンは、ギルの反応に首を傾げた。

「提案したからには、それくらいの責任は勿論取るつもりだ」

「戦いに行くんじゃないしね。あんたも大概戦争脳じゃないのー」

 ギルを困らせる機会を感じてか、リンもリーフの提案に乗り気だった。もう一人の当事者であるエルヴァンを差し置いて、話は進んでいった。

「それってさ、俺が嫌だって言ったらどうなんの」

 拒否権が剥奪されたまま進められる話に、エルヴァンが意見した。

「手始めに、今夜は軒先に吊るされて寝ることになるだろうね」

 淀みなくリーフが計画を述べた。

「その先が知りたいならば、反抗してみるのも一興かもしれないよ」

 エルヴァンが泣きそうな顔をギルに向けたが、ギルは顔を背けた。

「諦めろ、こいつはこういうところですげぇ陰湿だから」

「君も一緒に吊るされるかい」

「何でもありません」


  ◇ ◆ ◇


 晴れ渡った空の下、リーフはイーハンを連れて小都市の商業区画を歩いていた。リーフの足取りに迷いはなく、まだ顔を見たこともない敵対勢力へと一直線に向かっていた。

「では、敵情視察といこうか」

「はい、頑張ります」

 昨日晒した無様を返上すべく、イーハンは既に青い顔ながらも張り切っていた。

 虚弱な吸血鬼ストリクスのイーハンにとって、直射日光はできれば避けたいものの一つだ。上着の黒いフードを被って遮っているが、それでも体力はどんどん削られていた。

「とは言っても、見るものは多分何も残っていないと思うのだけれど」

「……えーっと、どういうことですか?」

 リーフは、とある倉庫の前で立ち止まった。イーハンも合わせて立ち止まる。

「ほら、この有様さ」

 リーフが勢いよく倉庫の通用口を開け放った。

 むせ返るような鉄臭さと生臭さの風が屋内から吹き抜けた。

 倉庫の床は赤黒く染まっていた。空の倉庫の中で、細切れになった人間の欠片だけが散らばっていた。末端のパーツだけではなく、胴体まで綺麗に輪切りにされている。頭が割られたものはなく、どの顔も恐怖と絶望を湛えたまま絶命していた。

「全員、死んでますね」

「君から見てもそうとしか取れないか」

 イーハンは手近な死体にしゃがみ込んで、内臓の切れ端を口に運んだ。

「神性独特の雑味とヒトの旨味……半獣ネロッドですね、この人」

 まとまった死体の塊ごとにイーハンは手を伸ばしていった。リーフも特に咎めずに死体を一つずつ検分していく。

「この人も、この人も……みーんな半獣でした」

 汚れた指先を上着の裏地で拭い、イーハンは少し元気を取り戻した顔でにこやかに言った。

「ごちそうさまでした。でも別にこれ、僕要りました?」

「戦意が完全に挫けると、ボクには区別ができなくなるから。殲滅したかどうかの判別には君がいないと」

 リーフは淡々とした口調で言った。

「にしても、汚い殺し方ですね。全員を此処までバラバラにするのは、相当大変だったでしょうね」

「意外と、片手間にできたのかもしれない」

「あははは、まさか」

「聞いてみるといい、ほら、そこに」

「えっ」

 イーハンはリーフの指差す方へと反射的に身体を向けた。

 そこには、いつの間にか細長い姿が現れていた。朱い目の黒蛇が首をもたげていた。

 よく見慣れた姿の蛇に、イーハンは脱力した。

「なんだ、ギルさんじゃないですか。驚かさないでくださいよ」

「違う」

 否定の言葉と同時に、リーフが片手剣を抜いた。

「あれは、ギルの〈翼蛇ニドヘグ〉ではない」

 躊躇いなく踏み込み、剣を蛇の胴へと振り下ろした。

 硬質な尾に弾かれ、片手剣が大きく跳ね上がる。面白がるような朱い蛇の目に、リーフの顔が険しくなった。

 蛇がくわっ、と朱い口腔を広げた。

「下がれ!」

 リーフの言葉にイーハンは弾けるように蛇から距離をとった。リーフも同時に二歩下がった。

 朱い閃光から一拍、リーフの退いた靴先までの地面が大きく削り取られた。

「〈炸裂バースト〉!? あれ、でも何か」

「違うに決まっているさ、あれはギルじゃあない」

 動転するイーハンに、リーフが冷静に言い放った。ギルが投擲武器に用いる付与系結晶術〈炸裂バースト〉は全方位に破壊を撒き散らす。逆に言えば、投擲しなければ使用者も巻き込まれるのだ。しかし、術の起点となった蛇の頭は健在だった。

 リーフの外套はいつの間にか白い結晶に覆われていた。リーフは姿勢を低くし、蛇の頭に突きを繰り出す。蛇はゆらりと避け、追撃を尾の先で軽く逸らした。再び蛇の口が開いた。

 朱い閃光の生み出す破壊をリーフの外套が撥ね返し、代わりに周囲の地面を抉った。白い外套の胴にぴしり、と亀裂が奔った。蛇の目が嗤った。

 今まで破られなかった守りが容易く侵される攻撃。だが、リーフは一切怯まなかった。

 小刻みに突きを放ち、蛇の動きを牽制する。しかし蛇は嘲笑うようにリーフの攻撃を尾であしらい、ゆるゆると周囲を回るように移動していった。

 蛇の喉から吐き出される閃光がリーフの外套の亀裂を更に広げた。

「しっ――――」

 閃光を放った直後の硬直を狙い、剣が蛇の首に振り下ろされた。蛇の身体が地面に叩きつけられ、閃光の残滓が地面に穴を穿った。結晶の鱗は刃を阻み、切り落とすことはかなわない。

 攻撃が通じていないことを確認したリーフは飛び退った。閃光の射程外で外套の結晶を張り直す。蛇を斬りつけた刃を確認し、リーフの口元が歪んだ。

 ただの鋳鉄の剣は神性の結晶に負けて欠けていた。モンスターや魔戦士タクシディード相手にはなまくら相応の活躍をしていたが、本物の神獣相手ではすっかり役立たずだった。

 リーフは片手剣を鞘に収めた。さらに革手袋を外して剣士に見合わない白く細い手を晒した。

「結局これが一番か」

 神性の伝達を遮るものがなくなった拳に、白い結晶の籠手が顕現した。拳闘士のように拳を構えるリーフに対して、蛇は首を傾げた。

 リーフは右の拳をためて踏み込んだ。蛇の喉の奥で、朱い光が生まれた。

「はあああっ――!」

 蛇の口から光が溢れる前に、気合を込めた白い拳が喉の奥へと突き刺さった。蛇の目が瞬膜で横に瞬いた。光は爆発することなく、リーフに殴り飛ばされた蛇が惨殺死体達の中に落ちた。

「やはりそういうことか、大体分かった」

 蛇の口の中に突っ込んでいた右手を握り直し、リーフはひとりごちた。拳の結晶は全くの無傷のまま、リーフの考察が正しいことを伝えていた。

 蛇の放つ神性術は、閃光として放った後で結晶化し炸裂するものだった。ギルの〈炸裂バースト〉よりも指向性の高い、高度な術構成なうえに、途中でキャンセルが効いた。そうでなければ、リーフの右手ごと蛇の頭が吹き飛んでいただろう。リーフとしては、至近弾で右手が不随になることも覚悟して拳を叩き込んでいた。

 もしこの場にギルがいたならば、蛇の喉に仕込まれた術は付与系結晶術の〈二重解放炸裂ステップバースト〉だと主張しただろう。

 血と臓物の池から頭を出した蛇に、リーフは躊躇いなく左手を突き出した。壊れかけた顎を庇って蛇の尾が腕を打ち払う。弾かれた左腕に代わり、右手が蛇の尾を掴み取った。そのまま握りしめてリーフは右腕を引いた。

 空気を裂いて蛇の頭が地面に叩きつけられた。鞭のようにしなりをつけてもう一度、二度と地面に叩きつける。体力の続く限り、もしくは蛇が砕けるまで止まりそうもない仕打ちに、蛇は身を大きくくねらせてもがいた。

 蛇の背面が盛り上がり、巨大な翼膜が弾けるように広がった。ギルの〈翼蛇ニドヘグ〉と同じであるならば、同じく飛ぶことができて不思議ではない。

 リーフが腕を振り上げることに合わせて大きく羽ばたき、手を振り払って宙へと踊る。執拗な暴力から抜け出した蛇は自由を謳歌しようとし——

「殺せ、イルハールス!」

 リーフの声と、イーハンの漆黒の目がぎらりと光ったのはほぼ同時。無音で踏み切った影が宙を跳んだ。

 産毛が立つような甲高い音と共に、蛇の翼膜が引き裂かれた。間髪入れずに蛇の頭も砕け散った。

 蛇の細かな破片は空中で消滅し、頭を失った胴がぼろぼろに崩れながら地面に落ちた。壊した本人も軽やかに着地した。

「終わりました」

 手の爪で〈翼蛇ニドヘグ〉を完膚なきまでに解体し、イーハンはほっとしたように笑みを零した。

 イーハンの切り札、付与系詠唱術の〈鳴爪ノイズクロ―〉は神性をのせた声で得物の切れ味を強化する。さらに、声自体が相手の聴覚をかき乱し強烈な不快感を与える。効果は単純で強力だが、目立つうえに他の神性でかき消されやすく、普通は奇襲くらいにしか使い道がない。

 戦闘中に一度だけ隙をつき、立ち回りの一瞬に一撃で仕留める。それがイーハンの限界であり、狩りであり、戦い方だった。継戦能力がなさすぎて、ギルには全く信頼されていなかったが。

「お疲れ様、イーハン」

 手の結晶をぱらぱらと落とし、リーフは革手袋を嵌め直した。

「いえいえ、リーフさんが隙を作ってくれたから僕でもなんとかできたんですよ。それにしても、さっきの蛇は一体何だったんでしょうか」

「それは次のやつに聞いてみよう」

 リーフは天井を指差した。

「次?」

 イーハンの視線が倉庫の天井に向けられた。上からばさばさと複数の細長い影が落ちてきていた。

 大きく開かれた朱色の口腔が、イーハンの目に映った。

「うわわわわわっ!」

 動転したイーハンの頭の上に、先程破壊したものとそっくりな蛇が落ちた。払い除ける暇を与えず、鼻先に蛇が噛みついた。

 噛みついた蛇の口から朱色の光が零れ落ち、鼻血のように顔を伝って滴った。

 そのままイーハンは力なく倒れ、触媒で構成されていた身体がぼろりと崩れ落ちた。跡には狙撃銃と人形が残されていた。

「まさかとは思うけれど、殺してはいないのだろうね」

『殺してない、殺してない。ちょーーっと魂が傷んだかもしれないけど、死んでないよ』

 リーフの言葉に、肩に乗った蛇が応えた。イーハンに噛みついた蛇と同時に、リーフの上に落ちてきた蛇だった。蛇の喉から、男の声が響いていた。発声しているわけではないようで、顎の動きは声と連動していない。

『にしても、ちょっと遊ぼうと思ったらそっちから仕掛けてくるもんだから驚いた。お嬢さん、殺気が見えるタイプ?』

 蛇はリーフの白い首筋に絡まり、朱色の舌を覗かせた。

「それで、ボクに一体何の用があるのだい。

『あちゃあ、最初からバレていたわけか。これは手厳しい』

 蛇は頭をゆらゆらと振った。困った、という感情を表しているつもりのようだった。

 リーフは、此処に蛇が待ち構えていることを承知の上でやってきたのだ。ギルの同行を拒んだのは、の登場による反応が推し量れなかったためだ。

「付け回すことに飽き足らず、子供を押し付けて、君達は一体ボクらに何をさせたいのだい」

『おっと、私とアリスちゃんを一緒にしてもらっては困るな。私はアリスちゃんみたいに、君達を死地に突っ込ませて解決しようなんて考えていない。寧ろ逆だ』

「アリス、ちゃん……メーラン公のことかい」

 アリス伯母様、とリンが耕王を呼んでいたことをリーフは記憶の底から引っ張り出した。

『そうそう、アリスちゃん。あわよくば、君達が争炎族と戦って全滅すればいいと画策している、あのアリスちゃん』

「それくらいは分かってこの場にいる」

『狼のお嬢さんには黙ってるんだろ。身内の裏切りに悲しませたくないだなんて、お優しいことで』

「言ったところで降りないから言わないだけさ。早く本題に入ろうか、月喰げく族の方」

 リーフは足に絡みつこうとした蛇を蹴り飛ばした。襟の中に入ろうとしていた尾も払い落とした。

 伝達役になっている蛇を排除する仕草は見せなかったが、リーフの外套は依然として白いままだった。

『そう慌てなさんな、景月かげのお嬢さん。怖い顔でも十分美人だが、笑った方がもっと魅力的――あーはいはい、分かったからその凄く怖い顔はやめて、用を言うから』

 冗談が通じないねぇ、と蛇の向こう側で男は溜息をついた。

『お嬢さんが契約していた魔剣について、ちょっと耳寄りな話があってだね……』

 リーフの翡翠ひすいの瞳を蛇が覗き込んだ。

 蛇の眼窩がんかに埋め込まれた柘榴石ガーネットの結晶が妖しく輝いた。

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