第17話 雷のやくそく、鉱石の目・上

 裏路地をぱたぱたと軽い足音が駆け抜けていった。

 あつらえたかのように誰も通らない道を走るのは、フードを被った小さな姿。後ろから追いかけてくるものはまだ見えないというのに、ただ真っ直ぐに走って逃げていた。

 突然、上空から人影が飛来した。着地して、フード姿に並走する。驚いて一瞬フードの足が乱れたが、すぐに持ち直して走り続けた。

「ぼっちゃん、次の角を右に曲がれ」

 降ってきた男が言った。

 言葉に従い、フードの人物は右に曲がって走り続けた。それにぴたりと男がついていく。

「次の角を左、左、右に曲がったら助けを呼べ、絶対に助けてくれるからな」

「本当かよ……」

「ホントホント、おじさんを信じろ」

 口の左端を吊り上げて男は笑みを作った。

「じゃあ、今度また初めましてしような、ぼっちゃん!」

 意味不明な挨拶だけを残し、男の姿は朱色の煙となって消えた。

 消えた男と入れ替わるように、フード姿の背後に追いかける集団が現れた。武器と敵意を携え、追いかけられているフード姿を逃すつもりはなさそうだった。

「ったく、全員ぶっ飛ばせばいいじゃん……あれ?」

 フード姿は現状を導いた相手に悪態を吐いたが、どうにも相手の名前が口から出てこなかった。

 確かに聞いた名前を思い出せないことを不思議に思いながらも、考える暇なしにただ逃げ続けるしかなかった。


  ◆ ◆ ◆


「全員ぶっ飛ばして火山に叩きこんじまえよ……ったくあの戦争バカ共」

 男は悪態を吐いた口に芋のパンケーキを頬張った。口よりも大きな切れをくちゃっと畳んで一口で入れ、そのままもしゃもしゃと咀嚼して飲み込んだ。

 黒いぼさぼさの頭に黒いマント姿の男は、朝から糖蜜漬けの果実がのったパンケーキを食べていた。大きな遮光眼鏡で顔を隠しているせいで年齢は定かではないが、声や仕草はかなり若く見えた。

 パンケーキをごくりと飲み込むと、遮光眼鏡越しでも分かるくらい男の表情がぱっと明るくなった。

「美味ぇな、これ。食っとけ」

 男はフォークの先にパンケーキを一枚引っ掛けると、隣の皿にぽいっと放り込んだ。

「文句言うか食べるかどっちかにしなさいよ害悪骨董品の分際で……あ、こっちのパンも美味しいよ」

 男の対面に座った女がじっとりとした目で睨んだ。女は背丈こそ男に並ぶような長身だったが、少女といっていいほどの若々しい顔立ちだった。珍しい黒髪黒目に白い肌で、豊かな胸の曲線がよく見える革のジャケットを着ていた。

 女もまた手に取ったパンにバターを塗ってパンケーキの上に積み上げた。

「……いや、もう十分食べたよ」

 パンとパンケーキが乗った皿の前には、げんなりとした顔の痩躯の青年が座っていた。暗褐色の外套の背中を丸め、食事時でも革手袋を外していない。

「リンも、ギルの真似をしなくていいから」

 青年はスプーンもフォークも持たず、指先で皿の縁をつついていた。勝手に積み上がっていく朝食に、翡翠のような緑白色の目が困惑を浮かべていた。

「そういうのは一回でも満腹になってから言え」

 フォークの先を突きつけてギルと呼ばれた男が言った。

「食いたくねぇのは腹一杯とはちげーぞ」

 パンやらパンケーキやらが放り込まれた皿は、元々軽食が盛り付けられていた。尤も、塩を振りかけた茹で芋一個を軽食と定義するならば、であったが。

「リーフ、南部に来てからもっと食細くなってない?」

 リンと呼ばれた少女は心配そうに青年の顔を覗き込んだ。

 リーフの目が泳いだ。

「それは……」

 口から溢れかけた言葉を飲み込んで、リーフは諦めたようにフォークを手にとった。

「俺でも竜相手じゃ軽すぎんのに、マジで食っとかねぇと地の果てまでぶっ飛ばされんぞ」

「いざとなれば、地面に身体を縫いつけるさ」

 パンケーキをフォークで切り分けながら、リーフはそっけなく返した。一口の半分くらいの大きさになった欠片を口に詰めて食事を再開した。

「で、馬鹿のあんたに馬鹿にされるあいつらって何なの?」

 リーフへの応対とは打って変わって、リンは刺々しい雰囲気を遮光眼鏡の男にぶつけた。

「ぶっちゃけ、あんただって戦争好きじゃん」

「俺が好きなのは誰かが喜ぶ殺し合いで、終わらせるつもりのねぇ戦争なんかやんねーよ」

「うわそれも十分やばいやつ、リーフ聞いたこいつの本性」

「約束破った腹いせに町一つ虐殺したところまでは聞いた」

「え、もっとやばいことしてた」

「知ってるに決まってんだろ、契約するときに教えるのができた魔剣ってやつだ」

「同じ魔剣でも、イーハンは経歴を黙っていたのだけれど」

「あいつはマジで人間の敵だからな」

「あーいうのは首輪つけといたら大人しいからマシ……って、ちがうちがうそうじゃなくてっ!」

 つい、いつもの悪口の叩き合いに発展しそうになったことに気づいて、リンは待ったをかけた。

「その……私達は、まだ竜と戦ったことないから……戦い方とか分からなくて……あんたが一人で戦うなら別だけど、絶対リーフも戦うし……だから、その……あんたの知ってること教えなさいよ」

 もじもじと、苦虫を噛み潰した顔で、リンは不倶戴天の敵であるギルに言った。

「テメェ、そこまで俺のこと嫌いだったか」

「うん、正直死ねばいいのに」

 にこやかに言い切った少女に、ギルは諦めたように息を吐いた。パンケーキの最後の一枚にフォークが突き刺さった。

「もう死んでんだけど……えっとな、まず火竜っつーか争炎族は、火の力を持ってる」

「同じように、君は剣と神性を砕く雷をもっていたね」

 ギルはテーブルの上に小さな黒いナイフを置いた。特に何か取り出す動作をしていなかったが、手の平の陰から取り出していた。

「テメェは盾と、神性を鈍らせる霧……霧の方全然使えてねぇけど」

 ギルの顔が僅かにリーフの方に向いた。

「練習はしているよ」

 リーフは食事をしていない方の手を握りしめた。一瞬、ゆらりと灰色の靄が拳に纏わりついたが、すぐに消失した。

真太族おまえらは馬鹿力と耳がいいことだったか……あ、テメェは耳の方の才能からっきしだったよな」

「うるさい」

 リンはギルを睨んでパンをかじった。

「そんな感じで、普通神性ってのは形で力が変わる。けど、奴らはどんな形でも神性を焼くんだよ、炎だからな」

「それって、モンスターに火が効くのと同じ理屈?反則じゃん」

 モンスターは物理的な攻撃に対して異様な耐性を持つが、炎には他の動物と同じように焼けてしまう。そのため、モンスターの襲撃に対する最終手段として火計を備えていることが多い。

「おまけに竜種だからめちゃくちゃタフだ。後、鱗は悪魔おれらより硬い」

「何その戦うために生まれてきたみたいな種族」

「ま、天使リーフよりも頑丈でもなけりゃ、悪魔おれみてぇな即死級の技を大量に持っているわけでもねぇし。なんとか生き残れるだろ、テメェでも」

 皿に残った糖蜜をフォークですくい上げ、ちびちびとギルは舐めた。

「その希望的観測何処から来たの、ねぇ?どう考えてもあんたとリーフのいいとこ取りみたいな性能だし、やばすぎ」

「隙ありゃ俺の首ねじ切るつもりのテメェに言われたくねぇよ」

 リンはあからさまに視線を外した。薄い茶を啜って空気を濁した。

「それに、弱点がねーって程でもない。竜種は能力を全力で使おうとしたら翼を出す。けど、翼砕けば動けなくなるから、そこ狙えば楽勝だ」

「出会い頭に頭吹っ飛ばした方が楽な気がする……」

 リンはしみじみと物騒な言葉を噛み締めた。

 ギルが口の左端を釣り上げて嗤った。

「分かってんじゃねぇか。それが竜種殺す一番手っ取り早いやつだよ」

 話している間にも食事は着々と進み、三人分の皿は空になった。

 給仕にリーフが金を渡し、三人は食堂から出た。

 食堂の前でリーフは腰の剣帯に片手剣を挿した。リンは肩に大きなケースを担いだうえで、散弾銃を引っ掛けた。唯一手ぶらのギルは遮光眼鏡の角度を直した。

 朝から遮光眼鏡をかけたギルに、通りすがりの住民が不審な目を向けたが、すぐに視線を逸らして歩き去った。

 小都市の煉瓦の町並みは今日も活気があった。物を売る商人、買い物をする住民、親の目を盗んで駆け出す子供達――城壁の外にはモンスターが跋扈しているとは思えないくらいの、平和な風景が広がっていた。

 南部キーマ地方の最南、火竜が出現したと報告があった小都市から徒歩で二日程離れた場所に位置する小都市だった。

 四人は依頼を果たすために、火竜と戦う最前線に向かっていく途中だった。

「リン、イーハンは起きたかい」

「駄目っぽい。魔剣門くぐると一日は使えないの辛いわー」

 リンはケースを軽く叩いて首を横に振った。

 リンの持つケースの中には、狙撃銃に改装された魔剣イルハールスが収まっている。今は、小都市の出入り口に設けられた魔剣門の瘴気に当てられて会話する元気もなかった。

「俺以外の魔剣が弱っちいのは仕方ねぇけど、さすがに体力ゴミすぎるだろクソ烏」

 一行に加わっているもう一振りの魔剣は、触媒で実体化したうえに朝食を平らげていた。

「リーフに寄りかかってるヒモ野郎が何か言ってるー」

 悪口を聞かなかったことにして、ギルは伸びをした。

「で、イーハンのせいで此処から動けねぇわけだが、どうすんだ」

「明日、火竜の出現地帯に向かうから、今日中に必要な準備を済ませておいて」

 リーフが財布をリンに渡した。商人の護衛やモンスターの討伐で稼いだ路銀で、それなりに資金は潤っていた。

「生活費はきちんと抜いてあるから、全部使っても大丈夫だよ」

「さっすがー!リーフ分かってるー!」

「その前に、財布の中身全てを銃弾に替える必要はないのだからね?」

「……どっちがヒモなんだかな」

 ギルは呆れた顔でリンに目線を送った。ばっちりリンには聞こえていたが、こちらも聞かなかったことにしていた。

 ふと、ギルは周囲を見回した。

「呼んでる……」

 ギルの様子がおかしいことに、リーフは即座に気づいた。

「どうしたのだい、ギル」

「呼ばれたから行ってくる」

 ふらりと倒れるように方向転換し、黒いマントの裾を翻した。

「ギル!」

 呼び止めるリーフの声を置き去りに、ギルは駆け出した。


  □ □ ◇


「助けてーーーっ!」

 高い子供の声が、通りに響いた。

 裏通りの筋から大通りに飛び込んできた人影に、人々の目は一斉に集まった。

 フードつきマントを被った小さい姿が脇目もふらずに大通りを走っていった。

 その後ろを追いかけるのは、灰緑色の制服――警吏の格好をした一団だった。小教会傘下の警吏を示す赤い腕章を皆つけていた。

 正式な警吏と思われる集団と、それに追いかけられる怪しい人物――誰もが捕物だと判断した。

「待ちやがれっ!」

 小柄な体格と侮ったのか、一人の男が横をすり抜けようとしたフードを掴んだ。

 フードを引っ張られ、逃走者の顔が衆目に晒された。

 花が咲いたような真っ赤な頭だった。まだ幼い顔つきでフードを掴んだ男を睨む、その目も炎のように赤かった。

「ひぃっ!」

 不吉な赤毛と赤目に、男の正義感は一瞬で萎み恐怖一色になった。

 男が怯んだ隙に、子供は振り払って再び走り出した。

「あ、赤毛だ!」

「ひええっ!」

「逃げろ逃げろ!」

 子供の姿が目に入った途端、人々は顔色を変えて逃げ始めた。

「助けてーーーーーっ!」

 貴重な肺の空気を絞り出し、子供は再び叫んだ。

 しかし、皆子供を恐れるように離れていった。呪いの言葉を聞いたかのように、子供の声から耳を塞いで逃げていった。

「助けっ……」

 助けを求めて伸ばした手は警吏に押さえつけられ、空を切って地面に叩きつけられた。

 警吏は小さな子供に容赦なくのしかかり、動きを必要以上に完全に封じた。子供の口から嗚咽が漏れても拘束は緩められない。

 最後の抵抗に腕を遮二無二振り回そうとすると、両腕をへし折れんばかりの力で捻りあげられた。二人の警吏が左右から腕を拘束していた。

「いぎっ」

 胸部を圧迫され悲鳴に割く呼気すらなかった。浅い呼気を繰り返し、激痛に歯を食いしばって耐えた。

「原種の捕獲成功、これより拘束する」

 警吏の色のない声が誰にともなく告げ、子供を押さえつけたまま懐から液体の入った瓶を取り出した。

 濁った硝子の瓶の中には、不気味な青い液体が波打っていた。子供の最後の抵抗を奪うための何かが、その液体に込められているのは明白だった。

 瓶が開き、瓶の口が子供の口元に押し当てられた。そのまま、子供の口の中に液体を流し込もうと瓶を傾け――

「ぐぼっ」

 子供を押さえつけていた警吏が後ろに吹き飛ばされた。

 さらに二人が左右に頭から倒れた。

 拘束から解放され、子供は大きく咳き込んだ。

「おいガキ、助けに来たぞ」

 頭上から聞こえた声に、子供は顔を上げた。

 黒いマントを着た、黒い髪の男が立っていた。顔の上半分は遮光眼鏡で隠され、素顔は見えない。顔の下半分には左右非対称の笑みを貼り付け、左の牙を剥き出しにしていた。

「黒い……?」

「悪かったな、お仲間じゃなくてなぁ」

 ギルは呆然とする子供の腕を掴んで立たせた。

「で、こいつらをどうすりゃいい?」

 警吏達は、警戒してまだ仕掛けてこなかった。突然現れ、瞬く間に三人を伸した相手の出方をうかがっていた。

「適当にぶっ飛ばしておくのか、何人か見せしめにしとくのか――それとも全員ぶっ殺すかぁ?」

 ギルは張り切った様子で、子供に尋ねた。『殺す』という言葉に、警吏達に緊張が走った。

「ええっと……」

 望んだ答えのない問いかけに、子供は口ごもった。

「ギル!」

 ギルの背後から声が響いた。

 痩身の剣士と、大荷物を抱えた女が走ってきた。

「一体どうした」

 剣士リーフがギルの横に並んだ。

「助けてって言われたから助けた、そんだけ」

「……後で詳しい話を聞かせてもらおうか」

「おう」

 リーフはギルの行動に疑念を挟まなかった。

「取り敢えず君はその少年を連れて人気のない場所に逃げろ」

「へ?」

 ギルの口から間の抜けた声が溢れた。

「ここで大っぴらに力を使うつもりなのかい」

「あー……ちょっと刻む程度なら大丈夫だろ?」

「やっぱり馬鹿だわこいつー」

 後ろでリンがギルを指差して大声で言った。

「いいから君は誰も見ていない場所まで走れ、その少年を連れて」

「その後は?」

「日暮れに合流するまで、絶対に捕まるな」

「捕まらなけりゃ、いいんだな」

 ギルの口の左端が、つり上がって歪んだ。

「その通り」

 リーフはしっかりと頷いて肯定した。

「じゃ、行ってくる」

 ギルは子供をひょいと肩に担ぎ、そのまま走り出した。

 子供は大人しく担がれ、落ちるまいとマントにしがみついた。

「待て!」

 それまで様子を伺っていた警吏達も、標的の逃走を前に動き出した。

 しかし、それを阻むようにリーフも片手剣を抜いて警吏達に切り込んだ。

 リンも大荷物を振り回し、警吏をまとめて薙ぎ払っていった。

「むちゃくちゃじゃん……」

 ギルに蹴り飛ばされたときよりも景気よく高く打ち上がる警吏と、目潰しに金的でのたうち回る警吏を尻目に、子供が呟いた。

 それでも二人で完全に食い止めることは出来ず、半数の警吏が男を追いかけた。

 ギルは子供を担いだまま、路地裏に飛び込んだ。

 一切の迷いなくギルは路地を駆け抜けた。昨日到着したばかりの町だというのに、自分の庭と言わんばかりにすいすいと走っていった。

「行き止まりかよ」

「えーっ!」

 一切の迷いなく袋小路に飛び込んでいた。後ろからは、足音が迫ってきている。引き返す暇はない。

「どうすんだよっ」

「登れんこともねぇが、ほい〈翼蛇ニドヘグ〉」

 黒いマントの下から、ずるりと蛇が這い出した。

 黒い蛇はギルの左腕に絡みつき、背部の翼膜を広げた。

 ギルが垂直に飛び上がるのに合わせて翼は羽ばたき、一息で周囲の建物よりも高く跳躍した。

 警吏が見上げる中、屋根に着地し、そのまま反対側へと降りた。降りるときも蛇は翼膜を広げ、二人は容易く軟着陸に成功した。

 警吏が回り込んでくる前に、その場をすぐに離れた。

「やっぱ跳ぶのが一番手っ取り早いよな」

「いや、普通に飛べよ!あんた竜種だろ!」

 子供の突っ込みに、ギルは顔を逸らした。

「……ちょっと、怪我してて」

「ええー」

 いつの間にか二人は物音のしない区画に入り込んでいた。

 ギルは足を止めて、肩から子供を下ろした。

「ここなら大丈夫だろ」

「あの……ありがとう」

 子供はギルに礼を言った。だが、ギルは鼻で笑った。

「別に、昔の約束だから助けただけだ。テメェに礼を言われる筋合いは全くねーっての」

 ギルの酷い言い草に子供は頬を膨らませた。

「なんだよそれ……約束って、せーやくのことか?」

 子供は道端に置いてあった木箱に腰掛けた。

 その隣の地面に、ギルも腰を下ろした。

「ああ、俺もすっかり忘れてたんだけどな」

「へー、せーやくって忘れても無くならないんだ」

「そりゃ魂に刻まれるからな、お前も変なことに使うんじゃねぇぞ」

「うん、おにーさんみたいにやりたくないことやらされないよう気をつける」

「言ってくれんな、ガキ」

 ギルの口から自嘲的な笑いがくけけけ、と漏れた。

「ガキじゃない、おれにはエルヴァンっていう名前がある」

「エルヴァンか……俺はギル。で、何でお前、こんなとこにいんの?」

 ギルは意味ありげにエルヴァンの顔を見上げた。

 エルヴァンの髪は炎よりも明るい真紅、目も同じ色彩を宿していた。その意味をギルは一目で分かっていたし、エルヴァンもばれていることは百も承知だった。

 エルヴァンは、南部を荒らしている火竜――争炎族の子供だった。

「親父がうざかったから、家出した」

 ギルからの視線を外すようにエルヴァンは俯いた。

 思ってもみない返事に、ギルは少し腰を浮かせた。

「家出でここまで来たのかよ。争炎の住んでる所から結構離れてんぞ、此処」

 この小都市は、争炎族が現れる一帯よりもさらに北に位置しており、争炎族の子供が一人で迷い込むことは異常事態だった。

「近くだとどうせすぐに連れ戻されるし、此処まで来た。だけど、なんか変な奴らが追っかけてきて」

「まー、そりゃテメェらは厄介者だしな。変なこと考える奴も多いだろ」

「俺、別に何もしてないのに」

「お前が何かしてなくても、争炎つったら喧嘩ふっかけまくる暴れん坊で嫌われてんの」

 ギルが神獣界隈の共通認識を講釈した。

 納得がいかないのか、エルヴァンは不満げに足をぶらぶらと振った。

「でも、それ、俺じゃないし」

「納得できねーってんなら、お前にはまだ外の世界が早いってこった。故郷で家族に可愛がられてろ」

 ギルの辛い言葉に、エルヴァンはむっとして顔を上げた。

「何だよ、俺ばっかりガキ扱いして!ギルだってまだ子竜のくせに!」

 その一言で、ギルの口元から笑みが消えた。

「……そうだ、そうだったな。すっかり忘れていた」

 それまでの他者を馬鹿にしたような言動から一転、ギルの声はか細く、弱々しくなった。

「俺は……どうして此処に来てしまったんだろう」

「ど、どうしたんだよ、ギル」

 エルヴァンは木箱から飛び降りてギルの目の前に立った。突然変わってしまったギルの雰囲気に狼狽えていた。

「原種及び障害を発見した。これより障害の排除を行う」

 無機質な声が響いた。

 エルヴァンが声がした方を向くと、警吏の一団が立っていた。警吏達は剣を抜き、臨戦態勢になっていた。

「エルヴァン、下がっていろ」

 ギルが立ち上がり、エルヴァンを後ろに庇った。

 そのまま無手で構えようとするギルに、エルヴァンの手がすがった。上げかけた右腕をエルヴァンが掴むと、ぴたりと止まった。

「でも、ギル、何か変じゃ……」

「変?何がだ、俺の何がおかしい」

 掠れた声でギルが言った。左手を上げ、遮光眼鏡に手をかけた。

 遮光眼鏡が地面に叩きつけられ、粉々に砕けた。

 錆びた鉄よりも鮮やかな朱い双眸が警吏を見据えていた。人を小馬鹿にしたような表情も、殺し合いに心踊る輝きもなく、ただ事務的に殺す――殺意のみを湛えた目で、ギルは立っていた。

「対象の認識を特級原種に変更。武装の封印を解除。鎮圧後、対象を速やかに回収する」

 警吏の一人が宣言すると、警吏達が剣を目の前に掲げた。

 それぞれの剣に、冷気、陽炎、かすみ、砂――様々な形をとった神性が宿った。警吏達の武装は全て、魔剣だった。

魔戦士タクシディードか。さては貴様ら、町の人間ではないな」

 警吏に擬態した魔戦士の一団は八人、対するギルは逃亡する素振りを一切見せずに黒い小剣を構えた。エルヴァンは避けられぬ戦闘から身を隠すために、木箱の後ろに逃げ込んだ。

 最初に動いたのはギルだった。

 小剣を振り抜いて突進し、魔戦士の隣で二人目に振り下ろした。冷気が守りの形をとる前に、浅く刺さった切っ先が魔剣諸共引き裂いて即死。乱暴な行使に耐えられず、ギルの手の中で小剣が砕けた。

 陽炎を纏った魔剣がギルの胴に突き出される。ギルは黒いマントを翻し、斜めに跳んで回避。そのまま錐揉み回転しながら黒い短剣を放つ。

 短剣を魔剣が弾いた瞬間、短剣が朱色の閃光を放ち爆散。魔剣を覆っていた神性が吹き飛ぶ。時間差で放たれた短剣が魔剣に着弾し刃を砕く。

 着地したギルに砂の帯が蛇のように絡みつくが、蹴散らして後退し拘束される前に抜ける。砂の蛇の上を黒い蛇が滑り、奔り、魔剣を振るう暇も与えず魔戦士の腕に噛みついた。崩れた砂の蛇を踏み潰し、ギルが間合いの外から新しい小剣で突きを放つ。足りない間合いを埋めるように切っ先が瞬間的に伸び、喉を抉った。

 全身にかすみを纏った二人の魔戦士が同時にギルに切りかかった。ギルは片方の剣を躱し、もう片方の剣は潜るようにカウンターを仕掛けた。だが、剣身の距離感を霞で狂わされたせいで躱した剣はマントを裂き、カウンターを仕掛けた小剣の脆い刃が折れた。好機とばかりに攻めに転じた魔戦士の連撃をギルは大きく跳んで回避する。

 ギルがいた空間に蛇の尾がしなり、二人の魔戦士をまとめて打ち据えた。しかし、霞により着弾をずらされ容易く防がれた。

「また蛙か、面倒だ」

 新しい小剣を携えて突進するギル目掛けて火球が連続で射出された。着弾の衝撃を避けるために、ギルは大きく跳ぶ。

 火の粉を纏う魔剣を持つ魔戦士が後方で火球を生成していた。その隣で冷気を纏う魔剣が氷の槍を生成していた。滞空状態で回避行動がとれないギルに向けて火球と氷槍が射出される。

 黒い蛇が翼膜を広げて盾となり、身を挺して火球と氷槍を防いだ。黒い蛇は粉々に砕け、黒い結晶となって四散した。

 降り注ぐ鋭い結晶に反射的に顔を庇い、四人同時に隙が生まれた。後衛二人の脳天に黒い短剣が刺さり、朱色の閃光を放って爆ぜた。

 ギルは左手から地面に着地、続いて右足で地を蹴り前方へ宙返り。着地の瞬間を狙った左右の斬撃の隙間をすり抜け、さらに後方へ小剣を投擲。エルヴァンににじり寄っていた、魔剣を失った魔戦士の背中に剣が生えた。

 八対一が既に二対一、普通の戦いならば戦意を失ってもおかしくない状況で、二人の魔戦士は振り返ってギルを追った。

 二本の魔剣に対抗し、ギルも双剣のように小剣を片手に一本ずつ構えた。

 魔戦士達が切り込む前にギルが踏み込み双剣を薙ぎ払う。魔戦士達は魔剣で双剣の脆い刃を受け止める――が、小剣は魔剣をすり抜けて魔戦士を切り裂いた。

「幻が蛙だけのものだと思うな」

 血溜まりに沈む魔戦士達を背景に背負い、ギルは呟いた。両手にあった小剣はいつの間にか消滅していた。

 敵がいなくなったことで、エルヴァンは木箱の陰から出てきた。

 ギルが空いた右手で新しい遮光眼鏡をかける様を、エルヴァンは呆然と見ていた。

「数は多かったけどクッソ弱かったな」

 砂埃と血糊のついたマントを手で払いながら、ギルは軽い口調で言った。砂埃は取れたが、染み付いた血糊は当然落ちることはなかった。

「えーと、ギル、大丈夫か……?」

 頭が、という言葉をエルヴァンは飲み込んだ。

「あ?あんなのに負けるわけねぇだろ、魔剣ならせめて死霊型ベンジル持ってこいってんだ。やっぱ血は落ちねぇか」

 ギルはずれた答えを返した。一向に綺麗にならないマントに、ギルは叩くのを諦めた。

 ギルはエルヴァンの隣まで歩みを進め、血で汚れていない右手でエルヴァンの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

「なんてな。俺は馬鹿だけどな、お前がさっきのこと心配したのは分かってる。何百年も前に分かったつもりでも、つい考えると柄でもねぇのに湿っぽくなっちまった」

 無駄に明るい声で喋るギルに対して、エルヴァンは雷に打たれたような顔になった。

「……え、今何て言った?」

「だーかーら、湿っぽいのはさっきので終わりって話だ」

「そうじゃなくて……」

 ギルの手を頭から引き剥がし、エルヴァンはギルの顔と手を交互に見た。人間の姿では、十代後半、否、早熟な十五と言っても通るような見た目のギルをしげしげと見た。

「ギルって年、いくつ?」

「十九」

「それは絶対嘘だろ」

 即座に返したギルだったが、一呼吸もおかずにエルヴァンが切り返した。

「だって俺で十六だよ、十九なわけないじゃん!」

「見た目のこと言ってんだよこっちは!俺は十九!」

「それ結構無理があるって!」

 血飛沫で汚れた静かな路地裏で、少年達の騒がしい声が響いた。

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