24.
また目が覚めれば、そこは白い天井だった。目に飛び込んでくる白は、今まで暗闇を彷徨っていた目には優しくない。
「つ」
最初に目に入ったのは千香。なにやら、ほっとしたのか、腹を立てているのかわからない顔をしている。今度こそダメかもしれないな、なんて思った。
次には、うつらうつらとしている流羽の姿。普段の栗色の髪は完全に金髪になっている。どうして、西洋の子供はあんなに可愛らしいのか。黙っていればかなり魅力的だ。ロリコンではなくとも。椅子の上で器用に舟を漕いでいるのもいじらしくてプラスだ。だが、相葉の覚醒にあわせて意識を取り戻す。
「んあ、起きたか? 大丈夫か、相葉?」
「うん、息をして、五体満足かどうかで大丈夫かを判断するなら無事と言えなくもない」
「聞いておいてなんだが、全身包帯の男がなにを言ってるんだか」
今度こそ、長期入院確定だろう。肋骨は粉砕されたままだし、腕は引きつってるからリハビリがいるだろうし、なにより、指一本動かすだけで痛みが走る。これを重症と言わずしてなにを重症というのか。
「君が人狼だと思わなかった。だから、あんなに捜査本部に反発してたんだね」
「そうだ。隠していてすまなかった。だが! だが、怯えるおまえを見たくなかった。あたしを、怖がって欲しくなかったんだ」
「言ったよね? 隠しごとが悪いとは思っていないと。だから、いいじゃない。事件も解決したんだし。でも、それでか、獣人のトップと繋がりがあったのは」
「いや、あれは、完全にヒマリアのコネだよ。あたしは、獣人としてそんなに中心の方にいるわけではないからな」
異端ということか。
「で、どういうことかもうそろそろ説明してくれてもいいんじゃない?」
「そうだな。あたしは、もともとがハーフの人狼だ。母親が人間でな」
「でも、例の事件話をしてくれたとき、普通の家だって言ってなかった?」
「普通というのは育ちのことで、人間だとは一言も言っていないと思うが」
「あー、そういうこと。上手な話し方だね」
「あたしは、元々上手く変身できなかったから、家族を襲った吸血鬼の仲間に人間と間違われて血を与えられたってわけだ。そして、吸血鬼となった。普通この状態を『月の民』と言って、強力な超越種なはずなんだが、あたしは中途半端なんだ。吸血鬼としては、人狼の血のおかげで昼間も行動できる代わりに、吸血鬼の血のせいで満月しか変身できない」
「変身できないだけじゃなくて、血を抑えられないんだよね? だから、満月の夜は非番なんだよね?」
「そうだ。人狼として持っていた能力が、追跡捕縛。吸血鬼として持っている能力が揺月状態だ」
「ようげつじょうたい? って、君も権堂と同じ状態なの!?」
びっくり発言だ。これが本当なら、処分の対象ではないのか。相葉は焦って周りに聞いてる人がいないか目を這わせた。誰もいない、セーフ。
「違う。権堂のは孕月状態で、狂乱し吸血鬼に性質が近づく。あたしは、吸血鬼の場合で月の満ち欠けで力が増減するだけの能力だ。まあ、そのおかげで満月の夜はかなり危ない状態なんだがな」
「それは、見てわかったよ」
「う。う~」
顔を赤らめて、うつむき可愛らしく恥じらう。最近感じていたことだが、段々とこういう光景が気に入っているというよりかは、好きになってきていないだろうか。ロリコンではないのだが、異様にかわいく思えてしまうのだ。
こういうときは最愛の人を見て自分の性癖を確認するべし。千香の顔を凝視する。少し怒った風な千香はかわいいなぁ。よし、自分は正常だ。
「だけど、あんなにぼろぼろなのに、権堂は流羽の前にいたの?」
「……月に酔うと、感情が単純化していくんだ。大抵は愛憎が残る」
じゃあ、仮に自分が孕月状態になっていたらどうなるんだろう。千香だけを襲う化け者になるのかな。そんなことを思った。そう思うと、残る感情によってはとても悲しいことになるんじゃないだろうか。
しばらく誰も口を開かなかった。思ってることは一緒だと思う。
「さて、一度帰ろうか。眠くて敵わないからな」
流羽がおもむろに明るく切り出した。Tシャツに、ジーパンというラフな格好の流羽は、ん~と背伸びをする。その瞬間、おへそが見えた。うむ、ごちそうさま。ロリコンでは……でもいいや。
流羽が立ち上がると、そのときを見計らったように生瀬が入室してきた。その鋼鉄の仮面は今日も健在だ。流羽も相葉も敬礼をしようとして相葉は失敗する。この状態で腰を十度曲げるのは至難だった。
「そのままで」
「はい、ありがとうございます」
生瀬は、千香と相葉を見て頭を下げた。
「申し訳なかった」
目を丸くする千香。初見だろうけど、とても人に謝意を素直に表現できるタイプには見えないはずだ。
「あの、なんの件でしょうか?」
千香がおずおずと尋ねる。
「あなたを、警察病院に不必要に入院させていたのは私の命令でした。端的に言ってしまえば、囮にしたということになります」
「それは、きょ、相葉から聞いてました。でも、わたしはそれで良かったと思ってます。あのときに病院から出ていても相葉や峰さんの邪魔にしかなっていなかった気がします」
「そういってもらえるのはありがたいが、やはり警察が一般人を保護している風に見せかけて囮にするのは問題です。他ならぬ、責任者の私がそう自覚しているのです」
「でも、わたしが、訴追しなければ問題じゃないですよね?」
「ええ、そういうことになりますね」
「じゃあ、そういうことで」
「本当によろしいんですか?」
「ええ、伊達に警察官の恋人やってませんよ」
「強い人ですね」
そのとき、生瀬の携帯電話のバイブが低い唸りを上げた。
「すいません、また事件です。急で申し訳ないのですが、失礼します」
「いちさん係ですか?」
流羽が真剣な顔で尋ねる。
「いいえ、捜一としての仕事です。あなたもどうかゆっくりとしてください。それでは」
立ち替わり、槐とヒマリアが入ってきた。
「お疲れだったな、相葉」
「ありがとうございます」
「それにしても、変なやつだろ?」
「そうですね、ユニークな方ですね」
もちろん生瀬のことだ。
「生きてるかい、相葉くん?」
ヒマリアは相変わらずだった。
「生きてますよ。特に鶴木さんにはお世話になりました。ありがとうございました」
「いやいや、私はなんにもしてないよ。全部、君の力だよ。例え、私の助言が力になっていたとしても、それを引き出したのも、結果にしたのも君の力なんだよ」
「こいつも変だろ? 昔、生瀬と組んでたから、その影響かもしれん」
「ちょっと、かいさん? どこが変だと言うんですか」
「普通を一としたら、十一、二くらいに変だ」
「そんなこと言ったら、かいさんなんて三十くらいあるんじゃないですか?」
「ああ、自覚してる」
軽く流す。とても大人の対応だった。
「こらこらヒマリア。漫才しに来たなら帰れ。まだ、こいつは辛い状態なんだ」
「あう。ごめんね」
うん、十一、二という数字は妥当なものに思える。
「いえ、笑ったら腹筋が辛い以外に苦もないんで大丈夫です」
「よし、帰ろう。これ以上ここにおまえがいたら相葉の体に障る。それに朝になる」
「そうですね。じゃあ、相葉くんお大事に」
「はい、ありがとうございました」
「そういえば、見つかったか、信念?」
一度踵を返した槐が思い出したように振り返って尋ねてきた。
「いえ。まだです。なんていうか、無我夢中だったので、考えてる余裕ありませんでした」
「でも、おまえは動けた。峰を助け、事件に終止符を打った。ならば、信念なんてそんなに大事なことか?」
「今はいらないですけど、なんか将来的に必要かなっていう気がしてます。でも、同時に信念て考えて生み出すものでもない気もしてます。なんていうか、気付いたら持ってたみたいな」
「オレもそうだと思ってるよ。だから、オレは信念なくても刑事が出来ているんだよ」
なるほど。信念や正義はそういうものかという手応えを感じているので納得がいく。
「まあ、かいさんは犯罪撲滅っていう使命感だけで刑事やってるすごい人ですもんね」
ヒマリアがからかうように言った。
「うるせえやい」
「その線引きって必要なんですか?」
相葉は素直に疑問に思った。
「前にも言ったと思うが、必要なのは行動力。理屈や心構えじゃないんだ。だから、人から見れば、それが信念に見えるかもしれない。だけど、そんなのどっちでもいいんだよ」
「犯罪撲滅のために動くというのも立派な信念に見えます」
「問題はそれに寄って立っているかどうかだと思ってる」
「かい巡査長は、立ってないんですか」
「肘をかけたら崩れそうで、寄りかかったことはないな」
「なるほど。勉強になりました」
きっと、槐は強い『人間』なのだろう。いや、『刑事』という生き物なのかもしれない。だから、信念のように見えることもその実、本人は頼ったことがないから信念とは言わない。そういうことか。到底真似は出来そうにないな、と思った。
そもそも信念という言葉にこだわりすぎているかもしれない。自分が寄って立つことが出来るなら名前なんてどうでもいい気がする。寄って立ち、動くべきときに動く。その本質が大事だと、槐は繰り返していた。
「じゃあな、お大事に」
「はい」
二人の退室後、病室には静寂がもたらされた。
「さて、あたしも帰るかな。帰って、眠るかな。また、帰ってくるよな?」
「うん、今のところはそのつもり。未熟な僕で良ければまた戻るよ」
「言ったろ。世話を焼かれているうちが華ってな。まだしばらくは面倒見てやるから戻ってこい」
「そういえばそんなこと言ってたね。ありがたく世話になるよ」
「待ってるぞ」
「おやすみ、流羽。良い夢を」
「ああ、おまえも良い夢を」
「僕には、もう言い訳のしようがないんだけれども」
そう最後の話し合いを切り出した。向かえに行くと再び約束したのにそれはまたも守られなかったのだ。もう、覚悟を決めるしかない。覚悟を決めて、捜査に恋するしかないような気がする。
だけど、千香から返事はない。
「千香?」
千香は、少し拗ねたような怒ったような顔をしていた。
「わたしは、あまり怪我人に追い打ちするような真似はしたくないんだけど?」
「そう、だね。でも、今が一番いいんじゃないかなって思う。本当にごめん」
「生きて帰ってきてくれただけで良しとしたいけど、わたしはいやよ。こんな辛い目にあってるあなたを毎日見るのは」
「……」
言葉を探した。だけどなんて言っていいかわからない。いちさん係に参加してしまったし、まだ警察官を辞めたいと思えない。これからもまた、こんな目に遭うだろうことは想像に難くない。
「でもね。最初に怪我をしたとき、流羽さんに言われたんだ。こんな目にあっても警察を辞めないやつは一生警察官だって。だからわたしもある程度覚悟は出来てるつもり」
「千香、それって……」
「ピザおいしかったね」
千香がぼそりといった。
「うん、おいしかった」
「また、食べられると素敵だと思わない?」
「思うよ」
「じゃあ、努力して。そもそも恭一はわたしと付き合うのに努力が決定的に足りないわ」
「え? じゃあ?」
「勘違いしないでね。わたしたちは別れたの。でも、もしかしたらあなたの努力次第では、もしかするかもしれないというだけよ」
「うん。わかった」
さて、とりあえず体をさっさと治して、彼女に尽くすとしよう。警察に勤める意味を考え直しながら。
まずは、ヒマリアと流羽になにかをおごって、千香にも雰囲気のいいところを探して。やることがたくさんあって、人生は豊かだ。財布と頭は痛いけど。
<了>
相葉恭一は識っていく 終夜 大翔 @Hiroto5121
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