間話

毒蛇と騎士の夢

 どうだい、ギル。

 無理やりぶん取った割にゃ、結構いいぜ。

 

 次第に遠くなる意識の中、ジェイムズは側で倒れる部下の死体を踏みつけていた。

 太腿に突き立てられた蛇の牙は不思議と痛みが消えていた。

 その代わりに、身体を動かしている感覚がなくなっていた。

 風邪の悪寒を自力で止められないように、身体の決定権を失ったまま動いていた。

 ぼんやりとした意識のまま、ジェイムズの身体は勝手に部屋の隅に落ちていた両手剣に歩み寄り、手に取った。

 両手剣を掴んだ瞬間、体が崩れ落ちた。

 血が匂う床に全身を打ち付け、痛みで意識が強制的に覚醒した。手足の自由も回復した。

 身体を起こすと、そこは先程までいた部屋ではなかった。

「此処は、一体」

 ざらついた石畳の通りに、半壊した石造りの建物が並ぶ廃墟でジェイムズは倒れていた。建物には所々に落書きがあったが、表面を抉るように消しているため内容は読み取れない。

 空は赤黒い雲で覆われているというのに、晴天のように周囲の様子を見渡すことができた。

 通りにはそこかしこに人間が倒れていた。身体の一部が欠け、ぴくりとも動かない様子から恐らく死体だと判断した。

 死体はどれも青く染められた服を着ていた。黒い頭髪で、どれも似通った――否、同一の体格の男だった。

 通りの先を目で追うと、広場があるのが見えた。広場にも死体とがらくたが山となって積み上げられていた。

――まだ意識があるのかよ。ニンゲンの割に丈夫だな、お前。

 声が空に響いた。どこか人を馬鹿にしたような気に障る声色だった。

「誰だ!姿を見せろ!」

 周囲を見回しながらジェイムズは声を張り上げた。

 むくり、と死体が一体、起き上がった。頭の右半分が欠けている、紛れもなく死体だった。

「見せろも何も」

 死体の山を乗り越え、胸に剣を突き刺した別の同じ死体が歩いてきた。ジェイムズの手が自然と腰の剣に伸びる。

 幸い、通りの広さは剣を振るう動作に支障がなかった。

「そこらへんに」

 背後からの声にジェイムズが振り返ると、腹部にぽっかりと穴を開けた死体が近づいてきていた。いよいよ手に力を込め、抜剣しようとした瞬間――

「転がってるだろ」

 いつの間にか傍に立っていた死体の左手が剣の柄ごと右手を鷲掴みにすると同時に、ジェイムズの首筋にすっと刃物が当てられた。

 少しでも引けば喉笛を切り開く刃の冷たさに、ジェイムズは息を飲んだ。視界の端には、周りと寸分違わぬ死体の顔が見えた。

 ジェイムズは抑えつけられた手を押し返し、力ずくで剣を抜こうとしたがびくともしなかった。

「俺の毒を食らってまだ正気とか、魔剣使いの才能あるなぁテメェ」

 死体は左側しかない朱色の目玉を輝かせながら、クケケケケ、と嘲笑った。

 ジェイムズの信奉する敬月ロエール教では、悪魔は赤い瞳を持ち、人を殺すことを使命としている。その行動、その容姿から死体が悪魔であることを確信した。

「まあ、才能あっても意味ねぇけど。俺は二重契約はしねぇ主義だからな」

 ジェイムズの喉笛に、細い刃物がずぶりと刺さった。刃物に血肉が吸いつき、血は一滴も溢れない。

 刃には毒が塗ってあったのか、抗う力も湧いてこなかった。

 冷たい痛みを伴って首に埋まっていく刃物を、牙のようだとジェイムズは頭の隅で感じた。

 牙――という連想で、ジェイムズの脳裏に先程の光景が閃いた。

 シルヴィアを追い詰めた部屋で足に巻き付き、牙をたてた黒い蛇がいた。その蛇の目も、朱色に輝いていた。

 悪魔の目をした死体と蛇――その符号がジェイムズの中で繋がった。この死体おとこは、人類の敵である悪魔へびであり、人類を食い物にする憑依霊型魔剣デモニアでもあったのだ。

 契約者というのは、おそらくシルヴィアなのだろう。ジェイムズの脳裏に、微笑を装う銀髪の手弱女たわやめの姿が浮かんだ。

 どこの馬の骨とも知れぬ、教皇の外戚の子を設けなれば価値などない分際で、俺が手に入れたくとも叶わなかったものを従えるというのか。

 その事実に、ジェイムズの胸に牙とは別の痛みが走った。

「才能など……」

 喉に刃物が刺さっていたが、ジェイムズの喉は阻まれることなく言葉を紡いだ。

「そんなものは……ない」

 首を貫通する寸前で、牙の進行が止まった。

「俺は、魔剣を駆る才が無かった……弟よりはな」

 死体は黙ってジェイムズの叫びを聞いていた。

「あの剣は、俺が管理する筈だった。なのに、それをあいつが奪っていった」

 ジェイムズの首に穿たれた牙から血が滴り落ちた。噛み締めすぎて切れた口の端から溢れる血が、顎を伝い、牙の上をなぞって落ちていた。

「ガルドに……弟などに、負けたくなかった」

 己の最期に、それでも生気を失わない――否、嫉妬の炎を燃やすジェイムズに、死体は唇の左端を釣り上げた。

 牙を握る手を軽く持ち替え、一息で獲物を振り抜いた。

 ジェイムズの首から、栓を抜いた樽のように血が迸った。首に刺さった牙を、死体が引き抜いたのだ。

 頭頂部から抜けていく力に、ジェイムズは膝をついた。

「なあ、テメェはガルドって奴と戦いたかったのか」

 死体は斜に構えた態度で、ジェイムズの正面に回りながら血塗れの黒い牙を手で弄んだ。

 ジェイムズの目がぎょろりと死体に向けられた。既に桶一杯分ほどの血が抜けていたが、まだ顔の赤みは残っていた。

「何なら、テメェにガルドと戦うのを譲ってやってもいいぜ」

「なっ……!」

 突然の魔剣の提案に、ジェイムズは目を見張った。

「いやぁ、テメェをここでばっさり殺して、身体だけ使うつもりだったんだけどな。最後にテメェを立たせてもいいんじゃねぇかなってなぁ。まぁ――」

 魔剣は牙をくるくると回した。

「ほっといてもテメェはもう死ぬけどな」

 魔剣の手から牙が滑り落ちた。牙は石畳にぶつかり、軽い音と共に黒い破片となった。

「その程度じゃでは直ぐにはくたばらねぇ。その間に、テメェに力を貸してやる」

 ジェイムズの首から吹き出す血の勢いは弱まってきたが、止まる様子はない。しかし、失神して然るべき量の血が失われても尚、ジェイムズの意識はまだはっきりとしていた。

 泥沼に沈み込んでいくように、僅かずつ這い登ってくる冷たい死は魔剣の言葉を肯定していた。

 おそらく、此処で死ぬということは魔剣に『呑まれる』ことと同義なのだろう。

「何の目的だ」

「俺の目的じゃねぇよ、テメェの目的だ。やるかやらないかはテメェで決めろ」

 魔剣が芝居がかった調子で血塗れの右手をジェイムズの顔の前に差し出した。

 実際、その提案は魔剣の気まぐれに違いなかった。どう考えてみても、ジェイムズを生かしておく利点がない。即殺して奪えばよいものを、わざわざ選択させている。悪趣味極まりない。

 しかし、差し出された手は酷く魅力的だった。とうに潰えた夢の粕に、嫉妬心が火を燻らせた。


 自分の魔剣が手に入る。


 熱を失っていく右手を持ち上げたところで、長年染み付いた信仰が腕を抑えつけた。

 敬月教の信徒として、悪魔の誘惑に屈することは許されない。嘗て、弱き民を殺戮し、守護神ロエールに牙を剥いた連中だ。

 その守護神の血筋は絶えてしまった。教皇が殺されてしまったから。シルヴィアは外見こそ正統後継者だが、血筋としては認められたものではない。どうせ、その血筋はせいぜいが下っ端の天使の子孫なのだろう。

 そう考えると、目の前の悪魔も哀れなものだ。木っ端の天使にいいように使われた挙げ句、矮小な俺の命を慰めものにするしか娯楽がないとは。

 危うく唆されるところだった。守護神なき世界でも、民の剣と盾として責務を最後まで全うしてやる。悪魔と堕ちた天使に好きにさせてなるものか。

 ジェイムズは悪魔の手をはたき落とすために更に右腕を振り上げた。

 そのまま悪魔の顔を睨みつけるべく、重たい頭を持ち上げて悪魔の顔を正面から捉えた。

「……っ」

「早く決めろよ、時間がないのはテメェなんだからよ」

 悪魔は真っ直ぐにジェイムズを見ていた。

 右目は血で塗り固められ殆ど開いていなかったが、両目で真剣にジェイムズを見つめ返した。

 表情にも先程の嘲弄は息を潜め、口元をしっかりと引き結んでいた。

 改めて悪魔の顔を見て、その顔立ちが自分よりも若いことにも気づいた。ただ、朱色の瞳の輝きのみが酷く老成して見えた。

 どこかで見覚えのある顔つきだった。何故か、振り上げた腕は、行き場をなくしてしまった。

「何故、俺に力を貸そうとする」

「テメェの目的を果たすためだっつってんだろ。テメェが本当に、命を懸けてまでやりたいってんなら、俺にテメェを止める理由わけはねぇよ」

 ジェイムズは振り上げた手で握り拳を作った。

「そんなこと、だと」

「そんなこと、だろーが。国の英雄になりたいだの、戦争に勝ちたいだの、家族を守りたいだの、俺に縋る奴は大体そういう奴らだった。けどな、どいつもそんなことで死んでんだぞコラ。命懸けたくせに、命乞いして、俺の悪口ばっか言いながらな」

 テメェのせいでくたばったくせに、と悪魔は呆れたように呟いた。

「だから、テメェがそんなことで満足なら、それでいいんじゃねぇの」

 悪魔はジェイムズに手を差し伸べたまま、そう言った。

「まぁ別に、テメェがやらなくても、俺がガルドを殺すからな」

 ジェイムズの心臓がどくり、と大きな音を立てて脈打った。

「駄目だっ!俺が――」

 ふらつく足腰に力を込め、ジェイムズは前のめりに立ち上がった。

「俺がガルドと本気で戦えるまでは駄目だ!」

 ジェイムズは必死に悪魔の右腕を掴んだ。

「頼む、俺と弟を殺しあわせてくれ!残りの時間の全てをくれてやる!」

 その願いは、悪魔が聞き届けてきたどの意志よりも利己的で、惨めなものに違いなかった。

 悪魔は侮蔑も嘲りもなく、ただ腕を握り返した。

「いいぜ、俺の名前に約束してやる。俺の名前は――」

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