第61話 デート……後半

 真っ暗な映画館。

 まばらに空席があるが、概ねほとんどの席が埋まっていた。非常出口か緑に、そして足元が薄っすらと光っている。

 当たり前のその光景は記憶にあるそれと随分と違って見えた。


 その中で映画の本編が流れ出す。

 巨大なスクリーンで慌ただしく動くキャラクター、向こうに広がる非日常、そしてそれに照らし出される隣の諫早の顔。

 口が寂しくなり、買ってきた醤油バターポップコーン手を出す。口の中で静かに、静かに圧し潰す。

 

 ――映画も久しぶりだ。


 選んだ映画はSFだった。

 主人公の女性が崩壊した地球で、特殊な生命体に出会うところから物語が始まる。

 宇宙生物が襲ってきたせいで生態系がめちゃくちゃになっている状態で得体の知れない生物を拾って一緒に過ごすなんて随分と迂闊だと思う。

 それはもちろん、危険視した人たちに追われることになるわけで。それを彼女は必死で守り抜く。演技もさながら、そこに至るまでのやりとりがハートフルで思わず納得してしまう。それはもう得体の知れない生物ではなかったのだ。彼女にとってその生物は家族になっていた。

 そんな中、地球を襲っていた生命体の群体と出会う。

 主人公と共にいた生物はそこで、本人さえ自覚していなかった真実を知らされる。


 そんな感じで話が進んでいく。


 最後になると、すっかり見入っていた。隣の諫早や東雲、最上のことを確認するのも忘れていた。

 三人も楽しんでくれていたのだろうか。いや、映画を作ったのは俺じゃないから言い方は少し変だが。

 映画デートは上映中は気負わないでいいが、時間経過を映画任せなのでそのあたりはネックだな。あとは趣味が合うかどうか。両方楽しめなかったらそれはそれで盛り上がるけど。

 ポップコーンはすっかり空だった。


 ◇


 映画の後は、近くの公園に向かう。

 公園といっても遊ぶ専用の遊具だらけな小さなものではない。広場などはあるが、概ね散策したり景色を眺めるタイプの自然公園である。

 中央に人工水園もあり、そこでは睡蓮や百合などが見られるとか。独特の華やかさを誇る、このあたりの名所の一つ。道が中をうねうねと通り、広場と庭園が点々とある。

 六月中旬ともくれば、梅雨真っ盛り。本日は幸いにも雨は降らず、快適だ。そんな中どうしてここを選んだかといえば、ここの名物の一つが――


「綺麗……!」

「おーちょうど咲いてるねー!」

「紫陽花、ね」


 そう、紫陽花あじさいだ。

 土の酸性アルカリ性で色が変わるとか言われる、薄い青紫や淡い紅色の花を咲かせる植物。梅雨といえばこの花だろうと近くで紫陽花の見られる場所を探してちょうどここに当たったわけだ。

 あまり綿密に予定を組まない俺ではあるが、ざっくりとしたものならなんとか、な。


「さて、昼ごはんなんだが」

「そのことなんだけどね。えっと、これ……」


 昼ごはん、と切り出すと東雲が持っていたカバンをゴソゴソとして中からあるものを取り出した。それは大きな保温可能そうな密閉型のプラスチック容器だった。それが小さめのものが六つ。


「なに、それ?」

「えっとそれってもしかして……」

「お昼ご飯、作ってきたの……迷惑、だったかな……?」


 昼ごはん、だと……?

 東雲凄いなぁ。俺は外で適当に食うか、ぐらいしか考えてなくってこの荷物の中にも食料は入っていなかった。そのあたりが細やかに気がつくかとか、考えて実行できるかあたりの力か。


「おおお、すげえな。全員分ってことだよな。大変だっただろう。ありがとう」

「文香ちゃんありがとう! 今度は私も手伝うから」

「なんか、悪いな」


 三者三様の答え。

 俺はそこで、最上のように手伝うと言っていいものか少しだけ迷った。

 多分、すごく楽しいと思う。一緒に弁当を作るのだから。それに、それを約束することはつまりまたどこかに出かける約束と同義だ。

 だけど同時に、踏み入れてはならないような気もした。それがたとえ、自惚れだったとしても。


 もちろん、諫早のように申し訳ないという気持ちもある。

 だが悪いと言われるよりも喜んで礼を言うことをきっと東雲が望んでいるだろう。そう思ったから、謝罪の言葉をぐっと飲み込んだ。ここで謝ることは、自己満足になるのではないかと恐れた。

 お金を出すのも変だ。だから、そのうち別のところでどうにかして返そう。そんな風に心の中で付箋を一つ付け加えた。


「えっと、私が楽しみにしすぎてて、なんか家で一人で盛り上がっちゃって……」

「いや、大丈夫。俺らも凄く楽しみにしてたって。表現方法が違うだけで、東雲だけとかじゃないからな」

「うん。私たちみんな楽しみだったって。ねえ、諫早さん?」


 ズルい。ずるいぞ最上。

 いや、俺も聞いてみたいとは思うが、その聞き方は卑怯だ。東雲も諫早の方をじっと見てやるな。そこはありがとって言って流してやれ……!

 と心の中で叫ぶも、実際そこまで悪い機会じゃないとは思う。ここで楽しみにしてなかったということに抵抗を覚えること自体が、この時間を楽しんでいる証拠ではあるのだから。


「そうかも、ね」


 諫早はそう言って苦笑いのような顔でそっぽを向いた。

 それは照れの表現、なのだろうか。わからないが、あまり無理矢理言わせた感じにはなってなくてよかった。感想としては少し曖昧だけど否定されないだけ多分好感触かな、とはね。

 諫早は丸くなったか。慣れてきたというべきか。少しずつ、軟化している


「その、お礼とか、そんなの……気がついたらなんか作ってて……私も、楽しかったし……」


 その向けられるまっすぐな好意に、そしてそれを表現するワンクッションに照れそうになる。

 ただ、それを照れだと自覚した瞬間にそれが顔に出なくなるのは悪い癖だ。そして口にしようかとさえ思ってしまっているあたり、性格が悪い。

 口に出せば直接的になるし、逆に相手を照れさせるかもしれない。むしろ照れてほしいとさえ思っているのだから。


「じゃあ、紫陽花を見ながら食べるか」

「あそこのベンチとかいーんじゃねーの?」

「屋根もついてて落ち着いてるしね」


 そう言って三人で嬉しさのあまりやや早足で向かう。東雲が少し出遅れたのを見て、振り返った。

 東雲はあっけにとられたように立ち尽くしていた。


「行こう」


 その手を引きたくなって、手を伸ばす。そしてそのまま持っていたカバンを取り上げて、笑いかけた。



 ◇


 ベンチに座ると、あたりに咲き誇る紫陽花に目を奪われる。

 花びらが散る様さえ美しい桜と違って、静かにそこにあることが温度と共に心にストンと落ちるような綺麗さだ。こういう花見もいいものだと思う。

 ギザギザの葉が花とよくあっている。確か紫陽花のこれって小さな花の集まりなんだったか。小さいの一つだけだと虫があまり寄ってこないからか。


「何作ってきたの?」


 最上が無邪気に尋ねる。

 最上の無邪気なセリフとか久しぶりに聞いた気がする。こいつ基本的に邪気の塊だし。いや、そこも好きだけど。


「おにぎりとかじゃないの?」


 諫早は堅実な予想をあげる。

 サンドイッチという可能性も捨てがたい。


「ううん。実は……」


 東雲は恥ずかしがって困るように、持ってきたものの容器を開けた。

 中からはホカホカの――


「カレー、か」

「カレーだね」

「カレー?」


 カレー、だった。茶色い湯気の立つルーにジャガイモやニンジンがコロコロと浮かんでいた。その隣ではホカホカに炊き上がった白米が詰め込まれている。こちらまで香りが漂ってきて、つられて意識が鼻にいく。

 満場一致で誰が何をどう見てもカレーライスである。


「うん……カレー、なの……」


 何か恥ずかしくなったらしく、言いにくそうにしていた。

 最上と俺はその様子に思わずほほを緩ませ、和む。いやいや和んでないで何かフォローをだな。


「カレー、好きだよ。いいんじゃないの?」


 最初にそう言ったのは意外にも諫早だった。

 

「そう……? 変じゃない?」

「あっははははは、カレー! カレーいいじゃん! 面白いのが一番だよ。変とか気にせず好きなもの持ってこようよ!」

「最上それ、追い討ちだろ」

「や、だってカレーだよ、カレー! 私も好き。お弁当ではあまり見ないだけで」

「そうだなぁ……弁当ってだけならそうでもないけど、みんなで食べる時は持ってくるのが大変そうだなぁとは思うか。変じゃないよ」

「そう。よかった……」


 諫早が心からの想いを伝えて、最上が笑い飛ばしてようやく東雲は胸をなでおろした。


「楽しみだな」

「うん」


 そして昼食が始まる。

 なんのことはない、カレーだ。スプーンがついているから食べにくくはない。ザクザクとご飯を掘りながらカレーに入れて食べる。うん、美味しい。予想通りの味だ。

 ここで新たな属性として料理下手が追加されるのは勘弁願いたい。いや、料理の腕で人の価値は決まらないから下手でも変わらず東雲は可愛いのだけれど。ただ、その場合お世辞で誤魔化すべきかはっきり伝えてかつ改善まで頑張るのか迷うだろうというだけの話だ。多分、言うけど。


「はい、あーん」

「綾ちゃん、そのっ……むぐ」


 目の前で最上が、俺がグッと我慢してるそれをあっさり乗り越えて見せつけてくる。なんとも羨ましい。羨ましいが、その光景そのものも俺にとっては好ましいために、嫉妬と明確に言葉にできるほどには妬けない。

 諫早ははっきりと苛立っている。二人を横目にジロリとにらみ、一言も発さず黙々と食べている。

 俺は何をどう声をかけていいやらわからずにとりあえずカレーの感想を伝える。


「カレー、美味しいよ」


 東雲は口にスプーンを突っ込まれたまま顔を赤くして俯いた。

 照れたか? と喜んだのも束の間、どうやら喉に詰めたらしい。


「お茶飲む?」


 最上が横で差し出すのを慌てて飲む。そしてけふけふとむせたあと、深呼吸をした。

 

「ありがとう……」

「大丈夫か?」

「何をそんなにびっくりしてんの」


 諫早が背中をさすりながら問いかける。


「だって、西下くんが……いきなり美味しい、とか言うから……」


 俺のせいなのか?

 ならこれは喜んでいいのか?

 だって普通だろ。作ってきてもらったものに対して美味しいって言うことは何も変じゃない


「……ふぅ」

「落ち着いた?」

「うん……」


 そこからはつらつらと雑談。

 先ほどの映画の感想合戦であったり、学校のたわいない話。

 映画は概ね好評だった。主人公に感情移入して、謎生物可愛いという東雲や、イケメンエリートの敵の葛藤を馬鹿らしいと鼻で笑う諫早……主人公可愛いよね、とか言い出す最上。うん、感想は人それぞれだ。


「あんたら、せっかく花見にきてんだからもうちょっと紫陽花も見なよ。ほんと花より団子なんだから」

「やだなー西下は私たちという花を見てるんじゃない」

「綾ちゃん?!」

「げっ……西下、あんた私たちのことをそんな目で……」

「最上、あけすけな言い方すんなよ。俺だって普通に紫陽花見るのも楽しんでるだろ」


 完全に否定はしない。

 花を見るのはなんの花を見るかよりも誰と一緒に見るかが大事だと思う。


「あっ、カタツムリ……」


 紫陽花が咲き乱れるその場所の端で、薄茶色の渦巻き模様を見つけた東雲。薄く口角を上げて、その殻を指差している。


「ん? 別にカタツムリが嫌いってわけじゃないのか」

「……? 嫌いじゃ、ないよ?」

「わたしは好きじゃないけどね。ナメクジは野菜の敵、カタツムリも敵」

「何があったんだ、お前に」

「いや、そのちょっと昔、ね。あんたに話すようなことでもないかな」


 諫早はまたよくわからんトラウマがあるようで。

 やんわり話すことを拒まれてしまったが、特に嫌な様子はなかったので本当に大したことがないか、話すのが恥ずかしいことか。


「えー可愛いじゃん。カエルもカタツムリも六月は生き物が可愛い」

「ナメクジとカタツムリは違う、よ?」

「いや、そうじゃなくて、今朝に食べられないものの話でエスカルゴって言ってたじゃん」

「うん……好きだから、かわいそうになっちゃって。可愛いから食べるのやだなぁ……って」


 ああ、うん、そういうことね。

 そのあたりの感覚は俺にはよくわからないが、そういうこともあるのだろう。

 カタツムリとナメクジの差なんて殻があるかどうかであり、ナメクジ本来の気持ち悪さ元凶のぬめりや形状は損なわれていないのではないか。

 それに、"可愛いから"かわいそうだから食べたくないというなら他の食べているすべては可愛くないのか? とか。

 色々疑問はある。

 ただ、カタツムリをつつく二人とそれを苦々しげに見る一人がなんだかおかしくて何をどうでもいいことを考えているのだろうとその疑問を投げ捨てた。だってそれは多分、情趣のない、身も蓋もないつまらない意見にすぎないだろうから。

 今日は何も考えず、紫陽花の美しさと三人と過ごす時間を楽しもう。

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