間章
第59話 閑話・勝負結果は
手薬煉の件が落ち着いて、俺の前に立ちはだかったのは最上だった。
一足早く昼食を食べ終えて、鞄からゴソゴソと取り出したるは紙の束――テストだった。
周りに人がいればもう少し慎重になれと言っただろう。もしくは繊細に、か。幸いこの教室は誰もいない空き教室だった。
心なしか不敵な笑みを浮かべている。
「覚えてるよね?」
昼食を食べていた手を止めた。
なんのこと? とばかりに東雲と諫早が最上から俺へと視線を移す。
「……もちろん」
忘れるはずがないだろう?
少し後回……先延ばしにしていただけだ。
もちろん、手薬煉に気を取られてテストが疎かだとか、ましてやテストの結果を忘れていたなんてことがあるはずがない。
その証拠に俺の鞄には、親に報告するのすら面倒くさくて、自宅で出すことをしなかったためにそのまま放置されたテスト解答用紙一式が揃っている……はずだ。
「えっと、西下くん……綾ちゃんと何か約束……したの?」
「まあな」
「どうせくだんないことなんじゃないの?」
「テストの結果で勝負して負けたほうが何でも言うこと一つ聞くっていう約束」
それだけのことだ。他に説明のしようもない。
東雲は三拍、言われたことが理解できなかったようで黙った。
事態を飲み込み、そして驚きの声をあげようとする。だがその言葉を何故か押し込めたようで、ぐっと詰まったように口を噤む。
多分だけど、以前自分も同じ「何でもする」と言ったことを思い出したんだろう。そのセリフの重みを改めて知った。だけど自分もしたから何も言えない。そんな感じじゃないだろうか。
以前は大したことにならなかったのが、さらに言葉を削る。
「あんたら……」
諫早は以前のやりとりを知らないからか、顔をしかめてついでに俺に冷たい視線を向ける。汚物でも見るような、軽蔑の眼差しだった。そして両者が合意なら仕方ないか、とでも言わんばかりに俺と最上を見比べて小さな溜息をついた。
「……負けたらどうすんの?」
諫早は俺を顎でさすようにして、最上に尋ねた。
……俺への信頼度、やたら低くないか?
「え? だから勝った方の願い事を聞くんじゃん。参加する?」
「冗談じゃない。だいたい、してほしいことなんて別に」
そう言って面白くなさそうにそっぽを向いた。
もしかして、最上を心配してるのか?
だとしたら少しでも最上との距離が縮まっているということになるな。嬉しい限りだ。
ただ、その優しさ的なものを少しでも俺に分けて欲しい。
そのためには俺からもっと優しくしていくべきか……だがあまり構うとそれはそれで嫌がられそうだ。
最上はこんな時もケラケラと笑っている。
……テストで負けたら覚えておけ。
「さて。開示しますか」
教科ごとに点数を発表しはじめた。
最上は俺と自分のテスト用紙を持って、それぞれの点数を交互に発表していく。読み上げたテストを隣の机へと置いていく。
俺は紙にそれぞれの勝ち負けを記録していく。
それを東雲と諫早の二人は紙を両側から覗き込んでいる。
東雲はいつものごとく髪を後ろでくくっているが、諫早の長い髪は無造作に伸ばしたままなものだから、机にかかっている。先ほどから書いている手がくすぐったい。
あと東雲、俺の肩に手を置くのは狙ってるのか? そうじゃないのはわかってても萌えで殺されにきてる感じがビシバシと。
テストの結果を機械的に勝ち負け、丸バツでつけていくばかりでその内容が頭に入ってこない。
身体的だけではなく、精神的にもくすぐったい。
「よし、終わりっと」
言い終えた紙を縦向きにトントンと二、三度机で整えて揃える。
そして俺の記入していた紙を覗き込む。
最上の勝ち、西下の勝ち、と正の字で数えていく。
「これって……」
「なんていうか……」
東雲と諫早が絶句。反応に困って、ことの成り行きを見守ろうとしている。
「引き分け、だな」
「あっはははははは!」
最上のツボに入ったらしい。
結果の紙を指差して大爆笑している。
「まあ、そういうこともあるか」
そういいながらも、お互いの結果に間違いがないかとテスト用紙を眺めあう。
「特に間違いはなし、か」
「点数変わらないね」
「どうする、の……?」
「どうせ勝負はなしとかそういうのでしょ。それともなに? なんか別枠で決着つけんの?」
顔を見合わせる。
これはあくまでポーズにすぎない。どうせ、俺と最上の中では結果は決まっているのだから。
諫早の言うことも、考えられなくはない。総合点数で決着をつける方法だって、勝負を始める段階では候補にあったわけで。今からそのルールに変えても支障はないだろう。
ただ、そうじゃない。
他にこれならむしろ面白い結果が待っていることだろう、と思いついてしまったからそちらを選びたい。
ニヤリと笑ったのは、俺も最上も同じだった。
「両方のお願いを聞こうか」
二人の声が重なる。
「そうなるの……?」
「痛み分けって? あんたらの考えることってやっぱわかんないんだけど」
「それがわかれば諫早も俺らマイスターだな」
ぜひ西下マスターと最上マスターの称号をあげたい。
その前になんとか俺が諫早の心を読めるようになっておきたいところ。最上でもいい。
「最上、手、抜いてないよな?」
「そういう西下こそ、手薬煉くんに気を取られて下がってんじゃないよね?」
からかうように尋ねる。
責めるように問いかける。
そもそもの話ではあるが。
俺たちはこの勝負において「勝つこと」を目的とはしていない。最上もどうかはわからなかったが、今のではっきりした。
勝つこととはつまり、点数で上回って「相手にしてほしいことをさせる」ということだ。
俺と最上はお互いの人間関係を維持するため、ひいては学生としての社会的地位を維持するために「常識範囲内での命令」しか出せない。それはすなわち「命令」というよりは、「お願い」といったほうが適切だろう。
ここで相手が望ましくないことを無理矢理命令させることはない。つまり、両方がしてもいい程度のことしか命令しない。
もちろんジュース一本奢りな、なんてくだらない命令に費やしてもいいわけだが、それでは勝利の価値は下がるだろう。
お願い、であれば本来、別に罰ゲームを使わなくても頼めば聞いてもらえそうな範囲の要求である。
――それを相手に言わせたい。
その一言に尽きるだろう。負けたかったのだ。相手にお願いを口にさせて「罰ゲームなら仕方ないなー」ってニヤニヤしながら要求を受け入れたかった。相手の本音を聞き出すいい機会とさえ思っていた。
多分、してほしいことなんてのはしてあげたいことでもある。仲のいい相手ならそんなもんだ。何かしてほしい、何かしてやりたいってのはあまり差がない。自分はされたいけど、したくはないってのは対等な立場にはないだろう。
――だけど自分から頼むのは癪だ。
ーーだから相手から口にさせたい。
頼まれれば、する大義名分ができる。
だから人は欲求を口にする。
お腹が減ったという奴には、食べ物をあげるきっかけができる。
疲れたという奴には、休息をとらせる理由になる。
だから、痛み分けというよりは。
これを機会にお互いしてほしいことでも言おう、ぐらいの軽いノリの結末だ。
以前、東雲が「私にできることなら」と言った時に酷いことを頼まなかったように。
そして今回はその再現でもある。
ゲームで折り畳み傘を探してもらってデートにこぎつけたように。
できることなら、と言われて頼みごとを些細なことにしたように。
最上と俺はそれぞれにテストの裏側にシャープペンシルでしゃらしゃらと要求を書き記した。
「よし、できたか?」
「OK」
二人同時に、書いた紙を机の上に広げる。
『デートをしましょう、西下くん』
『みんなで遊びにいこうか』
俺よりも男らしく爽やかな断言形式のお誘いはどこかで見たセリフのラストのようで。
二人で笑い転げた後、「お二人さんはどうですか?」とこの面倒臭い遠回りなデートの計画を持ちかけるのであった。
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