▼ 愛のようなもの 〈クク・ルーク〉


 ビルの屋上に立ち、夜の街を眺めた。灯の一つ一つに人間の暮らしがある。眼下にあるそんな光景を眺めた。


 首にかかるペンダントを胸元から取り出す。以前、娘を守ろうとしていた母親から吸収した《心寿》だ。ジュリーに、『いずれこの価値がわかるときが来るから持っていろ』と、言われたことのあるペンダントだ。


 ペンダントの力を展開する。周囲の空気を動かしながら、不可視の障壁が周りを囲む。

 やはり眩暈と吐き気に襲われる。だがそれだけだった。以前は耐えられないほどの痛みを伴った。自我が保てなくなりそうな苦痛だったが、今は耐えられないほどのものではない。


 ――俺は……由芽の言うとおり、実来のことが好きなのか? 本当に……。


 愛情ゆえに生じた破壊衝動。その結晶である《心寿》のペンダント。以前は破壊衝動の塊である自分は、拒否反応しか覚えなかった。たが、変わっていた。

 自分の中に愛情が生まれたから拒否反応が少なくなった。そういう解釈も成り立つが、自分の中にそんな感情があるなどとは、どうしても納得できないし、信じられなかった。


 信じられないが、しかし。《陽を取り込む場所》を壊さなければいけないという強迫観念は続いている。その強迫観念も、由芽の胸の中で泣いてしまったことも、実来への想いを示しているようにも思える。しかし――――


「ああ、くそ。だせぇな、畜生」


 ククは舌打ちをし、そこで己の思考を断ち切った。理由などはどうでもいい。強迫観念が自分を急き立てるのであれば、素直に従ってやればいい。


 《陽を取り込む場所》を構築した者たちは、後三人残っている。

《独占欲》、《蘇生》、《殺意》

 残りのこの三人は巧妙に気配を隠しているのか、気配をどこにも感じない。彼らはすでに、《残骸》を殺しまわっている存在に気がついているのかもしれない。ならば目で直接探す。壊すために体を動かしていないと、強迫観念に潰され、狂いそうだった。


 屋上の淵。そこから一歩進む。体が夜の街へと降りていく。人が灯す明かりの海に浸っていく。

 心地よい降下の途中、正面に突然気配が現れた。気配に顔を向けると、目の前に黒い槍が飛び込んでくる。


 ビルの壁を蹴って己の軌道をずらして回避する。回避したそこにすぐに槍の嵐が襲う。空中ゆえ、身動きが取れない。先ほど試しに使っていた障壁を展開する。障壁は槍を弾き飛ばしたが、体には眩暈と吐き気が襲い来る。構ってなどいられず、次々と降り注ぐ槍を防ぐために展開し続けた。


 足が地面に到達。着地。すぐさま走り出し、障壁を消す。槍の雨が追ってくる。夜の遊びに乗ずる人間の群れをかき分けることなく走り抜ける。吐き気は消えたが荒くなった息は戻らない。空気を貪りながら走る。


「アタシとコウイチローの仲を割こうだなんて! ゼッタイッゼッタイッ! 許さないんだからぁあ!」


 上からの声に視線を上げる。建物の上を疾駆する人影が見えた。黒いフリルのスカートをはためかせた、ツインテールの少女だ。


「誰だよコウイチローって」


 呟きつつ確信する。独占欲の《残骸》。あの女がそうだ。

 彼女の傍らには白い輪が浮遊しており、その輪が黒い槍を降らせていた。輪は従えた犬のように彼女の動きについていき、彼女と同時にククを追ってくる。

 ククの腕時計の周辺に血管が浮き上がる。少女の走る建物の屋根の上で爆発が起こるが、彼女のすばやい動きにワンテンポ遅れ、幾つ爆破を起こしても彼女を捕らえることができない。


「殺されてたまるか、殺されてたまるか! アタシはずっとずっとコウイチローの側にいるの、一緒にいるの! 彼は昨日もアタシを優しく抱きしめてくれた! だから今日もなの、明日も、明後日も、これからもずっとずっとぉお!」


 少女は幼く愛らしい顔を怒りに染めていた。腕を天に振り上げる。

 人々が行き交う道。その地面から、少女が振り上げた腕に釣られるように、煉瓦壁がせりあがって出現した。ククは衝突寸前で足を止める。追いかけてきていた槍が消えていることに気づき、踵を返したが、横手から巨大なリングが回転しながら迫ってきていた。姿勢をかがめて回避するが、通り過ぎていったはずのリングは旋回して再び強襲してくる。


「ちょこまかしないで止まりなさいよ! そしてアタシに殺されなさい!」


 少女はリングを二つ三つと手に出現させ、憎悪と共に赤髪目指して投げつける。リングはそれぞれが独自の動きをし、一つ一つが違う角度からククを襲ってくる。

 ククは阻んでいた壁が消滅していることに気づき、リングの隙間を掻い潜り、建物の壁をすり抜けて中へ逃げ込む。中は閉店中の店舗らしく電気はついていないかった。かまわず走り抜けようとした。


「――っ!」


 闇の中、何かに足をとられる。重心が崩れ、転倒する。

 地面についた手に何かが巻きついていく。背筋に怖気を感じて足を動かそうとするが、そちらもすでに何かが巻きついており動かすことができない。

 力を使って振りほどくために《心寿》を発動させようと試みるが、《心寿》は何の反応も見せない。


「ひっかかったぁあっ」


 天井から少女の首が生えた。天井から首を突き出し、上下逆さになった彼女はツインテールを地面に向けてたらしながら、笑みを浮かべていた。勝利と、官能的な快楽を感じているようなうっとりとした満面の笑みだ。感情を昂ぶらせ、目を輝かせながら、少女は天井から抜け落ちてきた。猫のようなしなやかな一回転をして、床に着地する。


「さぁーあ、殺してあげるわ。今までたくさん殺してきたあなたには命乞いをする権利も無いわ。殺してあげる。殺してあげる」


 歌うように言いながら、踊るように歩きながら、彼女はククのほうに近づいてくる。ククはもう一度、力が発動しないかひとつずつ確かめていく。しかしいつも言うことを聞いてきた《心寿》が、すべて何も反応を返してこない。体に絡み付いている物が、《心寿》の作動を阻害しているのだろう。


 近づいてきた少女は恍惚とした表情で、足を、床に這いつくばるククの首に乗せる。そのまま首を踏み砕くつもりなのだろう。

 さすがに首を踏み砕かれたら死ぬだろうなとぼんやりと思いながら、ククは動かせない体のまま、ぼんやりと口を開いた。


「なぁ。おまえ……そのコウイチローってののこと、愛してんの?」

「決まってるじゃない。とてもとても愛しい恋人よ」


 彼女は足の下の、今まさに殺そうとしている相手のことも忘れて、顔をうっとりととろけさせて恋人のことを語った。


「綺麗な顔をしていて優しくて、その細くて長い指でアタシに触れてくれるの。触れさせてくれるの。幽霊みたいなアタシという存在もすぐに受け入れてくれて、アタシのこと可愛い……って。大好きだよ、って言ってくれるの。アタシだけを見てくれるの。アタシだけを……」

「人間?」

「そうよ。せっかく人間に触れられるのに、その特権を《誘導》のためにしか使わないなんてバカみたい。アタシは綺麗な彼に触れてみたいと思ったからこそ、この辺一帯を《陽を取り込む場所》にすることに賛成したのよ。彼とは一緒に旅行に行く約束もしたの。《陽を取り込む場所》から出ちゃったら、彼にはアタシが見えなくなっちゃうから、彼には体から精神体を抜き出してもらわなきゃいけないんだけど……そういう《心寿》を見つけたの。人間を幽体離脱させることができる《心寿》を。その《心寿》、すぐに寿命が来ちゃいそうだからすぐに旅行に行かなきゃ行けなくて、来週、約束してる。楽しみにしてるのよ。そして旅行から帰ってきたら、アタシと彼は、《陽を取り込む場所》から出ないで、お互いが触れられるこの場所でずっと……永遠に、一緒にいるって約束してるの。……なのに! あなたはそれを壊そうとしている! アタシ達二人の永遠の場所を、時間を壊そうとしてる! 殺すしかないわ!」

「本当にそれって、愛だと思う?」

「はぁ?」


 少女の顔が疑問にゆがむ。足の下の存在を馬鹿にするように口の端を吊り上げる。


「当たり前じゃない。あんた、アタシの話を聞いてたんじゃないの? こんなに愛溢れている想いはないでしょ?」

「んなこと言われたって、俺、わかんねーもん」


 ククはすねた子供のような口調で言葉を吐き出した。少女は嘲りの表情を消し、赤い髪を見つめる。


「カイ・ヴェルバーは、親の遊んでる末の出来ちゃった婚で生まれて……母親はいつも家族とは会話しない人だった。親父は母親の浮気を許そうとはしなかったけど、愛してるからじゃなかった。単純に馬鹿にされてる気がするからで、いつも怒ってるだけだった。母親に優しくしてるところなんて、一度も見た記憶がない。カイ・ヴェルバーはガキの頃は撫でられたり抱きしめられたり優しくされたりしたことがなかった。愛なんてなくてもガキは産まれてくるんだ……。だから愛なんてな存在……よくわかんねーんだよ」

「カイ・ヴェルバーって人は、あなたの生成体ね?」

「うん。そう……」


 少女の足がククの首から退いた。少女はその場にフリルの着いたスカートを広げて座り、ククの顔を覗き込んだ。


「愛は……ちゃんと存在してるわ。アタシの中にはあるもの」

「そうだろうな……。似たようなモンはあるんだろうけど。どうしても、俺の中にそんな気持ちがあるとは思えないし、誰かが俺にそんな気持ちを向けるとも思えない。……なぁ。ああ言う、愛溢れる家族とか、恋人同士とか……って、お互いに傷つけ合わないための演技じゃねぇの? カイ・ヴェルバーの家族は、その演技に失敗したんだ」

「トモキちゃんから聞いてるわ。あなた最近大切な人を、《残骸》に吸収されちゃったんだって」

「誰だよトモキって」

「蘇生の《残骸》がそう名乗ってるの。あの人は何でも知ってるわ。あなたは大切な人が殺されたから《残骸》を殺してるんだって。アタシたちを殺すんだって」


 少女の白く華奢な手の指が、赤い髪にさらりと触れる。薄暗い空間に落ちる彼女の声からは憎悪が消えており、子供をあやすような、ゆったりとした声になっていた。


「それは、その人間のことを愛してるってことじゃないの?」

「わかんねーよ」


 少女は己の膝を抱き、少しぼんやりとした表情をする。


「もし……コウイチローが殺されたら……アタシも同じことをするかしら……」


 ククはうつ伏せのまま首を動かして、彼女の肢体を眺めた。

 茶色いツインテール。大きい瞳をした幼い顔。服装は黒いフリルがふんだんについたゴシック調の服で、胸元が大きく開いている。窺える胸は大きくないが、幼い顔とは裏腹に大人の女の体をしていることがわかる。性格のことが分からなくとも魅力的だと感じる男は多いだろう。

 ククは小さく笑んで、鼻を鳴らす。


「あんたは独占欲の《残骸》なんだって聞いた。だったらそのコウイチローへの想いも独占欲なんじゃねぇの?」

「は? 何を言っているの。愛してるわよ。確かに彼を誰にも渡したくはないけれど、それは愛してるからよ。愛してるからよ。あなたも破壊衝動の癖に、破壊することは楽しそうじゃなかったじゃない。アタシの体が、何の感情で形作られていようと、アタシの性格とは何の関係もないはずよ。アタシはコウイチローを愛してる」

「本当にそうか? あんたのさっきの話し聞くと、コウイチローはあんたにいろいろしてくれるらしいけど、あんたはコウイチローに何をしてんだよ? さっきの旅行に行きたいって話も、それはコウイチローから始めたのか? 幽体離脱なんかしてまで? 本当はお前のワガママなんじゃねぇの? それって愛じゃなくて独占欲じゃねぇの? コウイチロウってのも、あんたがちょっとかわいいから付き合ってるだけなんだよ」


 彼女ははじかれたように立ち上がった。その言葉を発したククが、側にいるのが耐えられないというように、一歩一歩怯えに震えた足で後ろに下がっていく。


「違う……違うわよ……。確かに旅行の話はアタシから始めたけど……違うわよ…………」

「そうやって否定するだけ? なにをしてやってるのか、具体例をよろしく頼みたいもんだけど」


 彼女は両手で青ざめた顔を覆った。ククに言われ、記憶を探っているのか、両の目がせわしなく動いている。しかし、記憶の中に具体例が見つけられなかったのか、瞳は絶望の色を示した。


「アタシは、コウイチローになにもしてあげてない……。どうしよう……。どうしよう……」


 彼女が首を振りながら涙を流す。彼女の涙が増えるほどに、ククの手足を束縛していた枷が解かれていく。


「アタシは……彼を、愛してあげられてなかったの? そんなことない、今からでも、遅くない。彼に、愛が伝わるように、なにか、なにかをしてあげないと……。待ってて、コウイチロー。すぐ戻るから、あなたのために、何かを……」


 今まで目を背けてきた自分の心を指摘され、動揺が大きいらしい。ククの右手の拘束が完全に解けた。

 彼女は混乱しきったまま、ククに背を向ける。右手を彼女に向ける。指輪の力を発動し、刀を伸ばす。彼女は刀を見ていない。伸ばして、伸ばして、彼女の背中まで届き、貫いた。刀の切っ先が胸元のブローチを弾いて、地面に落とした。


 彼女の混乱に彩られていた顔が、砂になって崩れる。彼女の、大人の体だった肢体も崩れ去る。ククの両手足を拘束していた物がすべて解けた。

 立ち上がって、地面に落ちた砂の塊を眺める。


「《喜び》の髭のおっさんが言ってたぞ。獲物の戯言には耳を貸さずに一気にしとめてしまうほうが上策なんだって」


 立ち上がり、後ろ頭を掻きながら「……後、二人か」と呟く。地面に転がっているブローチを広いあげ、ズボンのポケットに突っ込んだ。壁をすり抜けて建物から出る。


「精神だけでできてる存在だと、精神潰されると脆いもんだな……」


 煌びやかに夜を彩る通りに出、人の流れを目で追った。手をつないだり、腕を組んだりしているカップルに目を向け、特に表情を変えることなく息を吐いた。跳躍して建物の二階の壁をすり抜け中に入り、部屋を横切り跳躍。建物の中を通り抜け、屋根を走り、またいつもの部屋にたどり着く。実来の部屋に着地して、ベッドの布団の中へと潜りこむ。

 あるはずのない彼女の体温を感じようとするかのように、布団をきつく体に巻きつけた。


「実来……俺は…………――」


 声に出してみれば、その想いに確信がもてるような気がしたが、なぜかそれは声にならなかった。

 胸にある熱いものは留まったままで、外に出ようとはしなかった。出してしまいたいのに出て行かず、ただ悪戯に胸を締めつけてくる。泣きたくなってきたのをこらえて、体を丸める。


 もし、今、もう一度彼女に会えたなら、このわだかまっている気持ちは晴れるのだろうか。わけのわからないこの気持ちは、意味のあるものへと変わるだろうか……。

 目を閉じて、眠りについた。



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