九章

○ ごめんね。 〈高科由芽〉


 白い空間のいたる所から、白い雫がこぼれ落ちる。白い空間に白い雨が降るようにこぼれ落ちる。


 地面に落ちた雫のひとつが、ひとりでに蠢いた。膨張し、球体になり、収縮し、また膨張することを繰り返す。白く丸い石膏を削るように形づくられていく。真っ白だったところに徐々に色がついていく。

 白い塊だったものが、膝を抱える人間になった。顔を上げた。高校生くらいの少女の顔だった。


 セーラー服を着たその少女は、こちらを見据えながら立ち上がる。刀を手にしていた。

 大量に落ちた他の雫も蠢きだした。蠢き、徐々に人の形を成していく。少女の形を成していく。


 刀を持った少女が、刀を構えこちらに疾走してくる。

 由芽が悲鳴を上げる。ククは由芽を抱きかかえ、左に跳んだ。頬に痛みが走った。雫から形を成した少女の一人がナイフを投げてくる。


 上から鉄パイプを振りかぶった少女が飛び込んできていた。ククが由芽を抱えたまま、伏せて回避。腕をバネにしてすぐに後ろに跳び退る。釘バットを上段に構えた少女の一撃が、一瞬体を掠めた。

 ククが着地するのと同時に少女たちの足元が爆発する。少女たちの腰から下が吹き飛び、上半身が地面に落ちる。


「ク……クク君……」


 由芽はククの腕の中で尋常ではないほどに震え上がった。頭をつかまれ、彼の胸に顔を押し付けられた。目の前の光景を見るなとでも言うように。


「由芽。これをつけて、後ろに下がってろ」


 ククの手を見ると、桜色の石がついたペンダントが乗っていた。戸惑って見つめていると、ククが由芽の手をとり、握らせてきた。


「これ……?」

「いいからつけろ。それは、お前を守ってくれるから」


 戸惑いながらも由芽は、ククの言うとおりにペンダントを首に下げた。ふわりと、春の暖かい空気に包まれたような心地よい感覚に包まれる。知らず知らずに涙が流れてくる。


「クク君……、これ……」


 悲しみの涙ではない。大好きな誰かに優しく抱きしめられているような、幸せな気持ちが溢れて涙になっていた。

 ククがなぜか苦笑した。由芽を馬鹿にして笑っているのではなく、己を嘲笑っているかのような笑みだった。苦笑したままのククに背中を押される。足をもつれさせながらも、由芽は後ろに下がっていった。


 遠く離れた場所から、ククと少年と、たくさんの少女たちを見る。脚が爆ぜたはずの少女たちが、再び立ち上がっていた。

 脚には破壊された痕跡はなく、元の長く美しい脚が綺麗に修復されていた。


「どうですか。かわいい娘たちばかりでしょう」


 セーラー服を着た、ショートカットで活発そうな少女。髪を一本の三つ編みにした、メガネをかけた少女。大人ぶったメイクをしたツインテールの少女。長身で、気の強そうな切れ長の目をしている少女。ドクロの描かれた黒いTシャツにハーフパンツで、たくさんのシルバーアクセサリーで自らを飾り付けているボーイッシュな少女。長い髪を結っていて、和服を着た小柄な少女――――


 白い雫から変化したたくさんの少女たちすべてが、無表情でククを見据えていた。

 数十人の、さまざまな個性を持った少女たちが少年を守るように取り囲んでいる。 


「彼女たちが、ボクの手で生き返らせた、ボクの愛する《心寿》たちです」


 恍惚とした声音で言い、少女たちに囲まれた少年は、手近にいる少女の肩を抱いた。艶やかな黒髪を持つ清楚な少女は、うっとりとした表情で自らの体を少年に寄りかからせていく。


「そうして彼女たちはボクのことをとてもとても愛してくれている。ボクの言うことは何でも聞いてくれる。かわいい娘たちですよ。とても……」


 とろけた表情で、寄りかかってきた少女のこめかみに口づけする。そうして自分を取り囲む少女たちを、自分が創作した最高傑作でも愛でるような瞳で見渡す。

 ククは呆れるように頭を掻きながら、言った。


「楽しいか? 最初から好感度マックス状態で始まるリアルギャルゲ、自分でつくって」


 ククの軽口に、愛でる表情は崩れ去り、蔑みと嘲笑の入り混じった怒りの表情でククを睨みつける。


「クク君。君はどこまでもゲスだ。――みんな。彼をなぶり殺しにしてください。こんなゲスは簡単に殺しちゃダメですよ。自らひざまずき、許しを請い、涙でぐちゃぐちゃになったところをさらになぶり、殺してくれと懇願するまで。可愛がってあげましょう」


 主の命令を合図に、少女たちは無言でククに飛びかかる。ククが少女たちに向けて右腕を大きく振る。棍棒を持った青いブレザーの少女の腕が飛んだ。

 由芽は思わず悲鳴を上げる。ククの掌から刀が生えている。それが少女の腕を断ち切ったのだ。


 メガネをかけた少女がトンファーをふりかざした。同時に、腕をなくした青いブレザーの少女がククの後ろから、靴から飛び出した刃で首を狙ってくる。ククはその二つの攻撃を横に飛び込むように回避し、地面に手をつき一回転し、間合いを取る。追撃をかけようと迫ってくる少女たちの足元に爆発が起こった。

 爆発で脚を失った少女たちの首が、ククの刀で跳ね上がる。


 由芽の全身に怖気が走った。先ほどククに渡されたペンダントには幸せな気分を与えられたが、今はすべてが戦慄に上塗りされる。

 ククが、目の前で女の子を斬っている……。


「なにやってるの、クク君! やだぁあ!」


 精一杯に制止の言葉を叫んだが、赤髪の青年が振るう凶刃は止まらない。先ほど脚が爆発し、修復させ再び迫っていった鉄パイプの少女の腹が、斬り裂かれる。


「うるせぇ! そのままだったらどうなるか考えろ!」


 叫びながら迫ってくる少女たちに刀を振りかざす。


「でも……でも!」

「見んのがイヤなら目ぇつぶってろ!」


 言われても、由芽は目をつぶることができなかった。意思に反してその光景を目に焼き付けようとするかのように、目を大きく見開いて目の前の惨劇を見つめ続けた。

 少女たちの傷からは血が出ていない。うつろに開いた唇のように、だらしなく中身をさらけ出していた。しかし、開いた唇はすぐに閉じられる。傷が跡形もなく消え去る。腕や脚や首をなくした少女たちからは、徐々に新しいモノが生えてくる。


 主が彼女たちを操っているのならば、主が倒されれば彼女たちは動かなくなるのかもしれない。

 だが、少年を守る少女たちは人数が多く、すぐに再生する。第一陣を倒せば、第二陣が襲ってくる。第二陣を倒せば第三陣が。第三陣を倒せば再生した第一陣が襲ってくる。ククは何度も近づこうと応戦しているのだが、すぐに少女たちに押し返されてしまっていた。


 由芽は泣いた。ペンダントが与えてくれる幸せの涙ではない涙を流した。

 たくさんの少女たちの向こうで、少年は目を細めていた。瞳には同情と嘲笑が入り混じっている。


「本当は生き返らせたいと思っているクセに……。何故ですか? まさか、実来さんに、“実来さんが死んだ時には由芽さんの守護霊になる”という約束をしてしまったからですか?」


 少女がなぎ払った刀が、ククの腕を掠めた。


「あなたがボクに楯突くことをやめれば、それで終わる話なのですよ。実来さんも生き返って、あなたの側に戻ってくる。別に、実来さんを生き返らせるのに必要な想いは、由芽さんである必要はありません。お母様でもお父様でもいい。実来さんのお友達でも、誰でもかまわないのです。今回はたまたま、由芽さんが実来さんの《心寿》を持っていたので、手間が省けるから彼女に目をつけただけでのことなんです。一番お姉さんのことを強く想ってくれる人物でもありますしね。それだけのことです。由芽さんでなくてもいいんですよ」


 後ろから少女に羽交い絞めにされ、ロープで首を絞められる。ロープを持つ手を無理矢理に引き剥がし、前方に少女を投げ飛ばす。


「もういいから! もうやめようよぉ!」


 由芽の悲鳴を無視するように、ククは横から襲ってきた少女の胴体を切り裂いた。


「今、君が戦うことは、デメリットばかりです。降参してください。降参して、実来さんを生き返らせましょうよ」


 子どもを優しく諭すように、少年の声はゆっくりとしていた。

 赤髪の青年は、少年の声を否定するかのように咆哮を上げながら、少女たちに刀を振るう。

 少女たちは赤髪の青年に向かっていき、切り裂かれ、再生し――を繰り返していた。

 その中に、長い黒髪が踊っていた。由芽は見覚えがあると直感する。あれは――


「りっこちゃん!」


 不意に由芽の口から飛び出した人の名に、一瞬ククの刀に迷いが生じた。


「やめてクク君! あたしの友達なの!」


 ククの目の前まで迫る長い黒髪の少女に対し、刀が喉笛の手前で止まる。

 横から金髪の少女が、ククの肩に長いものをつきたてる。ククの口からうめき声が飛び出た。


 肩に杭を突き立てられ、何人もの少女たちにのしかかられ、押し倒される。ククの手に形成されていた刀が霧散する。刀のなくなったその手には、槍が突き立てられ、白い床に縫いとめられる。脚はロープで縛り付けられ、動くなとばかりに律子がその上に跨った。


 殺し合いの喧騒が、止まった。


 他の少女たちはそれぞれの武器を持ち、遠巻きに、静かに、倒れたククを眺めている。

 少年の眼は爛爛と光っており、口は悦びに歪んでいる。


 喧騒の止まった静寂に、赤髪の青年のうめき声だけが響く。その彼の上に、長く艶のない黒髪の少女が跨っている。

 太陽の光を拒み続けてきたような、白い肌。今のこの白い空間に溶け込んでしまいそうな肌の色とは対照的に、白い空間から浮き上がってくるような真っ黒い服を着た少女。他の少女たちと同様に、何の感情も見られない瞳をした彼女は、間違いなく由芽が知っている律子だった。

 由芽は、愛情で構成されたバリアに包まれながらも、悲しみの涙を流しながら手で口を覆っていた。


「なんで……? どうしてなの……。トモキくん……。りっこちゃんは……旅に出た……って言っ……」

「『どうして?』……律子さんがどうしてこの場にいるのか? ということですか?」


 由芽の問いに、少年はわずかに息を荒げて頬を高揚させる。


「嘘だからですよ。全部。律子さんに関する、ボクがあなたに伝えたことすべて。律子さんは一人で旅に出たのでもなく、トラウマを克服したわけでもなく……律子さんは一度死んで、そうしてボクの奴隷として生き返った。律子さんも、とても可愛い、いい娘ですよ」

「死ん……だ?」

「そうです。ボクもユキマサも、人間を糧にして生きています。刈り取ったんですよ、律子さんの魂を。ユキマサが」

「ユキ……ちゃん……が?」


 由芽は肩を抱いて首を振りながら、その場に力なく座り込む。顔を伏せ、自らで自らの心を掻き毟るような悲鳴を上げる。


「ワケ……わかんない……よ……」


 何の感情も宿っていない瞳をした律子と、目が合った。由芽は虚ろな瞳で、ククに跨る律子を見た。


 ――どうして……こんなことになっちゃってるんだろう……。

 ――どうしてクク君が、たくさんの女の子たちを斬り殺しているんだろう。

 ――どうしてトモキくんがクク君を殺そうとしてるんだろう。

 ――どうしてトモキくんが、ユキちゃんがりっこちゃんの魂を刈り取っちゃったなんて言ってるんだろう。

 ――目の前にいるりっこちゃんは、クク君に何をしているんだろう……。


 自分が何かをしたからこうなったのか。それとも何かを成さなかったからこうなったのだろうか。何故自分はこんなことに巻き込まれて、律子も虚ろな顔をして目の前にいるのだろう。


 由芽は虚ろな心で考えた。

 何かをしたことは思いつかなかったが、成さなかった何かなら思いついた。虚ろな心に罪悪感が広がっていく。


「ごめんね、りっこちゃん。ごめんね……」


 由芽は地面に手をつき、祈るように懺悔するように、空虚な律子に語りかけた。 


「りっこちゃんに、『一緒に外に出よう』って、言ってあげられなくてごめんね。あたしも前に進むのがきっと怖かったの。お姉ちゃんがいないから。あたしはお姉ちゃんがいなきゃ何にも出来ないダメな子なの。だから……りっこちゃんを連れてくのも怖くて……りっこちゃんを傷つけちゃうんじゃないかって思うと怖くて! りっこちゃんが自分で出て行こうと思ってくれたそのときには一緒に……って思ってたの!」


 律子は何の反応も示さなかった。

 律子の心は真っ白だった。何もなかった。今、自分たちがいるこの空間のように、何もない真っ白だった。

 少年はさらに眼を輝かせ、頬をさらに紅潮させる。熱っぽい吐息を漏らした。


「ああ……由芽さん。君も可愛いな。君もボクの女の子たちの仲間にしてあげたいな。さっさとこのならず者を片付けて、もっと精神的に追い詰めてやれば、知り合いの絶望の《残骸》や後悔の《残骸》あたりに《心寿》を取ってもらえるかなぁ。ああ。大丈夫だよ、由芽。ボクの所へ来ればイヤなことなんて全部忘れるん――」

「殺す! 殺してやる!」


 少年の言葉をさえぎり、捕らわれたままのククが叫んだ。体からいくらでも湧き出る憎悪を吐き出すように。


「愛情ってもんが、お前がこの女たちに注いでる感情だって言うんなら……俺は! 俺は絶対にあいつのことを愛してない! 絶対に愛してない!」


 少年の大きなため息がした。拗ねた子供のように唇を突き出す。


「本当にしょうがないヒトだ。ここまで蘇生することの尊さを理解してくれないなら、もういいです。――律子、みんな。彼をなぶり殺しにしてください」


 律子が、どこからともなく大きなナイフを取り出した。ナイフを高々と振り上げる。由芽は息を呑んだ。


 ――りっこちゃんが、クク君を殺しちゃう……!


 ククが、憎悪の猛りを口から迸らせる。律子が無表情でナイフを振り下ろした。


 ――やだ……!


「ヤだ! りっこちゃんを人殺しにさせないで!」


 猛り声が轟音に塗りつぶされる。

 光の花が咲いて、ククと律子を包み込んだ。

 光が萎み、花びらを散らすように消えていく。

 律子に左手をかざすククと、上半身がなくなった律子がいた。

 下半身だけとなった律子の体が傾いていき、白い地面に落ちた。黒いスカートが黒い花びらのように広がった。


 由芽は泣くこともできず、ククに預けられたペンダントを握り締め、命を散らした友の体を見つめた。

 ゆらりとククが立ち上がる。

 服は所々が破れ、肌が露出している。血は出ていないが、杭が打たれていた手は大きな穴が開いている。腕や腹や頬にも、削り取られたような痕がある。血の赤ではい、色の黒い奇妙な傷を晒していた。

 一歩踏み出し、力なく右腕を前に掲げる。右手に刀が形成されていく。二歩、三歩と歩みを進める。


「あああああああああああああああああああああああ――――!」


 走り出した。少年の周りを囲っていた少女たちの方向へ。

 虚ろな少女たちは武器を構えた。自分たちの意思をすべて剥奪された、空虚な動きで。

 由芽は涙の枯れた瞳で、凝視した。魂を抜き取られ、操られ、人間の尊厳もすべて奪われてしまった少女たちを。


「お願いクク君! 女の子たちを自由にしてあげて!」


 由芽の懇願の叫びに答えるように、少女の体が破裂した。次から次へと爆発音が連なり、少女たちが壊されていく。心を宿すことが許されない、人形のような体が。

 少年が顔を歪ませる。少年までの壁になっていた少女たちを、爆発が粉砕し、道を開いていく。ククの姿がどこにもなかった。少年の瞳がせわしなく動いてククの姿を探す。


「まっ……!」


 少年の目の前に唐突にククの姿が現れた。反射的に少年は腕で顔を庇う。庇った腕ごと、首が宙に飛んだ。


 爆破されて折り重なって倒れている少女たちの上に、首と腕が落ちた。

 ククは転がった首を一瞥した後、その場に膝をついた。

 静寂。

 響く轟音も、殺し合いに乱れる足音も、何かを斬り落とす音も、何もなかった。


 由芽は周りを見渡した。たくさんの少女たちが倒れている。

 爆破されずに立っている少女もいたが、彼女たちは電池の切れた機械のように動かなくなっていた。


 ――終わっ……たの?


 操られていた彼女たちの心は、解放されただろうか。解放されて、安らかな眠りにつけるだろうか。


「りっこちゃん……」


 呟いた直後。何か違和感に気がついた。目の端に何かをとらえた。

 倒れる少女たちの中で、一本、腕が持ち上がっている。

 指先に橙色の光を灯していた。光は音もなく火花を散らしている。

 火花が散る指先は、赤髪の青年の後頭部を指していた。ククは背中を向けたままだ。


「……あ……あ…………!」


 由芽は危険をククに知らせようと、声を出そうとした。しかし恐怖が喉を塞ぎ、声を出すことを許さなかった。


「……ふ……くくくく……っ…………ははははは!」


 膝をつくククの傍らに転がる、斬り落とされた少年の首が、生命活動を停止させることなく笑い出した。


「馬鹿が! ボクはハズレだ!」


 持ち上がっていた手の指の光が、いっそう強く光った。ククの腕が、指揮者がするように高々と上げられる。

 ククの腕が号令でもかけるように振り下ろされる。

 悲鳴が上がり、光が指から線香花火の最後のように、ころりと落ちた。持ち上がっていた手も、見えない何かに叩きつけられるように地面に落ちた。


 黒地に髑髏が描かれたTシャツを着た少女だった。言葉にならない言葉をわめき散らし、怒りをむき出しにしている。しかしその場から動けないらしく、苦悶の表情で、手足をもがかせるだけだ。

 ククがゆっくり振り返り、髑髏Tシャツの少女のところに歩んでくる。


「お前が正真正銘の“トモキちゃん”なんだな」

「“ちゃん”って言うな!」


 ポケットに手を突っ込みながら見下ろすククに、少女――トモキは歯軋りしながら憎悪の目を向ける。


「なんだよ馬鹿にしてるのか? ああそうだよボクは女だ、女だけど女が好きだよ馬鹿にしてるだろ――けどな! おまえっ、みたいにっ! 自分の気持ちを自分で否定し続ける馬鹿よりはよっぽどマシだ!」


 ククは少女の前にしゃがみ、額に人差し指を突きつけた。トモキの両の目が人差し指に釣られて中央に寄る。額に汗を流しながら恐怖の表情で唇をわななかせる。


「ほほ、本当にっ。本当にいいのか! ボクを殺していいのか! ボクを殺したら高科実来はもう絶対に生き返らない、お前の側には帰ってこない! いいのか!」


 ククの、トモキの額に突きつけていた指が、微かに震えた。唇がわずかに小さく動く。声は出ない。由芽は、きっと姉の名前を呟いたのだと思った。

 静寂の中、トモキは期待を込めるようにうっすらと笑む。しかしククの指は、トモキの額を指したまま動かなかった。


「いいんだ。俺は……あいつを前に向かせてやることができないから……」


 パン。

 小さく、弾ける音がなった。


 トモキの体から頭がなくなった。体が砂で作られた像であったかのように、体の輪郭が崩れていく。さらさらと砂がこぼれ落ちて、地面に広がっていく。

 体の一部をなくして倒れている少女たち。機能を停止した機械のように立ち尽くしていた少女たちも主と共に、砂となり、果てていく。


 白い空間が砂で埋め尽くされる。操り人形であった少女たちは、一人も居なくなった。何も動くものがなかった。由芽も動かなかった。ククも動かなかった。人差し指を突きつけた状態のまま、動かなかった。


 由芽は立ち上がって、歩いた。なぜかククの側まで行くことができず、数歩手前で立ち止まる。


「ごめんね。クク君」


 声をかけたが、ククは何も反応しなかった。指を突きつけたまま、動かない。

 実来が蘇る方法を絶ったのと同時に、彼が生き続けるはずのこれからも、断ち切ってしまったかのように。


「そうだよね。お姉ちゃんのこと、生き返らせたかったよね。ごめんね。あたし……お姉ちゃんのこと生き返らせたいって、願えなかったの。だって、お姉ちゃんが生き返ったら、お姉ちゃんはクク君の大事な人になって……それで……そうしたらあたしは……クク君の“大事”には、絶対になれなくなっちゃう……って……考えちゃ……っ……」


 枯れたと思っていた涙が、溢れて止まらなくなった。

 ククがゆっくりと、由芽の方に顔を向けた。不思議そうな表情をして、由芽を見ていた。


「お前……泣いてんの……?」


 由芽は両手で涙を拭った。ククの唇がゆっくりと動いている。


「あいつが――……実来……が……言ってた。お前が泣いたら、抱きしめてやればいいんだって。……そん時はさ、ばかじゃねーの、それで何になるんだよ……て、思ったんだけど。俺もそうなんだって……こないだ、知った……」


 ククが手を伸ばしてきて、由芽の手に触れた。握られて、引き寄せられて――気がつけばククの胸の中にいた。


「実来が一番大事にしてたのはお前なんだから。だったら……俺にとっても、お前は大事なやつだよ」


 由芽はククの腕の中で泣きながら、少しだけ笑った。


 ――あはは。あたしの気持ち、全然クク君に通じてないや……。


 それでも、由芽はククの背中に腕を回した。大事だと言ってくれて嬉しかった。

 彼のぬくもりが嬉しかった。



 

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