第73話 祭囃子に身を寄せて
諫早が切れた鼻緒を結び直した。
器用なものだ。こういう時は跪いて結んでやるのも一つの在り方なような気もするが、その機会は訪れなかった。
少し大きくなった結び目に違和感があるようで、足をぐりぐりと動かしている。
そして俺たちを見上げて、何も言わぬまま三秒ほど固まった。
「……えっと、三人は?」
双子と母親の居場所を俺と東雲に尋ねた。東雲はオロオロとしているので、俺が答えた。
「向こうだな」
あまりにも適当な返答。
その方向には当然、目的の姿は見えない。店に並ぶ人の列があるだけだ。
「いないんだけど」
「さっき見失ったからな」
「私なんて置いてって追いかければよかったのに」
言葉は実に素っ気ない。
東雲がしどろもどろに弁解しようとする。
「えっと、その、置いていくのは……」
「いやいや、諫早。俺たちがお前のお母さんと双子を追うのは変だろう」
冷静に考えてみれば。
俺と東雲は「諫早千歳の友達」である。よって、双子とお母さんとの関係もまた、友達の弟妹、友達のお母さんにすぎない。
つまりここまで惰性で歩いてきたのは諫早についてきたにすぎず、よって諫早から三人が離れたところで俺たちが諫早を置いていくのは変な話だ。
と、説明するとそんなところだ。
実際に諫早にはさらにかいつまんだ話をしたわけだが。
「じゃあ追いかけて……携帯で連絡取ればいいか」
手元の携帯を開いて、電話をかけようとしている。これだから文明の利器は。いや、便利になったことに怒るのはおかしいんだけど。
しかし諫早はといえば、その手元の携帯を見て固まった。ここまで動揺するのは珍しい。
「お母さんから連絡でも来てたか?」
「どうしたの……?」
東雲が下から顔を覗き込むようにして問いかける。すると諫早が慌てて携帯を閉じようとする。
「別に覗いたりしないよ……」
東雲は覗かないよな。世の中には覗く人間がいるから諫早の反応も仕方ない。だから心外だと口を尖らせるのはやめてやれ。可愛いが、諫早が軽くショックを受けてるから。一瞬でもお前を疑ってしまった自分自身に。
諫早はまるで無実を示すかのように、携帯を開いて東雲へと見せた。本当に反射であの反応だったんだな。見られてもいいのかよ。
「ふふふっ」
メッセージを読んだ東雲が笑う。
「余計なお世話だってのに……」
「私は千歳ちゃんと回れて嬉しい。それとも、嫌だった……?」
「そんなこと――」
否定のしづらい聞き方をする。東雲も最近、諫早に対して最上みたいなことを言うようになった気がする。小悪魔系だな。影響を受けたのだろうか。
やはり意図的だったようで、てへ、と舌を出しそうな口調で続けて謝った。
「ごめん……意地悪、だった」
くるくると話す東雲が珍しくて、しばらくその会話に割り込むことなく聞いていた。
どうやら俺らと回るようにとかその類のメールらしい。もう合流は不可能だろう。
俺はそれを素直に喜ぶべきか。
諫早が逆に俺たちといくことを嫌になるという可能性も考えられる。やるなと言われてやりたくなり、やれと言われてやる気をなくす。勉強でよくある。
久しぶりに、そんなことを考えた気がする。戦略や駆け引きが必要なくなってきたのは距離が近づいたことなのだとそう思いたい。
「ま、いいよ。あんたらに付き合う。いい?」
諫早の確認に、ほっと安堵の息が漏れる。思ったよりも気を張っていたらしい。東雲は緊張していなかったようで、俺の方を見てクスリと笑う。
「西下くん。よかった、って顔してる」
「そんなにわかりやすかったか、今」
自覚の足りない俺の背中を、諫早は急かすように小突いた。
お祭りという行事には、最も諫早が適応していた。
俺と東雲はどちらかと言えば、インドア派だ。意外というよりは必然なのだろう。
金魚すくい、射的の二つをやりたいと言い出したのも諫早だったし、一番うまかったのも諫早だった。
「うまいもんだな。コツとかあるのか?」
「千歳ちゃん、すごい……」
すくった金魚をナチュラルに東雲に渡したのを見て、かっこよさで完全敗北したなと思いながらたずねる。もともと俺はスタイリッシュさとは無縁なんだ。許せ。
東雲が目の前まで金魚の入ったビニールを持ち上げて中で泳いでいるのをキラキラした目で見ている。可愛い。
俺は諫早の手が空いたところで、買ってきたフランクフルトを一本渡す。
「失敗できないとこに自分を追い込むことかな」
「お、おいこむ……?」
「……金魚すくいと射的だよな?」
東雲が驚いた。予想よりもいささか物騒なコツが飛んできて、俺も思わず当たり前のところを確認した。
諫早は気まずそうに、いや、気恥ずかしそうに視線を逸らして溜息のように答える。
「……翔と双葉が取らないと泣くんだよ。あれが欲しい、これが欲しいってね」
いいお姉ちゃんだな。
「慣れない時は屋台の人もおまけだなんだの言って外してもくれてたからなんとかなってたけど」
「屋台の人、優しかったんだね……」
東雲の優しかったという評価が適切なのだろうか。
それは、いつまでも期待できないし、するものでもないか。
いつでももらえるとは限らない。となるともらえなくなるより前に、ある程度技術を磨くしかないという。
なんとも微笑ましいことだ。
一人っ子の俺は弟や妹がいる感覚はわからないが、あれだけ年が離れていれば可愛
いものなのだろう。
そういえば最上にも妹がいたような気がする。いまだ出会ったことはないので、顔も知らないが。
「今では普通に取れるようになったてか」
「まあね」
今は俺と東雲が弟と妹か。
諫早お姉ちゃんとか呼んだら……うん、ダメだな。
「私にも、教えてくれる……?」
東雲がおそるおそる頼むと、諫早はわずかにムッとした顔をした。
「欲しいんならとったげるけど?」
「自分で取りたいな、って……」
その一言で諫早はすっかり期限を損ねてしまった。自分がいないことを想定した頼みごとに聞こえたのだろう。自分がいなくてもとれるように、と。
違う違う、諫早。東雲はそんなことを考えてはいないだろう。
二人が見事にすれ違ってるのを見て、俺は思わず笑っていたらしい。
「何笑ってんの」
ジロリと睨まれ、八つ当たり気味に。自覚があるのか攻撃的ではないというか、むしろ弱っているかのようだ。
「いや、仲良いなって思ってさ」
――東雲が教えてと言ったのは、お前と近くにいるためだよ。
東雲には聞こえないように、こっそり教えてやると珍しく顔を真っ赤にして抗議した。
「はぁ? わざわざなに?!」
「えっ、どうしたの……?」
声が急に大きくなったものだから、聞こえてしまったようだ。
まさか自分のことだとは思わない東雲の素朴な疑問に答えようとする。
「それがな、諫早がさ――」
即座にバラそうとした俺の口を、諫早が後ろから塞いだ。
「言わないでもらえる?」
いつもよりドスのきいた声で脅してくる。可愛げがないのが可愛い。
「千歳ちゃん?」
「大したことじゃない。諫早が東雲好きだって話」
先ほど渡した齧りかけのフランクフルトを口に突っ込まれて塞がれる。これ以上余計なことを言うなとばかりに。ご丁寧にもマスタードとケチャップつきだ。
美味しい……じゃなくって、そこは間接キスに顔を赤らめてむせるところだったか。一口かじった後はよく味わって飲み込んだ。
そのまま俺の口から引き抜いたフランクフルトを自分で食べようとした諫早だったが、東雲がじっと見てくるものだから誤魔化すようにその先を差し出した。
その光景を楽しく見守っていると、突然ポケットの中でスマートフォンが振動した。
「ん? 誰かからメッセージが……」
そこにあったのは意外な名前だった。話すことはほぼなく、だが顔と名前は知っている。しかし名前は意外でも、送られてきた内容を見て合点がいく。
「はは、ははははは」
脱力感、そして奇妙なおかしさに笑いがこみ上げてきた。
二人に妙な顔で見られており、弁明しなくては、と画面を見せるのだった。
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