第76話 花火の光の中で

 夜空に幾重にも花が咲く。

 俺たちはしばらく夢中になっていた。

 何を話していたのかはあまり覚えていない。おそらくは感激や感嘆に近い声を上げていたのではないだろうか。 

 音と同時に光が来るのも良いし、光に遅れて音がくるのも雅なものだ。場所によっては反射して後ろから聞こえることもある。

 下からか横からかではないが、距離によってその感じ方も変わるのだ。

 きっと、隣にいる人によっても。

 

「綺麗だね」

「うん……」

 

 最上と東雲が俺越しに互いを見ることなく言葉を交わす。

 両サイドから聞こえるそれにやたらとくすぐったい。しかし抜け出すには俺の精神力がまるで足りなかった。

 

「あーそうだな。でも"お前らの方がもっと綺麗だよ"」

「うわぁ……」

「言ったよ! 言い切った! 勇者だ!」

「……えっ?! あ、えっと、その……」

 

 順に諫早、最上、東雲である。

 最初二人、俺が悪かったけどその反応は酷いんじゃないだろうか。言ってみたかったのは事実だけど、本心でもあるわけだし。喜んでほしいとか、照れろとまでは言わんが軽く笑うとかさ。

 

「なんだよ。思ってても言う機会のない言葉ってあるだろうが」

「アレンジが足りない。そのまま言ってどうすんの。私もどう反応していいかわかんないっての」 

「そうかなー。私はむしろ、そのまま言い切った勇気に賞賛をね」

 

 顔を逸らす諫早に対して、逆側に回り込んでニヤニヤしながら最上が言った。

 あたりは暗いものだから、そっぽ向いた諫早の顔がたとえこちらを向いていたとしてもその表情や色は見えづらかったことだろう。

 だから声色だけでその心情を推し量るしかないのだが、これがまたなかなかうまくいくものではない。

 

「お前らほんとひどいな」

 

 ただ、そう言った俺の声は多分笑っていたと思う。

 よくある口説き文句をわざと使った俺にも責任はあるが、それにダメだしと慰めって追い討ちにもほどがあるだろう。

 一際大きな花火が上がった。

 震える大気にかすかな花火の残滓、そしてまたひゅるるると次の玉がやってくる。

 

「たーまや〜」

「か〜ぎやー」

 

 俺が呑気に声を上げると、それに最上が重なった。

 元は屋号、つまり江戸時代の花火職人さんのどちらを応援するかの掛け声だ。たまやさんとかぎやさん、どちらも有名な花火屋さんだったらしい。

 おのれ最上、別のを応援するのか。

 いやいや、ただの掛け声だしそれに別のを応援していたところでさほど問題はない。どっちも勝ちってのが大人のお祭りの楽しみ方らしいし。

 

「いっぱいあがるね……」

 

 東雲が誘われるようにして立ち上がる。俺たちの前へと歩いていき、そのまま端に立って身を乗り出した。

 後を諫早がゆっくりと静かに追いかける。背後からおずおずと遠慮がちにその浴衣を掴んだ。

 その二人に、周りにいた何人かの男から視線が集まる。

 俺が牽制するよりも早く、諫早があたりをぎろりと睨んだ。男達は慌てたように目をそらした。やましいことがあったのかね。いや、勝手に見ていたことそのものがやましいのだろうけど。

 東雲はその間も諫早の様子に気づくことなく花火よりもキラキラした目で花火に釘付けになっている。


「なんかこう、見てると幸せになれるな」

「わかる」

「ずっと……」

 

 ずっとこんな時間が続けばいいのに。

 そう言いたくなって、だがそれではダメなのだと思いなおして口を噤む。

 俺たちは不老不死ではない。たった一年で生活がガラリと変わるお年頃の高校生だ。ならば進まなければならない。進めないなら戻ってもいい。いつまでも動かず、変わらずにはいられないだろう。

 

「なに?」

 

 最上が耳聡く聞きつける。

 

「いいや、なんでもない」

「それ言った時って絶対なにかあるんだよね」

「だとしたら相手によっては聞かない方がいいってのもお約束だろ。それとも聞いておくか?」

「いいよ、言わなくても」

 

 あっさりと。

 最上の引き際はいつも鮮やかで完璧だ。

 

「言わなくても、わかるもん」

 

 それは逆の言葉に聞こえた。

 言われなくてもわかりたい。

 言わなくてもわかって欲しい。

 俺たちがここに来たように、最上が俺達がここに来ると信じて待っていたように。

 たとえ全てがわかりあえなかったとしても、なるべく近くにいられるように。

 

 東雲がいなくなって片側は寂しくなった。

 最上にとって俺のいない逆側は寂しいものなのだろうか。さっきよりもいっそう近くなった距離について、そんなことを思う。これもやっぱり逆だ。正確にはそうだな、俺のいる側は寂しくないだろうか、と問うべきか。

 

「色々あったが、今日来れて良かったよ」

 

 呟いたつもりが、その声は意外とよく響いた。多分前の二人にも聞こえていたのだろう、諫早がこちらを振り返った。声には出さず口だけで何かをこちらに向けて言ってきた。

 

「"あたしはそんなこと言わないよ"だってさ」

 

 最上には何を言ったのかわかったらしい。

 

「俺としたことが聞き逃すとは」

 

 鈍感系も難聴系も勘弁だ。

 

「仕方ないよ、言ってないんだから」

「読唇術か」

「女の勘かな」

 

 諫早に一言返しおくとすれば。

 言わないってわざわざ言ってしまうのは、思ってるって言ってるようなものなんだぞ。

 東雲は頑なにこちらを振り向かない。肩はぷるぷる震えているし、両手は浴衣の太ももあたりを強く握りしめている。耳だけでもいいから明るいところで見たかった。

 俺からは見えないその顔を諫早が覗き込んでニヤニヤした後、少し面白くなさそうな顔をした。暗いからその感情の機微を読み取るのはこれが限界だった。

 

 花火はフィナーレ前の抑え気味の低いものになっていた。

 しばらくすると、凄まじい勢いで次々と打ち上げられるだろう。

 

「ねえ、西下」

 

 最上が耳元に口を寄せて俺にだけ聞こえるような距離で囁く。

 

「私も来れてよかったよ。こんな風に花火を見れるなんて、去年は思いもしなかったな」

 

 もう、以前とは違う。

 ハーレムを作ろうという当初の目的こそ見失ってはいないのだけれど、あのときは出来るとは思っていなかった。いや、できたらいいなという願望にすぎなかった。

 ヒロインとは二次元に対する言葉であり、そしてそれはいるいないではなくてそう見なすべきではないと考えているいたからだろう。周りの人間はあくまで人間にしかすぎない。

 つまり屋上はいつも閉鎖されている。

 ラブコメなど起こり得るはずがないなんて。

 

 今はどうだろうか。

 最上に言われて、周りの人間をそれまで以上に観察しつづけた。

 その中で、特に「仲良くなれたらきっと楽しいだろうな」と思える人に出会えた。実に予定調和で仕組まれていて、そこには偶然さえ介在できない運命などと呼べないものではあるが確かに出会った。

 一人ずつ仲良くなれば良かった一学期とは違って、これからは四人でどんな関係を維持するのかを考えなくてはならない。もしくはどう変化するのか、を。

 最上の言葉で一気に自分の中の迷いのような状態に引き戻された。今しばらくは幻想の中にいたかったのだけど――

 

「ん?」

 

 肩から腰のあたりにかけて、温かい感触。

 ベンチに置いていた手が急に包み込まれて、思わずその手を握り返した。 

 最上が先程まで握りこぶし二つほど空いていた距離を詰めて、手を繋いできた。


「最上、その、なんだ」

 

 どうして手を繋ぐのかとか、珍しいなとか。

 聞いてみたいこと、言ってみたいことは幾つか頭の中に浮かんでいた。

 しかしそれをそのまま告げるのは果たして正解かと言われると、「女の子の扱いまだまだだね」なんて言われそうなのでどう言葉にしたものかしばし迷う。

 最上はいつものイタズラっ子の笑顔九割と、照れや恥じらい一割みたいな顔で聞き返す。

 

「どうかした?」

「……いいや、なんでも」

 

 スキンシップって時に単純に順位付けが出来ないものだと思う。どちらの方が親密であるとか、そういう比べられるものではないのだろう。

 何故そんなことを思ったかといえば、普段最上がふざけてする腕を絡める仕草の方が密着度は高いからだった。胸も当たってる。なのにこちらの方が緊張するし、ドキドキもする。

 こちとら彼女いない歴=年齢を更新し続けているものだから、女子と触れ合う機会が増えたのはここ数ヶ月だ。

 そこにきてこれだ。

 

「そういう時はどうするか、教えてあげようか?」

 

 最上が横からからかってくる。

 これ人によっては理性崩壊してると思うんだが。ほんと。


「男慣れしてそうな発言は似合わないでいて欲しいところだな。初心な可愛さは前の二人に任せたくなったか?」

「これはあれだよ、まだ健全なお付き合いしか、それも西下しか知らないからできる無謀なおふざけってやつだね」

 

 そう言いながら繋いだ指先を絡めてもぞもぞと動かす。

 

「危険な賭けを。結構くるものがあったんだけどな」

 

 具体的には思わず抱きしめそうになるほどには。

 

「それはそれは、誘惑しがいもあるってもんよ」

「これからもっと過激になりそうなのを喜べばいいのか、苦笑いすればいいのか」

「苦笑いしたらそこは喜ぶとこでしょ! って言って、喜んだらバカ! 変態! っていいながら殴ればいいんでしょ」

 

 見事にお約束の反応を持ち出してくる最上。

 キャラは統一した方が良いのではないだろうかとは思うものの、それでも言われてみたいというのは悲しい男のサガというものか。

 

「どちらも捨て難いな」

「でしょ」

 

 なんともしまらない残念なやりとりの中、最後を飾る、連続して打ち上げられる段階に入る。

 先程から既に、少し離れただけで声が聞こえなくなるほどに音と光の中で寄り添うようにして会話していた。

 

「よくあるじゃん、最後の花火に合わせて告白するんだけど音で聞こえないやつ」

「私たちがやったらどっちにしろ口の動きと目だけで何言ってるかわかるし、わからなくても察しちゃうでしょ。意味無いよ」

「いやいやいや。告白なんだから本来聞こえるべきであって、むしろ聞こえないのはラブコメを引き伸ばすためのアクシデントじゃねーのかよ」

 

 自分たちのことをまるで人事のように面白がった会話がピタリと止まる。

 しまった、言いすぎた。

 そんなことを思ってしまったが最後、それを最上に察せられてしまった。

 

「ふぅん、じゃあ言ってみる?」

 

 それはもう、嬉しそうに。

 これで言わされたら一生からかわれそうだし負けた気分になること間違いないだろう。

 もしも、もしもここで言ったら最上が赤面して慌ててくれるのであれば言うのもやぶさかではないが――

 

「おーー!」


 歓声と拍手、最後の花火が上がった合図だ。

 言うとしたら今しかあるまい。

 今まで花火りも気を取られていた最上からあえて花火へと完全に視線を戻す。

 すると花火は半分しか見えなくなっていた、二人の人影によって。

 

「西下、くん……?」

「あいっかわらず仲いいことで」

 

 困ったような顔をした東雲と、呆れたような諫早がすぐ前に来ていた。 

 

「ざーんねん」

 

 そういって舌を出す最上に、やっぱり弄ばれている気がしてならないのだった。

 

 

 

 

 

 

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