高齢の母と御縁のある方に書く手紙

一枚だけの年賀状(句読点は使わない)


「喪中につき年頭のご挨拶を失礼します」

夫の兄が亡くなり、この年11月末、印刷済み喪中葉書に宛先を書いていました。

そんな折、電話が鳴ります。受話器を取ると

「△△(←私の名前)ちゃん? 〇〇です」

母が住む実家のご近所の方で80歳の女性です。子供の頃に聞き慣れた、懐かしい私の呼び名です。

「えっ? どうして私に⁉」

私が結婚で実家を離れてから30年余り、会う事はありません。首をかしげるばかりです。

話を聞けば

「80歳で引っ越して近所に知り合いがいない。年賀状を整理していたら△△ちゃんの名前を見つけて懐かしくて電話した」という事でした。

一人住まいの母に何かあれば、馴染みのご近所にお世話になります。

娘の私から数軒のお宅に「母がお世話になります」と毎年、年賀状を出してきました。

この方は、前年引っ越されていました。

人工透析に通う病気も抱え、さぞや心細い事でしょう。

私が小さな頃から知る方なので気の毒でした。

この方が、来る年は幸せでいらっしゃる様にと、一枚だけ年賀状 を書く事にしました。


年賀状は句読点を使わない、と65歳になって知ります。

印刷に頼りきり、ゲルインクのボールペンで一言足す、を毎年繰り返してきましたので、この歳になって、ルールに驚いています。


昔、手紙は毛筆で書かれていました。

行書や草書の連綿書体は美しく、流れる様に文字が連続して書かれています。

この手紙に句読点があると非常に不自然で見苦しいものと想像できます。

点や丸をつけることは、相手を字が読めない子供扱いしている。また「区切り」の意味で相手との関係に区切りをつける、と受け取られる様です。

たしかに、毛筆ではなくボールペンで書かれていたとしても草書の文字は全く読めませんから、子供扱いされても仕方ない。


今では楷書で手紙を書きますが、このルールがあらたまった挨拶状に残ったのでしょう。


行書・草書の文字は、書道の世界でしかお目にかかれなくなりました。

現代人は、楷書の文字以外は読めなくなりそうです。


……


明けましておめでとうございます


ご家族お揃いにてよき新年をお迎えのことゝお慶び申し上げます

旧年中は母が ひとかたならぬお世話になり厚く御礼申し上げます


母も親しく話せる友人が遠くなり 寂しい事です

また年末には お懐かしいお電話有難うございました

うけたまわれば 人工透析されている由 どうぞお大事になさって下さい


この一年が どうか御多幸であります様 御祈り申し上げます

1月1日

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