第56話 手薬煉の本心

 人間は弱っているときに本音が出やすい。

 健康状態であればこそ心に余裕もできる。自然と周りにも気を遣える。

 これは普段は周りに気を遣ったり、自分の本音をうまく隠している人にこそ通じる傾向であるかもしれない。

 もちろん、弱気になりやすいとか、負の感情が出やすいといったこともあるかもしれない。だからいつもより愚痴っぽくなったからといってそれを「これが本音か!」と決めつけるのは早計か。

 疑心暗鬼。病は気から。

 そんな言葉が脳裏をよぎる。

 なんにせよ、俺がそうではないか、と考えているだけで統計をとったわけでもどこぞの研究をもとにした考え方ではないのだが。

 もしかしたら既にどこかで言われているのかもしれない。

 ただの、経験則とかみたいなものだ。


「あの時の続き、聞こうか?」


 普段は直接的に感情をぶつけてこない手薬煉ではあるが、このような機会を設ければ少しは隠していることもポロリと漏れるかもしれない。

 疲れて、ダルくて、そんな状態なら色々と考えながら話すのも面倒だろう。

 だから、本音が漏れ出ても仕方ないのだ。


「……西下は、ズルいなぁ」


 という言い訳まで用意したのだ。

 そもそも一日寝ればなおる程度のちょっと体調を崩しただけの話で。判断が鈍るほどの重病人にそこまで鬼畜な真似をできるはずもなく。

 そういう風に気づかれることさえ織り込み済みで。

 俺が織り込み済みであることさえ、手薬煉は気がついていた。


「知らなかったか?」


 俺が手薬煉に「病気で弱っていることを言い訳に本音を話して楽になれ」と突きつけている。

 手薬煉はそれをわかってしまうから、酷いでもなく、ズルいと称してしまう。

 そういう聞き方をされてしまえば、答えるしかないじゃないか、と。


 ずるい。と口にする手薬煉は、両目を手の甲で隠すようにおさえて、仰向けにごろりと転がっていた。

 息をやや深めに吐くと、上半身をゆっくり起こして布団を横に寄せた。片膝をたててぺり、と熱冷まし用の冷却シートを額から外してゴミ箱に捨てる。


「知ってたよ。だからこそ――」


 聞こえないように、声にならない声で続けた。

 ――友達なんじゃん、と。

 別に、逃げてもいい。

 答えるのが辛くて、苦しくて、自分にとって何も生まないなら。

 ただ、話すことで楽になることなんて世の中には山ほどある。

 何か力になってやれるかもしれない。

 それはただの押し付けかもしれない。余計な御世話とか、お節介の類なんてこともあるだろう。

 ただあれだ、しなくて後悔するぐらいなら自分のしたいようにきっちり関わっていこうとだな。


「……西下、変わったか?」

「そうだな……俺も今年に入って少し変わったのかもな」


 中身は変わってない、はず。

 手薬煉の言いたいこと、それがじんわりと染み込んでそれに自覚があった俺は怯みそうになる。

 対応が、立場が、関係性が変わったのだ。


「……どこから聞こうか」

「僕もどこから話そうか」


 二人して言葉に詰まる。

 手薬煉の部屋の壁にかかっている時計はデジタルではなかったことに改めて気がついた。


「多分、西下が思ってる好きとは違うんだ」


 手薬煉の言葉を口の中で転がした。

 聞こえないように復唱して、手薬煉を通して自分を見る。

 俺は、手薬煉に何を見ていた?

 手薬煉は俺に、何を見ている?


「好きなことは好きなんだよな?」

「まあね」


 進めば進むほどに迷う。まるで知らない街に入り込んだみたいに。自分が絡まないからか。それとも――

 答えはいつだって出ない。誰かがくれることもない。こんなに迷うようになったのは、本気で関わろう、と決めたからだった。

 最上と、東雲と、諫早と関わろうとするようになってからだ。

 ――いない時まで、あいつらは。

 それより前から話していた手薬煉。これまでは表面だけの友だちだったに違いない。それをダメだとは思わない。だが、それでも、深くまで仲良くなりたい。

 手薬煉を通して、自分を見る。

 先ほど考えてしまったその一文が、呪いのように自分を縛る。


「どういうことだ?」

「どうもこうも。僕は日野さんのことを素敵な女性だとか、綺麗な人だと思ってるけど告白して付き合いたいとか思ってないってこと」

「全然?」

「うん」

「諦めとかじゃなくって?」

「それは……」


 言い方がきつかっただろうか。

 それでも、言わずにはいられなかった。


「そうかも、しれないけど。ダメかな? そういう恋愛は。手に届かないからこそ美しい」


 鏡に映った花も、水に浮かぶ月も、届かない。届かないから美しい。

 人はそれを憧れと呼ぶのではないだろうか。憧れは、恋い焦がれることとは違うのか。


「少しだけ、夢を見てるんだよ。僕が告白して、それで受け入れてもらえたとして。幻想が壊れてはしまわないかと怯えているんだ」

「ダメじゃねえよ、ただ――」


 ――もう少し、自惚れてはいけないのか。

 自分は好かれているのだ、と。


「日野さんがお前に告白してきたらどうする?」

「ないよ」


 柔らかく、受け止めるように否定された。


「いや。別に日野さんが僕のこと云々っていうよりは……するべきことは、したんだ」


 ふと、後輩火矢から聞いた、手薬煉の将棋スタイルが脳裏をよぎる。

『準備して、誘導して待ち構えるような』

 手薬煉は待っていたのだろうか。手に入るはずのない月が手のひらに落ちてくるその時を。

『攻めていたら、いつの間にか誘いこまれている』

 俺の行動は手薬煉が誘い込んだそれか。それとも予想外のものなのか。


「でももし、僕が普通に告白して受け入れられてしまったら……僕は日野さんへの想いを失ってしまうんじゃないか。そういうのって、怖くない?」


 強烈な違和感が背中にのしかかる。

 手薬煉は何も変じゃない。これはそう、俺が知らないものだ。好きの定義が根本から違う。そしてこれまで聞いたことのある「関係が変わる恐怖」とは逆だった。

 告白することで、フラれることに、興味を失われることに怯える方がわかる。

 だけど確かに筋は通っていて、これが手薬煉という男なのか。


「怖い、な」

「怖いだろ?」

「好き、は違う」

「好きだよ。違うだけで。日野さんが誰か好きな人と結ばれて幸せになればいいなぁって祈ってる状態」


 愛し方。焦がれ方。望む結末。ぐるぐるといろんな言葉が回る。

 そうして出たのは愚にもつかない問いかけだった。


「それでいいのか?」

「いいんだよ」


 手薬煉にとって彼女は、姉のような存在なのかもしれない。それも、世間一般の仲の悪さや近すぎる弊害のない、まるで理想的な。

 ここにはいない、日野さんにもその思考を巡らせる。

 ――俺には、何もできないか。


「いいんだよ、何もしなくって」

「そうか」

「強いて言うなら、内緒にしておいてほしい」


 何も言えなくなった。

 いつも穏やかな手薬煉が、今も穏やかなままに初めて口にした俺への望みがそれだった。

 その目を見て気圧されて、唇の下を噛む。

 何故か謝りそうになった。


「……わかったよ。ここに来る時も何も言ってないしな」

「ありがとう」


 手薬煉はそれだけ言い残すと、軽く目を閉じて壁に背中を預けた。

 俺も肺に残った息を吐くように、立ち上がって伸びをした。


「ポーカーをした時のことを覚えてる?」

「ああ、この前のな」

「どんなに手を尽くしても、札を配る順番です全てひっくり返ったりする。そういうことってあるよね」


 無言で同意する。

 それが全てじゃないと信じたいのも確かだが、今の話はそうじゃないだろうし。

 目を閉じたまま、行き先の見えない、独白ひとりごとのようなそれを俺に向ける。


「出会う順番が変わっていたら、どこかで何かが違えば、僕の運が良ければ少しはこの想いも変わったのかな」

「変わった、だろうな」

「それは少し、悔やまれるね」

「ああ、そうだ。火矢が心配してたぞ」

「僕にはもったいない後輩だよね」

「またいつか、その思いが変われば言ってくれ」


 帰ることを告げると、見舞いの礼と共にひらひらと手を振られた。

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