第68話 二人の攻勢
バスに乗り、市民プールへとやってきた。
ぞろぞろと入れ替わる人の流れに巻き込まれて入り口を通っていくものだから、流れるプールでもないのに皮肉なものだ。
受付で割引券を見せるだとかの一通りのことを終えて、更衣室で着替え、そしてプールに集まった。五百円で借りられる、浮具セットを泳げない組に渡した。
そこまではいい。
だがどうしてこうなった。
「さいかー!」
俺の背中をアスレチック代わりによじ登るのは、諫早の弟、翔だった。そしてぶら下がったり水に飛び込んだりと大はしゃぎだ。
目の前では空気の入った小さなイルカにしっかりと捕まり、東雲に突撃している諫早妹、双葉がいた。
「ちゃんと見といてね」
「わかってるよ」
諫早が言い残して、向こうに飛んでいったボールを取りに行く。コロコロと転がって隣の流れるプールに入った。戻ってくるのはしばらく先になりそうか。
「でも、なあ」
俺は今、プールの中で膝立ちになっていた。それでもしかし、首から上が水の上に出てしまう。そんな俺の首を翔がまるでビート板のように掴んでバタ足するものだから、反動で首が揺れる。酔いそうだ。
このプールは膝立ちでも頭が出るほどに、浅い。ひょうたん型の流れも何もないプールの底は、可愛らしいキャラクターが描かれている。
「どう見ても子供用プールです、ありがとうございます」
「心を読むな、最上」
「いやーあっはははは! そりゃそうだよねー。予想ついたよ」
「ああ、うん、わかってたさ。少しばかり目を背けてただけだ」
泳げない人に泳げる人が教える展開とかはともかくとして。ウォータースライダーとか、流されながらぐるぐる回ったりとかそんなにうまくいくわけないよな、うん。
手で翔に水をかけて、不敵に笑って敵役を演じつつ、溺れたり転んだり、人にぶつからないように見ていた。
まあ可愛いからいいか。別に子供嫌いじゃないし。それに、双葉ちゃんと三人が遊んでいる様子は微笑ましい。
「楽しいか? 翔」
「うん! もっとおよぐ!」
白い歯が見えるぐらいに満面の笑みで答えられてしまえば、俺ももっと遊ぶかという気になるわけで。
わしわしと帽子のない頭を撫でまわす。うむ、柔らかい。子供の髪って柔らかいのはなんでだろうか。年をとって硬くなると言われれば感覚的に納得はするが。水で濡れてツヤツヤしている。
予想していたものとは違うだけで、これはこれで楽しい。せっかく来たんだ。楽しいならそれがいい。
それにしても異様な光景だ。
周りが家族連ればかり、客の年代をグラフにしたらさぞかし二つの山ができていることだろう。そんな中に俺たち高校生が、それも三人もいるとなると浮いて仕方がない。しかしながらメンバーのおかげかはわからないが、周りの見る目は生暖かい。向こうのプールみたいに俺たちが騒ぐことはない。
「和むなぁ」
「西下くん、完全におじいちゃん目線だよ……」
「それだとおばあちゃんはだれかな?」
「え、ええっと、諫早、さん……?」
「多分二人の保護者として適切な順番で選んだんだろうし、それはそれで心そそられる光景なんだが」
「……あっ、いや、そういう意味で言ったわけじゃなくて……」
「東雲でもよかったんだぞ?」
東雲をからかうと、意味が分かっているのかいないのかさだかでない幼児組がのっかった。
「おねえちゃんはおばあちゃん?」
「じゃあおばあちゃんはー?」
「おばあちゃんいっぱい?」
東雲は顔を最上の肩に顔をうずめた。
「う、ううう……もう、綾ちゃん……」
「はいはい。文香ちゃんはおばあちゃんじゃないよね」
「そうだよ……」
恨めしげに睨みつけるもまったくもって迫力は出ない。むしろ和むばかりで、その証拠が東雲の周りを笑いながら騒ぐ翔と双葉だった。
「へぶっ」
「わっ!?」
翔がすっ転んだものだから、水しぶきが上がる。巻き込まれるようにして双葉も転ぶ。泣くかと思われた二人は、それでもケラケラと笑っている。俺たちにももう慣れたのか。こちらとしては必要以上に気をはらなくていいからありがたい。
それでも危ないのには変わりないから、注意だけはしておく。
「気をつけろよ、翔、双葉」
「あはははー」
「いひー」
「あれ? 諫早さん戻ってきた?」
最上に言われてそちらを見ると、どうやらついでに売店で買ってきたらしい。手元にカラフルな包装の飲み物とホットドッグが見える。二つほど小さなバーガーみたいなのもあるがあれは双子用か。
「お、ホントだ」
「私手伝いにいこう、かな」
三人揃って諫早の方を見たものだから、当然の如く双子にも気づかれる。
楽しく遊んでいたものだから油断していたが、やはり姉は特別なようで遊ぶのも辞めてそちらに関心が向いた。ひょいとプールから飛び出して、姉のもとへと駆け出す。
俺は立ち上がろうとした二人を止めるように先んじて立ち上がった。
「追いかけてくる」
お手伝いを二人が申し出る分には良いが、飛びついてこぼしたら危険だ。まずは様子見、危なかったら止めるとしよう。と、二人の後を僅かに遅れて付いていく。
諫早がちょうど陰に隠れたところに二人が回り込む。そこでは諫早が二人の男に話しかけられていた。
「そんなこと言わずに、人は多い方が楽しいって!」
「な? それとも彼氏と来てたりする?」
「は?」
「やっべ。もしかして地雷踏んじゃった? そんな顔するような男なんて忘れてさー」
訂正、絡まれていた。
人を見た目で判断するのは良くない。俺も茶髪にピアス、いかにもなファッションの二人だからと決めつけるのは早いと、疑った見方をしないように努めた。
だがこのやり取りを見てなお、のんきに日和見を決め込むほど馬鹿ではない。
しかし俺より先に双子が到着する。
「おねえちゃん!」
「あん? ちょっと向こういってろ」
「ガキかよ」
怖いもの知らずな双子に、男達はナンパの邪魔をされていらだつ。ため息をつかんばかりだ。
瞬間、諫早の顔が先ほどまでの鬱陶しがるそれから冷めた、軽蔑と怒りのにじんだものになった。ぎろりとにらんでいる。幸いにもその様子に男たちは気が付いてはいない。
「ほら、二人とも」
「あぁ? お前のガキかよ。ちゃんと見とけよ」
「すいませーん。ほら、諫早も行くぞ」
「おい」
「なんでしょう?」
一方後ずさるようにして、距離をおいて聞き返す。
「お前も男なら空気読めよ、な?」
「今このねーちゃん、俺らと楽しく遊ぶ話してんの」
へらへらと笑いながら、諫早を連れていけると思っている二人は俺の肩に馴れ馴れしく手を置いて、軽く膝を曲げている。
フレンドリーに見えるが、これは威圧だった。一度俺が形だけとはいえ「すいません」と口にしたことで優位に立ったと思ったらしい。
そうでなくてもこの手のタイプは威圧的に出ることで言うことを聞かせようとするものだが。もしかすると自分が相手を見下していたり、威圧的になっていることに気が付いていないのだろうか。
本当なら嫌がってるだろうとか、俺の女に手を出すなとか、ありふれていてもいいからかっこいいことをいって無理やりにでもこの場から連れ出してやりたかった。
残念ながらこちらからの返答は情けないことに、子供頼りであった。
「いや、諫早が妹と弟おいていくわけないよな?」
俺の連れている双子、それが諫早の弟妹。
そう並べればさすがに俺と諫早の事情を把握するとともに、先ほどまで邪魔者扱いしていた子供が彼女にとってどういう存在かという部分にも目が行くことだろう。
何せ、将を射んと欲すればまず馬を射よ、その馬が目の前にいるのだから。
「ん? 弟?」
先ほどまで俺たちを、諫早とは無関係だと思っていたのだろう。もしくは、偶然出会ったクラスメイト、ぐらいに。
それは双子がいたからだ。学生の男女がプールに遊びに来た時に、どちらかが弟や妹を連れてくることは珍しい。ましてや園児、面倒を見るという方が適切な相手だ。
俺たちはお互いに気にしなかったし、これはこれとして可愛い二人と一緒に来れたことを喜んではいるが、邪魔者扱いするような奴らであれば尚更だ。
また、俺が諫早の手を取り、ここを抜け出せなかったのも二人が原因ではある。諫早だけ連れ出すことは出来ないし、二人を連れていこうとすると速度が落ちる。二人を怖い目に合わせて逃げるようであれば失格だろう。
「言ってくれればいいのによ。ほら、じゃあ兄ちゃんもそこのちっちゃいの二人も俺らと一緒に遊ぼうか」
まるで先程までの険悪さや苛立ちなどなかったかのように、手のひらを返して恥知らずな提案をしてくる。
「そろそろいいか。急いでるんで」
無駄なやりとりにも疲れてきたため、少し投げやりに叩き返す。もちろん提案は破棄だ。のめるわけもない。
馬鹿馬鹿しい。そう思っていることを悟らせないよう、翔と双葉の二人を両肩に抱えた。急に持ち上げられてびっくりしたのか、ぺしぺしと背中を叩かれる。収まりが良くなったところで、高いところからの景色と人の上にいることに盛り上がった。
「何か?」
そういったところで男達は気づいた。自分たちを見る周囲の視線に。誰も彼もがあからさまにではないが、こちらに注意を向けている。微かではあるからこそ、特定の誰からか分からないそれは彼らを怯ませるに充分だった。
「なんだ……?」
これもまた、俺たちの構図に原因がある。
先程から少し後ずさるようにして、距離をおいていった。しかし諫早を逃がしたくない彼らは距離をとるごとに同じだけ詰めていた。乱暴に手をとると、その瞬間不利になる。故に彼らは、常に言葉と距離によってとらえようとしていた。
すると何が起きるか。俺たちのもともといた場所――つまり、家族用プールに近づくのだ。
家族用プールにいるのは家族連れで、俺たちは今、小さな子を抱えている。そんな二人に向かって迫るナンパ男達。子どもが泣くことはないか、よからぬことをしないかと警戒が増す。これがもしも、彼らがフレンドリーさを常にまとったまま、笑顔で子どもたちにも構うように話しかけてきていれば、なんだ、ただの気のいい奴らかと逸れていたはずの警戒だ。
彼らは結局、諫早しか見ておらず、連れていくことしか考えていなかった。
「ああ、いいよ。邪魔したな……」
気まずそうに、かけようとしたを引っ込めた。
諫早は黙ったまま憮然として俺を見ていて、双子は俺の背中越しに二人に向かって舌を出していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます