破壊をはじめる

五章

▼ 全員殺す 〈クク・ルーク〉

 ククは葬式を眺めていた。

 高科実来の葬式だ。


 今流行の、原因不明の奇病に倒れ、死んでしまった。……ということになっている。彼女は《想いの残骸》という存在の糧になったゆえに死んだ。そんなことは人間たちが知る由もなかった。


 読経と人々の嗚咽が聞こえた。若くして消えてしまった命に、たくさんの人間が涙を流していた。


 学校の制服を着ている少女たちが、身を寄せ合って泣いていた。その集団から離れたところで一人で泣いている少女がいた。“シーちゃん”だった。いじめられ孤立し、友人の葬式の中でも孤立している彼女は、制服を着ている少女の中で、もっとも涙を流していた。


 母親は今にも崩れ落ちそうな顔をしていた。父親も崩れ落ちそうだったが、なんとか気丈に振る舞っている。妹は泣くことすらできずに、呆けた表情をしていた。

 読経が流れる中、ククは人間の目には触れない姿のまま、部屋の一番後ろで胡坐を掻いていた。泣き崩れる人間たちを眺めている。


「よぉ」


 悲しみばかりが集まる今の場で、やたらと場違いで陽気な声が上がる。おそらく自分が声をかけられているのだろうと思い、振り向いた。

 にこやかな顔をした色黒の男が立っていた。男からは案の定《残骸》の気配を感じる。場違いな声を出したこの男に注目する人間は、もちろん誰一人いない。

 男はククの隣に「どっこらしょ」と老けた声を上げながら胡坐をかいた。


「あんたも同類だな。……なに? こんな辛気臭い場にいるってことは、あんたも喰えそうな人間でも探しに?」

「別に」


 ククは素っ気なく返事をしたが、色黒男は人懐っこいのか笑顔を崩さず話を続けた。


「ふうん。暇つぶしか? 変な趣味だな……。俺はさ、《誘導》した女がここにいるからさ、観察してんだよ」


 色黒男は右手の太い人差し指を立てて、一人の少女を指差した。シーちゃんだった。


「今、俺が誘導してるのはあいつ。最初はさ、いじめっ子をけしかけて絶望させてやろうとしてたんだけど……ほら、今日の主役の高科実来って女。あいつがさ、割り込んできて助けたおかげであの女、絶望しなくってさ。諦めて他の人間探しに行ってたんだけど。なんかその女が死んだって小耳に挟んで見に来たんだよ。ラッキーだな。これで他のやつを探しに行かなくても、あいつの心はどんどん絶望に向かって行ってくれる」


 ニヤニヤ笑いを浮かべる色黒男に視線を向ける。男の顔に、なぜか吐き気を催した。


「喰うのか? あのガキ」

「おうよ。一年ぶりにありつける獲物だぜ。喰わねぇ手はねえって」

「そっか」

「あんたはどうやら《破壊衝動》みたいだけど、ここにいる高科実来ってやつの友達の中に自暴自棄になるヤツが――――」


 色黒男の言葉をさえぎった。喉に刀を突き立てることによって。

 ククは手の中の刀を一度引き、もう一度振るった。男の首が飛んだ。人間たちが並んで座っているそこに落ちた。悲しみの渦の中に落ちた。人間の肉体も悲しみも関係なく素通りし、首は、畳の上をころころと転がった。


 ――所詮、人間は《残骸》の餌だ……。


 そんなことは知っている。《残骸》が人間を餌にする。当たり前のことだ。そうやって《残骸》は生きている。人間が豚や牛を家畜にして喰うのと同じことだ。だからこの色黒男はシーちゃんを喰おうとしていた。生きるために喰おうとしていた。わかっている。


 ――人間は《残骸》の餌……。


 実来の笑顔が浮かんだ。泣き顔が浮かんだ。安らかに眠っている顔が浮かんだ。名前のない自分に名前をつけた時の、得意そうな顔が浮かんだ。その名前を呼ぶ声が浮かんだ。


『いってきます』


 制服を着て、玄関を出る彼女が浮かんだ。声が浮かんだ。希望を胸に抱いて外に出て行く彼女が――――


「邪魔すんじゃねぇ……」


 絶望するはずだったシーちゃんを、実来は救おうとした。自分が絶望するまで。

 これからシーちゃんが絶望するのかどうかはわからない。けれど実来が守った人物だ。そうして実来は、絶望から這い上がろうとして、這い上がった。なのに――


「邪魔すんじゃねぇよ」


 立ち上がる。立ち上がって、ククは、部屋の真ん中で転がっている首が朽ちて砂になっていく様を一瞥し、そうして駆け出した。



    * * * *



 満月を背にして、ククは跳んでいた。

 乱立するビルからビルへの数十メートルを跳躍する。跳躍する彼の頭上には、己の美しさを主張しようとするように、星星が明滅していた。静かな夜を輝かしく煌びやかに彩っていたが、そんな星星は跳ぶ彼の心を掴むことができずにいた。


 彼の目に映っているモノは、彼の先にいる、彼と同様にビルからビルへと疾駆する存在だけだった。


 ククの顔には獲物を狩る猛獣の殺気が浮かび、獲物の顔には命の淵に立たされた捕食される者の怯えが浮かんでいる。


「これで、三人目か」


 ククが呟く。途端、彼の左手首に身に付けている腕時計、その周辺の彼の腕に、手首に、手の甲に、亀裂が走るように血管が浮き上がった。

 獲物がビルの屋上に着地した瞬間、破裂する轟音。追っていた目標の体が、夜空に爆ぜた。


 爆発は大きなものではなかったが、目標の足を傷つけ、動きを封じるには十分なものだった。跳躍しようと足に力を込めた瞬間の爆発で衝撃を与え、バランスを崩させた。目標はビルの谷間に落下していく。

 それを追ってククも、ビルの谷間を降下していく。


 通る車も人の気配もない、交差点のど真ん中に音もなく着地する。先に落ちていた目標と、静かに点滅する信号以外、動くものは何もなかった。


 うずくまる目標に近づいていく。

 ククの、今度は右手の中指に嵌めている銀のシンプルなリングの周辺に――掌に、埋め尽くすほどの血管が浮かび上がる。その掌の表面が盛り上がり、盛り上がった皮膚を突き破り、月光を反射する銀色が徐々に顔を出す。


 掌から現れた刀を、目の前でうずくまっている者の鼻先に突きつけた。

 少年の容姿をした目標は「ひっ……!」とノドを鳴らし、地面にうずくまったままの姿勢で顔を上げ、動きを止めた。本人の意思に反して、体は小刻みに震えている。

 ククの、前髪で隠されているが隙間からわずかに伺える瞳。赤い双眸に蔑みの色が浮かんだ。


「出せよ」

「や……やだ……」


 失禁寸前の表情を浮かべながらも、相手はククの要求を拒んだ。


「あ、あれがなきゃ、だっておれ、寿命きちゃう……し。な、なぁ? 見逃して……れよ。あ、あんた、あんとき……見逃してくれたんじゃん? そ、それに。あ、あ、あんただって、そ、そうやって、今までイきてきた、ん、ろ?」


 震えながらの言葉に蔑みが増したのか、ククの赤い双眸が細まった。


「うん。そうだけど。だからってなんで今、俺がお前を見逃してやる理由になる?」


 ククは刀の峰で少年の顎を軽く小突く。一方、小刻みに震える幼い顔が、絶望と憤怒に彩られた。


「こ……この……! 《破壊衝動》なんぞ喰って生きる下品な野郎が……!」


 罵声に、ククは表情を変えない。


「《希望》を喰って生きてれば高尚だとでも? 希望を喰らって悦んでることが? ……へぇ。知らなかった。俺とどれだけ違うか説明してくれる?」


 少年の表情から憤怒が消え、絶望だけが残る。


「出せ。寿命で静かに息絶えるのと、今すぐここで俺に消されるのと、どっちがいい?」


 言葉が汚物かのように吐き捨てる。言葉を受けた相手は、口の端から泡を吹きながら震えている。右手の人差し指に嵌めている白いリングを引き抜き、震える手で赤髪に示した。


「どどどどうせ、こっ、この指輪ににはなん、の力も、ないぃ。た、た、たとえ希望を持っていてもこの女は頭空っぽ、なんもかん……考えてななかったんだっっ!」


 赤髪は指輪を受け取り、ノドに突きつけていた刀を下げた。刀は氷のように溶け、液体となり、右手の指輪に吸い込まれていった。


「……っ……あっ、あっ、あっ……!」


 少年の顔をしたソイツは、立ち上がろうとして一度派手に尻餅をつき、「……ひっ、……ぁぁああああああああああっっっ!」足をもつれさせ引きずりながら嬌声をあげる。一ミリでも遠くに一秒でも早く赤髪の恐怖から遠ざかろうと、不安定な歩みで去っていく。

 逃げていった相手を見ることもなく、左腕に嵌めている腕時計を見る。いまだ逃げ去った者の悲鳴が尾を引いて、遠くに聞こえていた。


「はい、五秒前」


 かち、かち、と小さく音を立て、時が刻まれていく。


 ――さーん。――にー。――いーち。


 ばん、とククの唇が動くのと同時に、一瞬、静寂を爆発の轟音が破った。そのかわり、尾を引いていた悲鳴は消えていた。


「あー……。さっきの選択肢間違いだ。『今すぐここで俺に刀でぶった斬られて消されるのと、後で跡形もなく爆発させれるのとどっちがいい?』……が正解」


 なんでもない風な声音で独白した。

 だが赤髪の瞳には、先ほど刀を突きつけていたときよりも一層、蔑みの色が濃くなっていた。

 握っていた掌を開いて、先ほど手にした指輪を見る。そうしてもう一度握りなおして、空に浮かんでいる満月をぼんやりと眺めた。


「あー……なにやってんだろうな。俺」


 実来の葬式を飛び出した後、《残骸》を探し回った。まさにその時、人間の寿命を吸収しようとしている《残骸》を見つけ、殺した。すでに三人目になっている。

 この狭い区域に、こんな短時間で三人もの《残骸》が見つかる。かなり数が多いと言えるだろう。《陽を取り込む場所》に住む人間たちは《残骸》に侵食されている。謎の奇病の流行が報道されるのも頷ける。


「なんか、仇取ったマジ恋人みたいじゃん……」


 左手の薬指に指輪をはめてみた。特に何かの感慨は覚えなかった。

 いつも通りのことをするだけだ、となぜか自分に言い聞かせ、指輪の能力を発動してみる。だが、先ほど少年が言っていたとおり何も起きなかった。


「おまえ使えねぇな」


 わざと声に出して言ってみる。

 だが何の力も宿っていない《心寿》などという物が存在するのだろうか。今まで得た《心寿》は、どんなに小さな力でもなにがしかの能力は宿っていたのだ。なのに何も起きないのは――もしかしたら発動条件が普通とは違うのだろうか。そんなことがあるのだろうか。


「いいや。どっちでも」


 持っているだけでも寿命として機能する。だから持っているだけでいい。そう。持ってるだけでいい。

 三人殺した。三人目は実来を吸収した本人だった。実来の希望が《心寿》に転化した物をわざわざ出させて、殺した。


「なーにやってんだ。俺」


 苛々する。苛々する。《残骸》が人間を殺しているところ思うと苛々する。


 ――なんで……?


 自問する。


 ――さぁ?


 強いて説明するのならば、おもちゃが居なくなり、以前感じていた虚しさをまた感じるようになっている。その虚しさを埋めるために行動を起こしている……気がする。

 しかし、それにしては、《残骸》を殺すたびに精神が端から腐り落ちていくような気がする。


「ああ……そうだ……」


 人間が死に行く様に苛々して、《残骸》を殺すのも気分が悪いならば――すべて終わらせてしまえばいいではないか。雑魚を一人一人潰していてはキリがない。《陽を取り込む場所》を壊してしまえばいい。

 《陽を取り込む場所》は、最初に《陽を取り込む場所》の結界を張った《残骸》たちが、すべて死ねば消滅する。殺してしまえば消滅する。


 今はその創造主たちが誰かも、居場所もわからないが、この周辺には《残骸》の気配を多く感じる。適当に拷問をしてやれば、たどり着けることだろう。


 ――壊してやる。全部。全部壊す。全部殺す。全部、全員……――――


「……あ?」


 全身が脈打った。体に衝撃が走った。

 膝をつき、自らの腕で肩を抱き、全身を押さえようとするが痙攣は止まらない。すでに幾度も経験しているが、慣れることも抗うことも不可能な、自分を飲み込み突き動かす衝動が、体の全てを駆け巡っていく。


 コワセ壊せこわせ壊せコワセコワセ――――――――


「やべ。飲まれる……っ」


 地面に手を突く。左の手首に巻いてある腕時計、その周辺の腕に再び浮き出た血管が、縦横無尽に走る。腕をもう片方の手で押さえつけるが、痙攣は激しくなるばかりで止まらない。


「……ぁ、ああ!」


 体がククの意思に逆らうように、勝手に実体化してしまう。このまま破壊衝動が暴走したらどんな惨劇になるのだろうと思うと、心が焦りと恐怖に支配される。心も体もすべてが暴走していた。

 地面に、一本の亀裂が生まれた。ククが苦悶の声を上げるたびに亀裂は数を増していき、蜘蛛の巣のように張り巡らされ、範囲を広げていく。


 ――早く……! 実体化を解け……!


 大きな爆音を立て地面が爆ぜる。アスファルトの破片が舞った。

 見開かれたククの瞳から光が消えていく。理性が消えていく。


「あああああああああああああああ!」


 咆哮をあげ、衝動に突き動かされるままに走り出した。


 壊せコワセこわせコワセ壊せコワセ壊せコワセこわせ――――


 右手に血管が浮かび、刀が手から飛び出す。それを建物や街路樹、信号機、停車している車、夜道を歩く人間に振りかざし突きたてていくが、それらは破壊されずに本来の姿のまま、そこに残った。


 壊せコワセこわせ――――……。


 そうして暴れまわり、数分だろうか数時間だろうか、しばらくして衝動は止まった。そのまま地面に倒れた。

 しばらくそのまま眠り、目が覚めると太陽が空の高いところにあった。そこにククが寝そべっていることなど知る由もなく、車が彼の体の上を走っていった。


「……ああ。メンドくせぇな。このエネルギー欠乏症。切れるたびにキレてたらメンドいったらねぇよ」


 《心寿》の力を多用すると発作も早く来る。最近知った。《心寿》を使いすぎると、自分という形を形成している破壊衝動が表に出てきて、暴走する。

 物を壊せるこの地域で、衝動に任せて破壊し尽くせばどうなるだろう。――おそらくは、餌場を壊滅させる邪魔者として、この地域に住む《残骸》たちに一斉に攻撃されることだろう。

 《残骸》を殺しまわっている事実が、他の《残骸》に知れ渡っても、攻撃されるのは同じだろう。デメリットばかりが付き纏う。だが――


 ――壊したいと思っちまうのが、破壊衝動の塊である俺だろ。


 ククは立ち上がり、道路を行き交う車を眺める。平和で、正常な街だ。


「でも、まぁ、今日はここまでー……」


 間延びした声で独り言を呟きながら、ククは寝床を求めて歩き出した。

 そうして、行き着いたのは実来の家だった。普段なら適当にいい寝床を探すのだが、疲れた体でそれをするのは億劫だった。


 誰も使っていない、それなりに落ち着ける寝床のある場所。単純にその条件に当てはまるのが、実来の部屋だった。

 二階まで跳躍し、壁をすり抜けて部屋に入る。主を失った部屋は静まり返っていた。


 初めて来たときには、殺伐と散らかっていたこの部屋だが、今は綺麗に整頓されている。放置された衣類もなければ、ぬいぐるみたちも隊列を乱してはいない。実来が生きることに希望を持っていた証拠だった。

 だが、実来が喰われてしまった今となっては、それは意味のない証拠だった。


 体を実体化して、布団にもぐりこんだ。頭までかぶった。布団の柔らかさが心地よかった。

 実体化しなくても床の概念はあるが、布団をかぶることはできない。めんどくさくできている……と、ククは不機嫌に思いながら目を閉じる。

 そんな細かいことは今はどうでもいいとばかりに、すぐに眠りに堕ちた。



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