第71話 プロローグはイベントよりも前に
つぅ、と汗が流れた。
やはり暑い。木の影にいるとはいえ夏の日差しは気温を豪快に上げている。
最上からの返事がきた。もちろん断られた。そこには「ごめーん!」と明るい謝罪に、両目を瞑った顔文字がつけられていた。
そう、それでいい。
「なんて説明したらいいんだろうな……」
持っていたハンカチで汗を拭う。目のあたりにきたところでその手を止め、視界を塞いだ。
「二人きり、か」
決して、今の状況が嫌という訳ではない。
東雲と二人でいく夏祭り、楽しみだ。どんな格好できてくれるんだろうか。浴衣なら俺も合わせた方がいいのか。私服もいい。
多分、どんな格好をしていてもいいって言ってしまうのだろう。
どんな屋台が好きか聞いたことなかったな。
——花火を見て、どんな
とりとめのないことが、次から次へと浮かんでは消える。
だからあえてこう言うべきなのだ。
誰かがいないと不幸なのではない。
誰といると幸せになれるのか、だ。
二人がいないことを嘆くのではない。
いないことを基準に、いると嬉しい。
マイナスではなく、プラス思考。
それでいい。それがいい。
ここしばらく、三人がいることが当たり前のようになっていた。つい半年前は、最上と二人で教室で話しているだけだったのに。それより前は、一人で過ごしていたというのに。
それは慣れたとか、いろんな言い方ができる。ただ、多分、仲良くなってきたということでもあるのではないか。
ただの願望かもしれないが、それぐらい自惚れてもいいだろう。
◇
花火大会は高校から二駅ほど離れた河川敷で開催される。そこから最寄りの駅で待ち合わせた。ここからは歩いていける距離だ。
「よく似合ってるな、東雲」
華やかなものだった。祭りといえば浴衣、というイメージこそあるものの、それはあくまでイメージにすぎないと思っていた。固定観念もしくは想像で、現実には出てこないものだ、と。
だがいざ、東雲が着ているのをみると何やらこみ上げてくるものがあった。
「あ、えっと、あの……あまり見ないで……」
「何恥ずかしがってるんだよ」
「私、こういうの着るの慣れてなくて……」
東雲いわく、母親が嬉々として着せてきたのだとか。
母娘が何かある事に綺麗なもの着せたいってお母さんは結構いるよな。俺という息子しかいない我が家にはあまり縁のない話ではあるが。東雲のような娘さんならさぞかし楽しかろう。
ありがとうございます、東雲のお母さん。心の中で拝むだけだが、今度会ったらお礼を言わねば。いや、言ったらダメか。
「慣れてるやつはそういないだろう」
「うぅ……」
「祭りだからってちょっといつもと違った格好してるんだよ。ほら、周り見てみろ。他にもいっぱいいるから気にすんな」
しまったな。
東雲がこんなに恥ずかしがるなら、予め服装聞いて合わせればよかったのか?
いや、予め聞けばきっと普通の服で行くとそう言ったに違いない。言ってしまえば、その日の勢いで着せられてくることもないだろう。
なんとなく、話題に困って改めて東雲に伝える。
「最上と諫早は一緒には来れないってさ」
「みたい、だね」
いつもの間。
「二人で行くことになるが、構わないか?」
「うん、いいよ……?」
何故そんなことを聞くのだろうか。
そんな疑問が東雲の顔には浮かんでいた。
それを、じっと見ながらふと思う。
他者の目を気にする人間は、人によって見せない面を決めているのか、ということを。
だとしたら複数の人間の前では見せない面が増えた結果、より本来の性格が隠れるのだろうか。
二人きりの時が、自分にとっての素直な状態で、他の人と二人の時を見れはまた違う面が見られるのではないか、とか。うまく言葉に出来なかった。
「そうか。まああいつらの分まで退屈させないようがんばらせてもらうよ」
「えっと、あまり見られると恥ずかしい……し、そんなに気を遣わなくていいよ……それより、西下くんが楽しい方がいい、かな……」
「気をつかってるってわけじゃないんだけどな」
東雲がそう言うなら露骨にならないように気をつけよう。
だんだんとこれまでは前を見ていた人たちが横や遠くを見るようになる。そう、祭りの賑やかな場所へとやってきた。
道に沿って並ぶ色とりどりの店を見て、東雲に声をかける。
「おー屋台出てるなぁ」
「本当だ……」
「何か食べたいものとかあるか? りんご飴とか、カステラとか。綿菓子もあるぞ」
「ふふ」
東雲が息を漏らすように笑うものだから、思わず尋ねる。
「どうした?」
「だって甘くて、可愛いものばかりあげるから。西下くん、甘い物好きなのかな、って……」
「……ああ。だって東雲が好きかなって思って」
「好きだよ……?」
「なら良かった」
歩きながら軽く食べるのに、がっつりお好み焼きやらを食べるのは如何なものかと思っただけですー。
や、俺が拗ねる必要はまるでない。俺が無意識のうちにふわっとしたイメージを押し付けていた気がして自己嫌悪したような、そんな感触。決して胸が苦しいほどの罪悪感ではないけれど。それでも胸を張ってそのまま伝えようと思えるほどにいいことだと思えなかった。それだけだ。
祭りのお遊びは慣れていない。もっと器用だったら、射的や金魚すくいでカッコいいところも見せられるんだけどな。せいぜいオマケが貰えるだけだ。それはそれで楽しいだろう。
「西下くん……あれ……」
東雲が珍しく興味を示したものがあった。
屋台の前では大人や子供が熱心に小さな板をつついている。
「お、型抜きか、珍しいな」
最近はめったに見なくなった、と口にするのは大体俺たちよりも年上の人ばかりで。そもそも見る機会がほとんどない世代にとっては、無い方が当たり前のものだった。
「初めて見た……」
「名前は知ってたんだな」
「本で名前ぐらいは聞いたことある、かな」
あれはいつだったか。一度だけしたことはあるんだ。結果はどうなったか覚えてはいない。ただ、集中力が要る遊びだったことだけは薄らと思い出せる。
東雲は未知の体験に顔を輝かせる。あちらに顔を向けたまま、歩みがゆっくりになっていた。
「やってみるか?」
「いいの……?」
やりたかったんだな。
「祭りだぞ。遊んで悪いわけがあるか」
「じゃあ、西下くんも一緒なら」
一人でするのは気が引けたらしい。
東雲がしている様子を見ているのも楽しそうだとか、そんなことも思いつつそれぐらいならいいかと承諾する。
屋台に近づき、人が少なくなったところでおっちゃんに貰う。東雲は木を、俺は魚の形を選んだ。
ちまちまと彫られた溝をつついていく。邪念が混じらぬように。隣に東雲がピッタリひっついているせいで邪念は振り払えない。これはダメだな。出来る気がしない。
半分ぐらいまではなんとかなったが、変なところで力が入った。
「あっ……失敗しちゃった……」
隣では同じぐらいのタイミングで東雲も割っていた。
「俺も今ちょうど失敗したところ」
「あぁ……」
すごく残念そうにため息をもらすものだから、成功した時の賞品に欲しいものでもあったのかと橋から眺めていく。目に付いたというか、見当を付けたのはしおりだった。なるほど。可愛らしいしおりだ。
「難しいからな。初めてだしそんなもんだろ」
「えっと、これ、どうする……?」
東雲が僅かに割れた型抜きの欠片を人差し指と親指でつまんで持ち上げる。持ち歩けるものではないし、ましてや保存しておけるようなものではない。一応食べたくない人のためにゴミ箱も用意はされているが。
「それ、食べられるぞ」
「えっ、ほんと……?」
それは知らなかったのか。いや、俺が知ってる知識ではなので、時代の変化と共に食べられなくなっていたら知らないが。おっちゃんの方を見ると小さく頷いた。食べられるんだな。
周りでは終わった人が確かに食べている。
東雲は食べられると聞いて、しばし迷う。
俺の前に一番大きな欠片をおずおずと差し出す。
「じゃあ……西下くん、食べる……?」
上目遣いで先程の持ち方のままだった。
その手から直接食べる。指先に、僅かに唇が触れてしまった。
「あ……」
「あっ」
俺たちがその場からそそくさと逃げ出すように立ち去ったことは言うまでもない。
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