第18話 雷のやくそく、鉱石の目・中
じりじりとリーフは剣を構えたまま後退した。目の前には剣を構えた警吏が三人、切っ先をリーフに向けていた。
リーフの鋼張りのブーツと、リンのロングブーツの踵がこつんとぶつかった。いつの間にか、二人は背中合わせに立っていた。リンもまた、剣を向けられて迂闊に仕掛けられなくなっていた。
驚くべきことに、手加減はしていたものの、リンとリーフの攻撃で戦闘不能になった警吏はいなかった。吹っ飛ばされて全身に打撲を負っても、鋼の踵で蹴られて金的や目潰しを食らっても、致命傷でないならばしぶとく立ち上がってきた。
こめかみから出血しようと、片足が捻挫しようと、内臓に重い一撃が残っていようと、七人の警吏はまるで堪えていなかった。
「ねぇ、どうする」
リンが警吏から目を離さずに言った。問いかけながらも、リンの片手が腰の拳銃に伸びかけていた。
リンの我慢の限界が近いことを察し、リーフは次の手を打つことにした。
「リン、手を挙げろ。絶対に撃つな」
リーフは剣を収め、両手を挙げた。
「えっ、ちょっと、リーフ!」
「すみません、すこうし調子にのってしまいました」
狼狽えるリンを尻目に、リーフは薄い表情で降伏した。
「つい勢いで妨害してしまいましたが、ボク達は見ての通りの傭兵です!何処の小教会の方々かは分かりませんが、上に逆らってはいけないと思うのです!協力致しますので、どうか剣を収めてはいただけないでしょうか!」
剣を下ろさない警吏達に向かってリーフは声を張り上げた。ついでにリンの踵を蹴り、降伏を再度促した。
警吏達が二人に向けた剣を下ろす気配はまだない。
「全面的に協力します!あの子供も勿論引き渡します!」
リーフの言葉に警吏達は顔を見合わせた。突然の掌返しに戸惑っているようだった。
争う音が聞こえなくなったからか、野次馬がそろそろと顔を出した。
ようやくリーフの意図が掴めたようで、リンはにやりとして両手を挙げた。
「協力しまーす、切り捨てないでー」
リンはあからさまに言わされているような台詞を吐き、精一杯のしょんぼりとした顔で反省した風を装った。下手な演技だったが、遠くから覗いている民衆にはぎりぎりばれなかった。
「大人しくしますので、せめて話だけでも聞いてくれませんか!」
通りに響き渡る声量で、リーフが叫んだ。
当然、通りにいる全ての人々――傍観していた民衆にも聞こえていた。これがリーフの狙いだった。
治安維持部隊が降伏した相手を手打ちにするのは市民への心象が悪い。特に、
「こんなに協力すると言っているというのに、まだ剣を向けるだなんてあんまりじゃあありませんか!」
まだ動かない警吏達に、リーフは哀れっぽく懇願した。
どう行動すればよいのか分かっていない警吏達に、リーフは根気強く行動の指針を示し続けた。
「とにかく、剣を下ろしてボク達の話を聞いてください。剣を振り回したら、周りの人達も危ないですよ」
人々は恐る恐る物陰から出てきていた。その姿を見て警吏達はようやく状況を理解したのか、そろそろと剣を下ろし始めた。
「本当に、協力するというのか」
警吏の一人が、リーフに声をかけた。その声に、目に、表情は殆ど宿っていなかった。
「小教会に所属する傭兵が治安維持に協力するのは、当たり前ではありませんか」
表情を一切変えずにリーフが言った。そして、言葉を続けた。
「ああ、ところで貴方達、本物の警吏ではないですよね」
リーフの一言で、リンも含めてその場にいた全員が凍りついた。
構わず、リーフは言葉を続けた。
「ボク達の仲間が少年を庇ったとき、何も問い質していなかった。警吏ならば、傭兵に意見する権利はありますし、普通の人間であれば声を荒げてもおかしくない状況だった。しかし、貴方達は対応しきれずに出方を窺うしかなかった。この対応力のなさは致命的でしたね。あと、仔細を述べればいくらでも粗がありますが、致命的なのは、それ――」
リーフが指差した。警吏達の持つ同じ型の剣を指した。
「貴方達が持っているような武器を、警吏は使いません。揃いの魔剣などという、悪趣味なものを」
警吏達が無言で再び剣を抜くよりも早く、リーフが上げた手を振り下ろした。
袖口から落ちた白い結晶が地面にぶつかって砕け散る。通りの真ん中が突如として灰色の霧に包まれた。
「逃げるよ、リン!」
リーフがリンの手を引いて霧の中を駆け出した。鼻の先さえ見えない視界の中、警吏の隙間を縫って霧の外へと最短距離で飛び出した。
灰色の霧を振り切って走るリーフの外套は暗褐色から白に変わっていた。髪も茶色の三編みを剥いで煌めく銀髪を晒していた。
「小教会に行くぞ!警吏の騙りがいる!」
大声で叫びながら、リーフは通りを走った。リンも揺れるケースを手で押さえながらリーフの後を追った。
「障害が偽装を看破、周知される前に抹殺する」
二人に遅れて、灰色の霧の中から偽の警吏達も抜け出した。各々の腰に帯びた剣を抜くと、剣身に陽炎や霞といった超常の事象が纏われた――紛うことなき魔剣の証だ。
魔剣の存在に気付いた民衆から悲鳴が上がった。いくら南部とはいえ、往来の真ん中で魔剣を振るうのは只事ではない。
衆目も気にせず、偽の警吏の一人が冷気纏う魔剣から氷の槍を作り出した。離れていく二人の背中に照準を合わせ、短時間で氷を鋭く練り上げた。
魔剣を抜いた警吏達にリーフが投げた白い結晶がかつんとぶつかった。再び警吏達の視界が灰色一色に染めあげられた。
霧を払うために警吏の一人が熱を放つ魔剣を大きく薙いだ。しかし、熱波は発生せず灰色の景色が僅かに揺らいだだけだった。
ようやく警吏達は、霧に包まれてから魔剣を覆う陽炎や冷気が弱まっていることに気付いた。放たれる直前だった氷槍も成長が止まり、無残に砕け散った。
「障害を未知の原種と判定、サンプルを採取し一時退却を提案――了解、支援隊と合流する」
灰色の霧が完全に消え去る前に、一団はもと来た道へと退いた。
その場に残ったのは、狼狽えることしかできない小都市の住民と――一部始終を見ていた男だけだった。
男は、騒ぎの間もずっと屋台のカウンターに行儀悪く腰掛けて酒を煽っていた。酒を飲み干し、空になった杯を男はカウンターの上に置いた。すると、屋台の上に置かれていた酒瓶に縄のような黒い尾が絡みついた。
腕ほどの太さの胴をもつ黒い蛇が、カウンターの上を這っていた。鎌首をもたげて男を見つめる朱色の目は三対、一つの胴から分かれた三つの頭が朱い舌を覗かせている。三つ首の黒蛇は酒瓶をゆっくりと傾けて、従者のように酒を注いだ。
蛇が酒を注いでいる間、男は自分の右頬の傷を指で掻いていた。男は右頬から鎖骨にかけて、引き裂いたような大きな傷跡があった。
異形の蛇を侍らせているというのに、誰も不審な目を向けることはなく、そもそも男自体の存在が周囲から無視され続けていた。
「民衆を盾に状況を動かす、ねぇ。さすがは元聖職者」
男の口元が歪んだ。口の左端を釣り上げ、牙を剥き出しにして、悪意のある笑顔を作った。
「さて、お嬢さんのお手並み拝見といこうか」
◆ ◆ ◆
武器屋の裏でリーフとリンは走って乱れた息を整えていた。
「煙幕を警戒して一旦退いたみたいだ。ただ、この様子だとまた来る」
リーフが敵の行動をリンに伝えた。走り始めてから一度も振り返っていないが、リーフは偽の警吏達がとった行動を全て把握していた。
リーフには常人にはない特異な感覚として、他人の敵意や害意を直接感じとる〈害覚〉があった。相手がリーフを敵として認識している間は、向かい合った相手の思考をほぼ読めるうえに、ある程度離れていても何処にいるかは漠然と感じ取れた。
この小都市の範囲であれば、集中していればぎりぎり感知可能な圏内に入っていた。
「えー、この状況で一旦退くってことはつまり……」
「追跡者はいないから、向こうにも索敵ができる奴がいるということになる」
ボクみたいにね、とリーフが軽く首を傾げた。
リンの肩ががっくりと落ちた。
「だよねー。ガツンといっとかないと、きりが無いやつじゃん……なんでこう、勝手な行動とるかなー、ギルのお馬鹿」
「君も前に似たようなことあったよね?今更責めても仕方がない。ボク達はボク達で乗り越えよう」
頬を膨らませたリンを、リーフが宥めた。
「これからどうする?
リンは自分が所属する小教会がある北の方面を指差した。警吏の偽物がいることを小教会に伝えれば、治安維持のために即座に警戒網が敷かれると予想しての言葉だった。小都市全体の警戒が強まれば、相手も下手に動けなくなると見ていた。
しかし、リーフはリンの指を下ろさせた。
「いや、一直線に行くのはまずい。西区を一周して
「ん?そりゃ、リーフの見た目なら身分明かさなくても取り合ってもらえそうだけど……あー、そういうこと」
かつらを脱いで月色の髪を晒し、外套に白い結晶を張り、如何にも敬月教の信徒ですと言わんばかりの容姿のリーフに、リンは狙いを察した。リーフは、袂を分かった敬月教に敵の注意をなすりつけるつもりなのだ。
「でも、それって一歩間違えたらまずくない?折角此処まで気付かれずに来たのに」
リーフ達が南部にやってきたのは、敬月教の宗主国ギリスアンから逃れるためだ。万が一、正体を看破されると敬月教系の小教会が敵に回るだけでなく、本国まで情報が飛ぶ可能性があった。
「こんな僻地に聖騎士を送れるほどの決断力があれば、そもそもボクは此処にいないだろう。それに、いざとなれば君のところを頼りにするよ」
「任せて!いくらでも前借りしてもいいから!」
リンが目を輝かせてリーフに顔をぐいっと寄せた。鼻の頭がくっつきそうな距離に、さしものリーフもぎょっとした。
「返せる範囲で借りるから」
リーフは両手でリンを押し戻した。一生返せないくらい借りてもいいのにー、という言葉は無視した。
――ううーん……おはようございますー。
男の声が、二人の耳に届いた。
「おはよう、イーハン」
リーフがリンの持っているケースに向かって挨拶した。
「おはよー」
リンもリーフの行動が当たり前のように、自分もケースに挨拶した。正確には、ケースの中に収まった
――あれ、ギルさんいないんですか?何かあったんです?
「道すがら話す。そろそろ移動しよう」
リーフが歩き始めると、リンもその斜め後ろについていった。
警吏は二人組で信徒の多い区画の巡回を行っていた。
二人組を呼び止めたのは、敬月教が信仰する天使の色に頭髪を染めた
リーフは通りで警吏の格好に扮した魔戦士の集団がいたこと、そして無抵抗な相手に魔剣を抜いたことを殊更に強調して伝えた。
「――ということで、そちらでも人手を割いていただけませんか」
「それが先程の騒ぎの原因か……分かった、此方でも上に進言してみよう」
敬月教の印を胸元に掲げた警吏が頷いた。
「このような傭兵の言葉に耳を傾けてくださり、痛み入ります」
リーフは警吏に向けて、敬月教の流儀の礼をとった。
「いやいや、貴方のような熱心な信徒の言葉を聞かないでどうする」
「ありがとうございます。それでは、彼女を送っていきます」
「ああ。そういえば、何処の傭兵団の所属――」
警吏が言葉を続けたときには、既にリンを連れてリーフはその場を足早に去っていた。
「敬月教の人って、結構礼儀正しいね」
敬月教の警吏と十分に距離が離れたことを確認してから、リンが言った。
「元々はモンスターに対抗するための騎士集団だったから、組織内の規律はかなり厳しいのさ。というより、商業主義の敬狼会が俗に染まりすぎてると思うのだけれど」
リーフの目が突然険しくなり、翡翠の目がぎらりと光った。
「おっと、向こうも動き始めた」
歩きながら、リーフが独り言のように言った。リンの歩調が一瞬乱れたが、すぐに平静を取り戻した。
「数は……此方に五、ギルの方に十というところかな。全員魔剣持ちの魔戦士」
明後日の方向を眺めたまま、リーフは幾つかの方向を指差した。指を振った回数はきっかり十五回。
「骨董品一本ぽっちに十も割いといて、こっちにたったの五とか……舐めすぎでしょ」
「五しか割けなかった、というのが正しいかもしれない。大方、ギルが釣った駒を壊滅させたんだろう」
「すっごい簡単に想像できるのが嫌なんですけどー」
――前に、触媒使っていると全然力出ないって言ってましたけど、それでも強いですからねー、ギルさん。
「生前一体どんな化け物だったのよアイツ」
リンが顔をしかめた。
「この距離感だと……会敵にはまだ時間が掛かりそうだ。逃げながら迎え撃つ場所を探そう」
リーフが歩く速度を上げた。リンも遅れずについていった。
「リーフ、追加の煙幕は?」
「もうない」
「今から作れる?」
「無理、ギルに制御を手伝ってもらわないと。ボク一人じゃあ一日かけて半分が限界だ」
リンの口元がもにょもにょと動いた。
「ボクが足止めするから、その間に三人くらい減らして。後はイーハンの餌にする」
――あ、今日のご飯ですか。
「そーやってすぐ人間食わせるのグロいから勘弁して。イーハンも勝手にリーフからご飯貰わない」
リンが真っ当な意見を物騒な会話に差し込んだ。とはいえ、一人で全員を相手取る自信がないためあまり強く言えなかった。
「ギルがいないのに魔剣の相手はキツくない?」
「
死霊型魔剣は生者の魂を食らうという衝動のみで動く魔剣である。文字通り飛び道具として使うか魔剣門の材料かの二択しかない危険な魔剣のため、偽の警吏達が携帯している魔剣は
リーフには、並の憑依霊や騒動霊で傷つかない自信があった。しかし、血は出なくとも衝撃は身体に響くうえに、元の膂力が足りていないため組み伏せられる危険もある。
それでも前衛を張ろうとするリーフの目に、恐怖も迷いも一切なかった。
「竜種ってなんで極論好きなの?もうちょっと会話して?」
死ななければ安い、を地で行くリーフの論調に、さすがにリンも突っ込んだ。
「そもそもボクもギルも、建前では君の護衛だからね。君の前に立つのは義務みたいなものさ」
「それは……悪い気はしないかも。まあギルは死ねばいいけど」
リンは満更でもない顔をしていた。
「それはそれとして、リン」
「ん?」
「君は出会った頃と同じように、まだボクに銃を向けられるかい」
◇ ◆ ◇
五人の警吏の格好をした集団が裏通りを歩いていた。警吏達は皆、同じ型の剣を帯び、一様に表情が硬かった。
先頭を歩く者は、まだ日が高いというのに、左手にカンテラを持っていた。
カンテラの中心には油を吸う綿の芯がなかった。代わりに、透明な結晶が硝子の枠の中に据えられていた。よく見ると、硝子の中には薄く霧が漂っていた。
警吏がカンテラを目線まで持ち上げ、左右に大きく振った。すると、右にカンテラが振れた際に水晶が僅かに光った。日中で辛うじて目視できる程度であったが、確かに光ったのだ。
水晶が光った先には、脇道があった。
「対象との遭遇戦を予測。これより武装の封印を解除する」
五人同時に剣を抜いた。剣の表面を神性が覆い、臨戦態勢となる。
通りの角に一人がはりつき、奥の様子を窺うために僅かに顔を出した。
かつん、と石が転がる音と共に、灰色の風が通りから流れ出した。
神性を鈍らせる霧から逃れるために、届かない場所まで後退――しようとした眼の前に火炎瓶が投げ込まれた。
冷気纏う魔剣が瓶を真っ二つに割り、冷たくなった油と瓶の破片が辺りに散らばる。油の飛沫を浴びにきたかのように、白い影が灰色の向こうから間髪入れずに突き抜けた。
「はあっ」
リーフが先頭の警吏に剣を振り下ろした。旋風を纏った魔剣が斬撃を防ぐ。
風に押され、リーフと霧が後方に弾かれた。
リーフは霧の手前で踏ん張り、再び警吏に斬り込む。今度は風に煽られないよう重心を低く保ち抉るように突進した。
「大丈夫、大丈夫だから」
リンは散弾銃〈森狼〉を構えた。装填されているのは強化型対モンスター弾が二発。
「本気で狙えば、リーフには絶対に当たらないから」
煙幕の向こうに辛うじて見えるリーフの後頭部に照準を合わせた。
「迷わなければ、リーフは絶対に躱すからっ」
リンが引き金を引く直前、リーフが頭を下げて飛び
弾丸はリーフの頭頂部を掠めて警吏の胸部に大穴を開けた。勢いよく吹き出した鮮血を浴び、リーフの顔が赤く染まる。
追い打ちをかけるようにリーフの剣が警吏の喉を突いて喉仏を抉った。魔剣の侵食が進んでいたとしても、死に至る深さまで斬り込んだ。
警吏の左手からカンテラが落ちるのと、リーフが煙幕の中に後退するのはほぼ同時。冷気を纏う魔剣がリーフのいた空間を空振りした。
他の警吏が魔剣を振るうと、熱風が煙幕を完全に吹き飛ばした。
通りの奥には、散弾銃を構えるリンとその前に立つリーフがいた。リンは荷車や木箱で作った簡易的なバリケードの後ろから銃口を覗かせていた。白い外套をはためかせ、リーフは再び真正面から突撃する。
通りの真ん中に置かれたケースを踏み台にし、リーフは冷気の魔剣を持った警吏に斬りかかった。リーフの全体重を掛けた重い一撃を警吏は魔剣で受け止める。リーフのただの剣に、魔剣の発する冷気が染み渡り霜がはりついた。
あっという間に素手では持てない程に剣は凍てついた。革手袋ごしにリーフの手は冷たく焼かれ、リーフの顔が痛みに歪んだ。それでも剣を手放さず、掌から灰色の霧を僅かに発生させて柄だけでも神性を中和した。その状態を維持したまま、リーフは冷気の魔剣を使う警吏を斬りつけた。
もみ合うリーフと冷気の魔剣をすり抜けて、三人の警吏が同時にリンに向かって走った。砂を纏った魔剣、陽炎を発する魔剣、謎の青い光を宿す魔剣――三振りの魔剣がリンに迫った。殺傷能力の高い武器を持つリンを確実に潰しにかかっていた。
リーフに二人以上の相手をする余裕はなく、素通りを許す他なかった。
耳当てについた獣耳を揺らし、リンは砂の魔剣を持った警吏を反射的に目で追った。標的に選んだのは勘である。
冷静に素早く再装填、走る警吏に照準を合わせて引き金を引き――銃口が大きく跳ね上がった。銃弾は外れて壁を抉った。
砂が波となってリンの足元を襲っていた。砂はバリケードごとリンの足元をぐらりと揺らした。水よりも遥かに重たい質量攻撃に、リンはバランスを崩して倒れた。
「きゃっ!」
倒れたリンの身体を覆う形で砂が凝固した。咄嗟に銃を抱え込む体勢をとり、武器を取り上げられることだけは阻止する。
固められた砂の下でリンはもがくが、持ち前の怪力でも破壊することは叶わなかった。
折角用意したバリケードも、緩んで形を崩してしまった。
「一体目を捕縛完了。続いて二体目を捕獲する」
リンが動けないことを確認し、三人の警吏の目が冷気の魔剣に苦戦するリーフに向けられた。
「イルハールス、行け!」
リーフの叫びとほぼ同時に、通りの中央に置かれていたケースの口が弾けるように開く。ケースの中から神速で黒い大きな刃が飛び出し、陽炎の魔剣を持った警吏の腹に突き刺さる。
刃が上に跳ね、警吏の身体を直上に投げ飛ばす。屋根まで打ち上げられた身体の下で、鋏のように刃が割れた。空を飛べない警吏はそのまま重力に従って刃の間に落ちた。
ばつん
刃が合わさり、魔剣を握りしめた右腕が地面に落ちた。骨が砕ける軽い音と、肉が引き裂かれる水音が刃の下の喉から響いた。
ケースの中から出てきたのは、小屋のように大きな黒い鳥だった。
長い嘴は騎乗槍の如き鋭さ、節くれだった太い足の先に鎌鉤のような爪、曇った金色の目で警吏達を見据え、両翼を広げずともその巨体で通りを完全に塞いでいた。
「
嘴から血を滴らせた怪鳥を前にして、警吏達は全く動揺しなかった。食われた警吏の隣にいた砂の魔剣使いは、素早く砂岩の塊を作り出し、通りを分断する壁となった鳥にぶつけた。
岩をぶつけられた鳥は鳴き声をあげてよろめいた。巨体に似合わない金属を引っ掻いたような高い音がその場全員の背筋を撫でた。
不愉快な鳴き声に構わず、警吏は連続して砂岩をぶつけ、駄目押しとばかりに砂を鳥の頭に噴きつけた。
砂岩は鳥に全発命中、砂の目潰しを食らう前に怪鳥の姿は幻の如くかき消えた。砂の奔流に吹き飛ばされ、狙撃銃が壁に叩きつけられた。
「弱っ!」
リンが思わず叫んだ。想定よりも遥かに、イーハンは弱かった。
再び警吏達の注意がリーフに集まった。
砂で固められた下で、リンは顔を真っ赤にしてより一層じたばたと暴れた。固められて思うように動かない腕で必死に自分の服をまさぐり、ベルトのバックルに指を届かせる。バックルの装飾の窪みに指を掛け、カチンとスライドさせた。
「むーーっ!変・身っ!」
掛け声と共に、リンの耳当てについた獣耳がぴくりと動いた。続いて、身体を覆っていた砂の殻が弾けとんだ。
「!」
二人の警吏は破片を避けてリンから距離を取った。
砂岩の塊を弾きとばして立ち上がったのは、獣人だった。
滑らかだった少女の首元には襟巻きのように黒い毛が生え、顔にまで黒い毛の筋が走っていた。狼の革で出来た耳当てと上着は肌と同化し、肘から先は完全に溶け合って獣のような毛むくじゃらの腕に変化していた。
獣人となったリンは右手一本で散弾銃を構え、引き金を引いた。毛深くなった指だけで支えられた銃身は射撃の衝撃でも全く揺らがなかった。
リーフが身を捩って射線から外れ、弾丸は警吏の脇腹を貫通し内臓を破壊した。間髪入れずにリーフの剣が頸動脈を切り裂いてさらに深々と胸を刺し貫いた。
リンは即座に散弾銃を捨て、バリケードの材料にしていた荷車を両手で掴んだ。そのまま荷車を持ち上げて青い魔剣を持つ警吏にフルスイングした。
「よいしょおっっ!」
荷車で警吏の身体をすくい上げるように引っ掛け、諸共投げ飛ばした。荷車はリンの頭よりも高く上がり、警吏の身体を下敷きにして落ちた。
リーフの外套が神性によって無敵の鎧になる一方、リンの装備は持ち前の怪力を増幅させるための装置だった。
砂の魔剣が振るわれ、リンの足元の砂が再び硬化した。足を覆う砂岩を蹴り砕き、再び魔剣を行使される前にリンが警吏に肉薄する。
「どおりゃあっっっ!」
リンの渾身の蹴りが砂の魔剣を持った警吏の胴に刺さった。
鈍い音と共に、砂の魔剣の警吏がくの字に曲がって吹き飛んだ。壁に全身を、頭を叩きつけ、動かなくなった。リンの周囲を散らかしていた砂がみるみるうちに蒸発し、全て幻のようになくなった。
続いて荷車で吹き飛ばした警吏を追撃しようと踏み込んだリンの身体ががくりと沈んだ。
「なに……これ」
いつの間にか、地面に青い線が引かれていた。その線をリンの足が踏んでいた。
青い線からは蒸気が僅かにあがり、無色の何かを周囲にばら撒いていた。それを吸ったリンの身体は痺れていた。
荷車の下から這い出した警吏が足を引きずりながらもリンに迫っていたが、リンは一歩も動けなかった。
「一体は
警吏はリンの右腕に目掛けて剣を振り下ろした。
「リンッ!」
リーフがリンを突き飛ばし、魔剣の間に割って入った。青い毒の刃先がリーフの右肩に当たり、外套に食い込んだ。
リンの目がリーフに釘付けになった。リーフの右手から剣が離れ、音を立てて地面に転がった。
「ぐっ」
リーフの上半身が大きく揺れて崩れかかった。それでも剣を握る警吏の腕を掴んだ。斬撃の衝撃で力が上手く入らなかったが、それでも歯を食いしばって押さえた。
「対象の耐毒性より竜種と推定、毒刃により直接投与し捕縛――」
「届いて、ないっ!」
刃先は外套に当てられた灰の革を切り裂いていたが、その下の白い本体には傷一つついていなかった。
衝撃から立ち直ったリーフはそのまま警吏の胸ぐらを掴み、頭突きを繰り出した。
リーフの頭突きが警吏の鼻を砕き、反動で警吏が仰け反った。掴んだ腕をぐいと引き戻し、もう一発、また引き戻して一発。鼻が完全に潰れるまで執拗に繰り返した。
前髪が血で汚れるのも構わず、自分の頭を鈍器のように扱い、警吏の額をかち割った。
警吏のターコイズの目と、リーフの翡翠の目が超至近距離で殺意を交わし、鈍い音を立てて離れる。
「が、がんぎゅうのげっじょうがをがぐにん。できは、ぐえっ――」
脳震盪でよろめく警吏の鳩尾に膝蹴りを叩き込み、崩折れたところを更に顔面に膝蹴り。地面に倒れるまで攻勢を一切崩さない。
リーフは剣を拾い上げ、地面に身体を投げ出した警吏の喉に突き立てた。剣を刺したまま柄を右に軽く押し、気管を完全に切り開いて自らの血で溺死させる。抵抗したのは僅かな間で、すぐに動かなくなった。
一息ついてから、リーフは剣を引き抜いた。心臓が止まっているため、血は噴き出ない。
剣を鞘に収め、リーフはリンに手を差し出した。
「リン、大丈夫かい」
差し出された手を取り、リンは少しふらつきながらも立ち上がった。
「うん、まだちょっと痺れるけど。それよりリーフ顔、顔やばい」
リーフの首から上は傷を負っていないにもかかわらず、血で真っ赤に染まっていた。銀色の髪からも血が滴り落ち、獲物に食らいついた猛獣のような形相だった。外套にも血の飛沫がかなり散っていたが、表面の結晶を剥がせば汚れも共に落ちるため二人共気にしていなかった。
リンが腰のポーチから麻の小袋を取り出してリーフに渡した。普段は空薬莢を回収するために使用しているが、ハンカチとして使えないこともない大きさだった。
リーフは大人しく小袋で顔を拭いた。既に乾いた箇所は綺麗にならなかったが、一目で本物の警吏に通報されるような外見から離れることができた。
リーフが顔を拭いている間に、リンはイーハンを拾い上げてケースに収納した。
「さすがに騒ぎすぎよね、急いで逃げよ」
「いや、大丈夫だ」
リーフは冷静に魔戦士の死体の懐を漁っていた。
青い水薬が入った硝子瓶、小さい包みに入った黒い粉、黄色味を帯びた白い粉を回収し、襟の内側に刺さっていた飾りピンを抜いた。飾りピンの頭には仄かに光る薄緑色の結晶が埋められていた。
リーフは飾りピンを耳元に寄せた。
『ディリティオ-
リーフが結晶を口元に寄せる。
「残念ながら、部隊は全滅しました。此方は貴方達が壊滅するまで相手をする覚悟がありますが、どうしますか」
『何故……』
結晶から返事が返ってきた。リンが目を丸くした。
「的確に指示が出来すぎている。それに独り言が多い。指揮との繋がりを疑うのは当たり前でしょう」
リンが、いや貴方の敵情把握能力も十分ぶっ飛んでるんですけど、と言いたげな視線をリーフに向けた。敵にネタばらしをする程殊勝ではないので、さすがに黙っていた。
「それで、そちらの返答は」
『……お前は何処の所属だ』
「後で此方から直接伺います」
リーフはそう言うと、飾りピンを地面に落とした。即座に金属の踵がピンの装飾を打ち砕いた。他の警吏からも飾りピンを抜き取り、同様に処分した。
「潜伏先は大体分かった。ギルに事情を聞いた後で、お礼参りに行くかどうか決めよう」
「煽るだけで位置特定できるのホント怖いわー。凄いけど怖ー」
リンが大げさに肩を竦めて震えてみせた。
リーフは壁に叩きつけられた警吏の口元に頬を寄せた後、瞼を押し上げて眼球を確認した。煙水晶のような黄土色の虹彩の裏に、枯れ草色の光が染みついた珍しい色だった。
リーフの翡翠の目が僅かに震えた。
「これはまだ生きているから、ついでに事情も聞こうか」
リーフが壁にめり込んだ警吏の身体を剥がすと、血糊が壁にしっかりと転写されていた。量はそれほど多くないため、手当しなくとも失血死はなさそうだった。
「そのついでにイーハンのご飯?」
「最終的にはそうなるかな」
リンは半眼で手元に抱えたケースを見た。
「……だってさ、イーハン。何か言うことは?」
――わ、わあーい!ありがとうございますー。
ずっと気絶した振りをしていたイーハンがようやく口を開いた。わざとらしく明るい声は、若干震えていた。
「そういうのいらないから。何、か、言、う、こ、と、は?」
リンはぶんぶんとケースを振り回した。
――うわーーーっ!ごめんなさいごめんなさいっ、お助け出来なくてごめんなさいーっ!
「一応契約者なんだから、ちゃんと守ってよね!」
――つっ、次は!次は頑張りますぅーーーーっ!
リンは膨れっ面でさらにイーハンの入ったケースを振り回した。それも、獣人化を解いていないため、普段の二倍の速さでイーハンは振り回されていた。イーハンの謝罪を聞いても、その勢いは弱まる様子を見せなかった。
リーフはまだ元気そうなリンを様子を横目でちらりと見た後、屋根の上を見上げた。
屋根の上には、黒い蛇がいた。朱い目をした黒い蛇が、じっとリーフを見ていた。
リーフにとって、そしてリンにとっても見慣れた形の蛇だった。だが、リーフの感覚は蛇の主がいつもと異なることを知らせていた。
「いつまで見ているつもりだ」
リーフが呟くと、蛇は舌をちろりと一回覗かせてから去っていった。
◆ ◇ ◆
「うん、まあ、気付かれているかもとは思っていたけど、あの反応はかなり前からバレてたっぽいなぁ」
右頬に傷のある男は酒の杯を片手に呟いた。
リーフ達が偽者の警吏達と戦った場所から離れた、小都市の商業区画にある倉庫の側に男はいた。斜陽に焼ける倉庫の影の中で、外壁に寄りかかって酒を飲む姿には、どこか哀愁があった。
「やっぱり六感型の竜種相手に尾行は難しいか……よし」
男は倉庫の通用口を開けて、中に入った。
「ここは一つ、君達の首を手土産にして機嫌を直してもらうとするか!」
今は使われていない空の倉庫の中に、人が一列に並べられていた。数は十と少し。
全員が何匹もの黒い蛇に一分の隙もなく簀巻きにされ、手足を動かすどころか身動ぎすら許されない状態で床に転がされていた。
「さてさて、此処にお集まり頂いた新型魔剣の工房の諸君!今、君達の間であの子達のことが知れ渡ってしまうと、ちょーっと面倒でね。今回のことはなかったことにしたいんだ」
男は一番手前に転がされている人を足で小突いた。
「別に君達の記憶を消せばそれだけで済むんだけどね?でも、その程度だと彼女の収まりがつかなそうだからさ」
男はわざとらしく溜息をついてから、口の左端を釣り上げた。
「だから、俺が美人とお近づきになるための贈り物に大人しくなってくれ。具体的に言うと、此処で死ね」
心底楽しそうな顔で、酒を片手に男は言い放った。
男の足元から僅かに音がした。少し物を引きずったような、微かな音だったが男は耳聡く拾い上げた。
「ん?どうした?何か言い残したことでもあるのか?」
男の足元で拘束されている人の口元を猿ぐつわ代わりに覆っていた蛇が外れ、話す自由が与えられた。奇しくも、リーフと言葉を交わした男だった。
「……お、お前は、何なんだ」
恐怖で掠れた声が必死に絞り出された。
「うーん、最後の言葉としてはかなりつまらん部類だなー。俺が誰かは、まあ、強いて言うなら」
男は自分の右頬の傷跡を指でぽりぽりと掻いた。
「お前達を全員滅ぼす予定の邪神サマだよ」
男の目が暗がりの中で朱く輝いていた。
「はい、それでは、皆さん永遠にさようならー」
ばしゃん
水の入った樽をひっくり返したような音が、空っぽの倉庫の中に響いた。
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