第69話 知ってる

 男たちから離れ、戻ってからも諫早は妙な顔をしていた。

 珍しい。俺の行動に思うところがあればはっきり言うやつだと思っていたが。嫌なことは嫌と。だからこそ、今回自分から参加してくれたその変化によろこんでいたのだし。

 おそらくは本人でさえも何と言っていいのかわからないのだろう。自分がなぜ、何を思ったのかを。

 問題は、本人でさえ分かっていないことを根掘り葉掘り聞くべきなのか。

 迷っていたら、じろりとにらまれた。違う、そんな目で見ていない。だが改めてその肢体を眺めた。


「諫早はスタイルいいよな」


 そして誤解を加速させて、本来の意図から目を背けた。

 嘘ではない。上着によって肩やら背中やらあちこち隠れているが、それでもその健康的な脚線美だけははっきりとわかる。


「うちの子の情操教育に悪いからやめろ」


 諫早がけんか腰なのも教育によくないと――いや、すいませんでした。

 そんなことをいったところで何にもならないのがオチだ。

 だからこうして終わらせる、はずだった。


「ねぇ、綾ちゃん」

「ん? ああ、そうだね。お二人さん、私たちちょっと向こう行ってくるね! 翔君と双葉ちゃんが遊んでみたいって!」

「やったー!」


 最上は言う派、か。

 妙な気の利かせかたにより、あっさりと二人きりに戻る。

 思い返せば諫早と二人で話すことって珍しいな。いつも近くには誰かしらいるような気がする。諫早もまだ俺と二人の状況には慣れていないことだろう。

 

 諫早は髪を後ろでくくっていたことに気がつく。


「お、髪紐か?」

 

 指を指すのが失礼に当たるのかどうか少し迷いつつ、迷って目だけで追いかける。

 

「あんた、細かいとこ見てるんだね……これはそう、買ったの」

 

 どこか隠すようにして抑えた。

 

「誰かと買ったのか?」

「……はぁ、なんであんたは」

「当たり、か」

「気づかないフリしておいてくんない、そーいうの」


 呆れたように言われた。


「悪いことしてるわけでもないのに」

「なんか弱み握られた気分になる」

 

 仕方ない、か。

 友達と遊ぶことが少なかった諫早だ。自分でも自分のイメージみたいなものがあるのだろう。そこから逸れた時、「ガラでもない」とイメージとのギャップに戸惑うのか。強く、周りを遠ざけることで一人になろうとした諫早だ。仲良く、なんてのを認めるにはまだ邪魔をするものがあるのかもしれない。


「東雲と、か?」

「それも正解」

「東雲嬉しそうだったろうな」

「まるで見てきたみたいに」

「東雲の、髪についてるあれ、聞いたことあるか?」

「ううん、全然」


 なんのことだかわからないといったように首を横にふった。


「またいつか聞いてみろ」

「機会があればね」

 

 多分、積極的には聞かないだろう。

 けどいつか聞く機会が来た時に思い出すかもしれない。その時初めて自分が買わされた髪紐の、その価値を知るのだろう。


「やっと普通に話してくれたな」

「そんなに変だった?」

「最上が半笑いで置いていくぐらいにはな」

「最上って私の中では基準にしちゃダメな人間なんだけど」

「失礼だな。化け物みたいに」

「失礼なのはあんたでしょ」

 

 俺は最上のことを尊敬してるっての。なんなら毎朝拝んだっていい。お供えは甘味でいいのだろうか。流石に社は用意してやれないが。


「で、どうした?」

「あーなんってーのかなぁ……」

「俺が連れ出しにいってから、だよな?」

「そう、それ」

 

 額に二本の指を押し当てて、少し寄せる。小さなシワは不機嫌な時の諫早に比べればなんとも可愛らしいものだ。

 

「あんたはさ、私があんたらに二人を押し付けるとは考えなかったの?」

 

 迷った末に出てきた問いかけはなんとも素っ頓狂なものだった。

 

「なんで可愛い、可愛がってる双子を置いていけると思うんだ。諫早はちゃんと面倒見ようとしてるじゃねえか」

「あの時私があいつらに付いていくとは思わなかったの?」

「あんなに嫌な顔してたのにか?」

「あんたは……笑わないの?」

「何を?」

 

 全く分からないでもない。

 だから何のことかわからない、とまでは言わない。ただ、諫早が明確に言葉にしない以上はこちらもこう返した方がいいだろう。


「あんたは見てた? あいつらさ、翔と双葉を見て明らかに表情変わったの」

「嫌な顔してたな」

 

 子どもってそんなに嫌なものか。

 俺にはあまりわからないが、あいつらにとってはそうだったのだろう。

 ならわざわざ諫早を誘うなよ。もっと、楽しく遊べるやつを探してくれ。誰でもいいなら諫早じゃなくてもいいだろう。俺たちは諫早と来たかったってのに。

 

「嫌な顔したいのはこっちだよな。わざわざ引き留められて、絡まれて」

「うん。でも――」

 

 諫早が、こちらを強く見た。

 ほかの音が聞こえなくなった。

 多分、今も多くの人たちがプールで遊んでいる。水着姿で、泳いではしゃいで騒いでいる。

 ただ、やけに諫早の声だけがはっきりと聞こえた。


「――あんたは、嫌な顔しなかった」

 

 何かを見透かされた。最上に感じるそれの、もう少しくすぐったいものを感じて思わず目を背けそうになった。だが無理矢理目を逸らさずに、出てきたのは何故か偽悪的な言い訳だった。

 

「いや、そんなさ、一緒に遊びに来てる奴の身内に嫌な顔しねーだろ」

「どんなに隠しても出るし、どんなに口で色々いっても嫌じゃなきゃ、わかる」

「そうか?」

「そうよ。西下と最上と、文香。誰一人として、嫌な顔しなかった」

 

 笑ってるとは言いがたい、複雑な口元。しかしそれでいて、確かに嬉しそうではあった。

 なるほど。まあ、俺が思っていたよりも、二人のことを受け入れるというのは諫早にとって重い意味合いだったらしい。年の離れた妹弟どころか、兄弟姉妹のいない俺にとっては想像もつかない感覚だ。ただ、理解はできる。


「少し見直してもらえたって感じかな」

 

 冗談まじりにからかった。

 素直になれない諫早ならば、どちらにせよ少しは反論してくるのだろうか。それもいいな、なんて予想しながら。

 だが諫早は。

 

「ま、そうかもね。少しな、少し」

 

 ぶっきらぼうに、小さな声でそう言ったのであった。

 

 ◇

 

 西下と諫早さんを二人置いて、文香ちゃんと翔くん、双葉ちゃんとアスレチックにやってきた。

 水でできた滑り台。向こうにあるウォータースライダーとは違い、大人は入ることができない。対象年齢六歳以下とでかでかと、わかりやすく身長制限の看板もつけられている。

 ほかの子どもたちもいるから、気をつけるようにねと声をかけながら二人を送り出す。気分は公園デビューのママさんだね。


「千歳ちゃん、どうしたのかな……?」 

「戸惑ってると思うよ。多分」

「戸惑ってる?」

「長くいると、ほかの人の目を通して知ってしまう。自分が決めつけてたそれと違って」

「うーん……悪いこと?」

「西下次第だね。ふふふっ」

 

 思わず笑みがこぼれた。

 

「大丈夫だよ。文香ちゃん。二人のこと、気になる?」

「あぇっ、そのっ……変な意味とかじゃなくってね……?」

 

 手を体の前でふって頑張って否定する様が超可愛い。

 ほかの人に見せるのが勿体無いかもしれない。西下にだって見せてやんないんだから。

 みんなで選んだ水着も、文香ちゃんの華奢な体によく似合っている。同じ女として、これぐらい可愛かったらもっとこう、人を惹きつけられたのかな?

 庇護欲をかきたてられる。抱きしめてそのまま頬ずりしていたい。慌てふためく様をわらいながら見守りたい。

 

「わかってるわかってるってー」

「もうっ、わかってない……」

 

 恨みがましくこちらを見る目すら、愛らしくなるのだから反則だよね。少し口が尖っていたり、表情そのままの感情、感情そのままのセリフ。最初に比べて随分お話してくれるようになった。すごく、嬉しい。

 

「ねえ、文香ちゃん」

「どうしたの……?」

「今、楽しい?」

「楽しいよ。なんで?」

 

 即答。戸惑いも躊躇いもない。

 いつも、聞きたくなる。文香ちゃんに限ったことではない。私と一緒にいて楽しい? 嬉しい? いつも確かめたくなるし、言葉にしてほしくなる。

 

「ねえ文香」

「……どうしたの?」

「ううん、呼んでみただけ」

 

 文香ちゃん。

 今はここにいないけど、西下、諫早さん。

 私も楽しいよ。 すっごく。

 

 

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