22.

 二日ぶりに、流羽が棺おけから出てきた。その顔には疲労が濃く浮かんでいる。目が腫れぼったくなっており、わずかに頬がこけていた。でも、根本的な美しさを失っていないように思える。ロリコンの気はないが。

「やあ、おはよう。流羽」

「ああ、おはよう。あたしは何日眠っていた?」

「え? 二日くらいだけど」

「二日? たった二日か?」

 ちょっと驚いた表情の後、安堵したような気がした。

「うん。なんで、そんなに驚いてるの?」

「権堂はどうなった?」

「残念ながらどうにも」

「そうか」

 相葉は、二日も寝ていたことの方がすごいと思ったが、吸血鬼だからなにかしら人間と違うところがあるんだろう。

「相葉、すまないが、コーヒーを入れてくれないか?」

「うん。つっ」

 立ち上がろうとして、激痛にうめく。相葉も相葉で完調にはほど遠い。というか、あれから二日では治るものも治らない日数だ。

「あ、わたし代わりに入れますね」

 千香がすぐさまフォローしてくれる。

「ぬ。すまん、相葉。あたしはあたしのことでいっぱいになっていたようだ」

「気にしないで。それより、前後不覚になるまで眠っていたのってどういうわけ?」

「ん? 死の眠りというやつだよ」

「死の眠り?」

「そうだ。消耗した吸血鬼は死んだように眠る。身体のあらゆる器官を休めて、力を取り戻す。普通、あのくらいだと五日は寝てると思ったが、満月とおまえの血のおかげだろうな。改めて礼を言う。ありがとう」

「そんな大したことじゃないよ」

「いや、知らずとは言えあたしに血を分けることをしてくれたのは、言葉の礼では足りないくらいだ」

「まあ、血を与える意味は鶴木さんに聞いたよ」

「そうか。おかげであたしは満月の前に復活を果たしやつとの戦いに備えることができる。感謝している」

「うん。あ、お腹空いてない?」

「……言われてみれば空いてるな。なんかあるのか?」

「いろいろとね。このまえの祭のときを参考に肉を多めに購入してきた」

 流羽が台所の冷蔵庫を開けると、ベーコンやウィンナー、生肉からビーフジャーキーまでいろいろ入っていた。

「素晴らしい」

 流羽が思わずこぼした。相葉は流羽がどれを最初に手にとるか興味があった。流羽が手を伸ばす。しかし、流羽が手に取ったのはどれでもなかった。

 まずは、血液パック。当然といえば当然だろう。吸血鬼なのだから。心の隅でどこかがっかりしながらも、仕方ないと思った。

 二日ぶりの血を飲む流羽。その顔には喜色が浮かんでいるかというとそうでもない。どちらかというと難しい顔をしている。

「どうしたのさ? 難しい顔しちゃって」

「うむん? いや、なんでもないぞ」

 血を飲んだ後は、礼のごとくのコーヒージュース。なんで、流羽はいつもコーヒーにこだわるのかわからない。でも、コーヒージュースの好きな子供も多いか。自分もそうだった。似たようなことなのかもしれない。

「さて、あたしは明日の夜までもう一度休眠する。……決着をつけに行く」

 妙な間が入った気がする。相葉は少し引っかかったが、追求はしなかった。

「うん。わかった」



 次の日、朝は明けて昼も過ぎ、夕刻の中、相葉は、間借りしている部屋で医者の処置を受けていた。痛み止めの注射に、テーピング。無茶を承知で頼んだ。すると、渋々その処置を認めてくれたのだ。

 処置が終わり、朱い陽に照らされた時間も終わり。これで、流羽が起きれば戦いが始まる。それまでは、体を休めていようとベッドに横になった。時間はまだ五時過ぎ、流羽には危険すぎる時間だ。

 時計が七時を過ぎる頃に、流羽が棺おけから出てきた。待ちに待った満月の日だ。流羽がこの日でなくてはいけないと言った日。

 肝心の流羽の顔は険しく、普段あるどこか子供らしさからくる特有の愛嬌は完全に影を潜めている。挨拶もそこそこに、食卓に着いた。だが、すぐに立ち上がると、冷蔵庫を開けて片っ端から肉を持ってくる。

 流羽は、落ち着きなく部屋の中をうろうろしたり、その持って来た肉類を生いかんにかかわらず、そのまま食べてしまったり、スナック菓子を片っ端から手を付けたり、奇行が目についた。

「流羽、どうしたのさ? ちょっとおかしいよ?」

 流羽はちらりと視線を送ってきただけで、また部屋の中をうろうろし始める。心なしか剣呑な雰囲気をまとっているように思えて、それ以上の追求は出来なかった。

 なんというか、最近ずっと一緒にいることで克服されたと思っていた知らない流羽をまた見せつけられている気分だ。千香もそんな流羽を見て心配そうな表情を浮かべている。多分だが、同じ心配をしてると思う。自分たちが喰われないだろうか、という心配を。

 外には、まだ太陽の残り香があり、油断があった。太陽の反対側には低くのぼった月が、満月が出ている。

「血がいる?」

 戦いの前に、必要か? そういう意味で尋ねた。

「ああ」

 相葉はその返事を聞いて、冷蔵庫に取りに行こうとする。

 だが、流羽は相葉の手を取って引き寄せた。

「な、なに?」

「必要なのは、おまえの血だ」

「え? どういうこと?」

 要領を得ない相葉に、流羽はものすごく優しい表情を向ける。先ほどの苛烈な表情を作った存在と同一な存在とは思えないほどに。

「あたしは、おまえのことが気に入っている。仲間にならないか? あたしの眷属になって欲しい」

「それって、告白?」

 わざと、空気を軽くしようと軽口を叩く。冗談にして流すしか相葉には手が浮かばない。

「そうだよ。一世一代の大告白だ」

「え?」

 返答に窮する反応だった。

 なおも優しい目で勧誘してくる。目にも言葉にも誠実さを感じた。

「ごめん。僕は、弱っちくても人間でいたいよ。人間でいることの意味をまだ理解していないから」

 素直な答え。正直な気持ち。それが、真摯な眼差しに答える唯一の態度だと思ったから。

「そうか。残念だ」

 流羽は軽い調子で肩をすくめた。

「でも、僕は流羽の側にいるよ」

「告白か? 彼女の前で」

「違うよ。ある意味そうだとも言えるけど」

 今度は、相葉が正面から流羽を見つめる番だった。

「そうか。じゃあ、行くとするか」

「どこへ?」

「知れたこと。権堂を殺しにだよ。陽も沈んだし、あたしの時間だ」

「よし、行こう」

「ダメだ。おまえは置いていく」

「なんで? 今断ったから?」

「相手は手負いだ。危険きわまりない。言ったろ? あたしはおまえが気に入っている」

「それは私情で、公務には関係ないじゃないか」

「すまないな、大ありなんだ」

 そういって、流羽は破れた窓の方を向いて鼻をひくひくさせた。まるで、犬がにおいを辿るように。

「僕は、行くよ」

「ダメだ」

「これは、恨みや憎しみに根付いた感情からじゃない。君が心配だからだ」

「だからこそダメなんだ!」

 強まる語調。口ぶりがまるで子供のわがままのようで、稚拙だ。相葉の知っている流羽ではない。

「なん……」

 言い終える前に、流羽の目に力が込められた。ふらつく意識。朦朧とする。

「おまえはそこで寝ていてくれ。悪い夢は、あたしが終わらせるから」

 相葉は、必死に眠気を払おうとするが意識はどんどん泥沼に落ちて行く。

 流羽は、崩れ落ちる相葉を支える千香を横目に部屋を後にした。

 相葉は、それを見た後、指先を動かすのも気怠かったが、思いっきり自分の左脇腹を右腕で殴りつける。右腕も、左脇腹も悲鳴を上げた。それで、しゃにむに覚醒する。

「恭一!」

 千香の悲鳴に似た声がはっきり耳に届いた。頭のもやもやが晴れる。

「行かなきゃ。まだ、僕に出来ることはあるはずだ」

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