第六話 選択の意味

 トウシロウの背後に回り、腕をひねり上げていたツキヒコの目に信じられないものが映りこんだ。


「なんだよ……これ」


 一瞬、トウシロウを拘束している自分の力が緩んでしまう。慌てて力を入れ直すが、精神の動揺は未だに続いていた。喉の奥に異物感を覚え、呼吸が苦しくなる。必死に冷静さを促し、呼吸がまともな状態へと回復したとき、ようやく強制的に落とされてしまった今の状況を素直に受け入れられるようになった。


 ツキヒコの目に映りこんだもの。それは爆弾だった。大きさは文庫本くらい。冷たさが感じられる漆黒の箱の中央部分には起動していないディスプレイが付いている。そのディスプレイが何のために付けられているのかを想像するだけで背筋が凍り付くのを感じた。トウシロウのシャツとジャケットの間に隠されていたその爆弾は動揺しているツキヒコを静かに見つめている。


 そして、静かな時間は長く続かない。

 爆弾が起動した――というわけではない。


 爆弾の存在を仲間に知らせようとしたとき、突然、ツキヒコの背後に光が灯った。それは四十インチの液晶ディスプレイが放っている光だ。砂嵐が十秒ほど続いた後、どこかの部屋らしき映像が映し出され、画面の右端からパンダの着ぐるみを来た人間が現れた。パンダは画面の中央に設置されていたリクライニングチェアにゆっくりと腰を下ろす。

 なんなんだ、これは。

 そう誰もが疑問を抱きつつディスプレイを見ていると、ディスプレイから音が鳴り始めた。


『パンダです』


 その場にいた誰もがあっけにとられて何も言えなかった。この映像が何を意味していて何を伝えたいのかがまるでわからないのだ。だが、その中でツキヒコだけは嫌な予感を覚えていた。パンダの声に聞き覚えがあったのだ。ボーカロイドソフトで作られたような声。その声を聞いて良いイメージが湧いて来るはずがない。


「先生……」


 ツキヒコに腕をひねりあげられているトウシロウの口から漏れたその言葉にツキヒコは反応した。


「先生――あの人が先生なんですかっ」


 トウシロウは何も答えなかった。ただ黙ってディスプレイに目を向けているだけだ。その瞳には恍惚や羨望のようなものが感じれらた。まるで催眠術をかけられてしまったかのように。熱心な信者が自分の信じる神と出会ったとき、人はこのような反応をするのだろうとツキヒコは思った。そして、今のトウシロウが自分の問いに反応することは出来ないだろうと悟った。


 先生。

 それは去年のクリスマス・イヴ、ツキヒコが能力に目覚めるきっかけとなった事件を陰で操っていたとされる人物。そして、ガクトが人生をかけて追っていた黒幕だ。彼が出てきたということは今回の事件もトウシロウではなく『先生』が本当の黒幕ということなのだろう。そう考えたツキヒコに新たな疑問が浮かんでくる。どうして『先生』は自分に関わってくるのだろう、と。


『この映像を観ているということは無事家族と面会が出来たようだ。おめでとう。だが、ゲームはまだ終らない。これから最後のゲームをしてもらうことにしよう。安心して欲しい。今度で、本当に最後のゲームだ。無事クリア出来ればきみは家族と一緒に暖かい夕食に舌鼓を打つことが許されるだろう』


 画面上のパンダにゲームと言われツキヒコにはピンと来た。間違いなく今、目の前にある爆弾がそのゲームに使われるのだ、と。そして実際にその通りになった。


『トウシロウ・マキ。彼の背中には爆弾が仕掛けられている』


 その言葉を聞いて周囲がざわついた。ツキヒコはじっと画面を見つめている。


『これからその爆弾をツキヒコくんに解除してもらいたいと思う。わかっていると思うが、解除できなければみんなで爆死するだろう。解除の仕方は簡単。中央の起爆装置には黄色い線と緑色の線が繋がっている。そのうちの、緑色の線を抜けばいい。そうすれば爆弾は簡単に解除される。蝶結びが解けるようにあっさりと。ただ、わたしは人を騙すのが好きだから緑色を抜けばいいというのは嘘かもしれない。その判断はツキヒコくんに委ねるとしよう。制限時間はこの画像が消えてから三十秒。もちろん制限時間を迎えてしまったら爆発する。では、幸運を。なにもせずに仲良くみんなで新たなる世界で生きるというのも悪くないかもしれない』


 ディスプレイの画像が消える。爆弾のタイマーが作動し始めた。


「くそっ」


 ツキヒコは慌ててトウシロウのジャケットを脱がした。ジャケットを脱がされることにトウシロウは抵抗しなかった。そのかわり、ニヤリと口元を緩めながら言葉を発する。


「緑を抜けよ。そうすれば爆弾は解除されるって言ってただろ」

「ちょっと黙っててくださいっ」


 確かに『先生』は緑色を抜けばいいと言っていた。だが、それは嘘かも知れないとも言っている。これは心理戦だった。じゃんけんでチョキを出すと言った相手が必ずチョキを出すとは限らないのと同じだ。何も言われない方がまだマシだった。余計な事を言われてしまうから、考えなくてもいいことを考えてしまうのだから。


「お得意の未来予知を使えばいいじゃねえか。こんなゲーム楽勝だろ」


 緑と黄色の線。その二つを眺めながらツキヒコは唇を噛んでいた。どっちを抜けばいいのか、まるでわからないのだ。先ほどまでトウシロウ相手に使っていた能力はたしかに未来予知だった。ツキヒコは数秒後の世界を予知することが出来る。だが、そんな強力な能力を無限に使えるほどツキヒコは自分の能力を極めてはいない。所詮はランクDのエージェントである。能力の発動には様々な条件があった。結論を言えば、今のツキヒコに未来予知が出来るほどの力は残っていなかった。使える能力は通常時の自分の能力、つまり常人と変わらない力だけだった。


「あなたは怖くないんですか?」


 ツキヒコの問いかけを、トウシロウは鼻で笑う。


「何の覚悟もなしにこんなことをするわけねえだろ」


 時間は無慈悲に過ぎていく。ツキヒコが悩んでいる間に、残り時間はいつの間にか十五秒を過ぎていた。


「みんな、逃げてくれっ」


 運命を左右する黄色と緑色の線を見ながらツキヒコは叫び声をあげた。だが、誰からも返事が返ってこない。それどころか移動を始める音すら聞こえてこない。


「何をやってるんだっ、逃げろっ」


 もう一度、そう叫びつつツキヒコは仲間たちに目を向けた。自分が失敗したら爆発に巻き込まれてしまう大切な人たちに。


 彼らはツキヒコを見ていた。

 そしてただ――見ているだけだった。


 だが、その瞳は決していじめを見て見ぬふりをするような無責任なものではない。全員の瞳に信頼の色が輝いている。こいつらは怖くないのか。そう考えた自分自身にツキヒコはダメ出しをする。怖くないわけがない。怖いと思っていても、それを隠して自分を信じてくれているんじゃないか。そう言い聞かせて爆弾に視線を戻した。自分はやれることをやるしかない。やらないで終わるわけにはいかない。


 残り時間は十秒。頼れるのは自分本来の力だけ。カテゴリーSSというチートじみた特殊能力は使えない。腹を括ったツキヒコは思考をフル回転させる。今、使える武器は頭だけだ。『先生』の言葉を反芻する。彼はこれはゲームだと言っていた。ゲームだとしたら必ずクリア出来る内容になっているはず。そしてクリアするためのヒントは必ず示されているはずだ。必ずどこかに。


 残り時間五秒。

 四秒。

 三秒。

 二秒。

 一秒。


 ツキヒコは答を出した。

 その答えが先の見えなかった未来を創り出した。

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カテゴリー「」 未知比呂 @michihiro

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