第16話 銀翼の鎧
人生二回目の魔剣門にすっかり憔悴したリンを尻目に、リーフとギルは船に向かって手を振った。
何人かの船乗りが荷降ろしの手を止めて手を振り返した。
波止場から町へと歩いていくリーフの横をギルが並んで歩いていた。普段ならその反対側をリンが歩く筈だが、覚束ない足取りで後ろをついていくのがやっとだった。
海を渡った先の大陸南部は、出港場所とあまり差異のない煉瓦と石の町並みが広がっていた。違いは、建物が三階以上あるのが普通で、道が狭く窮屈な印象を与えることくらいだった。
「もう船になんか乗らない……」
リンは魔剣から筋違いの恨み辛みをぶつけられた上に船酔いし、モンスターの襲撃で魚臭さに塗れていた。戦場の埃っぽさや獣臭さには慣れた元軍人でも、船旅は堪えたようだった。
「君が家に帰るためには、もう一度乗らなければならないと思うのだけれど」
リーフの指摘に、リンの肩が更に落ちた。
「誰か陸路開拓してぇー……」
「百年くらいはかかるだろうね」
キーマ海は大陸を南北に分断する内海であり、外地の境界線よりもさらに西で大陸は合流していることが古代の文献から伝わっていた。だが、外地を突っ切る道程を開拓したところで、モンスターがいくらでも湧いてくる道を通る物好きなどいない。大量に物資が輸送できる分、海路の方が遥かにましだ。
「久しぶりの船旅ってのも楽しいもんだな」
元気をなくしたリンとは対照的に、ギルは
悪ノリしてギルと共に船長の頭を酒樽に突き刺してはしゃいでいた船乗り数名は、罰として便所掃除をやらされているらしい。さすがの海の男も、飛びかかってきたモンスターを鼻歌交じりに二分割するような常識なしに注意する度胸はなかったようで、ギルへのお咎めは一切なかった。
「悪魔は東の海より茨の船にて来る。闇巣食う水底を渡るは灰と石の船也」
船慣れしたギルの様子をじっくりと見て、リーフがぼそりと言った。
「なんだそれ」
「確か、
ギルの疑問に答えたのは、男の声だった。
「ようやく出てきやがったか、クソガリ鳥」
突然割り込んできた声に、ギルは驚く様子もなく少しだけ首を回し、後方をちらりと見た。
よろよろと歩くリンの横に、いつの間にか黒ずくめの男が寄り添っていた。
リンよりも頭一つ分以上高い長身を薄手の黒い上着で覆い、日差しを避けるようにフードを被っていた。
肉が削がれたような細い脚に履くものは、細さを際立たせる暗色のズボンに薄っぺらい革靴で、身綺麗にしていなければ貧民か
フードの下から覗く虚弱そうな顔に愛想笑いを浮かべる様は、無害そのもので敵意を感じさせない。だが、この男が躊躇なく人間を食う怪物であることを三人共知っていた。
「いやあ、お騒がせしてすみません。ギルさんとリーフさんのおかげでなんとか元通りです」
「コイツ一匹も釣っていなけどな」
「昨日食べた鮫に比べれば、誤差の範囲内だろうに。世辞は不快だ、イーハン」
社交辞令を斜めからぶった切るギルとリーフに、フードの陰になった笑顔が引きつった。
「ごめんなさい……あのう、生きるのだけは、許してもらえます?」
「殺さねぇよ。そこら辺で人間食わなきゃルール違反じゃねぇし」
仲間の首とばす程頭イカれてねぇぞ、とギルがぶっきらぼうに返すとイーハンはほっと息をついた。
人食いを毛嫌いするあまり、ギルはイーハンをちくちくと虐めていたが、ようやく感情の折り合いがついたようで理不尽な暴力はやめると宣言した。イーハンを虐めた報復がリンからとんできて鬱陶しかったわけではない。
「其れは昔の決まりごとじゃあなかったかい。今は違う可能性もあるのでは」
「うっ、でも、住民食うのはダメだろ、多分……そういうもんじゃねぇのかよ」
リーフが突っ込みを入れると、ギルは決まり悪そうにそっぽを向いた。
そっぽを向いた先で、ギルが手を振り上げて建物を指差した。
「あそこっぽいな」
表に大きな狼の看板を掛けた大きな館だった。窓の位置からして三階建てだが、周囲の五階建てと並ぶほど屋根が高い。正面にある観音開きの扉が半分だけ開け放たれ、中に入っていく者達の身なりは商人、傭兵、職人らしきものと多種多様だ。
「……え、なに、
リンが実家の気配を感じとり、少しだけ元気を取り戻した。
扉に近づくと、左側に三種類の文字列が並ぶ真鍮のプレートが打ちつけられていた。
「『狼の家、キーマ港支部』だって。ここが敬狼会系列の小教会かあ」
一番上の西方語の綴りを見て、リンが言った。
「その下も同じことが書いてある」
その下の南方語をリーフが読んだ。
「『
一番下に刻まれた、爪で引っ掻いたような模様にギルが目を向けた。
「なに、それ」
「
文字だと辛うじて判別できる規則性のある連なりを、指で追いながらギルが言った。
何百年も人の手を転々としながら血を啜っていたこともあり、意外にもギルはかなり語学が堪能だった。中央語や北方語、西海諸島訛りも簡単な受け答えができる、というのが本剣の弁だった。
「皆さん、字が読めるんですねー」
イーハンは一瞬目を向けただけで、文字の解読を放棄していた。
「君がどれも読めない事実がそれなりに驚きなのだけれど」
「あはは、田舎育ちですから」
人の出入りが自由な様子を見て、四人は躊躇することなく館の扉をくぐった。
館に入った先は小規模な広間になっていた。左手側にはカウンターがあり、同じ服を着た人間が二人反対側で事務作業をしていた。カウンターの手前には背もたれのない長椅子が四脚ほど並べられ、三人の傭兵らしき男がめいめい好きな場所に座っていた。
右手には階段があり、商人や職人は皆上階へと向かっていた。小さな広間の奥には館の奥へと続く大きな扉があったが、固く閉ざされていて近づく人間は誰もいなかった。
勝手が分からないまま、リンはとりあえずカウンターに近づいた。
「あのー、メーラン子爵の紹介で来たんですけどー」
「ああ、えーっと、名前をお聞きしても?」
事務作業の手を止めて、一人の事務員が書類の山をひっくり返し始めた。
「リドバルドから来ましたー、リリルット・チャーコウルでーす」
元気を取り戻しきっていない声で、リンは気怠そうに名乗った。
山から引き抜いた書類とリンを見比べた後、一緒に入ってきた三人を確認して事務員は頷いた。
「お待ちしていました。すぐにご案内します」
事務員は机の上にあった小さなベルを手に取り、ちりちりと鳴らした。
程なくして、上階から重い足音が降りてきた。
現れたのは事務員と同じ服を着た男だった。しかし、服の上から革の防具と毛皮の襟巻きを身に着け、足にはリーフと同じような鋼張りのブーツを履いていた。赤みのかかった灰色の髪に、暗い琥珀色の瞳は獣のような野性味を感じさせた。
武器こそ身に着けていなかったが、この館の用心棒か警備であることは想像に難くない外見だった。
「宗主からの使いの方々です。上まで案内をお願いします」
「相分かった。貴殿が宗家の魔戦士か」
男の視線はリンではなく、ギルに向けられていた。
「違ぇよ、あっち。狼のくせに鼻利かねぇの」
ギルが顔色の悪いリンを指差し、続いてその指で遮光眼鏡を僅かに下げた。上階から見下ろす案内役にだけ、朱色の瞳が見える絶妙な位置だった。
目の色が示す意味に気付いた男の顔が強張ったが、すぐに取り繕った。
「失礼、黒い髪はこちらで珍しいもので。それでは、こちらへ」
上階へと引き返す男の後ろに四人は続いた。先頭はリンが、続いてリーフが歩き、ギルに後ろから小突かれながらイーハンがおっかなびっくり進んだ。
二階は一面に卓が配置され、商人と職人が談笑している様子がそこかしこで見られた。
男は卓の間を抜け、奥にある階段を上っていった。
三階は一階に似た造りで、カウンターの奥に事務作業をする空間があった。ただし、その規模は一階の五倍以上あり、人の行き交いも活発だった。
「支部長は今手空きか。メーラン家から使いだ」
「分かりました。すぐにお伝えします」
家名を案内役が伝えた途端、取り次いだ者の表情が引き締まった。
「メーラン家ってヤバいのな」
「そりゃあ、此処の本当の頂点なわけであるからね」
「敬月教でいうところの、教皇の血統ですよね」
「っつーか、王って狼のとこじゃ血縁で決まんのかよ」
「君のところは違うのかい」
「多分違ぇと思う、まぁ知らねぇけど」
ひそひそと三人が背後で言葉を交わした。
敬狼会の規模に動揺する三人の様子を見て、リンの口元が緩んだ。
「ふふーん、すごいでしょ」
「いや、君の家は傍流のチャーコウル家だろう」
ふんぞり返ったリンに、リーフの言葉が突き刺さった。
「お待たせしました。ご案内します」
四人は応接室に通された。
中で待っていたのは、案内役と同じく灰色の髪をした男だった。
促されるまま、男と対面する高級そうな長椅子に四人が並んで座った。
「私が此処の支部を一任されているものです。遠路はるばる、よくお越しくださいました。用件は既に伺っております」
敬狼会の元締めたるメーラン家からの紹介ということもあって、支部長といえど随分と腰が低かった。
「それで、私達はこれからどうしたらいいんですか?」
リンが発言した。此処はリンの
「皆様は敬狼会所属の傭兵として登録していただきます。規則に則って行動を制限させていただくこともありますが、普段は自由に行動してくださって構いません」
「傭兵の仕事って具体的にはどういったものがあるんです?」
「小教会に寄せられた事業から、傭兵向けのものを斡旋しております。よく寄せられるのは、頻出するモンスターの駆除、商人の護衛、自警団の応援といったものです」
南部の町は複数の宗教の小教会によって合同で統治されており、信教毎に人々はコミュニティを形成している。
基本的に、敬狼会の商人は敬狼会の傭兵や職人を頼り、敬月教の商人は敬月教徒に同様の依頼をする。専門性や緊急性の高い事業では宗教を重視されないが、普段の生活は明確に宗教で住み分けられていた。
「また、当小教会はモンスター素材の下処理と無害化の技術を保有しておりますので、討伐されたモンスターを持ち込んで頂ければ報酬をお支払い致します」
「私はあまり敬狼会に属するような見た目ではありませんが、お世話になってもよろしいのでしょうか」
リーフが皮手袋を嵌めた手を自分の頭にあて、鷲掴みにして一気に引き下ろした。
茶色の三編みがずるりと滑り落ちた。
三編みが落ちた後には、白銀の煌めきが現れた。襟足のみをやや伸ばした、眩いばかりの銀髪だった。その中に幾筋か混ざった濃い色が、まるで月のような色合いを魅せていた。
緑の瞳と合わせて、敬月教で信仰される天使、或いは教皇の血筋を想起させる容姿だった。
「この通り、外見で敬月教の手の者だと喧伝しているような者ですが」
「敬月教の小教会所属の傭兵には、験担ぎとして同じような髪色に染める者もいます。最近まで敬月教の小教会に所属していたということにしておけば、怪しまれることはないかと」
事前に伝えられていたのか、支部長の対応は淀みなかった。
「……分かりました。ご厚意に甘えさせていただきます」
「そんなこと気にしなくていいのに。こいつらなんてそもそも人間じゃないし」
リンは長椅子の両端に座った男共を手で示しながら言った。
外見は金髪の長身痩躯と黒髪の青年だが、どちらも神獣を元にした武器――魔剣であった。今は人形触媒で人間に似せているに過ぎない怪物だ。
「あははー、ですよね」
「俺らは黙ってりゃバレねぇし」
イーハンは曖昧に笑って誤魔化した。
一方、遮光眼鏡を自慢気に指先で押し上げ、ギルは自信ありげだった。
「えー、その件についてですが、承知の事とは十分分かっております。その上で、重ね重ね申し上げますと、種族を喧伝するようなことは避けていただけるとありがたいのですが」
「どういうこと?」
「人前で派手に能力を使うな、種族を特定できるような真似をするな、ということですか。つまり、ギルは雷の使用禁止、それと眼鏡を外すなと仰っしゃりたい」
支部長の回りくどい言い方を、リーフがざっくりと解釈した。
「敬狼会は真太族の相互扶助を目的とした集団です。私達のような異種族があまり目立つ真似をすると、真太族から不満が出るおそれがある――という解釈でよろしいでしょうか」
「……ええ、概ねその通りです」
だ、そうだよとリーフはギルとイーハンに目配せした。
「船でやったのと同じやり方なら問題ないだろ」
モンスター相手に全力出すとかありえねぇし、とギルはあっさりと承諾した。
「僕も、気をつけます」
イーハンもおずおずと同意を示した。
「それでは、早速皆様を敬狼会の所属として登録したいところですが、登録には条件がありまして」
「何か問題が?」
急に言葉を濁す支部長に、リンが前のめりになって詰め寄った。
「皆様の力を合わせて、町の外でモンスターを一体討伐していただきたいのです」
「一体……で、どんな奴を?」
「いえ、モンスターであれば何でも」
「はあ?」
リンの口から素っ頓狂な声が漏れた。今迄の事情を知っているものの口から出た言葉とは思えなかったからだ。
既に西部でモンスターを討伐してきた経験のある四人に、たったの一体を狩ってこいというのは、腕試しにしても簡単すぎる課題だった。
「こっちは軍の最前線で半年間モンスターと戦ってたんですけど。しかも、中型以上の群れ相手で」
「別に経歴を疑っているわけではありませんが、規則ですので……」
支部長の言葉にリンの顔がむくれ始めたが、リーフが手で制した。
「他の傭兵達の手前、私達だけに便宜をはかれない、ということですね。分かりました、受けましょう」
「ご理解いただき、ありがとうございます」
「ちょっと、リーフってば」
リンが代表という建前を捨て、リーフは勝手に話を進め始めた。
「特別扱いは後に軋轢を生む。順当に手続きする方が良いこともあるのだよ、リン」
「特別扱いの塊みたいなリーフが言っても説得力ないんだけど」
「そういうことが分かっているからこそ、わざわざ不味いものを食べる理由はないということさ。そもそも、ボクらのような改宗していない
「うー、分かった」
渋々リンは頷いた。
◆ ◆ ◇
城壁の外は、緑が生い茂る丘陵地帯だった。
木々の茂る窪地と草原の丘が、海原に浮かぶ諸島のように見渡す限り続いていた。人の通る街道は草原の真ん中を突っ切るように整備され、大変見晴らしがよくモンスターの襲撃にも気付きやすくなっていた。
したがって、街道の傍らで群れるモンスター達はとてもよく目立っていた。
苔色と薄い灰色の混ざった毛は丸く体躯を包み込み、羊によく似ていた。普通の羊と異なるのは、頭に生えた鈍色の四本角が兜のように捩くれて頭蓋に覆い被さっていることだ。
ガンセキヒツジと呼ばれる彼らは比較的大人しいモンスターで、草原の下草を主食としている。ただし、馬車が近づくと敵と認識して集団で襲いかかり、馬車を横転させたり人間を角で突き殺すこともあった。
カイタクジカ程の殺意はないが、交易や開拓の厄介者として知られていた。
そんなガンセキヒツジ達は穏やかに草を食んでいたが、突然轟いた銃声とともに一頭の頭が爆ぜた。
周囲の同胞達は風に煽られた綿毛のように、散り散りになりながらも一方向へと逃げていった。
弾丸すら容易に跳ね返す角ごと貫かれた頭蓋、その軌跡を辿った先では、一丁の狙撃銃がガシャンと薬莢を吐き出した。
「はい、しゅーりょー」
——お疲れ様ですー。
糸引く硝煙を振り払い、リンは狙撃銃を肩に担いだ。毛皮つきの黒いレザージャケットでキメにキメた格好は、船の上でのびていた人物と同一とはとても思えなかった。
「もう二、三は狙えたけど、一頭で良かったのよね」
「勿論、しかし狙いをつけるのがとんでもなく早いですな」
見届け役として同行していた男が感心して言った。その男は敬狼会の小教会で一行を案内した人物だった。
名前はラパス、リン達の対応を任されている、真太族の半獣だ。リンとは血統が異なるせいか、同じ種族でありながら髪も目も、肌の色も違っていた。
「いやもう全然ゆっくりだったんだけど、カイタクジカとかと比べると超余裕ー」
ラパスの賞賛に、リンは得意げに胸を張った。不安定な馬車の上からでも動く的を狙えるリンにとって、のんびりとしたガンセキヒツジは簡単すぎる獲物だった。
「で、これでもう達成しちゃったわけだけど、リーフはどうするの?」
もちろんなにかするよね、と期待をこめた眼差しを、リンは振り返ってリーフに向けた。
リーフは狙撃の様子を三角座りで眺めていた。
リーフと契約していた魔剣は興味なさげに木に寄りかかり、爪を弄っていた。
「俺は手伝わねぇからな」
「寧ろ、ボク一人でやらせてくれないか」
リーフが外套の裾を翻して立ち上がった。その動作の間に、暗褐色の外套が端から白く染まっていった。肘や肩にあてられた革を除いて、外套は霜が降りたように真っ白になった。
「その外套……神獣の素材なのか」
外套から発せられる温度のない神性に、ラパスは軽く身震いした。
「そんな上等なものではありませんよ」
リーフは片手に持っていた剣を地面に置き、両手に嵌めた革の手袋を外した。白く細い指が顕になった。
「リン、拳銃を借りても良いかい」
「え、ああ、はいどーぞ」
リンは腰のホルスターから護身用の拳銃を抜き、伸ばされた手にぽん、と渡した。無論、全弾装填済みである。
「あれ、リーフって銃使えたっけ」
「人間相手なら何回か」
リーフは右手で拳銃を構え、そのままラパスの方を見た。
銃口の先をラパスに向け、そのまま引き金に指をかけた。
「なっ!」
咄嗟に射線を避けたラパスの脇を弾丸が掠めて飛ぶ。
「何のつもりだっ!」
当然の怒りを叫ぶ案内役を無視して、リーフは続けて撃鉄を起こした。
そのまま二発、三発と不動のまま弾を茂みにばら撒き続けた。
四発目が撃たれる直前、泥色の塊が茂みから飛び出した。
小動物のような何かは、血でだんだらになった身体でリーフに飛びかかった。
太腿に噛みつこうとした頭に、鋼の靴先が下からめり込んだ。蹴り上げられた獣は放物線を描いて茂みの中へと吹っ飛んでいった。
しかし、それと入れ替わるようにして再び茂みから同じ獣が弾き出された。
既に獣に向けられていた銃口が火を吹き、弾丸が命中した。それでも獣は止まらない。
リーフは銃を持ったまま身体を低く沈め、右の肘鉄で獣を打ち落とす。地面に叩きつけられた獣がぎゅいっ、と鳴き声をあげた。
「ホネバミウサギの
突然の攻防にようやく頭が追いついたラパスが、襲撃者の名を口にした。
殺意に赤い目をぎらつかせた、野兎に似た小型モンスターが弾けるようにリーフに飛びかかった。茂みからも示し合わせたかのようにもう一頭が飛び出してきた。
杭のような歯は両脚を狙って迫った。
一歩も動かないままのリーフの足に、二頭のホネバミウサギは同時にぶつかって外套の上から前歯を突き立てた。
噛みついた体勢のまま、一頭のホネバミウサギが空高く蹴り上げられた。
何が起こったのか分からないまま、ホネバミウサギの片割れは空中で首を両断されていた。
もう片方はリーフに手で払い落とされ、ブーツの踵が頚椎を叩き潰した。鋼鉄の踵にかけられた重みに耐えきれず、鈍い音が鳴った。
「な……ん、と」
ラパスの口から再び驚愕が漏れた。
モンスターを倒したことは問題なかった。ホネバミウサギはこの近辺では危険度が高い方だが、優秀な傭兵なら十分対処できる程度の雑魚だ。
問題は倒し方だった。
普通の動物よりも物理攻撃が効きにくいとはいえ、モンスターも不死身ではない。重量で圧殺することも、気管を潰して窒息死させることも、首の骨を折って即死を狙うこともできなくはない。
それでも、
頑健さでモンスターに勝るものなどそうはいない。怪力を有する真太族出身の半獣でも、武器を携え鎧で身を守るのだ。
外套一枚に守りを任せて素手でモンスターに立ち向かうのは常識外れも良いところだった。
「ギル、一人でやると言った筈だけれど」
首を刎ね飛ばされ、地面に落ちたモンスターを見てリーフが言った。当然のことながら、首のあった断面から血を流し続けるモンスターは死んでいた。
それを見たリーフの言葉には感謝も苛立ちも何も乗っていない、完璧な無味無臭だった。
人間味のない言葉を向けられたその先で、ギルは相変わらず指先を擦って手遊びしていた。
リーフはホネバミウサギを打ち上げた直後、刃物を抜いていない。だが、現実としてウサギの首はすっぱりと落ちた。その直前に、ギルは確かに爪先をぱちんと弾いていた。
「爪先弾いたくらいが手を出したことになるかよ。早く帰ろうぜ」
全く悪びれる様子もなく、欠伸をひとつするとギルは立ち上がった。そのまま顔を城壁のある方へと向け、すたすたと歩き出した。
モンスターを歯牙にかけないギルの実力を理解しているが故に、誰も単独行動を咎められなかった。
退屈そうに帰る背中に、リンが舌を出した程度だった。
「リーフ、と言ったか。先程は声を荒げてすまぬ。よもや、ホネバミウサギが潜んでいようとは」
ラパスがリーフに声をかけた。
ラパスも半獣の戦士であり、ホネバミウサギの奇襲に対処できるだけの場数は踏んでいた。しかし、襲われる前に察知できるリーフの感覚は十分驚嘆と尊敬に値した。
「それで、足は大丈夫か」
「怪我などしていませんが」
「何を、ホネバミウサギの歯は一噛みで骨を砕く。それを受けて無事など、と……」
ラパスは己の目を疑った。
確かに、モンスターはリーフの両脚に歯を突き立てた。だが、白い外套には血痕どころか皺すら寄っていなかった。
「何のことはない、ただ布に阻まれて届かなかっただけです」
白くなった以外ただの布地に見える外套は、鎧のような強度を持っていた。
それを理解して、ラパスは内心ほっとした。リーフの異様な戦闘スタイルは堅牢な防御の上に成り立っていたのだ。
「勝手に帰るとは、困った半身だ。リン、ボクらも帰ろうか」
「りょーかい」
リンに拳銃を返し、革手袋を嵌め直すとリーフも町の方へと歩き始めた。
歩き出したリーフの外套から白い結晶が剥がれ落ち、元の暗褐色へと戻っていった。ばらばらと落ちた白い欠片は空中で溶けて無くなり、一切の痕跡を残さなかった。
翻った外套の裏地が、きらりと一瞬輝いた。
◇ ◆ ◇
ラパスの証言と持ち帰った二羽のホネバミウサギから、敬狼会は即座に登録の手続きを行った。
四人で座ると狭苦しかったため、応接室の長椅子にはリーフとリンだけが座った。
椅子の後ろで、ギルは背もたれに退屈そうに寄りかかり、イーハンは疲労困憊といった様相でしゃがみ込んでいた。
「こちらが、所属傭兵団の証になります」
支部長が木の箱をリンに差し出した。
箱を開けると、藁の詰め物の中に一枚のメダルが鎮座していた。
メダルは手のひらに収まる大きさで光沢のある緑の金属でできていた。中央に敬狼会を象徴する麦の尾を持つ狼の紋章が彫られ、その周りに白い模様が浮き彫りになっていた。
「秘伝の技術で作られたメダルです。各地の小教会に訪れた際には、こちらをご提示ください」
リンがメダルをよく見ようと手にとった瞬間、横からするりと奪い取られた。
舌打ちするリンの視線の先で、後ろから身を乗り出したギルがメダルを二本の指で摘んでいた。
「『注意、剣の竜』……って、思いっきり書いてんじゃねぇよクソ狼の使いっぱしり」
白い模様のような獣の文字を一瞥し、ギルはメダルを箱の中に放り込んだ。
「ちょっとこっちに返しなさいよ!」
リンは素早くメダルを拾い上げた。今度こそ奪われないようにしっかりとメダルを握り込んだ。
「あんたみたいな危険物、こんぐらい言われたって仕方ないじゃない。分かってる?」
「腕もいだ奴が言っていい言葉じゃねぇぞそれ」
瞬時に空気がびりりと張り詰めた。
悪意ある言葉を隠そうとしない者同士の普段通りの応酬の筈だった。だが、それぞれが溜め込んでいた不満が言葉に棘になっていた。
「二人共、そこまで」
リーフの一言で危ない視線の交錯がするっと外れた。機嫌が改善されたわけではないが、空気はなんとか小康状態まで回復していた。
支部長は、主にギルの不機嫌に当てられて顔が青くなっていた。
「ギル、すまないのだけれど話が拗れるからちょっと黙っていてくれないだろうか」
「……分かったよ」
遮光眼鏡越しでも分かるぶすっとした顔で、ギルは背もたれの後ろに引っ込んだ。そのまま、丸くなって休んでいるイーハンの横で足を投げ出して座った。
ギルの顔が見えなくなってから、支部長はこっそり息を吐いた。
試験を受けている間に追加の情報があったのか、ギルを警戒する動きが強くなっていた。それを感じてギルの態度もまた頑なになっていた。
「つかぬことを伺いますが、皆様はこの後何処に向かわれる予定ですか?」
「取り敢えず内陸の方通って東かな。潜伏に都合が良さそうな町があればそこで暫く滞在するつもりです」
支部長の問いに、リンが答えた。
一行の目下の懸念事項はギリスアン教国からの追手だ。リーフが犯した罪の重さからしてしぶとく追撃があることが予想されるが、距離が離れるほど手を出しにくくなるという算段をつけていた。
因みに、リンの故郷であるリドバルド王国を出てすぐに監視がついたが、情報を吐かせた後イーハンの胃袋の中に収まってしまっていた。監視と合流予定だった暗殺者は石を括り付けて水路の底に沈めた。
「それでしたら、皆様にぜひお願いしたい案件がありまして」
「それは『依頼』ですか、『お願い』ですか」
リーフが支部長を見据えた。人間離れした鉱石のような目に見つめられ、支部長は一瞬怯んだ。
「『依頼』です。ですので、お断り頂くこともできるのですが、現状、皆様に見合った依頼は其れくらいしか……」
「成程、報酬は内容を聞いてから決めても?」
吹っ掛ける気満々のリーフの言葉に、支部長は渋々首を縦に振った。
「前金として、先に三分の一頂いても?」
「いいでしょう」
それでも支部長は認めた。余程差し迫った事情があることが伺えた。
「では、話を聞きましょう」
支部長はテーブルの上に地図を広げた。南部の地理を詳細に記してある地図だった。各都市を示す砦のような印が各所に散っているが、消されていたり赤色で印を付けられているものが幾つかあった。
「ここから南東に離れた地域で、神獣の目撃及び被害が発生していまして。小都市の防衛に協力を頼みたいのです」
支部長が指で叩いたのは、赤色の印が付けられた都市が固まっている地域だった。『火竜北限』という点線の南側であり、『城壁決壊』、『神獣目撃あり』、『全滅濃厚』などと赤いインクで事細かに補足が書き込まれてもいた。
横で成り行きを見守っていたリンの顔から表情が消えた。
「相手は?」
リーフの問いに、支部長の目が一瞬ギルの方を盗み見た。
「争炎族――人間が言うところの火竜です」
「はぁ?また人間焼いてんのかあの戦争バカ共」
ギルが突然上げた大声に、部屋の中の視線が集まった。
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