第77話 夏休みの終わり

 夏休みは終わりに近づいていた。

 宿題がまともにあったのは中学校まで。高校に入ってからは特に気にするほどのものはなかったはずだ。せいぜい夏休み明けに実力テストがあるとかその程度だろう。

 宿題終わってなかった! からの泣きついてみんなで宿題に立ち向かうイベントは定番なので是非ともやってみたいが、そのためだけに夏休み終わりまで宿題を残すというリスキーな選択をできるはずもなく。

 もっとも、中学の頃も夏休みの宿題で困ったことはないのだけれど。 

 

 さて、そんな大したことのない夏休みのエピローグにもきちんとオチはついていた。

 オチというよりは、そう、二学期に向けてのプロローグになるのだけれど。

 つまりエピローグでありプロローグ。

 

 俺たちの高校では文化祭が九月の初めにある。

 ではその文化祭準備をいつ頃にすれば良いかという疑問に対して、先生、先輩から同輩に至るまで一様にこう答える。

『夏休みの間にすればいい』

 実に正論だった。

 三年生になるとほぼ全クラスが劇に走るわけだが、二年生のうちはまだ半々といったところ。

 俺たちのクラスは劇になった。自分たちで脚本を書き、役者が教室の半分を舞台に演じる。

 そんなわけで俺たちは夏休みでありながらも高校に来ていた、のだが――

 

「あっつい」

 

 日差しがこれでもかと照りつける。

 今俺がいるのは生憎とクーラーの効いた部屋では無かった。

 文化祭の準備で画材が足りなくなってしまい、その買い出し役として俺が選ばれたのだ。

 不器用な俺としては不満はない。看板作りのような作業は手先の器用な人たちに是非ともお任せしたい。

 昇降口のところで同じように買い出しに出かける東雲を見かけて一緒に行くことにしたのだ。


「こっちの方ってあまり通らないんだよなあ」

 

 グラウンドの端には裏口がある。

 かつては山だった場所を切り崩して作った場所であるからして緩やかな坂道となっている。作られた時期によって家の雰囲気が異なるのはその年代の土地価格の差だろうか。

 学校の周りを囲む住宅街を抜けて、俺たちは商店街へと向かう。

 

「そう、なんだ……運動部の子とかは結構くるみたいだよ?」


 どうして運動部だとこっちに来ることになるのだろうか。

 東雲の言葉を反芻する。そして裏口の位置を思い浮かべ、ようやくその理由を察する。


「……ああ、こっちにグラウンドと体育館があるからか」

 

 ついでにいうとテニスコートも校舎によっては裏口から出て行く方が近い。

 部活が終わってから帰る時にこちらを通るのは珍しくない、ということか。

 よく当たると噂の自販機を横目に、坂道を降りていく。

 

「それもあるんじゃないかなぁ……商店街だと食べるものも売ってる、かなって……」 

「買い食いするのか」

 

 買い食いといっても近くにあるのはファーストフードとラーメン屋ぐらいのものだが。お互い昼ごはんを食べてなければ一緒にご飯でもと言えたのだけど。生憎と今は二時、東雲もとっくに昼食を終えているだろう。

 歩きながら、頭上に半透明の天井がある通りへとやってきた。多少は日差しもマシになるか。

 ここは三番目に近い駅の奥にある商店街だ。

 その中で画材を売っている店を見つけて入る。それぞれ買うものは決まっており、どれもこれも珍しいものでもないのでメモの通りに両手に抱えこんでレジへと向かう。領収書をもらい、立て替えておいた。レシートも添えて後で請求すればいいだろう。

 買い物はすぐに終わり、店の前で東雲を待った。出てきた東雲の荷物を「持つぞ」とだけ告げて奪う。東雲が慌てるが答えは聞いてない。

 東雲はしばらくわたわたとしていたが落ち着いた後、か細い声で「ありがとう」とお礼を言った。その様子が見られただけでも荷物奪う価値はあると思うよ俺は。


「東雲は画材売ってるところ知ってたんだな」

「うん……たまに買いにきたりするから」

「ああ、そうか。美術部だっけ」

「幽霊部員……なんだけどね」


 東雲は時々帰りが遅くなる。決まってコンクールが近い時だ。一週間ほどかけて、出すための絵を描いているのだとか。

 俺が思い出したように言うと東雲は申し訳なさそうに縮こまる。

 彼女は彼女なりに美術部に顔を出していないことに負い目を感じているのだろう。

 俺が話を聞く限りではそこまで気負う雰囲気の部活ではなかったと思うが。

 最低限、部費と出展用の作品さえ出していれば部員として認められる。行ったところで一人偏屈な部員がもくもくと風景を描いているだけだ。むしろ真面目に作品を出しているだけでも偉いと思うんだよな。帰宅部からすれば。


「でも意外だよな。東雲ってどっちかっていうと文芸部とか入ってそうなんだけど」


 東雲が肩を強張らせたのを見て失言だったと気がつく。そこの部員の一人を思い出してあの部の特徴を察して俺もその先に続く言葉が思いつかない。そうだった、あそこは……


「ええっと……文芸部は、その……最初は入りたかったんだけど……」

「わかった。俺が悪かった」

「あのね……あそこってなんかみんな違うっていうか……」

「だよなぁ、だって――」


 伏籠がいる。

 人によってはそれで説明としては充分だ。

 どこの高校もそうなのかは知らないが、うちの学校の文芸部は腐女子が多い。伏籠は俺が認識している唯一の腐女子なのでそこから推測したにすぎないが。とはいえ会話している時の雰囲気や自慢しあっているアニメのグッズを見ていればなんとなく察しもつこうというものだ。

 一学期から三学期、そして各休みの年に六回ほど部誌なるものを出して活動としている。その内実は文章に限らず挿絵イラストや漫画、二次創作などオタクで創作に手を出した腐女子が好き放題に作っている場所である。

 もちろん"学校に出すものは"マイルドなものばかりだ。

 東雲がそこに突撃したとしたら。

 きっと彼女たちは腐っていない東雲とだって、楽しく創作物についての話ができるのだろう。腐ってない会話ができないわけではないし、普通に楽しんでいる作品もあるのだから。

 しかしやはり同好の士の間の会話というものはある。

 そこに入れない疎外感、キャラ愛に揉みくちゃにされる感覚を味わうぐらいならば、と諦めてしまった東雲の気持ちもわからないでもない。


「……でもそれでどうして美術部になるんだ?」

「それは……多分、私ね、あまりたくさん話すの……得意、じゃないから」


 東雲はゆっくりと間をあけながら話す。

 俺はそれに相槌をうちながら、邪魔をしないように黙って聞いていた。あまり顔を見つめたりせず、同じ方向を向いたまま歩調を合わせる。

 話すのが得意ではない、というものにも多くの種類がある。東雲のそれは頭で考えている言葉を文章として組み立てて声に出して形にするのが得意ではないのだ。きっと彼女の中にはもう言いたいことはあるのだろう。

 無自覚なことであれば、自覚させようと色々聞く意味もあるだろう。しかし東雲の場合受け手があれこれと聞き出そうと質問を重ねる意味もなければ、聞けたことを改めて確認する必要もない。


「得意じゃないから……けど言いたいことはあって、何かを伝えたいって思ったのかな、って」

「そうか」

「でもね、文章の方が書くのは楽なのに、絵が好きってわけでもなかったから……あまり行けてなくって」


 なんだか中途半端になってるの、と東雲は先ほど見せたのと同じような顔で申し訳なさげに笑った。

 そうか、だからか。


「そうか? そりゃあ美術部入る理由としては絵が好きってのは普通によくあるだろうけどお前のそれも立派な理由だとは思うぞ?」

 

 何かを伝えたい。

 創作に打ち込むのにその理由の何が悪い。

 素晴らしいことじゃないか。

 

「でもね……もうやめようと思ったの」

「それは……部活動をか?」


 何も部活動のことだけを指すわけではないだろう。だがあえて間違った答えを先に尋ねた。


「ううん、それもあるけど……無理をするのを、かな?」 

「無理、なあ」

 

 無理をさせていたとしたら心苦しいが。

 

「最近は結構しなくなったと思う、の……」

「そりゃよかった」

「うーん……」

 

 そこから東雲は悩むようにして黙り込む。

 しばらく少し会話は途切れて沈黙が続いた。

 東雲の中でもまだ整理はついていないようだ。

 結局、東雲が悩んでいたものに答えが出るまでに高校に辿り着いてしまった。

 教室まであと僅かのところで、一度東雲と分かれる。

 看板はとある女子二人組が頑張ってくれており、俺は頼まれない限りは特に仕事がない。今回頼まれたのは今日いた看板の担当が少なかったからだ。外は暑いのでクーラーのきいた部屋から出たくない面々は快く俺を買い物に送り出してくれた。

 だから俺は教室に頼まれたものだけ置くとふらっと教室を出た。

 隣の教室では東雲が一人でポスターを作っていた。ポスターそのものはあまり大きくはない。わいわいと騒ぎながら作業することが得意でもない東雲からすれば一人の方が作りやすいのだろう。

 このクラスの美術部としてまともに活動していたのが東雲ぐらいだったというのも大きいか。下手に手伝っても足手まといになると周りが遠慮してしまったのかもしれない。


「あ……西下くん」

 

 東雲が振り返ったところでバッチリ目が合う。

 見ていたのがバレてしまった。東雲の好感度によっては俺はストーカーのレッテルを……いや、諫早の件で手遅れだった。

 

「おう。手伝えることはあるか?」

「ううん……でも一緒にいてくれると嬉しい……かな?」

「話し相手ぐらいにはなれるな」

「さっきのことなんだけどね……最上さんや諫早さん……西下くんを見ていて凄いなあって。私も変わりたいな……って」

「俺らの間に共通点があったか?」

「みんな言いたいこと……思いっきり言うでしょ?」


 東雲はそう言ってくれるが、俺は結構言いたい事を言うかどうか迷う。今だって俺はまだここで東雲にかける言葉を迷っている。

 東雲が部活をやめることは俺にとって嬉しいことなのかもしれない。

 今までコンクール前の部活に費やしていた時間が暇になる。それを自惚れて言うならば俺たちと過ごせる時間が増えるってことだな。

 

 一方で、友達と遊ぶために部活をやめたとは見られまいか。そんな心配をしてしまうわけだ。

 東雲自身の気持ちについては、俺は何も言わない。東雲の決断が正しいかどうかなんて俺が決めることではない。

 今こうして話しているのはやめる覚悟を決めること、そして親しい俺たちにそれを話していこうと思っているだけにしか見えない。

 東雲はこんなに晴れやかな笑顔なのだ。それが軽率だとか、不適切な決断だとかそんなことがあるはずがない。


「親にはもう言ったのか?」

「うん」

「なんか言ってたか?」

「お母さんはもともとあまり美術部に入ること……よく思ってなかったから」

「そうなのか?」

「お母さんは私にもっと遊ぶことを大切にしてほしいって。おばあちゃんがお母さんに勉強しなさいって厳しかったから……私もお金かかるしどうかなって……でも何かしてないと不安で……」


 もっと高校生らしいことをしてもいい。

 東雲の母親は東雲にそんなことを言ったらしい。

 東雲はそれを重く受け止めて「よく思っていない」と考えているらしいが話を聞いた限りでは単なる確認だと思う。

 今まで絵に興味を示してこなかった娘が突然美術部に入ると言い出した。無理矢理入れられてはいないかとか、友達がいないのかとか心配したのではないだろうか。

 


 とはいえ、東雲が今の気持ちをはっきり母親に言えるのだとすれば、それは多分、喜ばれるのかもしれない。

 絵で表現するという代替行動はやめて本当の望みであったことを今叶えようと歩き出したのだから。

 それでも、表現したいことがある奴の作品というのはどんなジャンルに限らず心に届くものがある。少なくとも俺は東雲の絵が嫌いではなかった。


「後悔は……しないか?」

「もう……決めたから」

 

 態度でつい誤解しそうになるが、東雲は決して優柔不断でも流されやすいだけの人間でもない。むしろ本当に大切なものは譲らない頑固さがある。こうなった東雲はきっと俺が本気で止めなければ美術部をやめてしまうだろう。

 今も着々とポスターを仕上げていく東雲を見ると俺の対応に正解などないのだと思い知らされる。どちらにせよ多分、俺のこの気持ちは拭いさることはできない。なら、俺が東雲の幸せを祈ってできることは。


「そっか。がんばろうな」

「うん」


 繋がりを一つ断ち切り、俺たちの交友関係にさらに踏み込む東雲を何事もなかったように迎え入れることだけだ。笑顔で、それが東雲の正解であることを信じるように。

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