文化祭編

第78話 劇の中のお姫様

 文化祭は楽しい行事である。

 そのように、心から言える高校生は何割ぐらいだろうか。

 いや、俺だって楽しいというか、楽しもうという心づもりではあるのだが。

 ただ、この時期になると少し考えてしまう。

 何事にも役割があるように、祭りにも主役と脇役がいる。クラスの中心にいる奴、何かしらの技術に特化している奴、そしてこれを機に人間関係が変化する奴。その中でも主役級のポテンシャルを持ちながら、あえて少しズレたところについた一人のことを。

 最上綾という人間は、本来はどのポジションなのだろうか、と。

 

 最上綾は役者向きだ。

 身内びいきというわけではないが、多くの人間を前にしても物怖じしないところや、人に伝わりやすい声。意図的に表情豊かに振る舞うところなど日常的に役者のようなものだ。

 もちろん、客の方を向いて演技するだとか、体を大きく使う表現だとか、異なる部分はあるだろう。それでもなお即戦力の類だと、かつて演劇部だった自分を棚に上げて思う。

 

 その適性は、クラスメイトもわかっていたようで。

 役割を分担する際には、役者のところで最上にチラチラと視線が向けられていた。その中には普通に眺めていた俺の視線を入れるかどうか迷う。

 その視線を無視するかのように、いざ決める段階になって最上が真っ先に手を挙げたのは脚本係だった。

 役割決めは競合しない限りは自薦が優先される。つまり最上に脚本をさせたくなければ脚本に誰か立候補する必要がある。そんな動機で手をあげられるような奴はそもそも個人の適性をもって最上を役者にしたいとは思わないだろう。予めできそうな人に頼むなどやりようはあったが、そこまではできていなかったらしい。

 そんなこんなで脚本の担当は最上にあっさりと決まってしまった。

 それはさておき、今、役者連中との練習を終えて黄昏れている最上に視線を向けているのは紛れもなく俺だった。

 

「どうしたの、西下。そんなに熱い目で見られちゃうと照れるなー」

 

 最上が窓を背に座ったまま茶化すように言った。

 

「え、俺今熱い視線になってたか? 俺の目にもとうとう熱意が……」

「期待させてごめん、そうでもなかった」

「なんだ冗談か」

 

 何も考えてない時と、何も意図していない視線ほど冷たくなることに定評のあるのが俺だった。

 ここ一年で多少なりとも無意識下でも表情豊かになったのかと。まだ楽しい時に笑う、といった意識は必要なのだろう。

 

「私からしたら熱かったけど、それを熱いと言ってあげられる人は少ないんじゃないかなー」

「お前の読心能力は俺相手にはいっそう冴え渡るな」

「で、熱い視線だと自分でも思ってしまうほど私を見ていたのはどうしたの?」

「もちろんお前に見とれて――」

 

 と、セリフが止まる。

 最上が複雑な表情を浮かべていた。

 複雑なといっても、どう解釈して良いのか分からないだけで機嫌はよさげではある。

 ニヤニヤと微笑の中間点、安堵したような雰囲気も混じっている。

 

「もしかして文化祭の準備で疲れてたか?」

「なんでこのタイミングでそのセリフが出てくるかなー。疲れてたらもっと疲れた顔してるもんじゃないの?」

「疲れることから解放されたらテンションは上がるけどそれを表に出せるほど元気があり余ってないって可能性を考えてだな」

 

 説明する俺に最上が机に体重を預けながらブイサインをこちらに向けてくる。

 

「二割正解ってところかな」

「八割間違えてんじゃねえか」

「理由の一部としてあるんだからいいじゃない」

 

 てっきり、役者よりも脚本の方が最上にとっては負担は低いのかと思った。

 役者が合わないと、俺のわからないところでそう感じていたのではないかと。

 

「私の仕事は脚本を良くすることだけじゃないからねー」

 

 そう言って、手に持った脚本の最初のページをめくる。そこに記されているのは、登場人物の簡単なプロフィールとそこに割り当てた役者の生徒の名前だった。

 

「ふっふっふー」

「まーたなんか企んでるのか」

 

 劇の脚本は、要素だけ見るなら、昔話のクロスオーバー二次創作のようなものだった。狼は子豚を襲うし、それを警告した少年は嘘つき扱いされる。魔女は時に美少女を国から追放するし、美少女が王子様と結ばれるように魔法をかける。

 しっちゃかめっちゃかではあるけれど、結局のところラストはよくある丸くなったおとぎ話。悪いやつは倒されて、女の子は王子様と結ばれてめでたしめでたし、と。そう、よくあるおとぎ話の、はずだった。

 

「雇い主であるはずの継母を裏切って、娘を手助けしていたはずの魔女は実は継母が今の王と結婚する前に産んだ実の娘だった、ね」

「そう。だからこの物語のお姫様は、みんなに助けられた女の子じゃなくて、女の子を助け続けた魔女なの」

 

 この魔女は、どこか誰かを彷彿とさせる。

 

「王子は実は幼い頃に魔女と会っていたの。その時に、魔女とひとつ約束を交わしていた。その約束を王子は忘れてしまっていたけど、魔女は頑なに果たそうとしてね」

「十年後の同じ日までに、一つだけ、相手の願いを叶えよう。王子が願ったのは、心から愛し合える相手との結婚。魔女が願ったのは、最も愛おしい人の幸せ」

「そして魔女は見つけてしまう。王子と仲良くなり、結ばれるに相応しい女の子を」 

 

 魔女は二人の幸せのために身を引こうとした。

 しかし、女の子は気づいていた。自分を影から助けてくれていた、心優しい魔女のことを。

 だから、王子もまた、気づいてしまった。誰よりも自分たちの幸せを祈って、自らの幸せを押し殺そうとした魔女のことを。

 結婚式の当日、衣装を着替える部屋には魔女にあてた手紙が一通置かれていた。内容は二つ。彼女が森の中で、七人の小人と共に暮らということ。王子には既に話が通っていて、結婚式には魔女が出るようにということ。

 女の子もまた、これでいいのだと微笑む。自分が望んだは煌びやかな王城で過ごすことよりも、もっとささやかで自由な幸せなのだから。

 読み終えて、改めて随分詰め込んだものだと感心する。それがついつい口をついて出てしまう。

 

「この量を全部こなすのは大変じゃないか?」

「そうなんだよねー、おかげであっちこっち削らなきゃいけないの。名場面と必要なところばかりにするとギャグがなくなってつまんないしー」

「いやまあ、本編は面白そうだと思うぞ。ギャグなくても」

「ギャグシーン大事だよー」 

 

 最上には何やらこだわりがあるらしい。

 というか、劇なので途中経過はごっそり省略できるんじゃないだろうか。

 

「何か良い案ないかな」

 

 こっちを見ながら、最上が尋ねる。

 頬は机に、だらりと力の抜けた状態だ。

 

「うーん、七匹のこやぎと七人の小人を同一キャラにして、モブの出番減らすとか?」

「面白そう。でもむしろこれ、チョイ役で出てみたいっていう人たちの希望を叶えるために調整してあるからなぁ」

「いやでも今でも人数多すぎ――いや、あまり俺があれやこれや言うのも良くないだろう」

 

 一応、脚本は最上が仕切って、役者の人達と内容を詰めるという分担になっている。完全に別担当の俺が、責任のない状態であれやこれやと口を挟むことを快く思わない人もいるだろう。すると最上がやりづらくなる。

 

「ちぇー、だよね、気づくよねー西下は」

 

 ふくれっ面になった最上が、机をバンバンと叩いて抗議する。

 

「……どこからわざとだった?」

「全部本気本音だけど、そういう意図がちょーっぴりあったのは否定しないかな」

 

 最上は何やら俺を巻き込みたかったらしい。

 自分が動きにくくなるだろうに。そこまでして……いや、この思考はよくないだろう。最上には最上の何か考えがあったのだろう。

 

「中身の方針以外なら付き合えるし、愚痴なら聞くから。それでも間に合わなかったら気晴らしにどっか出かけるか?」

「それは美味しい提案だね。遠巻きに私たちを見て邪魔しちゃダメかな? みたいに帰ろうとした千歳ちゃんを追いかけて誘ってね」

 

 東雲は帰ってしまったようなので、必然的に三人になるか。

 こんな時でも、よりいつものメンツに戻そうとする最上の在り方に、少し笑いながら。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る