第66話 プロローグ・遊びに行くその前に
黒板と黒板消しはもっと進化しないのだろうか。
消すとともに舞う粉を見るたびに、あの不快な音と感触を思い出してそんなことを願う。
補習といっても授業と変わらない繰り返しだ。英語であれば長文を読んだり、リスニングをする。文法が少なくなるという点では変化がないわけではないが。
勉強の些細な部分に着目して変わったと主張したくなくて、変わらない繰り返しだとそう思う。
「お、西下」
筆記用具を片付けている俺に
隣には鳶咲がいる。短髪でスポーツマンっぽい。しかしどこか気弱に見えるのは何故だろうか。目元だろうか。
「どうした?」
「えーっと……」
「いやぁ、今度の水曜に遊びに行く話してるんだけどお前も来る?」
里野が躊躇い、鳶咲に誘われた。
逆になった。里野は愛想の良い、誰にでも話しかけにいくタイプ。一方、鳶咲がそこまで誰彼構わず積極的に話すタイプではない。そういう見立てだった。
前回、諫早の件で話すことがあったからだろうか。面識がよりある方が会話の矢面に……って俺は厄介な相手かよ。
「あー、悪い。その日は既に予定があるんだよ」
プールに行く日とかぶるとは残念だ。
と胸の内に秘めたはずの落胆を見抜いたかのように、鳶咲が茶化してきた。
「もしかして、デートだったりしてな」
「外れずとも遠からず、だな」
「おいそれ、普通に当たってんじゃねえか」
生半可な嘘をつくぐらいなら、適当に情報を出した方がいいか。
ついていきたいと言われないように調整しつつ、集合時間と場所さえ言わなければいい。
「はぁ? 西下が? まじか!」
里野はよほど意外だったらしい。
「もしかして……諫早、とか?」
「ちょっと待て。なんであいつの話題が……あー、ここで最上ってのも意外性ないから、たまに一緒にいるのを見かけるあの子は? えーっと……」
諫早をあげた鳶咲に対し、反論のために別の女子を出してくる里野。
「髪を後頭部でくくってお団子にしてる小柄な女子か?」
「そうそう」
「東雲か?」
さすがにわかるか。
学年全部は無理でも、隣のクラスの人ぐらいは覚えられてるものなんだな。俺はまだ隣のクラスの人間全員は覚えていない。多分半分ぐらい。男子はだいたいわかるはず。東雲のクラスは男子少ないし。
「はぁ……」
根掘り葉掘り聞かれるものだ。
どうしようかなぁ。東雲の耳に入ったらバレるだろうなぁ。かといって、俺から口封じするのも嫌だな。
「全員だよ、全員。最上も諫早も東雲も」
怠惰にも解決策を考えるのを早々に諦めて、自白してしまう。
だってむしろ、隠す方が探られるし。あっさりとあけっぴろげにして、それでもグイグイ突っ込んでくるデリカシーのない奴らならもう少し対応は変えるけどさ。
最上に言って対策練った方が良いだろうか。
「まじかよ」
「まじだよ」
と、色々考えてて少し雑な返事をしてしまう。ユーモアが足りない。精進せねば。
そんな答えも二人にとっては、中の事実こそが重要であったらしい。
「リア充爆発しろ」
二人の声が重なった。
そこからしばらくは嫉妬のからかいが続いた。
狼狽えたり、恥じらうとそれだけからかいは激しくなりそうだったので、さも当然のように返事をしていた。
「ちっ、つまんねーの。もう少し慌てろよ」
「もう高校生だしな。ちょっとからかわれたぐらいで」
「お前はそうでも向こうさんはどーだろうな」
つまんないとはなんだ。里野は口を尖らせるが、それにのってやることはあるまい。その点、鳶咲はニヤリと笑って嫌な提案を。
「っと、話をしていたら」
「はーい、私の噂? もしかして恋バナ? 西下が私のこと好きってー? 仕方ないなー」
「そんなこと言ってはないな」
否定しても最上は実に嬉しそうに笑った。
そんな最上に里野が思いついたような仕草をして言った。
「あ、そうだ、最上さん。今からこの後西下をカラオケにでも誘おうかと思うんだけど来る?」
「あ、いいね」
「俺が聞いてないんだが。鳶咲も聞いてないみたいだぞ」
「だって今言ったしな」
「ごっめーん。今日、私と西下はこの後予定があるからー」
そう嘘と本当を混ぜて、俺を立ち上がらせた。俺はカバンを持って、「そうなんだ。悪いな」とその言葉にのっかった。
「あ、お邪魔ですね。ごゆっくりー」
最上に腕を絡めとられて引きずられていくのを鳶咲に見送られた。
◇
べたべたとしている俺たちは、周りからの視線にさらされながら歩きつづけた。
といっても、人数が少ないものだから誰が
見てくるかわかりやすい。
そして連れてこられたのは校舎の中庭であった。校舎がぐるりと取り囲んでおり、幾つかの木々と寄り添うように広場をベンチが並ぶ。小さな正方形の人工の池がある、そんな場所だ。
そこで東雲と諫早が待たされていた。二人は楽しげに会話に興じている。俺たちにはまだ気がついていない。
こっちも用事か。聞いてないぞ。
「あ、来たんだ」
先に気がついたのは諫早だった。
周囲への警戒は諫早の方が上、というとなんだか違うパラメーターを覗いている気分になる。
「西下くん、それに綾ちゃん……」
「西下連行してきたよー」
「私は別に連れてこなくてもいいって言ったんだけどね」
「千歳ちゃん、そんなこと言わないで、ね……?」
「わかってるって。別に来るなとは言ってないじゃん」
マジで何の話だ。
「俺に何をさせようってんだ?」
「うん、実験だ……いや、試験官かな!」
「ふえっ?!」
「試験官ならぬ試験管にしようとしてないだろうな」
「何言ってんの?」
「あははは、口じゃわからないよ西下ってば」
実験台とはまた不穏な響きだ。同時にむしろワクワクするあたりダメだ。新しい扉を開いてはいけない。性癖というよりは、相手によるものではあるが。
「えっとね、綾ちゃんが――」
「――まあまあ、それは着いてからのお楽しみってのはどうでしょう?」
東雲の説明を遮るように、最上が口を挟む。ぴたりと東雲の口に人差し指を立てて当てる。それはまるで内緒ね? と囁くかのように。
その様子が微笑ましいやら、なんか言いなりになってる方が楽しそうなのでそのまま無理に聴きだすことをやめた。情報は、必要な時に必要な量を。その調整は相手に委ねよう。
「そろそろ行かない? なんか見られてる気がするし」
「ははっ、諫早目立つからな」
「いや、どー考えてもあんたが原因でしょ」
確かに。女子三人だけならそこまで目立たない。それが孤高を貫く諫早に本の虫東雲、コミュ力マックスなオタク最上と違和感のある組み合わせだったとしても。
いや、最上が目立つようなことをしたのにも原因がないわけではないと思うぞ。そんなことをする理由に全く予想がつかないではないが……予想の通りだとすれば、ちゃんと管理できるのだか。それを最上に任せていいものかも心配なんだけど。
そんなことを思いつつ、最上を横目で盗みみる。
だが――
「大丈夫だよ西下」
「まあ適当に俺にも相談してくれ」
あまりにあっさりバレてしまったものだから、今後一切最上のおっぱいや太ももは盗みみることがないように心に誓った。いや、これまでもしたことないけど。
「あはははは!」
俺も別に人の気持ち全くわからない鈍感なつもりはないが、最上に関しては何を考えているのかその一歩先がわからない。最近特に手のひらを転がされている。
ささやかな反抗心が湧くも、それに対し拗ねるや不満ではなく、あえて笑顔で返す。その様子は外から見れば楽しげな談笑に見えていることだろう。言葉足らずで分かり合った、仲睦まじいそんな様子に。
「あんたらの背後に邪悪な影しか見えない」
「ふ、二人ともいい子、だと思う、よ……?」
「文香、甘やかすのもほどほどにしなよ」
「笑いあってるだけだってば、だよ、ね……?」
「そうだ、笑いあってるだけだ」
「あんたがが言うな、あんたが」
「やましいことは何もないからねー」
そう言って笑う最上に邪気はなかった。
◇
とまあ。
ぐだぐだと、それはもうぐだぐだと喋りながら、着いたのは――
「水着売り場、ね。なるほど」
諫早はそっぽを向いて、東雲は斜め下に顔を伏せて恥ずかしげにしているその前に最上が立った。
くるくると回るような錯覚。手のひらを大仰に広げて、そして――
「私たち、水着選ぼうと思います。西下にはどれがいいか言ってもらおうかなー!」
とにこやかに言い放った。
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