第五話 見つめる目、語る真相
ツキヒコとトウシロウの戦いを暗視スコープごしに見ている人間がいた。ミマサカ機関次期総統候補筆頭であるナナカ・ミマサカだ。彼女は自分が乗ってきた
「あれが噂のSSの能力ってわけね。なかなか、面白いじゃない」
ナナカの言葉に隣にいた女が反応する。
「ですね。手の込んだ準備をしたかいがあったというものですよ。SPにスカウトしてはどうですか?」
「勘弁してよ。わたしの命よりも大切なものがこの世にある人間に興味はないわ。それにいくら強いと言っても条件を満たさなければならない強さじゃ当てにならないもの。ギャンブルはしない主義なの」
ナナカの隣にいた人物は彼女のSPを務めているココロ・サエグサだった。彼女は暗闇の中で戦っているツキヒコとトウシロウの姿を肉眼で見ている。彼女にはそれが可能だった。そんなココロの姿をチラリと見てから、ナナカが口を開く。
「あなたの目はあいかわらず便利な能力ね。わたしは毎日コンタクトを交換する手間をかけているというのに、あなたにはそれが必要ないのだから。習慣になればさほど面倒ではないという人もいるけれど、わたし的には面倒なものは面倒なのよ」
ナナカの問いかけにココロは口を開く。
「交換して欲しいですか?」
「交換は嫌よ。ただでくれるのならもらうけれど。わたしのものはわたしもの。あなたのものもわたしもの。良い言葉だわ」
この二人が一緒にいる姿をツキヒコが見たらこころをざわつかせてしまうことだろう。ココロはツキヒコの妹と姉を誘拐し、ナナカを殺すためにツキヒコに銃を渡した張本人なのだから。だが、もしもこの二人の姿を見ていたとして、本当にこころをざわつかせてしまうのはこれからだっただろう。
「もうそろそろいいんじゃないかしら」
ナナカの言葉にココロは微笑む。
「そうですね。見たいものも見れましたし、もうこんな恰好をしている理由もないですね。――ええ」
そう言ったココロは顎のあたりを手で掴んで一気に顔の皮を剥ぎ取った。何も事情を知らない人が見たら目を背けてしまうような光景だが、種も仕掛けも知っているナナカは驚いた様子をまったく見せない。皮を剥ぎ取ったココロの顔にはむき出しの生肉どころか、血の一滴すら付着していない。顔の下には別の顔があっただけだ。そして、その顔はツキヒコもよく知る人物、オクトーバー・フェストのものであった。
「素顔のわたしデビューというやつですね。もう少し空気が良くて爽やかな風が頬を撫でてくれるような演出があれば最高だったんですけど。ええ」こわばっていた身体をほぐすようにぐっと両手を天井へと伸ばしたオクトーバー・フェストは言う。「ちなみに、どのタイミングでわたしがオリジナルと入れ替わっていたことに気が付きましたか?」
ナナカは暗視スコープで戦況を見つめたまま答える。
「最初からに決まってるじゃない。わたしを誰だと思っているのよ」
「最初というと、今朝、一緒にお風呂に入った時からということですか?」
「そうよ。あの子はわたしとお風呂に入ろうとはしないもの。何度振られたかわからないわ」
「そうですか。それは迂闊でした。ええ」
「わざとばれるようにしていたくせに何言ってんだか」
「そんなことありませんよ。もちろんいつかは正体を告げるつもりでしたけど、あの時はもう少し遊んでいようと思っていたんですから。ええ」
楽しそうに微笑むオクトーバー・フェスト。そんな彼女をチラリと見てからナナカは言う。
「トウシロウが裏切り者だとわかった理由を教えてくれないかしら?」
「それは秘密ですよ。ええ」
「そんな説明で読者が納得すると思うのかしら」
「読者って何のことです? 意味がわかりません」
「マジレスされると恥ずかしいじゃない」
「ああ、なるほど。ボケたんですね」オクトーバー・フェストは声を出して笑った。「失礼。激辛料理みたいに面白さが後からやってきたもので、つい。まあ、いいでしょう。はっきり言って読者が納得するような伏線が貼られていないにも関わらず事件の犯人をいつの間にか突き止めてしまうご都合主義探偵のごとく、わたしが調べたことを教えてあげましょう。ええ」
オクトーバー・フェストは人差し指を立てた。
「防犯カメラトリックによってプライドを傷つけられたわたしがはじめに手を出したことは、どうしてわたしたちの行動が先読みされているのだろう、ということです。この答はナナカさんもすでに知っての通り、シオさんのケータイがウィルスに感染していたからですね。そこでわたしが目を付けたのは誰がケータイを用意したのか、ということです。そこが『今二』第二エリアのエージェントさんたちと超優秀なわたしとの違いです。だって考えてみてください。ケータイに細工がされていることがわかったのに、それを造った人ではなく、それを渡した人を疑うなんておかしいじゃありませんか。ガクトさんはただの運び屋です。運び屋は何も知らないというのは常識ですよ。ええ」
オクトーバー・フェストはニヤリと笑ってから腕を組んだ。
「そういうわけで、わたしはケータイを用意した人間を調べたわけです。そこで出てきたのがトウシロウさんというわけですよ。トウシロウさんはココロさんを通してウィルス入りのケータイを造らせたみたいですね。ココロさんはナナカさんのSP。ツテならいくらでもありますし、強引に社内で使うケータイをチェンジさせることも可能だったというわけです。シオさんのケータイが壊れたのはたまたまですが、壊れていなくてもいつかはウィルス入りのケータイを使うことになっていたわけですね。トウシロウさんとココロさんの関係? それはご想像にお任せします。ええ。想像する余地を残しておく方が面白いものですから。わたしはトウシロウさんについて調べました。彼の名誉にかかわるので彼の趣味や嗜好の話題は避けてこの事件に関係することだけ言いましょう。彼は一年前に兄を失っていました。まあ、はっきり言えば死んだということですね。で、その死に関わっていたのが我らがツキヒコ・ヨツバ、そしてミマサカ機関だったというわけです。ここまでわかればもう試合終了みたいなものですよ。トウシロウさんは自分が疑われているとは露ほども思っていなかったみたいですからね。簡単に調査することが出来ましたよ。まあ、Bランクエージェントの危機管理なんてそんなものでしょうか。頭の悪い人間が犯人だった、という推理小説ほどつまらないものはありませんが、これは現実なのだから仕方がありません。現実の犯人なんて結局馬鹿ばかりなんですから。本当に頭のいい人間は自分が犯人だと疑われるようなことはしませんし、疑われたとしても絶対に自分にまで手が及ぶことがないように防壁を張るわけですから。そんなわけで人質が捕らえられている場所もすぐに発見。後はどうやってわたしの望みを叶えるかを考えるだけです。ええ」
「あなたの望みを叶える。そのためにわたしは空砲で撃たれて平均的なサラリーマンの月給くらいはするシャツを血糊で汚してしまったというわけね。てっきり人質を救うためだと思っていたのだけれど」
「もちろん人質を救うためです。それと同時にわたしの望みを叶えようとしただけですよ。これぞ、WIN—WINの関係というやつです。ええ」
「まあ、いいわ。わたしも面白いものを見ることが出来たわけだし。請求書を送るのは勘弁してあげるわよ」
「そうしてもらえると助かります。事務所を破壊されたせいでいろいろと物入りなんで。ええ」
人質を救うためにツキヒコをトウシロウの元へ連れて行く。そのためにはあなたがツキヒコに殺されなければならない。そのことをナナカが告げられたのは慰問先の小学校へ向う前、自分のSPであるココロのふりをしていたオクトーバー・フェストとお風呂に入って脱衣所で濡れた身体を拭いている時だった。ナナカが提案に乗ったのはその相手がオクトーバー・フェストだったからだ。オクトーバー・フェストはフリーの諜報員としてミマサカ機関が公式に動けない事案を何度も引き受けて十分な成果を出している。そのことをナナカは知っていたし、個人的にもクライアントとして仕事を依頼したことがあった。
「一応、訊いておこうと思うのだけれど」ナナカは言う。「本物のココロはどうしたの? 返してくれとは言わないけれど、今後のためにも行方くらいは知っておきたいわ」
「ああ、あの人生の海に溺れて溺死者になってしまったココロさんですか。あの人は、お星さまになったか、誰かにとっての一時的なお星さまになっているんじゃないですかね。わたしも詳しくは知りません。業者に引き渡しただけですから。ええ」
「そう言うところは甘いわよね、あなたは。だから今回は一瞬だけとはいえ、トウシロウごときに主導権を握られるのよ」
「隙があるのがわたしのいいところなんですよ。ナナカさんはもう少し隙を作った方がいいですよ。この先、男に抱かれて眠りたいのなら。ええ」
「わたしは男の上に乗るタイプなのよ。抱かれるのは趣味じゃないわ」
ナナカが暗視スコープで覗く先にはしばらくトウシロウの攻撃を交わし続けていたツキヒコが反撃に転じ、トウシロウの手からナイフを奪い彼を拘束しようとしているところが映し出されている。
「片付いたみたいね」
そう言ったナナカは暗視スコープを目から離して
そんなナナカをオクトーバー・フェストが止める。
「ちょっと待ってください」
「どうしたのよ?」
怪訝な表情を浮かべるナナカに、オクトーバー・フェストは告げた。
「映画はエンドロールが終わるまで席から立ち上がらずにきっちりと最後まで観ておいた方がいいみたいですよ。ええ」
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