第72話 二度あることは

 俺としたことがなんてことを……そう、あれは間違いだ。

 いや、後悔はしていない。むしろ過去の俺にグッジョブと言いたい。一つ間をおいて赤面した東雲の顔は到底忘れられそうにない。唇にわずかに触れた指先のぬくもりも、口の中に残るほのかな甘さもすべてが鮮明に焼き付いていた。

 もともとおしゃべりではない東雲は一層無口になって、先ほどからこちらを見ようとはしない。黙々と少し後ろをついてくる。歩く速度を調整するも、その距離が縮まることはない。はぐれぬようにとだけ気を付けながら人の流れに身を任せる。

 この様子を見て、「嫌われたかな」とか、そんなことを思うべきなのだろうか。


 ふと目に入ったのは神社の入り口だった。巫女服を着た女性がお守りを売っている。

 赤、白、紫と色鮮やかな棚に人が集まり、せわしなく入れ替わっていく。そのすぐ近くで楽しそうにはしゃいでいる高校生の三人組がいた。高校生ぐらいというのは見た目からの予想だが。


 ふ、と後ろから裾をつかまれる。


 東雲が俺と同じ方向を見つめていた。

 一緒にいるときに他の女子を見るなんて、という嫉妬からくる非難や抗議の類ではないようだ。むしろ俺に関係のない、あいつら自身に向けられた関心……ということは、つまり、知り合いか?


「一緒に、来て……くれる?」


 何かを決意するように、口をきゅっと結んで尋ねた。

 もちろん、と答えた、つもりだった。声は出ていなかったが伝わったらしい。そのまま前にゆっくりと歩いていく。

 まあ普通のやつでも勇気のいることかもな、知り合いに異性と二人きりの状態であいさつしに行くというのは。気負わない子もいるだろうけれど、東雲はどうだろうか。

 近付いてきた東雲を見て、明らかに表情の変わったやつがいた。驚きと困惑、どうしてここにいるのだと顔にありありとかかれていた。


「ひさし、ぶり」


 やっぱり、か。

 だとしたら、昔話に花を咲かせることもあるのだろうか。

 そんな予想はまるで的外れであることは、今の東雲を見ていれば誰でもわかるだろう。懐かしさに喜ぶ様子ではない。


「ひさしぶりだね。そっちは元気、みたいだね」


 声をかけられた彼女も歯切れ悪くぎこちない挨拶を返す。

 そのわずかな間でちらりとこちらに視線が向いた。


「うん。堤さんも元気、そう……だね」


 二人は「またね」と小さく手を振る。


「いいのか?」

「うん」


 俺の確認に迷うでもなく首を小さく動かして、後ろを振り向くことすらせずにその場を離れた。

 後ろでは「友達―?」「うんそうなんだ」などと言い合う声が聞こえる。


「何かあったのか?」


 俺がそう声をかけると、東雲は俺の陰に隠れるように動いた後、こくりと頷いた。


「小学校の頃の……友達」

「喧嘩別れでもしたか?」

「ううん……えっとね……」


 ゆっくりと東雲が語りだす。それは甘さの足りない告白のような、胸につっかえたものの吐露のようでもあった。

 もしかしたら、ずっと心のどこかにあったのかもしれない。その推測は語られた内容を聞くにつれて確信に変わる。

 東雲が言うには、彼女とは小学校の頃にちょっとしたことで気まずくなってそれ以来、話さなくなっていたのだとか。

 きっかけは父親について愚痴るクラスメイト。二人はそれを聞きたくないと感じた。しかしそれは別の理由で、東雲の理由に気づかぬまま彼女は父親の自慢という形で東雲の地雷を踏みぬいた。うまく抗議もできずに言葉を濁した東雲に、友達は気分を害し、気づいた時には、言葉を失っていた。

 些細なことだと、今から、第三者から見れば思ってしまう。でも当時の本人たちからすれば、それは話さなくなるに足る出来事だった。


「もう、いいのか?」


 ここで話し込んでわだかまりがとけるなら、それもハッピーエンドなのではないか。

 おせっかいかもしれないことをつい衝動的に訊いてしまう。


「うん……楽しそう、だったし……」


 ここで、「向こうはもう気にしてないだろう」と声をかけることはできない。本人を見てしまったがゆえに。

 だから俺は、少し遠くに目をそらしながらこう言った。


「話せてよかったな」


 目をそらした先では金魚をすくって喜ぶ小さな子の姿があった。長方形の小さなプールの中で赤、白、黒の金魚が踊るように泳いでいる。

 目がちかちかするような気がして東雲に視線を戻す。すると東雲も同じ方向を向いていた。そのまま前を向いたままではあったが。

 

「……うん」


 小さく、でもはっきりと頷いた。

 

 ◇

 偶然もあるものだ。

 しかしよくよく考えれば、別に偶然というほどに確率の低いことではなくて、むしろ必然とさえいえるのであった。

 今日、大きな祭りがあるのはここだけ。ほかの大きな祭は距離としてはやや遠い。つまりはこの付近の学生は夏祭りと言えばここに来るわけで。

 屋台が立ち並ぶ参道、神社、そして花火が見られる場所は一つの道となって続いている。歩いていれば知り合いに出くわすのは時間の問題であった。

 と、そんなことを考えていると。


「また誰かに出会いそうだよな……なんてな」

「あの、西下、くん……?」


 東雲がおずおずと指す。その先にいたのは小さな子たちであった。


「ん? あの子たちって……?」


 男の子と女の子だった。すごく見おぼえがある。あれは、双葉と翔、諫早の妹と弟だ。

 気づいたところでばっちり目が合う。二人は口角をあげて目を見開き、こちらへと迷うことなく突撃してきた。


「おっと」

「わっ……」


 翔がこちらに、双葉が東雲に飛びついた。

 俺に続いて東雲が慌てたように微かに声を漏らす。


「こらっ、翔、双葉っ!」

「すみませーん」


 どうやら走り出した二人が俺たちにぶつかったと思われたらしい。二人の母親と……当然のように姉である諫早の声が追いかけてきた。

 石畳の上を小走りで来た諫早とそのお母さんはこちらを見ると目を丸くした。


「もしかして、この前……」


 諫早のお母さんが俺たちのことを指さしかけて、やめる。

 俺と東雲は二度目の自己紹介をする。以前は諫早を尾行ストーキングしていてそのまま招かれた時だったっけ。


「お久しぶりです、西下です」

「東雲、です」

「諫早も着物、似合ってるぞ」


 お母さんが着せたんだろう。もしくは双子にお揃いをせがまれたか。自分から着るようなキャラでもあるまい。俺の褒め言葉に照れも慌てもせず、平然として礼を言うものだからこちらとしてはよろこんでいいのやら。


「なんであんたたちが……ってああ、そっか、来るって話だったね」


 後ろから諫早が呆れたように問いかけて、すぐに自分で答えた。

 ちょっと待て、忘れられていたのか。少しはこちらを気にしてくれているかと心のどこかで期待していたのだけどな。こう、「会えてうれしい!」みたいな反応をしてくれると……いや、それは諫早ではないな、うん。それにそもそも、誘われて断ったやつと鉢合わせした諫早はむしろ気まずい側であろう。


「つれないな、祭りは楽しめてるか?」


 やや卑怯な聞き方をすると、諫早はそっぽを向いて、まだ花火も始まっていないのに、みたいなあいまいな答えでごまかした。

 諫早のお母さんが意外そうに「驚かないんだね」とつぶやく。


「それより千歳、あんた誘われてたなら遠慮せずに行けばよかったのに」

「だって……」


 諫早はちらりと弟と妹を見る。しかしその理由をはっきりとは口には出さない。それもそうだろう、本人たちの目の前で邪魔者扱い、自分がいかなかった責任を押し付けるようなことを言えるはずもない。

 どうする、どうすればいい。

 諫早が、俺たちと祭りをめぐりたいと、そう思ってくれている。その前提条件を信じないことには話も始まらないだろう。

 諫早は家族と俺たちを天秤にかけることそのものに罪悪感を覚えているのだろう。どちらかを選べば、自分の中でどちらが上か宣言するようなもので。その場合、自覚している気持ちの上では家族をとるだろう。

 それを、責める気持ちは微塵もないのだけれど。

 それでも、気にしてしまうのも諫早千歳という人間で。


「西下、くん……」


 不安げに、何か言いたげに東雲がぎゅっと俺の服をつかんだ。目が潤んでいて、唇がつんと出ている。

 ――かわいい。……じゃなくって。いや、東雲はかわいいが、ああもう、考えていたことを忘れかけてしまっていた。

 混乱する俺のことを、面白そうに諫早のお母さんは見ていた。

 双子は焼きそばに目を奪われているらしい。諫早がもう綿あめがあるでしょ、とたしなめている。諫早の手には綿あめがあってそれはよく見たら二つだった。どうやら双子のものを持ってっていたらしい。


 このまま諫早家とご一緒にというのが、諫早のことだけを考えるなら最善策のような気もする。


「では一緒に――」


 言いかけて、一歩踏み出したところで諫早が「はぁ?」って顔をした。

 すごい目で睨んでいる。いつ帰るのかと催促する目だ。作戦は失敗、退避、退却。

 そうか、だめか。


「だいたいこうなるとわかってたら……」


 諫早はわかっていたらどうするというのだろうか。

 実に腑に落ちないといった風情で、俺たちに聞こえるかどうかといった小さな声でつぶやく。

 カクテルパーティー効果ではないが、それでも諫早の声はお祭りの中にあって聞こえた。聞こえなかったふりをして、別の方向へと尋ねた。


「翔、双葉、お祭り楽しいか?」


 しゃがんで目線を合わせる。つられるように東雲もしゃがむ。

 すると二人が諫早のもとからするりと抜け出してとてとてとこちらに近寄ってきた。


「うん!」

「たのしい!」

「そりゃよかった」

「でも……」


 少し二人は戸惑うように眉をひそめて、俺と東雲の耳元に顔を近づけた。

 祭囃子が聞こえなくなる。それは目の前の可愛らしい内緒話に耳を傾けたからだろう。


「あのね、さいか、ふみかおねえちゃん」

「おねえちゃんがもっとわらってくれるともっとたのしい」

「でもどうしていいかわかんないの」


 照れるように、もじもじしながらそんなことを言う。

 東雲は目を細めて「そっか」とほほ笑んだ。


「お姉ちゃんはお前らのこと好きじゃねえか」


 だから一緒にいて楽しくないわけではないと思うぞ。

 だから……たとえ、ここから離れても、それはお前らといるのが嫌だからじゃない。

 そう、口に出してやりたかった。けれど、たぶん言わなくてもわかっているのだろう。だから、そんなことを内緒話で俺に言うんだろう?

 諫早は罪なお姉ちゃんだ。こんなかわいい弟と妹に、ここまで言わせて。


 そのほほえましい様子に、俺も心和ませていると翔が急に駆け出した。


「こっちにお面あるよ!!」

「ほんとだ!」


 翔に続いて双葉が後追いかける。人の群れを起用にすり抜けて、するすると見えなくなってしまった。まるで神隠しだ。


「あっ、こらっ!」


 諫早のお母さんは二人を追うようにして、駆け出す。

 諫早も後に続こうとしたが、草履の鼻緒が切れた。

 東雲が迷っていた。このまま諫早をおいて先に行くべきかを。

 先に行けば東雲と俺は前の三人を見失わずに済む。その背中を追いかけて諫早も鼻緒を結んだ後からこれるかもしれない。しかし失敗すれば、それは諫早を一人にするだけだ。だから躊躇うのは当たり前のことだった。

 俺の顔を見て「どうする?」と目で訴えかけてくる。

 俺は黙って首を横に振った。いいや、いかなくていい。

 そして俺たちは実に順当にはぐれた。

 問題ないだろう。双子を追いかけるとき、一瞬振り返った諫早のお母さんの顔は俺たちを心配するようなものではなかった。

 その顔はたしかに、俺を見て笑っていた。

 






 




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