▼ 想いの終幕 〈クク・ルーク〉


 由芽が泣いている。


 砂の塊の前で跪いて、友の死を嘆いて、大声で泣いている。

 今、また抱きしめてやったら、彼女は泣きやむだろうか。


 ――んなワケねぇよ。俺が殺したんだ。


 殺意の《残骸》であるユキマサの体が砂になって、命が消えた。砂になって崩れ落ちて、黒髪の少女――律子だった砂と交じり合っている。

 由芽が言っていたとおり、ユキマサが律子を好きだったのなら、これは何かの救いになるのだろうか。


 ――なるわけねぇよ。死んでんだし。


 自問をし、すべて否定する。自分の中は、絶望だけで埋め尽くされている。

 カイ・ヴェルバーの記憶の中にあった、ひとつの記憶。

 父親に虐待され続け、父親への殺意に狂いかけた。しかしカイ・ヴェルバーは父親を殺すことも狂うこともしなかった。


 ユキマサと初めて会った瞬間、父親への殺意が思い出され、直感した。その時生まれたのがユキマサだったのだろう。

 ユキマサが気づくことはなかっただろう。同じ人間から生み出された存在が、目の前にいることに。弟――といってもいいかもしれない存在が、目の前にいることに。知るはずがない。ユキマサには弟の存在も、弟が生まれた瞬間の記憶もないのだから。


 ――じゃあ……俺にとっては……兄貴……か?


『兄弟愛って信じるか?』


 己自身が放った問いを、もう一度自問する。


 ――ねぇよ。殺したんだし。


 本当にそうだろうか。

 なぜ、彼が苦しんでいるうちにトドメを刺さなかったのか。愛情を受け入れれば助かる、ということを教えたのか。そんな方法をとったのか。あの時本当に彼が愛情を受け入れていればどうしていた? ここからの脱出方法を話していればどうしていた?


 ――結局、俺は何をしたかったんだよ。実来が住んでいたこの場所から、《残骸》を消したいんじゃなかったのか?


『それは、その人間のことを愛してるってことじゃないの?』


 独占欲の《残骸》の言葉を思い出す。彼女のこの問いに、今なら答えられる。

 やはり実来のことは愛してなどいなかった。

 実来には、生きることへの虚しさを感じていることに共感した。そして恋人ごっこを始めた。


 しかし実来は虚しさから抜け出そうとした。怯えながらも抜け出して、不器用ながらも前へ進もうとした。

 その姿に、おそらくは憧れなのだろう感情はあった。自分もそうでありたいと思った。共に歩きたいと思った。


 だが――前を向いている彼女に憧れていたのに、自分も前を向いて生きたいと思っていたのに……自分が望んでいたのは、実来と二人でずっと引きこもっていることだった。

 ジュリー・ラヴァルが見せた幻覚。あれが自分の本心なのだろう。


 嫌なことや恐ろしいことはすべて見ないで、すべて放棄して、逃げて。居心地のいい場所で、何も見ずに過ごしたい。

 そんな弱い心が己の本心なのだ。

 実際、《蘇生》のトモキに、実来を生き返らせることを提案された時、思ってしまった。


 彼女を操ることができるのなら――前を向こうとする彼女の目を、自分だけに向けて……そうして二人しか存在しない時間をずっと過ごしていたいと。


 相手を束縛するだけの想いだ。

 こんな想いは、愛などではないと思うのだ。


 独占欲なのかもしれない。

 依存なのかもしれない。


 だから、彼女への想いを『愛している』という言葉で認めるわけにはいかなかった。


 認めれば蘇らせたいと思ってしまう。由芽を犠牲にしてでも蘇らせたいと思ってしまう。蘇らせれば、彼女の前を向こうとする意志を断ち切ってしまう。憧れを抱いた彼女の生き方を、自分で断ち切ってしまう。

 そんなことはしたくなかった。決してしたくなかった。


『お前は、人間の味方をして、それで正義であるつもりか?』


 今度は髭の男――喜びの《残骸》が言っていたことを思い出す。

 正義などではない。ただの我侭だ。

 自分の目に映るものが平穏であればいい。そんな願いからの行動だ。


 ユキマサに使ったバリアの《心寿》の元である、あの母親。あの母親を見てからだ。理不尽なことに嘆く者を見たくないと感じるようになったのは。《残骸》や人間を殺して、虚しさを感じるようになったのは。自分自身が“理不尽”になるのは嫌だと感じるようになったのは。


 そして一番見たくなかったものが、実来が愛していた者たちが理不尽に巻き込まれている姿だった。由芽だけではなく、家族や友人、教師や近所の人々――実来が少しでも親しくしていたすべての者たちが、理不尽に阻まれて、前を見ることができなくなるのを見たくなかった。


 破壊衝動の塊である存在が、平穏を願う。おかしなことだとは思うのだが――だが変わってしまった。変わってしまった事を認めたくなかったが、変わってしまったのだろう。


 だから行動に起こした。自分が《残骸》にとっての理不尽になろうとも、実来が好きだった者たちへの理不尽を取り除きたいと思ってしまった。虚しさを覚えようとも、止められなかった。

 しかし、思い出した言葉がある。


『私の愛し方が理解できないなら、別にいいじゃない。あなたはあなたの愛し方を見つければいいのよ』


 ジュリーの言っていた言葉だ。自分の愛し方……。

 もしかすると、それがそうなのだろうか。この道を選んだことがそうなのだろうか。依存して、しがみつきたくなり、それでも何とか生き返らせることを踏みとどまった。それが愛なのだとしたら、綺麗じゃない。愛とは綺麗なものだと思っていたのに綺麗じゃない。けれど……。


「クク君は……悪いヒトじゃないよ……」


 由芽が、涙声でハナをすすりながら言った。


「悪いヒトじゃないわけねーよ」


 突き放すように答えた。


「悪いヒトじゃないよ。クク君は、女の子たちが操られてて、苦しんでるのがわかったから、自由にしてあげたんだもん。りっこちゃんのことも自由にしてくれて……トモキちゃんのことも、あたしを守ろうとしてくれたからだし……ユキちゃんのことも、そうしなきゃいけないことがあったんでしょ? 悪いヒトじゃないよ」

「ははははっ」


 白い空間の一面に、雪のように積もっている、死で彩られた砂。自身が積もらせた死を眺める。

 空間が白くて、生が白紙にされた者たちも白くて、空虚になっていく自分の心も白く感じて、気が遠くなるほどに白かった。


「俺のこと許してくれるんだ? 女を何人でも何の躊躇いもなく斬れる俺を許してくれるんだ? りっこちゃんやトモキやユキマサ――お前の友達を殺した俺を許してくれるんだ? お前を助けるためだったら許してくれるんだ? 人間を殺して喰ってきた俺を許してくれるんだ?」


 由芽はハナをすするばかりで答えなかった。


「なぁ、由芽。俺を恨めよ。俺は何人も人間を殺してきた。女だろうが子供だろうがだ。お前の友達も殺した。実来のことも、守れたかもしれないのに守らなかった。腹が立つだろ? 恨めよ。恨んでいいんだよ由芽」


 きっと由芽は認められないのだ。知り合いが極悪人だということが。仲良く話をしていた者が、恨みを持つべき者だということが。

 他人に対する好意的な感情を認められない自分に対し、由芽は他人の中の悪を認めることができない。まったく真逆の存在だ。


 真逆の存在で、中途半端な存在だ。《残骸》として生きるために人間を殺し、人間を守るために《残骸》を殺した。《残骸》の側にも、人間の側にも立てない、中途半端な存在だ。


「クク君……そんなに、自分のこと責めることしかできないんなら……――ずっと、あたしと一緒に、ここにいようよ。ここで、一緒に、償ったらいいよ」


 優しい声で、言ってくれる。優しい声に心がとろかされて、彼女の考えにすがりつきたくなる。嫌なことは何も見ないで――罪にまみれた自分とは向き合わず、この何もない空間で己の体が果てるまで、何もせずにこのまま…………。

 首を振る。自嘲気味に唇をゆがめる。


 ――違うって。そんなこと、させられねぇよ。


 由芽の提案に頷くことはできない。何の罪もない由芽を、こんな場所で立ち止まらせることなどできない。ひきこもりから脱して、前を歩こうとしていた実来はもう、歩けなくなってしまったが……由芽はまだ、歩くことができるのだから……。


 何かの死を持ってして解決することが、果たして前を向いていることなのかどうか――わからない。これからしようとしていることは、後ろ向きなのかもしれない。しかし例え、後ろ向きな行動なのだとしても、由芽が前を向いて歩ける道をつくってやれるのだとしたら……。


 ――来た……。


 発作だ。

 体のすべてが脈打つ。体に衝撃が走る。痙攣する体をもてあまし、呻きながら膝を突く。

 力を続けて使いすぎたための代償が、体を責め苛んでいる。破壊を欲して、急きたてている。


 ――ああ、そっか。

 ――俺が今、なんかいろんなことが素直に受け止めるられてるのは……。

 ――全部、覚悟したせいかもしんねぇなぁ……。


 《陽を取り込む場所》を創造した者たち――《蘇生》のトモキ、《殺意》のユキマサを、殺した。《陽を取り込む場所》は崩壊したはずだ。


 ――終わりだ。これで、全部。


「由芽…………」


 破壊衝動に理性を喰われていく中で、微かに残った理性で話しかける。


「逃げろ、由芽。俺はお前を壊したい」



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