▼ したい 〈クク・ルーク〉


 実来の腹に見事なまでの蹴りが入った。彼女は後ろによろけて壁に背をつけ、体を折りながら咳き込む。


 ――ほらな。やっぱボコられてんじゃん。


 ククは校舎裏のフェンスの上に座って、なにをするでもなく、痛めつけられている実来を眺めていた。


 三人の男子生徒が笑いながら実来の体を痛めつけている。男子生徒の彼女らしき女子生徒二人がくすくす笑いながら「もっとやっちゃえ」と囃し立てている。もちろん彼らは不可視の観客がいることに気づくことはない。


「実来ちゃーん。なんで学校に帰ってきたのぉ? ずっとおうちに隠れてればよかったのに。ねぇ?」

「そうそう。それならきっと怯えた小動物みたいにかわいくいられたのに。ねぇー?」


 女子生徒たちが笑う。犬が自らの尻尾を追いかけて回り続けているのを馬鹿にしているように笑う。男子生徒の一人がカンフー映画の主人公のような気合を発しながら、実来の腹を蹴る。実来はまた腹を押さえて咳き込む。


「また……シーちゃんに変なことやらせて……。夏休みが終わったてのに、何でお前らは変わらないんだよ……」


 実来が咳き込みながらも、愉悦に浸っている五人の男女を睨みつける。


 ――変わらないのはお前もだっつの。


 ククは欠伸をしながら、膝の上に肘を突いて頬杖をついた。

 数分前、実来は犬のように四つんばいにさせられ『三回まわってワンと言えー』とやられていたシーちゃんを見つけた。その瞬間彼女は怒りを抑えることなく、男子の中の一人の頭に跳び蹴りを喰らわせた。実来はシーちゃんを逃がすことに成功した。しかし、女子たちの歓声の中での大立ち回りの末、当然のように男子たちに圧勝されてしまった。


 ――勝てもしねぇのに、喧嘩吹っかけんのは愚かな事だって自分で言ってなかったか? バカじゃねーの?


 そんな負け犬同然の実来を見ながら女子の二人はくすくすと笑う。


「えー? なんのことぉ? 変な言いがかりつけないでほしいよねぇ。ねぇ?」

「ねー? 証拠とかあるわけー?」

「センセーに告げ口したって、信用されるのは優等生のあたしたちだもんねぇ。ねぇ?」

「そーそー。いろいろと首突っ込んですぐにごたごた起こす実来ちゃんよりも、あたしたちの方が、ねぇ?」

「ねぇねぇ実来ちゃん。悔しい? 悔しいよねー。ねぇ?」

「それよりなにより、先生に告げ口したらシーちゃんはみんなの晒しモンだもん。いいわけないよね。ねぇ?」


 以前にも先生に相手にされないことがあったのか、実来の顔に怒りの色が濃くなる。


「うるさい! 悔しくなんかない! ボクはもう逃げないって決めたんだから、お前らがシーちゃんから手を引くまで何回だって挑んでやるんだからな!」

「すっごーい。いっしょーけんめーでカワイイーっ!」

「かわいいーっっ! ねぇねぇ、たっちん。あんた彼女いないんだし、つきあってあげたらー?」


 たっちん、と呼ばれた男子は純情な少年のように頬を染めた。そうして見せびらかすように実来につけられた頬のアザを、実来の顔に近づけていく。


「そっか。そうだよな。高科、彼氏とかいないよな。じゃあじゃあ、マジでそうしようか。俺、高科に蹴られるたんびにトキメくんだよ。そんで高科のこと蹴り倒す時もトキメくんだよ。これは恋だろ。な、俺ら相思相愛じゃん。高科もトキメくから俺のこと蹴り倒そうとしてんだろ? な? な?」


 実来は無言で、男子の股間めがけて蹴りを放った。太ももでブロックされ、さらに別の男子の蹴りが実来の腰に入る。実来はうめいて、勢いよく地面に倒れこんだ。


「あーもー、た・か・し・なぁー。せっかちさんだよなぁ。もっとゆっくり楽しもうぜ」


 女子たちは実来を指差しながらケラケラ笑っている。残りの男子二人もニヤニヤと笑っている。

 ククがフェンスの上から飛び降りた。体を具現化させた。実来にせまっている男子の顔に拳をめり込ませた。


「は?」


 その場の人間全員が、疑問の声を短く発した。ククに殴られた男子は地面に倒れている。一瞬で気を失った。


「さてここで問題です」


 ククは手をズボンのポケットに入れ、前髪で隠れた目でそれぞれの人間を見渡していった。あっけにとられている顔しかなかった。


「今お前らの目の前に現れた生物はいったい何者でしょうか」


 ズボンのポケットから手を出し、人差し指を立て、つきつける。


「一。実来が魔法のステッキにより召喚した紅の破壊獣」


 中指を立てる。


「二。通りすがりの正義の味方、なんたらレンジャー・レッド」


 薬指を立てる。


「三。お前らの心からジョリジョリ出てきた汚い赤錆人間。では、回答時間は回答者の意識があるまでです。はい、スタート」


 男子の一人が、攻撃をよける暇も、防御する暇も、今の問題の意味を把握する暇も、状況を理解する暇もなく、腹に蹴りを喰らい前のめりに倒れた。もう一人の男子が悲鳴を上げながら赤髪の後姿に突進していくが、突進したその先にはすでに目標がなかった。跳躍し、男子の頭の上で一回転して後頭部に脚を叩き込む。地面に倒れ、滑っていく男子の体が動きを止めるのと同時にククは着地した。


 前髪を掻き揚げて、二人の女子の方を見る。彼女たちは身を寄せ合って震えていた。ククの視線に体を強張らせ、今度は自分の番なのだと恐怖しているようだった。

 ククは呆然としている実来に歩み寄り「ちょっとケータイ借りるぞ」と、実来のスカートのポケットをまさぐり、携帯電話を拝借した。

 そして今度は倒れている男子の一人に歩み寄り、おもむろにズボンを脱がした後、ケータイを操作する。


「えっと? これをこうして……で、これで、パシャリ」


 パシャリ。と機械的なシャッター音がする。


「ちょ! クク君、ボクのケータイでヘンなの撮らないでよ!」


 実来が我に返り悲鳴を上げたが、無視をして、さらにあと二人の男子にも同じことをした。最後にもう一度女子の二人を睨んだ。


「お前ら。今度何をどうしたら、こいつらと同じ末路をたどることになるか……わかってるよな」


 ケータイ画面の写真をチラつかせると、彼女たちはこくこくと頷く。行っていいぞと促してやると、彼女たちはお互いを守り合うようにその場を後にした。

 ククは用が済んだケータイを実来の方に投げた。受け取った実来は、恐る恐るケータイを操作して先ほどククが撮影した写真を見る。うわっ、と呟き、見なかったことにするかのように、すぐにケータイをしまう。


「あのさクク君。ボクは君を召喚してなんかいないし、君はあいつらからジョリジョリ出てきたりなんかしてない。だってボクは君が前から存在していたことを知ってるからね。と、こんな感じの消去法で行くと、さっきの問題の答えは必然的に二番になるわけで、君は自称、なんたらレンジャー・レッドなわけだけど。正義の味方は男子生徒の服を脱がして脅しの材料にするなんてことしないよね。とりあえず履かしてあげなよ」

「はずれ。正解は四番。どっかのチンピラから出てきた赤錆人間もどき。誰も『次の三つからお選びください』とは言ってない」

「なにそれ。後から出てきた四番なんて反則でしょ。それになに、その自虐ネタ。やっぱり赤錆なんだ。ていうかスベってるよ。……ま、でも、うん。助かった。本当にありがとう」


 ククは素直に実来に言われたとおり、男子の服を元に戻してやる。そうして実来の方へ向き直り、実来の目の前まで歩いていく。無言で実来を見下ろす。実来が首を傾げて見せた瞬間、ククの拳が実来の腹に入っていた。

 実来は地面に倒れて痛みに身をよじった。一通り苦しみ終えると、寝転んだ体勢のまま、ククの方を見上げる。


「びっくりした。意外な展開だな。なに? クク君もボクのこと、いじめてみたくなったの?」

「バッカじゃねーの」


 寝転がったままの実来の膝を、足で小突く。


「俺が来なかったらどうしてたんだよ。今の一発じゃすまないくらいにボコられてただろ。何で突っ込んでいくんだよ。男には敵わないってことは、前にとっくに学習してんだろ。バカか? 頭使ってよく考えろ。力もないクセに他人を助けようとするってことは、リスクしか生まない。誰の役にも立てない。自分の無能をさらけ出すだけだ」

「うん。でも、なんか。あんなシーちゃん見てたらさ。頭、真っ白になってさー……。うん。キレちゃった」


 上半身を起こして、照れくさそうに後ろ頭を掻く。

 そんな実来を蔑むように、ククは手をズボンのポケットに突っ込んで見下ろす。


「リアルでは、正義の味方なんか舞い降りてこない」


 実来はククを見上げた。ククの顔が太陽で、まぶしくて目を細めるようにして微笑んだ。


「うん。知ってる。そんな世の中なのに弱かったから、ボクはヒキコモリになっちゃったんだ」


 立ち上がって服の汚れを払う。


「わかってるけど、体がついていかない。なれないってわかってるけど……わかってても、ボクが正義の味方になりたいんだ。今度は絶対負けない……なんて、自信は……ある。……って、確信もって言えないけど……」


 顔を上げて、ククの顔を見た彼女は、やはり眩しそうに目を細めている。


「だから、正義のいない世の中で、正義でもなんでもないのに――のくせにずっとそばにいてくれて、今回は助けてもくれたクク君には、すごく……感謝してる」


 そうして彼女はククの体を抱きしめた。ククは戸惑いで目をしばたたく。


「うーん。クク君がどーゆーのが好きだとかって聞いたことなかったから、どうお礼したらいいかわかんないや。どうしたらクク君はうれしい? いっぱいキスしたらいい? いつもはしてもらってるから、今度は膝枕、ボクがしようか? それともなにかご馳走しようか? ……って、君が何か食べてるとこなんて見たことないけど、食べられる? ……あ」


 チャイムが響いた。実来は名残惜しそうな顔をして、ククの体から離れる。


「あー……。ごめんね、クク君。ボク授業行かなきゃ。お礼はまた今度。なんかして欲しいことあったら考えといてね」


 実来が駆け出していく。背中を向けて遠ざかっていく彼女に、声を投げる。


「なあ。俺、今すげぇお前としたいんだけど」


 彼女が立ち止まる。疑問を混じらせた笑顔で、こちらを振り返る。


「したいって何を? 熱血少年漫画みたいな死闘を繰り広げたいから相手になってくれ、とかはさすがに無理だからね」

「あーあ。やっぱ通じねーか。これだからお子サマは……」


 実来は意味がわからないという風に一瞬眉間にシワを寄せて考え、意味を正しく理解したのか、鳩が本当に豆鉄砲を食らったらこんな表情をするのだろうかという顔をした。両目は丸くなり、声は出なかったが口が『ぽっ』とでも言いそうな形で固まっている。

 しばらくすると彼女の固まりは溶解し、しかし溶けきらないのかぎこちない口調でしゃべりだした。


「そ……そんな……なに。いきなり。今までは、そんな話、一回だって……なかった、じゃん?」

「ああ。一回だってなかったな。今が一回目だから。したいともしたくないとも聞いたことないけど。なに? 俺ら“恋人同士”だろ。なんか問題あるか?」

「ううっ。確かに言ったこと、ないけど。問題っていうかね、うん。ほら、ボクまだお子様だし。うん。そーゆーのはもうちょっとオトナになってからでいいんじゃないかなーなんて……」

「してほしいことがあったら考えろつったのはお前だろ。イヤなのかよ」

「イヤ……て言うか……ね、うん。なんかボク、今なら百トンハンマーを召喚できそうな気がするよ?」


 ククが足早に実来の方に近づいていく。実来は半笑いを浮かべながら脂汗をかき、後ずさる。

 後ずさる実来の手首を取り、ククは実来の手の甲にキスをする。


 抵抗したければ抵抗できるだろう状況で、実来は特に抵抗を見せず、泣きそうな顔を赤く染めるだけだった。唇で、手の甲をなぞっていくククに対して、実来は涙声で「ちょ……! 今? ここで? 無茶なこと考えないでよ……!」と訴える。ククは実来の手から顔を上げ、「つまり? 場所を変えればオーケーだって受け取っていいのか?」と、不敵に笑った。


「ボ……ボクは……」


 実来が震える唇を開きかけた時――チャイムが鳴り響いた。


「や、やっぱだめだめだめだめだめーーーー!」

「うおっ!」


 実来に両手で突き飛ばされ、よろめき、結局はしりもちをついた。


「駄目だって。場所を変えようが何しようがダメだって! 今のが本鈴なんだよ、ボク夏休み前にいっぱい休んじゃってるからいろいろヤバイの、留年しちゃうんだよ余裕ないんだよサボるわけに行かないんだよ! だからだから、ね。うん、お礼はさ、またの機会ってことでさ。いいよね? よくなくてもいいよね! じゃね!」


 実来は敵に見つかった小動物のように一目散に逃げていく。そんな彼女を見送りながら、ククはため息をついた。体を人間の目には触れられない状態に戻す。

 先ほどククの攻撃を受け、気を失ったままの、いつ目を覚ましてもおかしくない男子生徒たちの方に目をやる。思わず吹き出す。


「そりゃ、こんなとこでしたらマジで変態だもんなーっ」


 くすくすと笑う。体も、心も、すべてをくすぐられているかのように笑う。先ほどの、戸惑いながらも焦りながら、涙を浮かべて赤面する実来の顔を思い出して、笑い転げる。まさか、いつ目を覚ましてもおかしくない人間が隣にいる状況で、本気でするわけはなかった。それなのにあんな表情をする彼女を思い出すと、いくらでもおかしさが込みあがってくる。笑い声を上げながらひたすらに地面の上を転がった。


 男子生徒たちが目を覚まし、その場を去ってもまだ笑いはおさまらなかった。気が済むまで笑い転げた。

 気が済んで、転げるのをやめ、地面に大の字になる。白い雲が流れているのを目で追う。


 彼女を抱きたいと思ったのは本心だった。自分から女を抱きたいと思ったことはほとんどなかったが、そう思った。

 今まで、この《陽を取り込む場所》に来る前までに出会った女は、《残骸》と出会うことが希少であるからなのか、女から迫ってきていた。そうして、『好き』だの『愛してる』だのと囁くのだ。そんな下らない事ばかりを口にしていた。囁かれほるどにこちらの気持ちは冷めていった。


 だが、実来は決してそういう下らない事は口にしなかった。ごっこ遊びであるということをわきまえているのだろう。彼女はそういうことを口にしない。こちらもそういうことを口にする必要がなかった。

 だからだろう。彼女の隣にいれば、何も気にせずにいられるのは。きっとそうだ。ただの遊びを楽しんでいられるのだ。だから素直に欲望もわいてくる……。


 そう思う。思っている。

 空で白い雲が流れている。ゆっくりと、ゆっくりと。



    * * * *



 数日経ったが、実来の“礼”は果たされていない。

 彼女の心からは破壊衝動がすっかりとなくなってしまった。自分を壊したいという自殺願望がなくなってしまった。自殺願望は希望に塗りかえられていった。ククは実来を吸収することができなくなってしまった。――彼女が再び強い破壊衝動を抱かない限りは。


 そして希望に満たされている彼女は、破壊衝動という黒い感情に満たされることは、この先そうないだろうと思われる。 

 彼女は餌としての価値がなくなった。しかしククは時々彼女の部屋に行く。恋人ごっこという遊びを続けるのは悪くなかった。


 その日、実来の部屋になぜか《想いの残骸》の気配があった。天井をすり抜けて実来の部屋に入る。床に着地すると、案の定、《残骸》がいた。幼い少年の顔をした、背の低い《残骸》だった。

 彼の足元には実来が倒れていた。床で、眠るように倒れていた。人間を吸収した後、いつも見る光景と同じだった。実来が死んでいた。

 少年の顔をした《残骸》が、慌てたように口を開いた。


「え? え? もしかして、この女あんたの獲物だったのか? あんた見たとこ、破壊衝動の塊みたいだけど、これから《誘導》するつもりだったの?」


 ここのところ彼女の希望の感情は大きすぎた。その希望に目をつけられて、目の前に立つ《残骸》に吸収されたのだろう。


「いや……まぁ、獲物だったってのは……そうだけど。《誘導》に失敗して、そろそろ見切りつけようと思ってたとこ」


 ククは実来の死体を見下ろして、淡々と口を開いた。


「そ、そっかぁ。ビビった。あんた強そうだし、キレられたらどうしようかと思った」


 少年の姿をした《残骸》は、へらへらと愛想笑いを浮かべた。


「いやさぁ。俺さ、噂聞いてここに来たんだよ。ここ、この《陽を取り込む場所》ていう、ここ。人間に接触できて、そしたら人間の心を《誘導》できて、そんで人間の寿命ゲットー! ……てさ。普通の場所より手っ取り早く寿命が取れるって、聞いてきたんだよ。けどなー、やっぱ誰にでも向き不向きはあるよな。人間に接触できても、俺には人間に希望を持たせてやることなんて、とてもとても……。適合者の人間がどいつもこいつもヒネクレ魔人だったときにはもう……。だもんで、たまたま見つけた適合者が、たまたま希望を持ってたもんだから、つい……な」


 訊ねもしないのにぺらぺらとしゃべりだした。ククはぼんやりと、この辺一帯の人間たちに謎の奇病が流行っているという噂があったことを思い出しながら、淡々と聞いていた。《残骸》が人間を吸収することがつまりは、謎の奇病と呼ばれているのだろう。《残骸》がたくさん集まれば、人間がたくさん死ぬ。おそらくは、実来の死も、謎の奇病で片付けられることだろう。


「あんたも、向いてないようだったら、今までどおり普通に探した方が時間の節約になるぜ。じゃあな」


 勝手にしゃべり終え、勝手に壁をすり抜けて部屋から出て行った。

 部屋にはククと実来だけが残った。ククは“恋人”の体を眺め下ろした。

 おもちゃが死んだ。がっかりした。


 ――あーあ。まだ“礼”してもらってないのによ。


 そう思いながら、冷めた瞳で見下ろす。

 人間は《残骸》の餌で、人間が死んでいるところなど見慣れている。なんてことない風景だ。なんてことのない風景だ……。

 思考がしびれてくる。


 耳の奥でわずらわしい虫が、羽音を鳴らしているような耳鳴りがする。魂の抜けた人間の体から目をそらすことができない。わずらわしい羽音を退けることができない。もどかしさのようなものが全身から奮い立ってくる。

 もどかしさが喉から突きあがってきて、叫びだしたくなる。


 実来が死んでいる。

 実来が死んだ。


「みらいー! お風呂あいたから入ってー!」


 階下から実来の母親の声が聞こえた。その声に驚いて、ククは死体に注いでいた視線を上げる。

 もちろん母親に返事をする声があるはずもない。母親はもう一度声を大にして娘に呼びかける。当然返事はない。母親が階段を上ってくる足音がする。


 もうすぐ、母親がこの部屋の扉を開けば、実来の死体は見つかるのだろう。母親はパニックを起こして、大騒ぎをするのだろう。

 泣くのだろうか。父親や母親は、娘の死に涙を流すのだろうか。


 妹は、どんな反応をするのだろうか……。


 ククは首を振る。

 喰らう前に少し遊んだ獲物のことなど……ましてその家族のことなどどうでもいい。大騒ぎするのならすればいい。傷ついて泣くのなら泣けばいい。どうでもいい。

 部屋の扉が開くのと同時に、ククは壁をすり抜けて部屋を後にした。



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