第70話 第2のプロローグはわかっていても

 プールはアクシデントこそあったものの、まずまずよかったと思う。 何も事故はなく、ひとしきり遊んで疲れて帰ってきた。

 楽しかった。ほかの三人も楽しんでいた……はず。そこに少し自信がないのは、知れば知るほどに三人が決して単純で簡単な人間ではないからだろう。勝手に予測して、分かったような気になって内心を決めつけるとどこかで失敗しそうで怖くなる。

 鈍感だ、と春の俺が見れば言うだろう。

 分かっている。分かっていないフリをしているつもりさえない。ただ、考えすぎないようにしているだけだった。

 

 ◇

 

 八月半ば夏祭りがある。

 それを知ったのは、一枚のチラシだった。手薬煉に見せられたそれは、花火が打ち上げられた夜空の写真が面積の殆どを占めたものだ。日時、場所、名前が載っている。納涼、などとキャッチコピーがあるのだろうか。団扇があれば完璧だ。


「俺にそれを見せてどうしようと。誘ってるのか?」

 

 食べていたカレーを吹き出しかけて、手薬煉はむせた。慌てて水を飲んで、違う違うと否定する。

 今の様子を是非将棋部の後輩に見せてやりたいものだ。本日は午前で部活は終わりだそうで、とっくに帰っているとは思うが。学校からそう遠くもないこの場所に偶然来ている可能性も捨てがたい。

 

「西下には最上さんがいるじゃん。どうやって僕は誘おうかと思って」

「夏祭りがあるそうですよ、行きませんか? じゃ来てくれそうにないってことか?」

「そうとまでは言わないけどね」

 

 俺は恋愛経験豊富なわけではないし、例え豊富であっても今の手薬煉に正解を示せる奴がいるのだろうか。

 

「お前も難儀な恋愛してるよな。以前よりは素直になったんじゃねーの?」

「まあね。でも、変わってないよ」


 手薬煉足法は恋をしている。

 そう言うと、酷く語弊があるというか、齟齬が生じかねないというか。恋とひとくくりにすることに抵抗があるのは、恋というものの定義がひどく曖昧だからなのだろうけれど。好きな相手がいるというのは事実ではある。

 だがしかし、その人と結ばれたいかと言われれば違うのだとそのように答える。

 まったくわからないとまでは言わない。だが、俺ならほかの誰かと結ばれることを応援するだけの恋など、報われないこと甚だしいと思ってしまう。それは俺がまだ高校生で、いろんな愛の形を知らないからなのだろうか。

 それでも、友人のことを応援してしまう。

 形がなんであれ、結末がどうであれ。

 彼に幸あれ、と。

 

「そんな目で見てくれるところありがたいけど——」

 

 手薬煉が察したらしい。

 伝わるようにしているからでもあるが。

 

「——西下だって、誘わないとって思ってるのは一緒だよね」

「まあ、な……」

 

 二人、顔を見合わせて呆れたように鼻でため息をつく。

 実に男子高校生らしいため息だと思った。

 

 ◇

 

 帰った手薬煉を見送り、暇なのでぶらぶらと高校から少し歩いたところにある公園へとやってくる。

 グラウンドにはバスケットゴール、隣には体育館。運動公園とも呼ぶべき場所ではあるが、山と住宅に囲まれて場所は分かりづらいものだった。鬱蒼とした木々の隙間からテニスコートが見えてくる光景は隠れ家的な良さを出しているとも言えるが。バスケ部やテニス部が無料で使えたり、体育館を借りられるものだから度々ここに来て練習しているらしい。

 運動部どころか帰宅部の俺にはあまり縁のない場所でもあった。

 

 ここに来たのは単に、日中座っていても目立たないからだった。

 手持ち無沙汰なものだから、ベンチに座ってスマートフォンをいじっていた。

 

「誘うか」

 

 何度目かにはなるが、未だに慣れない。世間一般の男女気軽に遊んでる奴らはこれを何度も繰り返しているのかと思うと尊敬ものである。

 

 まず東雲にメッセージを送った。

 この段階ではまだ誰も誘えていない。東雲が、「他の二人は?」と聞くものだから、「これから誘う」と答える。特につつがなく、お誘いを受けてくれた。楽しみだ。

 

 しかし諫早には断られてしまう。

 どうやら家族と行くらしい。「ごめん、家族と行くから」と返ってきた。以前のことで、思うところがあったりしたのだろうか。それとも純粋に、家族で行こうとなって断る理由もなかったのか。プールの時に見た、あの諫早を思い出す。双子のことを気遣い、面倒を見ていた「お姉ちゃん」の諫早を。

 顔文字も絵文字もないのが諫早らしい。だがしかし、今は表情が見えないことが悔やまれた。

 あいつは、どんな顔をしているのだろう。

 少しでも、変化があるといいのだけど。

 

 そして、最後に——

 

「あれ? 西下くんじゃない?」

 

 後ろから声をかけられて、スマートフォンをいじる手が止まる。


伏籠ふしこか」

 

 振り返り、その姿を見て言う。

 あっさりとした印象の、よく言えば落ち着いた、悪くいえば地味な女子。

 

「なんでここに……」

 

 尋ねようとした時、伏籠の目線が俺からそれてバスケットゴールの前でふざけあっている中学生ぐらいの少年たちへと向けられていた。

 

「ああ、そういう」

「いや、別に暇だったから寄っただけだからね?!」

「いいよ、猫被らなくても。つーかこの前、手薬煉に向かってお礼言ってたのに誤魔化せないだろ」

「……はい、男の子たちがキャッキャうふふするの見に来てました」

「大体、趣味でここにきたのバレたくなきゃ、俺を見て見ぬフリだってできたのにな。何か用事があったんだろ?」

「そのことなんだけどね」

 

 俺に戻した視線を再び逸らす。今度はどこにも向いていない。言いにくいことなのだろう。

 

「夏祭り、あるじゃない?」

 

 まさか俺を誘おうというのか。悪い、俺には先約があって……ってそんな訳ないか。

 

「あるな」

「綾のこと、もう誘った?」

「ちょうど今、誘おうとしてる」

「ならよかった」

「何か不都合があったか?」

「ううん。ただね、綾、もう誘われて予定決まっちゃったんだって。相手は同じクラスの女子たち」

「そうか……それは残念だった」

 

 唯一の救いは、相手がクラスの女子というところだろうか。

 

「ああ、いや、だから誘うなとかじゃなくって……」

「わかってる。ちゃんと誘う」

 

 伏籠はありがとう、とお礼を言って去っていった。

 最上はいい友達がいるもんだ。自分と一緒に祭りに行くわけでもない友達のことを、こうして裏で心配している。

 

 その背中を見ないようにして、再び画面に目を落とす。

 

 断られるとわかっていても、誘うのだ。

 それは一時的な意味では最上の負担になるかもしれない。二つのグループから誘われ、どちらかを選ばないといけないということは。

 最上は先約を優先してくれればいい。断っていいのだ。多分それが、最上が一番胸を張れる選択だ。

 俺が誘うのは、長い目で見て俺と最上おれたちのためになると考えたからだ。

 もしもここで最上を誘わなかったとして、後から最上に「最上は予定先に決まったって聞いたから、誘わなかった」なんて言ったところで言い訳にしか聞こえない。まるで、最上に予定が入ったのをこれ幸いと誘わなかったかのようだ。

 しかし、誘っておけば、後でクラスの友達との約束が御破算になった時に俺たちの方に参加できる。お零れを狙うというと、言い方は悪いが保険を用意するのもまた気遣いというものだろう。

 

 多分、最上はそんな面倒なことを言わないだろう。予定が入ったならそれを知った俺が誘わなくても怒らないし、笑って済ませるだろう。

 笑って済ませられるからといって、そういう気遣いを欠いてぞんざいに扱うのが正しいとは思えない。

 だからこれは、二人のためと言いながら結局俺が最上にしてやりたいからするのだろう。

 

 

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