23.

 相葉は、逃げるように部屋を出るとまず鶴木に電話をかけた。遠くではパトカーのサイレンが聞こえる。

「こんばんは。相葉です」

『こんばんは、どうしたの? ミネルバちゃんに逃げられた?』

「ええ、まったくその通りです。絵に描いたようなとはまさにそのことです」

『それで?』

「流羽がどこに向かっているか、教えて欲しいのです」

『なんで、私なら知ってると思うかな?』

「多分、会議で方針が決まっているからと踏んでいるからです。流羽が動き出した後はどこに追い詰めるか。それはもう決められていたんじゃないかな、と」

『どうして?』

「あなた方は、僕らを露骨に囮にしすぎです。千香の入院も餌として警察病院に置いておいたのでしょう? それに僕らが会議に出ないのにもお咎めがなさ過ぎですし、また報告もしてくれませんでした。なにかが、水面下で動いていると邪推するには充分だと思いますよ」

 相葉は千香を部屋に残してマンションの外に出た。相葉は急ぐ。考えが正しいのならば、今一番危険なのは流羽に変更されているはずだ。子供のいたずらはまだ続いている。

『……ふう。相葉くん。君は随分と頭が回るね。ミネルバちゃんが自慢してだけのことはあるね』

「僕には、力がありません。かい巡査長のような勇気も、鶴木さんや流羽のような腕力も。だから、その分を小狡く立ち回るしかないんですよ。そんなことより、ランデブーポイントはどこですか?」

『今度、ミネルバちゃんと私になんかおごってね。場所は山羊沼公園』

「わかりました。山羊沼ですか? あそこはなんにもないじゃないですか」

『だからじゃない。狙撃して良し、壊れるものなしのロケーション』

「警察って結構乱暴なんですね」

 タクシーを止めた。それに乗り込み、山羊沼公園を告げる。

『相手次第だよ? まあ、うちは特にその傾向が強いことは否定しないけど』

 否定しないのではなく、できないが正しいだろうと思ったが突っ込まない。

「ありがとうございました。僕は向かいます。それが流羽の本意でなくとも」

『そう』

「はい。では」

 電話を切った。深く息を吐いて車のシートに背中を深く預ける。自分で殴った脇が痛い。医者の協力がなければもっと酷いことになっているんだろう。でも、今はそんなことにかまっている場合ではない。

 流羽は、なぜ急にあんなことを言いだしたのか。吸血鬼にならないか、なんて。その理由は、今考えるものではない。

 それより、大事なのは相葉の血を飲まなければならないといった言葉に意味があるかどうかということだ。そこに引っかかっている。吸血鬼への勧誘によってうやむやにされたが、頭の隅っこで振り払えずに残っていた。

 血を飲むことは大事だ。命の維持にも繋がるし、力の増減、回復の早さなどにも関わってきていた。ならば、今回の相葉の血も必要なものだったのではないだろうか。

 沙織の言う通り、分割して考える。流羽には相葉の血が必要なんだろう。なぜ? 生き血の方が力が出るから? いや、違う。流羽の言葉を注意深く思い出す。答えは、能力にあった。

 権堂の血を飲むまで、弱った状態が解除されない。そして、なぜか倉庫での戦い以来さらに弱った流羽。流羽は、一言たりとも能力が被らないとは言っていない。

 おそらくは、そういうことだ。二重に能力が発現していて、弱点も二倍になっているのだろう。そんな体調で勝てるのか。多分、否だろう。だから、あの場面で血がいるなどと言ったのだと思う。

「急ごう」

 結論だけをそう呟いた。



 公園に着いた。包囲網を作っていた割りには、静かだ。

 歩き出したはいいが、この公園はかなり広い。見通しは良いものの、夜に人を見つけるのは難しい。街灯もないこの公園での頼りは超然たる満月の明かりのみ。

 それでも闇雲にでも進まなきゃならない。計算され尽くした、ぬるい人生設計とは違う。先になにがあろうとも進まなきゃならない状況。競うことから逃げ続けてきたツケがまだあったかという気分だった。

 順路などを無視して、牧場のような草原を走る。音、声、におい、気配なんでもいい。とにかく全神経を集中して流羽を見つけようとする。

 生ぬるい夏の空気が相葉を撫でていった。そこで、感じたのは生ぬるいにおい。血と獣のにおい。風上に目を向けると、遠くに人影が見えた。

「見つけた!」

 すぐさま近寄る。権堂は、度重なる追い込みで満身創痍のようだ。肉の腐ったようなにおいが風に乗って来ている。

 なお近づく相葉。草をかき分ける音が二人の耳に入ったのか、こちらを見る。二人とも狂気を宿した目をしていた。だが、流羽の狂気は相葉を見たことで消えてしまう。その瞬間、権堂は流羽に飛びかかった。

「流羽!」

 相葉は、背中から銃を抜きだし構えた。さっきの無茶な覚醒のせいで腕が震える。正確な射撃は期待できそうにない。強く奥歯を噛みしめた。

 ここで動けるかどうか。動けなければ、きっと流羽の側にいる権利はなくなるだろう。恐怖はもちろんある。だけど、それも流羽を失うことに比べれば天秤は動くべき方に傾く。

 相葉は走り出した。遠くから狙えなければ、近くで撃てばいい。

「おおぉぉぉ!」

 馬乗りになって、流羽を仕留めようとしている権堂に、走ったままの勢いで蹴りをくわえる。

 生き物を蹴るというのがここまで重いものだとは知らなかった。蹴り慣れていない相葉の足に衝撃が走る。

 それでも相葉は銃を構え、権堂のいる方に向かって撃った。しかし権堂は、全身血まみれでもそれを避ける。そして、距離を取った。

「流羽、大丈夫?」

「おまえ、どうやってここに来た? 魔眼で眠らせただろう?」

「根性で」

「おまえに根性なんてあったのか」

「生まれて初めて行使したかも」

「そうか」

 本来なら笑い合う場面なんだろうが、眼前には敵が残っている。談笑するにはまだ早い。

「おおおおぉぉぉーん!!」

 権堂が野生の雄叫びを上げた。

 そのとき、あれほど絢爛と存在していた満月が雲に隠れ、しかも泣き始める。

 雨粒が一粒二粒と、相葉たちに降り注ぐ。

「くぅ!」

 流羽が苦悶を漏らした。

 肌に触れた雨が流羽の柔肌を焼く。そこまでなのか。相葉は焦って着ていた上着を脱いで、流羽に乱暴にかぶせる。

 さらに、左腕の袖をまくり流羽の前に差し出した。銃と視線は権堂に向けたまま。

「なんの真似だ?」

「いいから、血を吸いなよ。そんなんじゃまともに戦えないだろう?」

「いや、ダメだ」

「吸血鬼には成りたくないけど、僕のせいで君が苦しむのはいやだ」

「あたしは、おまえが欲しい。この衝動がある限り、いつおまえを仲間にしようとするかわからない」

「だけど、追跡捕縛の能力が二重に発揮されてては戦いもあったものじゃないじゃないか」

「おまえ、どうやってそれを知った?」

「注意深い観察と、刑事的な閃きだよ。いつも流羽が言ってることを実践しただけさ」

「おまえがいなきゃ、真の力は発せないのに。あたしは、おまえの前で力を発揮することが怖い」

 今更なにを言ってるのかわからなかった。充分ヒト外の力については見てきたのだ。ここで尻込みする意味がわからない。

「僕は、もう恐れないよ」

「……」

 なお、躊躇する流羽。

「じゃあ、僕だけであいつと渡り合う。手負いだ、僕にだって勝ち目はあるはず」

「無理だ! あれだけの傷を負ってもあたしと互角なんだぞ!」

「じゃあ、僕の血を吸って。僕にとっては、君に吸血にされるか、権堂の餌にされるかの二択だ。僕は、今君が血を吸ってくれるなら、あらゆることを覚悟する」

「相葉……。わかった。あたしも、覚悟を決める。決着をつける」

 流羽は、牙を剥いて相葉の腕に齧り付いた。一瞬、相葉の意識が流羽に向く。

 その隙を権堂は見逃さず襲ってきた。必死の一撃。それを流羽が弾くが流れた体が相葉を直撃する。それだけで人間の相葉にはひとたまりもない一撃だった。尻餅をつき、意識が揺らぐ。

「相葉ぁ!」

 流羽の悲痛の叫び。そこには明確な怒りと殺意。権堂は再び距離を取った。

「ふう、ふう。はあぁぁ!」

 流羽が急に苦しみだした。

「大丈夫、流羽?」

「力、を押さえ、きれない」

 流羽の体が変化し始める。髪が栗色の染めを脱ぎ捨て金色に変わった。流羽の身長が少し伸びて、腕が脚が金色の毛で覆われる。最後に相葉の上着を脱ぐと、そこには金色の毛をした人狼が立っていた。

 今まで忌避すら感じていた人狼の姿になったのだ。相葉は驚いたが、流羽は流羽だ。もう恐れない。受け入れるって決めたんだ。

「行け、流羽! やっちまえ」

 流羽は、声を発さず頷くだけだった。そこからの流羽は凄まじいの一言に尽きる。一瞬で間合いを詰めたかと思うと、権堂に爪を突き立てた。もはや、為す術もなく権堂は倒れると思ったが、そこから反撃に出た。

 広い空間で思い切り暴れる人狼たち。その光景は凄まじく、だが美しいものだった。特に金毛の狼は毅然と存在し、別次元の生き物のようだ。

 煌めく体毛、閃く爪。この夜を斬り裂く華美なる獣。

 それが流羽。

 ちょっと生意気で、小学生にしか見えない。だけど、仕事においては厳しいが正しい存在。吸血鬼で人狼で、わけわからない存在だけど、目を奪われる。

 流羽の一撃は、とうとう権堂の首筋に食いついた。権堂は、暴れるが力が入っていない。そして、ゆっくりと動きを止めていった。

 倒れる権堂。それを口から離し、喘ぐように空気を求める流羽。これで、全部が終わった。流羽もそう思ったのだろう、流羽は権堂に背を向けた刹那。権堂が再び立ち上がった。覆い被さる権堂の影。だが、その牙は流羽には届かなかった。

「ふうふう……」

 相葉の弾が、見事に権堂の眉間に叩き込まれた。相葉の銃の最後の一発。

 権堂は、完全に動かなくなると足下から灰になっていく。流羽は、口の周りを血で汚していたが、それも灰になった。

 流羽は、その灰が風に踊る様を眺めながら人の姿に戻る。倒れたままの相葉に駆け寄ってきた。

「終わったね」

「ああ」

「おつかれさま」

 にこりと、笑う相葉。

「あ」

「あ?」

「あの。ありがとう、な。あたしを拒否しないでくれて」

「当たり前じゃないか。相棒だろう? 僕たち」

「立てるか?」

「全身が痛いよ」

「かつごうか?」

「いや、自分で立つよ」

 小学生におんぶされた大人というのは非常にかっこ悪いだろう。しかも戦ったのは流羽だし。痛む体をおして、立ち上がる。流羽の手を借りたが、ものすごい力だった。なにもしてないのにぼろぼろだ。

 周りからも、警官たちが包囲網を縮めるように集まってきていた。槐やヒマリアの姿もある。随分と遅い到着だと思ったが、彼らのおかげでここで無事に権堂の血を飲み、かつ倒せた。

「よくやったな、相葉」

「おつかれさまでした、相葉くん」

「ありがとうございます」

 そう答えると、そのまま意識を失った。

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