○ 初めて見たラブシーン。 〈高科由芽〉


「――――そう。そうして俺は魔王の元にたどり着いた。漆黒のマントで体を包む魔王の背後には、大きな鳥かごがつるされていた。かごの中にはこの世のものとは思えぬほど可憐な美しさを持った姫が、不安と悲しみで顔を曇らせていた。しかし彼女は俺に気づくと曇っていた顔を輝かせて、俺の名を呼んでくれた。俺の助けるべき姫が……。姫の声に背中を押された俺は、四天王に満身創痍の傷を与えられたはずであったが、確信を持って悪の権化に告げた。『貴様を倒し、姫と平和をかえしてもらう』と。交錯する剣と剣。鍔迫り合う悪と正義! 激闘の末、俺はとうとう悪を亡き者にする! 捕らわれの姫を解放し、強くお互いに抱きしめあう。見つめ合う二人はやがて目を閉じ……互いに引き寄せられる唇と唇。そして――――けたたましく音を響かせる目覚まし時計の電子音! ……何という夢オチであろうか。なんという凄まじく盛大な夢オチであろうか! なぜ、後数分、数秒が待てない。なぜ邪魔をする。俺は悟った。人の幸福を嘲笑い邪魔するものは悪だ。真の魔王はこの目覚まし時計だったのだなと!」

「そっかぁー。お姫様、助かったんだぁ。よかったぁー」


 由芽は心の底から安心したと言った笑顔でため息をついた。律子は相も変わらずテレビの前で陣取り、画面を見つめ続けている。ユキマサの長い談話には何一つ口を開こうとしなかった。


「いやぁ、由芽ちゃん。俺が言いたいのはさ。マジにリアルに大いなる敵と相対して勝利をおさめてみたいってことなんだよ。おさめたと思ったんだよ。なのに夢オチだったんだよ。この悔しさわかる? ――ってことなんだよ」

「んー。わかんない。ユキちゃん、お姫様助けたのになんで悔しいの?」

「夢オチだったからっ!」


 テレビのスピーカーから象の鳴き声がした。ユキマサがピクリと眉を跳ね上げた。


「なんか……。今のゾウさん、俺を馬鹿にした気がするぞ」


 律子がリモコンでテレビのチャンネルを変えた。画面はニュース番組を映し出し、キャスターが政治に関することをしゃべりだした。


「小難しい政治のことなんてわかんねぇや。さっきのゾウさんの言うとおり、やっぱ俺は馬鹿か……」


 落ち込むユキマサの隣で、由芽は政治のニュースを見ている律子に感心した。


 ――りっこちゃん、しっかりと政治のニュースも見るんだぁ。


「高科。あなたそろそろ帰らないの?」


 律子がテレビ画面から視線を動かすことなく由芽に問う。いつもと同様に淡々とした声での問いだったが、律子が自分から口を開くことはほとんどない。もしかしたら、先ほどからユキマサの話を聞くばかりになっていたので気がつかなかったが、なにか相当の迷惑をかけてしまってたいのかと由芽はあわてた。しかし、テレビの画面に表示されているデジタル時計に気がついて、それが否である可能性に気づく。


「帰らないの?」


 律子が重ねて問う。

 時計は、いとまを告げるはずだった時間をオーバーしていた。


「あ、あ、帰る! 帰らなきゃ! 今日はお母さんの誕生日だから、ケーキ買って行かなきゃならなかったの! ありがとう、りっこちゃん。時間、教えてくれたんだよね?」

「何を言ってるの? 私がいつ、どうしてあなたに時間なんかを教えたって言うの」


 律子の憎まれ口をきいて、由芽はニコニコした。律子のこういう憎まれ口は、肯定の意を示していることがほとんどなのだと、由芽にもわかってきていたからだ。自分のことをこうして心配してくれる。少しは友達になれたのではないかという実感が出てくる。


「んじゃ、俺、由芽ちゃんのこと送ってくるよ。それに、俺が知ってるうまいケーキ屋、案内するって約束だったしな」

「えへへ。ユキちゃんお願いね。りっこちゃん、じゃあ、バイバーイ」


 手を振りながら、ユキマサと一緒に部屋を出た。夕日が紅く世界を染めていた。

 雲をピンク色に染めながら、夜の藍をつれてくる紅い夕日は「明日もがんばれよ」と手を振ってくれているように由芽には見えた。


 この綺麗な夕日は、律子の部屋からもきっと見えるのだろうけれど。やはりこの美しい景色が、窓の枠にさえぎられてしまうのはとてももったいないと思える。いつか律子が外に出られるようになったら、一緒に夕焼けを眺めたいな、と思った。

 そんな風に沈みゆく太陽が、街を紅く染め上げる時間帯。静かな住宅街をユキマサと二人で歩く。


 他愛ない雑談をしながら歩いていると、向こうから手をつないで談笑しながら歩いてくる男女がいた。つながっている彼らの手の指は絡まりあっており、いわゆる恋人つなぎをしている。今から家に帰って一緒に夕食を食べるのかもしれない。二人とも手には食材の入った袋を提げている。

 二人が、由芽たちの横を通り過ぎるとき、彼らの会話が少しだけ聞こえた。


「だから、お前が好きなんだよな……」


 照れているような声につられて、関係のない由芽まで照れてしまった。


「素敵だなぁ……」


 呟いて、照れながらも通り過ぎていくカップルに見惚れ、彼らが見えなくなるまで見つめていた。

 そうして、赤い髪をした青年のことを思い出し、ポツリと疑問を呟きだす。


「ねぇねぇ、ユキちゃん。やっぱり……好きだったら、好きって言うよね?」

「なに? どしたの由芽ちゃん。恋愛相談?」

「んー。あのね。あたしの友達なんだけどね。どう見たってその人、相手の人のこと好きなのに、ゼッタイにゼッタイに好きだって認めないの。ゼッタイなの。何でなんだろうって思うんだけど……ユキちゃんは好きな人には好きって言うよねぇ?」

「うーん。確かに俺は全力で言うタイプだけど。多分、律子も言わないタイプだろうなぁー」

「えー? どうして? 好きなのに好きって言わないの? 確かにりっこちゃん。遠まわしな表現が好きみたいだけど……。ちゃんと好きって言わないと、ゼッタイいろんなチャンス逃しちゃうのにっ。あたしがエビフライ好きって言ったら、お母さん、よくエビフライ作ってくれるようになったし、黄色が好きって言ったら、誕生日のプレゼントはいつも黄色いモノをくれるようになったし……。ゼッタイ好きって言った方がおトクなのに……! 何で好きって言わないの?」


 ユキマサは眉間にしわを寄せ、重々しく頷いた。


「うん。それはむつかしい問題なんだけどさ。そういう人間たちは、ツンデレと言う星の元に生まれている異種族なんだ。彼らの心はとても複雑怪奇で、好きなものが好きといえない。欲しい物を欲しいと言えない。優しくすることされることは恥ずかしいと思っている。本当に嬉しいときも嬉しいと認めたがらない。もしかしたら心と脳と口が連動していないのかもしれないな。喜びを顔に出すことをせず、人に媚びることもできない。だから自然に友達ができるということが難しく、孤独でいることが多くなってしまう。漫画なんかだったら萌キャラの代表格だけど、悲しいけれどリアルでは生きにくい人種なんだよ……」

「そっか……。心と脳と口が連動してないなんて、りっこちゃん……大変なんだね」

「うん。そう。きっと苦労したんだろうさ」


 そうして二人でうつむいて、とぼとぼと歩いた。


「あ。ああああああああ!」

「え。どうしたのユキちゃん」

「俺、マジやっべぇ。チョー重要なこと忘れてたんだ。急に思い出したんだよ。すっげー急がなきゃ間に合わねぇ!」

「え、え? 大変なこと? よくわかんないけどじゃあ、行って来なよ。あたしは大丈夫だからさ」

「うん。うん。ごめんな由芽ちゃん。約束を果たせない不甲斐ない俺を許してやってくれ……。夢の中の姫は掻き消えちまったけど、俺は今日、慈悲深い女神を見たよ。ありがとう。ケーキ屋はさ、そこちょっと行ったとこにある公園横切ったらサテンがあるから、そこの横の道行ったらすぐだからさ。ん、じゃあ、ありがとうな慈悲深き女神! お言葉に甘えてドロン!」


 叫ぶや否や、どんな学校の運動会の徒競走に参加しても一位を取れそうな疾走を見せ、ユキマサはあっという間にどこかに行ってしまった。由芽は手を振ろうと手を上げたのだが、手を振る暇さえなかった。

 呆然とした思考を切り替え、歩き出した。少しするとユキマサに教えられた公園が見つかった。言われたとおりに横切ろうと公園の中に入った。

 もう陽も傾いてる。太陽の色に染まった公園には、遊ぶ子供は一人もいない。


 ――今はこうゆうとこ、来なくなっちゃったけど、ちいさいときはよくお姉ちゃんと遊んだなぁ。


 懐かしく遊具を眺めながら公園の中を歩いた。すると、誰もいないと思っていた公園の敷地内に、人の気配がした。

 公園の奥にあるベンチ。そこに二人の人間が――男女が座っている。

 男が女の体に腕を回し、女の胸に顔をうずめている。女は微笑みながら慈しむように、男の頭をなでている。


 ――うあー……。ホンモノのラブシーン見るのって生まれて初めて……。


 由芽は頬を紅く染めながらも、その二人の姿に見入ってしまった。

 夕日に包まれながら、相手を包み込むように抱きしめ、男の頭をなでている女性はとても美しかった。整った顔立ちも整った体も、女優のようであり、聖母のようでもあった。


 彼女の体にやわらかく包み込まれている男性は、女性の体に腕をまわし、強く求めるように激情を押さえるように、しがみついていた。

 それは恋人を欲する姿であるようで、泣きじゃくりながら母親に慰められている子供のようでもあった。


 ――あれ?


 女性がなでている、彼の、その夕焼けよりもさらに赤い髪。見覚えがあった。


 ――クク……くん……?


 衝撃が由芽の体を揺さぶった。

 知り合いのラブシーンを見てしまったというショックも大きかったが、それよりも大きく、彼に姉ではない別の恋人がいたということにショックを受けた。


 ――やっぱり……お姉ちゃんは、ちがったの、かな。……あたしの、思い込み……だったのかなぁ……。


 ショックが大きすぎてぼろぼろと涙が出てくる。嗚咽を漏らさないように、声を殺して、公園を出ようとした。

 その時風が流れを変えた。抱き合う彼らから、由芽のところへと音を運びながら。

 風が運んできた音は、赤髪の青年の、嗚咽混じりの悲痛な呟き声だった。


「――実来……」



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